番外 皇国の節目
「うぅ…疲れました…」
一つのランプに明かりが灯るだけの薄暗い室内で、赤髪の少女は筆を片手に書類の積み上げられた執務机に突っ伏していた。
そして、そこに近づいた青年は淹れたての紅茶を机に置く。
「大丈夫ですか?セレナ様」
「あ、アレク。こんな時間までお疲れ様です」
「それは私の台詞です。お忙しいのは分かりますが、休養を取らなければ本調子が出ずに余計効率を落とすことになってしまいますよ?それに私は勿論、フロウやメルキアス、後はロマンテ辺りならば執務くらい手伝えるでしょうし」
青年───アレクの言葉に赤髪の少女───セレナは、顎に手を当てう~んと唸った。
その様子にアレクが首を傾げると、セレナは置かれた紅茶を一飲みしてため息を吐いた。
「余り甘えている余裕は、私にはないんです。もうすぐこの国を背負う事になるんですから!」
「…なるほど、戴冠式までそう日がありませんでしたね」
「お父様にも困ったものですよ。まだまだ皇位に就いていられるはずなのに私なんかにそれを譲るなんて…」
「それだけ陛下がセレナ様を信頼しての事です。あまりご自分を卑下なさらないように」
「分かってますよ…だから、その期待に応えようとしているんです」
そう言ったセレナは指を組んで伸びをし、持っていた筆を机の引き出しに仕舞うとうとうとしながらゆっくり立ち上がった。
「まあ…確かに気を張りすぎているのは認めますよ…ひとまず、今日は寝ることにします…。あ、それでも明日もまた頑張りますからね」
「…程々に、お願いしますよ」
「そうは行きません。私、子孫にまで戦争の指揮をさせたいとは思いませんから。必ず、私の代で終わらせます。お父様が、先祖が出来なかったことを、私が。だから…協力して下さい、アレク」
「…セレナ様はもう、ご立派にお育ちになっておりますよ」
強い決意を秘めたセレナの目を見て、アレクはふっと笑うと差し出された手を掴み、握手を交わした。
セレナはそれに満足そうに笑みを浮かべると、欠伸をしながら歩き出した。
「まあそんな事言っても私が倒れては元も子もないですから、とりあえず今日はしっかり休みますよ」
「そうしてください。セレナ様がお倒れになると心配する者も多いですから。神教国の連中は大喜びでしょうが」
「…アレクらしくないジョークですね」
「ふっ、私も働きすぎということでしょうかね?」
「まったく…おやすみなさい」
セレナの言葉にアレクは頭を下げ、執務室を出ていくセレナを見送ると、自分もまた欠伸をしながら自室に向かって行くのだった。
「ふむ、セレナ様の戴冠式の準備か。儀式的なものだから装飾やお召し物にコストをかけるのは仕方ない。それに、こういう大々的なイベントは国民のモチベーションの向上にも繋がるし、盛大にやれ。しかし…十二星宮の鍵束…か。立ち会うのは私も初めてだな」
「ロマンテやハルトマンならば経験はあるのだろうがな。他の経験者は例の戦いで軒並み死亡か引退で代替わりだ」
皇国の王城の廊下を歩きながら、アレクと灰色のコートのような軍服に袖を通す白の長髪が目立つ色白の女性…フロウと幾日後に行われるセレナの戴冠式についての話し合いをしていた。
「形式を大事にするなら、ノフティス達を呼び戻した方がいいんじゃないか?」
「ノフティスに関しては仕事が仕事なだけこちらが自由に帰還のタイミングを決めることが出来ない。それにお前、ノフティスに苦手に思われてるだろ」
「別に嫌われてることは関係無くないか?あといくら私でもそうハッキリ言われると傷付くからな?」
「はっはっはっ」
「いや冗談抜きだからな?おい!」
人に好かれにくい性格のフロウを揶揄い反論も笑い飛ばすアレク。
人に高圧的で利用出来るものは全て使い倒すフロウも、アレクだけには強く出れないのは少し昔にフロウが尖っていた頃アレクに叩きのめされたという過去があるからこそだろう。
「…にしても、空いている八位と九位に内定とはな。あのちんちくりん共が私達と同じ舞台にまで上がってくるとは…陛下も隠居前に随分な爆弾を残してくれる」
「俺は相変わらずの慧眼だと思うぞ?実際あの二人も能力は高いし、現在進行形で活躍してくれている」
「戴冠式で正式に就任だったか?だがノフティスの方は公表はしないんだろう?」
「役職柄な。仕方ないことだ」
ノフティスは人の油断を誘いやすい見た目を利用した諜報や潜入を得意としている。
