第六十三話 色調、旋律 混沌の調べ
「グルルルル…」
「おお、怖い…え〜と、とりあえず治す?」
「…まあ、それが無難よね」
ピクニックをしに来たこの大規模な花畑で出会った傷付いた金色の甲殻と竜鱗を持つ竜。
竜はナルユユリのような一部の温厚な種を除いて、基本その縄張り意識の高さと自由気ままな生態が災いして他の種族に甚大な被害を与えることもある『天災』だ。
しかし、自衛のためならばともかく、いくら傷付いているとはいえ生態系の頂点である竜を殺すというのは、色々な意味で度胸のいる行為である。
場合によっては同種に復讐されたり生態系を乱すきっかけになったりと何かとリスクが伴う。
もしこの竜を生かして皇国が被害を与えることになっても、「仕方がない、備えなかったのが悪い」と目を瞑るしかないのだ。
「それに、ぶっちゃけ弱ってるとはいえそんな簡単に竜を殺せたら昔あんなに苦労しないって話だよ」
「死に際が一番厄介なのよね。超大型特級蛇にもそれで散々苦しめられたし、あんな思いはもうごめんよ」
それでこちらにも無駄に被害を出すくらいなら治してあげて恩を売る方が良い。
これでも竜はプライドは高いが義理堅いほうでもあるので何かの機会に助けて貰えるかもしれない。
そんな打算に塗れてはいるが、やらない善よりやる偽善。
竜に唸られ睨まれながらも二人で魔法で癒そうとするが、何故か傷が治らない。
「おかしいわね…いくらプライドが高いとはいえ有益効果まで抵抗するなんてことある?」
「そういう問題なのかな…もしかして、傷口の”おどみ”が回復を妨害してるのかも」
「ああ、確かあれ魔力を乱すんだったわね…だったら浄化領域で…」
フィリアが竜の傷口に手をかざし、何かを探るように手を開いたり閉じたりして数分、無言で一人頷くとボソボソと詠唱を始めた。
以前も言っていたが、”黒い獣”の個体毎に”おどみ”の質が違うらしく、一々解析してそれに合わせたものを作らないと。けないらしい。
相変わらずその技量には感嘆するばかりだ。
「…出来たわ」
少しドヤ顔気味の笑みを浮かべたかと思えばフィリアの足元に展開された魔法陣を中心として半透明のドーム状の膜が広がり、辺り一体を覆っていく。
そして竜の傷口を見れば、粘着するようにまとわりついていた”おどみ”が薄れ、そしてやがて霧散していった。
「どうかしら?」
「うん、バッチリ!これなら治るはず!」
「クルル…?」
もう一度傷口に治癒魔法をかけてみると、少しずつだが傷口が塞がり始めてきた。
ある程度直せば後は竜の生命力によって急速に回復していくだろう。
まだ竜は唸り続けているが、睨むような視線は多少は和らいだ、というより少し困惑しているようにも見える。
しかし、この先の作業を考えるともう少し落ち着いていて貰いたい。
それに元気になった途端にいきなり暴れられるのもあれなので、私はフィリアに向けて手をわしゃわしゃするようなジェスチャーを取ると、意図を勘づいてくれたのか無限鞄から大きな琴を取り出した。
「また使うことになるとは思わなかったわね〜、安魂の弦。あとあんたのジェスチャーはギターか琵琶よ。琴はそんな所作しないから」
「通じたから別にいいじゃん」
「ったく…えーと…」
呆れながらも琴の弦に指をかけ、弦の締まりを確かめるように何度か弾くと、今度は明確に音階を弾き始めた。
ナルユユリの時は状況が状況だけにしっかりと聴くことは出来なかったが、改めてこうして聴くと琴の魔道具としての効果抜きに心の奥深くに響き溶け込むような柔らかな演奏は、それだけで気分が落ち着き自然と眠くなる。
しかし学が深いのは勿論料理や音楽まで出来るとは本当に多趣味だなと感心する。
それに比べて自分の趣味を列挙してみると…うん、道楽的に嗜むことこそあれどそこまで継続して行うような趣味と言える趣味がない。
これが本当にフィリアを愛でるくらいしか思い付かない。
「ま、別にいいか。その趣味を大事に出来ているのなら」
「…ん?何か言った?」
「いーや?」
「そう?ん…竜は落ち着いてくれたかしら?」
「んっと、今見るね」
魔力が底を突きかけているのか思ったよりも簡単に表層だけとはいえ精神まで覗き込むことができ、案の定の頭痛はありながらも、竜の心情には若干の余裕が戻っているのを感じ取れた。
「うん、多分大丈夫…の筈」
「なら、後は一気に治しちゃいましょう」
その後、甲殻や竜鱗ごと砕き割られるような傷は先に傷口に入り込んだそれ等の破片を取り除いてから治癒を行った。
その際竜は目を細めたり小さく唸ったりしたが、先程多少落ち着かせたお陰で暴れることはなく、スムーズに作業は進み────
