第六十五話 羽音鳴り揺れる天の圧
「堕天使…?」
「うん?そうだけど…珍しいかしらぁ?」
「いや…そんなことはないけど…」
天樹を間近で見てみたいと近付いた時におそらく不可視の揺らめきを用いて襲いかかってきたのであろうアステリエルと名乗る教団所属らしい堕天使。
純白の長髪と三対六枚の翼は先にかけて黒く染まっていて、以前リリエンタで会った獣人の青年と子供のような人物も着ていた白いロングコートのような制服を来ている。
お洒落の為か開いた襟に白いハンカチをかけているが、生地の端に沿って走る金色のラインからデザインは同じなので、同一のもので間違いはないだろうが…
「それよりも私はいきなり攻撃された事に怒ってるんだけど?」
「あー、それはごめんねぇ。だけど、さっき言った通り私達も神教国関係で色々とピリついてて、そのタイミングで天樹に近づいてきてる人がいたから…」
「…まあ、迂闊だったのは確かだし、その事については謝るよ」
「そう?分かってくれて嬉しいわぁ。だったら、早く帰った方が良いわよ?あ、水明竜が心配なら送って上げても良いけれど」
「…どうする?フィリア」
「ふむ…もしかして、ここって教団の本拠地なのかしら?」
「…んん、そうね。本当は秘密だけど、気づいちゃったなら仕方ないわねぇ」
唐突なフィリアの問にアステリエルは一瞬言葉を詰まらせたが、渋々質問を肯定した。
しかし柔らかな笑顔だった表情は僅かに引き攣り、目を細めこちらをじっと観察し始めた。
…あぁ、嫌な予感がする。
「…私だけで判断するのはぁ…まあ、いっか」
「っ!フィリア!」
「なんでこうなんのよ!『隔壁』!」
アステリエルの翼がシャン、と音を鳴らして揺れると、空間が揺らめいてそれがこちらに向かってくる。
それをフィリアが発動させた防御によって防ぐ。
フィリアの視線がその揺らめきを捉えておらず、私の言葉に反応して防御したようなので、やはり私の権能じゃないと認識出来ない攻撃のようだ。
「あら、空間系統の魔法?珍しいものを扱えるのねぇ。じゃあ『無秩序な砕光』!」
「うわっ、フィリアそれ防げない!」
アステリエルの周囲に幾つもの光が灯り、それらが膨らんでいく。
聖光系統は天使固有の魔法だが、確かあれはその中でも堕天使にしか扱えない類いの魔法だ。
その効果は…一部の高位魔法や権能等で行われる防御を除いたあらゆる障害の透過。
「っ!じゃあ解くから自分で避けなさい!」
「かしこまり!」
「あなた達はぁ、何か怪しいからとりあえず捕まえちゃうわねぇ」
風船のように膨らんだ幾つもの光は貯めた空気を吐き出すようにそれぞれがこちらを狙い光線を放つ。
散開した私達は縦へ横へと薙がれる光線を卓越した飛行能力を用いて回避する───が。
「ふふっ」
「あいつ…!」
アステリエルの翼が再びシャン、という音と共に揺れ、空気が揺らめく。
そしてそれはフィリアの方へ向かっていく。
「させない!」
咄嗟に無限鞄からラクリエルを引き抜き、光線を躱しながらも刀身に光を纏わせ、揺らめきへ向けて振り抜いた。
「『天光』!」
ラクリエルの『滅光』が混ざる長大な光は揺らめきに直撃し、確かにそれを焼き尽くす。
それに、滅光の光に纏わりつかれたお陰か、その姿はフィリアにも捉えることができたようだ。
そして無秩序な砕光を放つ光は小さくなり、光線が止んだため私達も一旦静止する。
「何あれ…あいつの権能?まあどっちにしろやるってんなら容赦しないわよ!」
「あら、お嬢さん。大人しくお縄になってくれたら怪我しないわよぉ?」