故にその仕事の邪魔にならないために存在自体は公表されても、他の将と違ってその姿が顕になることは無い。
「あ、そういえばまだ十二位も空いていた筈だが、誰が入れ替わるのか知っているか?」
「ん…俺と陛下、それとセレナ様は知っている。それ以外にはノフティス同様非公表とするとの事だ」
「黄道十二将星にも…か?」
「ノフティスは連携が取れなくなるから身内には情報が流れるが、こちらに関してはいざと言う時のために完全に情報を秘匿するんだ」
「なるほどな…それが必要なら私からは何も言わないさ。ただまあまたワズベール辺りから苦情は来るかもしれんがな」
「あぁ…まあ仕方ないことだ」
皇帝陛下の任命によって決められる『黄道十二将星』は、他国への威圧と牽制、そして国民の心の拠り所となる象徴として存在している。
それが「いるにはいるが明かせない」と言われれば不安が募ると、最もらしい言はワズベールのものだ。
「だが、それでもセレナ様は『私の代で終わらせる』と言った。本気で勝とうと心に誓っていた。ならば俺達は…セレナ様の剣となり盾となり、その背中を押すことが役目だ!」
「…そんなに熱く語らなくても分かってる。私だってこんな役職に就いた以上、全てを尽くす覚悟くらいとっくに済ませてきてるさ」
両手を広げてニヤリと笑みを浮かべるフロウの返答に納得したのかアレクは見た目通り青年らしく笑った。
「よお、久しぶりだな!お前ら元気だったか!?」
「「!」」
と、そこにコツコツと靴音を立てながら大手を振って話しかける赤髪の青年。
それに気付いた二人は途端に微妙な表情を浮かべた。
「…お久しぶりです。最後に会ったのは六年程前でしたか」
「おう、戴冠式に出席するためにわざわざ戻って来たんだぜ?にしても、あの頃はお前もまだ見習いだったのに立派になりやがって。ま、俺としちゃあいつか成り上がってくるとは思ってたけどな。な、フロウ」
「…戦場はどうでしたか?」
「ああ、最近上位どころか下位の聖騎士共も中々戦場に出てこなくなってな。こっちが一方的に削れちまってんだが…って、いい加減お前らも敬語なんか使わなくて良いんだぞ?俺そういうの苦手だから」
「悪いのはお兄様でしょう?普通そこまで自由にできるのなんて他国の歴史を漁ってもそうそう無いことですよ?」
アレクとフロウに絡む青年に声をかけたのは、ムスッとした表情を浮かべながら書類の束を抱えるセレナだった。
「おお、相変わらずお前も働き者だな。お陰で俺が自由にやれていつも助かってるぞ?」
「それは結構ですが、アレク達を困らせないでください。ただでさえ王族相手なのに序列だけ見ればお兄様が下だからそれより上の二人は対応に困っているのです!」
「そうか?そんなん気にしなくてもいいのに…」
セレナにお兄様と呼ばれる青年、名は”オウガ・リラス・クランセス”
戦闘能力や指揮の才に秀でるが、政治的な手腕が致命的に欠けているため皇位継承の選択肢から外された男である。
とはいえ本人はそれに不満ひとつなく、むしろ「ならいくら無茶しても国にリスクがないから戦場に出れるな」と息巻いて日々最前線に立つ好戦的な側面が強い。
それが好戦的な一面がセレナにも備わっているのが後にアレクやフロウの悩みの種となるが、それはまた別の話。
オウガはアレクとフロウの肩を掴むと、豪快な笑みを浮かべた。
「お前ら、セレナを頼んだぞ?俺は政治なんか一切分からんが、戦力として貴重な駒にはなるだろ。だから上手く俺を使って見せろ。それでセレナを守って見せろ。俺にはできない事だ、分かるな?」
「…はい、お任せを!」
「セレナ様の事は私達が。ですから…」
「あー、いい!いい!敬語なんかいらん!せめて俺がお前らの序列を抜かすまでは、俺がお前らより強くなるまでは、丁寧な言葉遣いでいい!フロウはいつもの口調で良いし、アレクもいつも同僚に使ってるようなフランクなものでいいからな!?」
「そう…ですか…いや、分かった」
「…はあ、これで良いんだろ?」
「あぁ、そっちのが堅苦しさが無くて楽だ」
満足したのかオウガは最後ににセレナの頭を撫でて自室に戻った。
その際「そうだ!アレク、今度一緒に訓練しような!ここ最近戦場じゃ、中々骨のあるやつが出てこなくて逆に鈍ってんだ!」と言い残して行き、その場にいた者は気が抜けたように苦笑いを浮かべた。
「悪い人じゃないですし、あれでも昔はいっぱい遊んでくれたりした良い兄なんですよ?」
「人柄は良いし、戦場でも頼りになるから人望はあるんですけどね…」