「やっと終わった〜…まさかピクニックに来ただけなのにこんなことしなくちゃいけないなんて…」
「何かしらとの戦いに巻き込まれるよりはマシでしょう?それに、竜の手術なんて貴重な体験まで出来たんだから!」
「ウッキウキだね…ミシェルちゃんその感性疑っちゃうよ」
「それでいいのよ、あんたは」
「…フィリアのこと、疑えって?」
「…いつもの私に対してだけ甘やかすイエスマンな感じからしたら、それくらいが丁度いいんじゃない?そうね、会ったばかりの頃みたいな感じはどうかしら?」
「昔の話はやめてくんない?普通に黒歴史が多い」
「あー、あんたも昔は───」
「ほ、ほら…フィリアの引きこもり事件とか思い出して笑っちゃうから…ふふっ…」
「私の黒歴史!?」
結局いつものような軽口の叩き合いの中、そんな喧騒を何を考えているのかただじっと見つめる竜は、どこか悲しそうに視線を逸らし、日が傾きかけた空を見上げた。
「ばいばーい、元気でねー!」
「ふむ…南西の方に行くってことは、北東から逃げてきた?となると、例の”黒い獣”がいるのは神教国方面かしら?」
後方のこちらをチラリと見た竜はしかし直ぐに前を向き、そのまま空へ飛び立つ。
一応手を振ってあげるが竜は以降、一度もこちらを気にすることなく病み上がりとは思えない速さで遥か地平の向こうまで消えていった。
「まあ、フィリアの琴もじっくり聴けたし、結果的には竜と触れ合えたし、なんだかんだ休暇にはなったかな?」
「私は満足ねぇ。それに何より、取り除いた破片とはいえ上位竜の甲殻と竜鱗まで手に入ったし」
「うっわ、ちゃっかりしてるね〜」
「これくらいは治療費よ」
その図々しさに『らしさ』を感じて思わず吹き出すと、フィリアはムッとした表情で頬を膨らませた。
そんな不満そうな表情もまた何にも変え難いくらい可愛らしく、余計に頬が緩んでしまう。
「あんた…私のことどんだけ好きなのよ…?」
「んー?そんなの決まってんじゃん!─────
─────この子になら全部捧げても良いってくらい大好きだよ?」
「…首尾は?」
「いやー、すみませんグレン様。『バークヘイスト』がたまたま国土に侵入してきたので丁度いいから邪魔な位置に縄張りを作ってる『グロリオーサ』にけしかけたんですけどね〜。流石に上位竜、厄害でも仕留めきれずに逃げられてましたよ」
神教国の王城の一室。
執務用の椅子に座る見るからに上司のような男───グレンは軽い口調で話しかけてくる男───カトロスに目を細めたが、いつもの事かと諦めて立ち上がり、軽口の男に資料を押し付けた。
「んん…ん?これってこの前のお嬢さんと天使と悪魔の指名手配書ですか?どうせもう入ってこないだろうし、一般兵じゃどうしようもないのにこんなの意味あります?」
「念には念を入れてだ。慎重という言葉を覚えろ貴様は」
「ふーん…ま、仕事自体は真面目にやる主義なんで各地に回しておきますけど…確かに色んな所には跳べますが、あんまり便利使いするくらいなら僕にも労災降りますよね?」
「ふん…それで、造霊計画の方の進捗はどの程度だ?」
「話逸らされた…そっちは順調も順調です。そうですねぇ、『あらゆる生き物は人の手によって管理されるべきである』でしたっけ?」
「ああ、あの惨劇を生き延びた人皇様の子孫のお言葉だ。それしか人類が生き残る術がなかったからの行いというのに、現代ではそれを皇国や聖国の連中が踏みにじっている!我等と人外共が対等だと謳ったからこそあの惨劇が起きたと何故分からない!!」
激昂したように大声をあげ、机を強く叩くグレン。
その力故に机は砕け散り、辺り一体に木片を飛散させる。
「…備品を壊すのは普通に方々に迷惑なのでやめてください」
「…すまん」
「怒るのはまあ仕方ないとして、それなら事実を広めれば良いじゃないですか。それをしないのは何故なんです?」
カトロスの単純な疑問にグレンは顎に手を当て少し悩むと、少し溜めた後に堂々と言い放った。
「皇国や聖国のゴミ共はとはもはや交渉など考えん。我等の思想だけを後世に残し続けるためには、奴らは邪魔だ。だから絶滅させる。だから共感を得るつもりもない…これはもはや、互いの存亡をかけた絶滅戦争なのだ!」
「…ま、アレがあればどうせ負けないのに、戦争と呼ぶとは悪趣味ですね。それに教王様がまともに戦ってくれればこんな戦い直ぐに終わるはずですし」
「…あの方は優しすぎる。いや、甘すぎる!歴代のこの国のために戦ってきた教王様達の思いを踏み躙る癌だ!────あの男も、用が済んだらそこまでだ」
点を結ぶ線は複雑に絡み合い、結ばれ、そして解ける───




