第七話 酒夢鯨
「さーて、久しぶりの実戦はどれくらい戦えるかな?」
ホロウェルの打ち出した魔力の雨がようやく降り止んだ頃。
"光剣 碑之政峰"を両手で持ち、ホロウェルに切っ先を向ける。
剣に魔力を纏わせれば刀身は光輝き、周囲から光を奪い、辺りが影になる。
「そんじゃ、いきますか!」
碑之政峰を一閃し虚空を切ると、剣から光が飛びホロウェルの頭部を焼き切った。
「──────!?」
ホロウェルの傷口からは血液ではないだろうが、黒い液体がボタボタと滴り落ちている。
ホロウェルは私に強い殺気を向け、その大口を開いた。
口内に黒い光が集まり、次第に大きくなっている。おそらくあの光も先程の魔力の雨と同じように腐食効果を持っていると思う。
なので、障壁では弾かない。代わりに構えを取り、いつでも剣を振れるようにする。
一瞬できた静寂は、ホロウェルの口内に溜まった光が解き放たれたことによって生じる轟音に打ち壊された。
黒い光が迫るが、私はそれを碑之政峰の一振りによって切り払う。
正面が開け、翼をはためかせ飛翔し、ホロウェルに一瞬にして肉薄する。
そして先程の攻撃で与えた傷に重ねるように剣を振り下ろした。
「固っ!これ近づいても無理かも!」
しかしホロウェルの皮膚は想像以上に固く、思ったよりも深い傷はつけられない。
光の灯らない虚ろな目が私を捉え、その巨体を大きく跳ねさせた。
咄嗟に後ろに跳び距離を取るが、ホロウェルが大地に打ちつけられたことで起こる衝撃波にさらされ、吹き飛ばされてしまう。
が、そこを後ろを追従していたワズベールさんが受け止めてくれた。
「いやぁ、思ったより全然効かないや。これなら強めの魔法でごり押しした方がいいかも」
「馬鹿たれ、考え無しに突っ込むな。足でまといになるくらいならどっか行ってろ」
「!」
一応優しく降ろしてくれたワズベールさんは足元を軽く踏んで確かめるような動作を取ると、そのまま低い姿勢に構えて地面を抉るほどの跳躍でホロウェルまでぶっ飛んで行った。
一瞬でホロウェルとの間合いが詰まり、構えられたワズベールさんの拳が振り抜かれると、それを顔面に受けたホロウェルが軽く吹き飛んでひっくり返る。
「すっごい…」
「何一つ知らない世界の住人の力…興味深いわね」
「あ、フィリア。大丈夫?」
「一応準備はしてるけど、まだ時間かかるから行ってきなさいよ。」
「とは言っても近づいたらまたあれで吹き飛ばされるし、固いし、それに碑之政峰に溜めてる魔力の一割くらい使ってもそこまで消耗させられてないんだよ?」
碑之政峰には大戦中、私が暇なときに溜めてきた膨大な魔力が込められている。
その内の一割を使ってもせいぜい多少血…みたいなのが出る程度のダメージしか与えられず、それもあの巨体から見れば微々たるものだ。
例え残りの九割全てを解き放っても決定打には程遠いだろう。
「こういう相手を見ると"超大型特級蛇"を思い出すわね。」
「ねえ、だからその話やめよう?あとそれは負けた話だから。」
「勿論知ってるわよ?」
「ならなおさら酷いよ!」
「─────!!」
「んっ、ほんとさっきからこれうるさいわね!」
「どうしようかなぁ?かなり時間かかるよこれ…ん?」
ワズベールさんとゴリゴリの肉弾戦に対してヒレや尾、巨体を活かして対抗していたホロウェルは、突然大量の砂煙を撒き散らしながら地面に潜り始めた。
すると、なんとホロウェルの気配も完全に消え去ったのだ。
「おい!気をつけろ!一度隠れられたら気配を追えねぇ!」
「…嫌な予感する」
「奇遇ね。飛ぶわよ!」
フィリアの声に合わせて二人で一気に上に上がれば、さっきまで私達がいた場所からホロウェルが大口を開いて飛び出してきた。
あと少し反応が遅れてたら飲み込まれてたかもしれない。
と、ここでホロウェルの背中に飛び付いた人影を見た。
「ちょぉ!?姫さんいい加減にして!?何してんだジェストォ!」
「い、いやだって陛下が思ってたより早くて…」
「あれは…セレナ?」
「何してるのかしら?」
ワズベールさんに叱られているジェストさんを尻目に、なにやらセレナは軍服の中からロザリオの様なものを取り出し、天に掲げている。
「封じて囲え、"念珠 ニグラバ"!」
「…お?」
「え?」
セレナがあのロザリオの名前らしいものを唱えると、ロザリオは輝きだし、光の幕が広がってホロウェルを包み空中で制止させた。
「今です!"ニグラバ"の拘束は一分しか持ちませんが、その間は絶対に拘束が破られることはありません!」
「う、うん!分かった!」
「あれは魔道具?あの巨体を空中で停止させるなんて…いや、まずはあいつを片付けてからにしましょう」
「クッソ好き勝手しやがって…後で処分受けるこっちの身にもなれよ…仕方ねぇ!今のうちに畳かけろ!」
あのロザリオは少し気になるが、優先すべきはホロウェルの撃破。
空中で止まったままのホロウェルに肉薄し、その体表を碑之政峰で切り裂いていく。
小言をブツブツと言いながらもワズベールさんは部下に指示を出し魔法を使える兵士達がホロウェルに攻撃を加え、ワズベールさん自身も空中に固定されているホロウェルに跳躍して張り付き、胴体に拳の連打を叩き込んでいる。
セレナもホロウェルの体の上を走り回りながら剣を振るい肉体を削ぎ落とし、フィリアは私達から離れている箇所に次々と極大の火球を放って、着実にホロウェルを削っていく。
「そろそろ拘束が解けます!離れてください!」
セレナの警告を受けて飛び退き、セレナやワズベールさんも適当な地上の木の太い枝に着地すると、ホロウェルは空中で暴れだし、物理法則に従って落下する。
先程の一分で与えた総攻撃でもまだまだ致命傷には届かないが、それでも多少は消耗してくれたらしい。
再び大地を泳ぎ始めたホロウェルはその虚ろな視界に私達三人を入れた。
──どうやら、本気で私達を"敵"と認識したようだ。
「───────!!!」
今日一番の音量の奇声をあげたホロウェルは、口から半透明の蒸気のようなものを放出し始めた。
「あれは…」
「そういえば先程は伝え忘れてましたけど…"黒い獣"は総じて個体毎に"異質"という、いわば権能のような固有能力を有しているんですよね」
「"異質"?」
「はい。そしてホロウェルの異質は───
───酒気を操るというものらしいです」
セレナの丁寧な説明を聞いていたとき、私の視界が歪んだ。
酒気を操る能力を有している。
セレナのその説明を聞いた時、まず最初に私が思ったこと。
────あ、やば。
咄嗟にミシェルを見るが時すでに遅し。
頬を朱色に染め、顔を紅潮させたミシェルがこちらを見ていた。
「あ、ちょっ、ミシェル?とりあえず落ち着きましょう?」
「ふへへ…フィリアぁぁ?」
そしてミシェルは思いっきり私に抱きついてきた。
あ、温かい。いやじゃなくて。
「思ってたより強い酒気だな…おい!そいつはもうダウンか!?」
「ちょっ、今そうなるのは流石にまずいわよ!?」
「えへへぇ…好きぃ…」
「ええいこの酔っぱらい!」
ミシェルはお酒にかなり弱く、酔うと毎回こうなる。
セレナは少し残念そうな、そして何故か微笑ましいものを見る目でこちらを見ると、直ぐに視線をそらしホロウェルに向き直った。
「…そういう仲も良いと思います」
「いやなんでそうなるのよ!?違うわよ?色々と!」
「大丈夫です。最近は同性婚にも寛容な風潮が広まってますし」
「何も大丈夫じゃないわよ!」
「言ってる場合か!俺もあんまり上手く立てねぇからよ…姫さん無事なら兵士達を下がらせてくれ!ジェスト無事かぁ!?」
「ひぇ…ははっ…」
「おめぇ本当に役に立たねぇな!?他の奴らも帰ったら扱いてやるから覚悟しろよ軟弱者共!」
私達が来てから終始心労が凄そうにキレ散らかしているワズベールさんが今ホロウェルに追い打ちをかけられないように再び肉弾戦を仕掛けに行った。
セレナといい、ワズベールさんたちの元気さといい、絶対にこの人達結構余裕ある。
すると、酩酊している兵士達を離れた場所に運び終わったセレナがミシェルの介抱に忙しい私の横を通り抜けて飛び出し、ホロウェルの体表を駆け回り攻撃し始めた。
ホロウェルと単独でやり合っていたワズベールさんは合流してきたセレナにまた何か大声で怒っているようだが、ここで実力行使で止めさせないのは甘いのではないだろうか。
(にしてもやっぱり強いわね。二人とも見たところただの人間だし、まだせいぜい十四歳〜十五程度と二十前後の年齢でしょう。魔力量もそれなりにあるし、この世界の基準が分からないとはいえ、あのホロウェルとやらを比較にすればこの世界でもそれなりの強者なのかもしれないわね。まあそれよりも───)
「うへへ…」
「あんたはいい加減離れなさいよ!」
解毒の魔法を使って治そうとするが、"おどみ"とやらが強くなったのか上手く魔法が機能しない。
仕方ないので時間をかけて魔力を練り確実に酒気を抜くことにした。
今はセレナとワズベールさんが真っ正面に出てホロウェルを引き付けてくれているが、今のままでは助けにきた私達が足手纏いになってしまっている。
あまり迷惑はかけられないので急いで解毒の魔法を"おどみ"に邪魔されないように組み上げ、発動する。
「ふへへ…んぅ…ぅん?」
「うんじゃないわよ、さっさと離れなさい馬鹿!」
「うわっ!?」
酔いが覚めたミシェルを蹴り飛ばして引き離し、ついでにまだ周囲に酒気が立ち込めているので結界で保護してあげる。
兵士さん達は…一応そちらも結界で囲ってあげると、元々酒が強かったのか酒気に耐えていた一部の兵士さん達が困惑しながらも頭を下げて礼をしてくれた。
そういえば私やあの人達、あとワズベールさんは普通にお酒に強いから良いとして、セレナはどうやって酒気から身を守ってるのだろうか?