「まあ、いいだろう。そんなことより、戴冠式の準備についてですが…」
「はい。それにしても、私が貴方達の上に立つのですか。何だか緊張してきちゃいました。なんならお兄様でさえ私の下に就くんですから」
「あの方…オウガが地位や権力に興味の無い男で良かったですね。過去にどこかの国では権力争いで自滅した国もあるくらいですから」
「あら?本人の前以外なら敬語を使うくらい良いのでは無いですか?」
「いえ…日頃から呼んでいないとまた会った時に思わず敬語を使ってしまいそうなので…」
「ふふ、お前は相も変わらず真面目だな。ノフティスを見習え」
「あれはダウナーなだけだろうが」
「いいんじゃないですか?好きにすれば。皆が仲良くしてくれていれば」
「…ありがとうございます」
「本当に、私達の皇様がセレナ様でよかったよ」
「フロウったら、まだ戴冠式じゃないですから気が早いですよ?」
「そうでしたね。では話の続きをしましょうか。日程は前回の会議で詰めた通り…」
皇国の首都の空に、幾つもの空砲が上がる。
戦時中に行うような催しとは思えないが、形式とは大事なものである。
王城の前には入れないながらも時代の変わり目を感じようと集まる多くの国民がいて、その王城の中では戴冠式が粛々と行われていた。
「我が娘、セレナ・リラス・クランセスよ!お前は私に代わり皇国を導き、国民を守り、国の発展のために尽くすと誓えるか!」
玉座に座り、威風堂々たる重圧を目の前に跪くセレナに向けるのはセレナの父にして現皇帝、ルード・リラス・クランセス。
そして、その応えによって皇位はセレナへと移る。
「私は、未熟で、若い小娘です。それでも、この国を守るために、そのために力を尽くしてきた先代達に恥じぬよう、皇国を導く事を誓います!」
「…強い目だ。お前が娘で良かったよ。オウガにも構ってあげるんだよ?」
「はい!お父様!」
参列するのは黄道十二将星などの一部の軍関係者や国の重役のみなれど、盛大な拍手が巻き起こり、総意をもってセレナは国の皇帝として認められた。
皇帝…今この瞬間ただの父に戻った元皇帝、ルードは玉座を立つと、セレナに自らが身に付ける緋色の冠と王笏、そして赤いマントを渡し、参列者の席へ向かった。
それを受け取ったセレナは代わって玉座に座る。
そして、懐から一枚の紙を取り出すと、そこに書いてある名前を一つずつ読み始めた。
「アレク・フルーハウト!」
「はっ!」
紺色の長めの髪が特徴の中性的な青年が玉座に座るセレナの前に出て、跪いた。
「フロウ・スノウフル!」
「はい」
今度はゆったりとした白髪の長い髪が目立つ女性が同じく前に進み出て、アレクの左隣に跪いた。
「…オウガ・リラス・クランセス!」
「おう」
気安く応える赤髪の青年は軽い足取りで進み出て、アレクの右隣に跪く。
「メルキアス・カルトロン!」
「はい!」
長い金髪を靡かせる美しい女性はフロウの隣に。
「ハルトマン・ハルス!」
「はっ」
白髪の男性がオウガの隣に。
「レイズ・ニルヴェスト!」
「ここに」
粛々とした様子の若い青年がメルキアスの隣に。
「ロマンテ・カズドラー!」
「ははっ!」
大柄の気難しそうな男がハルトマンの隣に。
「エミュリス・レオーネ!」
「はーい」
明るいオレンジ色の髪をサイドテールした少女がレイズの隣に。
「ワズベール・バレスト!」
「おうよ」
黒髪の好青年がロマンテの隣に。
「リシウス・デルフィル!」
「は…」
青い髪の男が小さな声で答えながらエミュリスの隣に。
「現在諸事情あって出席できないノフティス・レオーネと、ルーナ・ルーファスを除いて、黄道十二将星、陛下の前に!」
セレナの前に跪いた面々の代表として、アレクが告げると、参列者の席に座っていたルードが再びセレナの前に立ち、手を伸ばす。
「セレナよ!お前に…いや、陛下に、私の武器であり、剣であり、盾である全てを継承する…頑張れよ、父さん応援してるぞ?」
「…はい!後はお任せ下さい!」
セレナはルードと握手を交わすと、互いに握りこんだ手の中で光が灯り、それがセレナの方へ流れていく。
「この国は、私が守ります。私が、皆に認められる皇となります!」
それは、ミシェルとフィリアがこの世界を訪れるおよそ半年前の事。
皇国という、年月を言えばアルカディアよりも歴史の深い時代の節目で、強い意志は確かに瞬いていた。
それは歴史の変化を告げる儀式、変遷の調べ───