「ごめんなさいね!それ言うよりも先に死ぬような攻撃してくる人が言っても信用出来ないのよ!」
「あらぁ」
「えー、やるの?」
「向こうがその気ならね」
「なんというか、あなた達変な感じがするのよねぇ。だから取り敢えず大人しくしてて欲しいなぁ…『収束する世界』」
「ええ、やる気ね」
「…結局こうなるかぁ…」
アステリエルが手を合わせると、その中から光が溢れ、手を広げると同時に辺りを包み込むベールが広がる。
そして三度アステリエルの翼が音を鳴らしながら揺れると、今度は空間に複数の揺らめきが生じ、襲いかかってくる。
光盾だって防御魔法の中では強力な類だが、それを一撃で割る威力のあるあの揺らめき。
隔壁なら防げるようだが、空間系統の魔法は軒並み魔力の消費が激しい。
逃げるにはこのベールを退けないといけない。
「なら、ひとまず気絶でもさせて落ち着いて貰おうかな」
「昔っからトラブルに巻き込まれる度に力技でどうにかしてきたものね〜、懐かしいわよ。まったく」
揺らめきの内二つは前方から、一つは背後に回って突っ込んでくるが、それらをラクリエルを振るって焼き払う。
「不可視の圧力か何かかしら?どっちにしろ私が対応できないから…そっちの対処は任せたわよ」
「今回は私がサポートだね。傷一つ付けさせないから安心してぶっぱなしちゃってよ」
「もう…大人しく捕まってよぉ!そしたら攻撃しないからぁ!」
「だったらまずそっちが攻撃を止めてよ!そしたら私達も警戒を解くからさ!」
「あなた達の方が不法侵入してきたんだからそっちが止めなさいよぉ!」
「最初に謝ったのに仕掛けてきたのはそっちでしょ!」
「…何この子供みたいな喧嘩…ええい、もう行くわよ!『闇の杭』!」
そのやり取りに痺れを切らしたフィリアが黒い靄のようなもので構成された杭を複数放つが、アステリエルが翼を揺らして周囲に発生させた揺らめきがそれを阻み、弾いた。
「防御にも使えるの?面倒ね」
「これでも私も強いのよぉ?だから、諦めて!『無慈悲な陽光』!」
「ミシェルのと同じ魔法ね。残念ながら既知の魔法なんて通じないわよ!」
「自分の技くらい対処出来ないとね!」
天から降り注ぐ幾筋もの光は、私の振るうラクリエルにより、そしてフィリアが展開した魔法陣型の障壁により全て弾き返される。
しかし、その間にもアステリエルは白と黒の二つの魔法陣をそれぞれの手のひらの上に浮かべ、それらを重ねてニコリと微笑んだ。
「凄いわねぇ、だったらこれはどうかしら?二律背反術式『善悪の輪光』!」
「二律背反術式…?何それ、どういう技術体型!?」
「ちょっ、フィリア!言ってる場合じゃない!」
見た事のない魔法技術に興味が向いたのかフィリアは白と黒の二つの魔法陣が重ねられたものに見入った。
しかしそうしてフィリアが前屈みになった時、周囲の光がその魔法陣に奪われ、魔法陣は黒い発光を見せる。
刹那────それから黒いうねる光線が解き放たれ、蛇のようにのたうちながらこちらに向かってきた。
「っ!思ったよりヤバそうなの出てきたわね…妨害波」
その光線の性質を魔法陣の術式を読み取ったのか瞬時に見抜いたフィリアは魔法的な力の付加を妨害する魔法を使った。
それによりこちらに向かっていた黒い光線は誘導性能を失い、明後日の方向へ飛んでいく。
どこかへ飛んでいくその光の行方を見届けるでもなく私は手元に光の束を作り出すと、それをアステリエルへ投擲した。
だが、またしても彼女を取り巻く揺らめきに阻まれる。
「これは…まともにやったら泥仕合になる気がする」
「同感ね」