お酒が飲めるような歳には見えないが、意外と飲んでみれば強いのだろうか?
謎は尽きないが、今は目的に集中するしかない。
「ほら、あんたが酔っぱらってる間にセレナ達が相手しててくれたのよ?早く行って手伝ってきなさい。」
「あ~…うん…また迷惑かけちゃった?ごめんね?」
「いいわよ別に。今さらこれくらいのことで険悪に思うような仲じゃないでしょ…?」
「っ!うん!そうだね!」
何故か自分で言ってて少し恥ずかしくなったが、ミシェルが眩しいほどの満面の笑みを浮かべると、気持ちが楽になる。
「さぁ、さっさと倒すわよ!」
「迷惑かけた分働くから、任せてよ!」
「う~わ、本当にこいつ頑丈過ぎない?」
「はぁ…はぁ…流石に、疲れが…」
「いや姫さんいい加減下がってくれよ頼むから…お前らまだ寝てんのか?」
「すみませんワズベールさん…何とか立てますけど頭痛が…二日酔いのあの感覚です…」
「あなた達ただの人間でしょ?それがあの化け物相手に一時間近く戦い続けられてるんだはから大したものよ。」
「これでもそれなりに鍛えてるつもりでいましたが、精進が足りませんでしたね…」
「だから姫さんには最低限の自衛術以外必要ねぇんだって」
最初にホロウェルと戦い始めてから一時間近く経過した。
ホロウェルも消耗してきてはいるが、おそらくまだ奴の生命力を六割、良くて七割程度しか削れていない。
対してこっちは、私は碑之政峰の魔力をほとんど使い果たし、自分の魔力もかなり消耗し、フィリアもこの一時間ぶっ通しで魔法を使い続けているから、魔力にはまだまだ余裕がありそうだが集中力が切れてきている。
セレナ達は私達が来る前から戦い続けていることを考慮して、かなり超人的に頑張っているが、人間である以上疲労は避けられない。
ワズベールさんもあの酒気には耐えてはいたがジェストさん達のように頭を痛そうに抑えているし、無事な兵士さん達もいるが彼らではホロウェルを押しとどめることは出来ないだろう。
逃げようと思えば逃げられるが、セレナ曰くどうしてもここで倒したいらしい。
それについてはまあ私達も同感だ。
こんなにも禍々しい怪物を放っておけば大変なことになるのは想像に堅くない。
「フィリアは一旦休んだ方がいいかも。私は魔力は使わずに直接削ってくるから。セレナも一旦休んでよ」
「いえ、問題ありません。大丈夫です…勝てます」
「…そういや随分経ったか。誰か返しの連絡は受け取ってないのか?」
「おどみの影響で…その…」
「そうか…まあいい」
しかしそんな事を言ったセレナは懐から懐中時計を取り出し、なにやら時間を確認している。
そして懐中時計をしまうと、上空に向けて魔力を放った。
「…どういうこと?」
「お二人が助けてくれたお陰で間に合いそうです。本当に、ありがとうございました」
その言葉に困惑していると、ホロウェルが私達目掛けて突進してくる。
それを迎え撃とうと剣を構えた時───
新たに現れた人影が私達とホロウェルの間に割って入り、その人影がホロウェルを吹き飛ばした。
「な…!?」
「…うそぉん?」
目の前の光景に思わず間抜けな声が漏れる。
その人影の正体は、紺色の長めの髪が特徴的な中性的な顔立ちをした青年。
一目見て強力な魔道具だと分かる剣を携えたその青年は、あの圧倒的な巨体と質量を持つホロウェルの突進を真っ向から受けて、打ち勝ったのだ。
見たところ人間。
しかし、そのような芸当は明らかに人間の域を越えている。
青年は私とフィリアを見て一瞬警戒したが、セレナ達を見て直ぐにそれを解いた。
「ふぅ、間に合って良かったですよ、陛下…取り敢えず色々と言いたいことはありますけど…勿論お前らもだワズベール」
「げぇ…」
「ふふ、容赦してあげてください、"アレク"」
青年は丁寧にお辞儀をすると、それはともかくといった様子で後方で瓦礫を吹き飛ばし再度向かってくるホロウェルを睨んだのだった。
苦戦するミシェル達に加勢する超人、そしてセレナの正体は───