「もう…だったらもう止めてよ!大人しくして!」
「…どう?」
「何かプライドが許さない」
「フィリアも大概幼いよね…私はもう向こうの言う通りにしてもいいと思うけど…」
「何か嫌な予感がするのよ。絶対にまた面倒なことになるわ!」
「既になってるけどねぇ…」
とはいえこのまま続けるのも不毛だ。
互いに決定打が打てず、こちらの連携もあの不可視の揺らめきのせいで発揮出来ないが、私が止めることで向こうも本領を発揮出来ない。
フィリアだけではあの守りは突破出来ないし、向こうもこちらへ攻撃を通せない。
そしたら後は消耗戦だが…天使や悪魔は基本的に生きた年数で魔力が増す。
そこに才能という+αがあるとはいえ、多分向こうの方が私達の何倍も長く生きてるし、才能的な+αもそれなりにある筈だ。
時間をかければこちらが不利…ならば、面倒なことになっても今は矛を収める方が良い。
視線でそう訴えると、フィリアはむむむと悩み始めた。
そんな時だった。
「…おい、何をしてる?」
「うん…?あ!レッ君!」
「おう、アスティ。レッ君言ってる場合じゃないぞ?何をしてるって聞いてるんだ」
「え?えっと…不法侵入してきた子達が…」
「それで戦ってたのか?」
辺りを覆っていた収束する世界を砕いて私達とアステリエルの間に割り込んで来たのは、骨格に黒い翼膜が張られた蝙蝠に近い翼を持ち、白いロングコートのような制服はアステリエルと同じく教団のものだと思われ、その上から黒い外套を羽織っている男───その翼から悪魔だと思われる。
男はアステリエルの肩を掴むと問い詰め、言われている側のアステリエルは慌てたように事の顛末を話し出した。
「ふむ、なるほど?で、なんで急に攻撃なんかしたんだ?」
「えっと…ここが教団の本拠地って言い当てて来たから…広まる前に消そうと思って…」
「…あっぶな」
「ね?言った通りでしょ?」
とてつもなく物騒な言葉が聞こえ、もしあの場で抵抗を止めていたらどうなっていたかを考えると、冷や汗が背筋を伝った。
あの揺らめきを捉えるのに意識を向けていたせいでその他に権能のリソースを割いていなかったから危うくだまされるところだった。
「そうかそうか…よし、お前が悪い」
「ええ!?」
「ええじゃないだろ、ほら謝ってやれ」
「でも、だって!」
「お前は早とちりする癖と事あるごとに思考放棄する癖を何とかしろ。後あいつらあれだろ?前にアランとルインから報告があった連中だろ?」
「あー…あー…そういえばそんなこと言ってたっけぇ?」
「おい」
何か勝手に話がサクサク進んでいるが、ひとまず落ち着いたということで良いのだろうか?
そんなこちらの視線に気付いたのか、男は翼をはためかせてこちらに寄ってくると、丁寧に頭を下げた。
「今回の件は俺の嫁が悪かった。色々あって接触してくる奴に過敏になってるだけで悪気は無いんだ。怪我したのなら詫びはするが…」
「あ、大丈夫だよ。フィリアは大丈夫…の筈だよね?」
「あんたが甲斐甲斐しく守ってくれたからね。…うん?」
「どうしたの…あれ?」
ここで男の言葉に何か引っかかっていたのを思い出した。
男は「だろうな」と苦笑いすると後頭部を掻き、恐る恐る近寄って来ていたアステリエルの肩を引っ張ると、そのまま抱きとめた。
「あっ…」
「俺はレクト・ムーンライト。見ての通り悪魔で…アステリエルの夫だが、悪いか?」
「「あっ、悪くないです〜」」
何となく衝撃を受けたような、でも何故かその事実自体には妙な親近感を抱き微妙な反応をする私達出会った。
二律背反の交際、胸に響く痛み───




