第六話 異界 そして出会い
「あーあー、次元超えちゃったわよどうすんのよこれ」
「う~ん、どうしてこうなったのか…」
「あなたがあの魔道具を起動させたからじゃないの?」
「それなんだけどね、全く記憶にないんだ。」
「…なんですって?」
実際この世界に飛ぶ直前のことはほとんど覚えてない。
確かあの魔道具がどういった力を持っているのかを調べようと権能を使ったところまでは覚えているけど、それ以降がまるで思い出せない。
それを聞いたフィリアは眉をひそめ、ブツブツと考え事をし始めた。
「あの魔道具には干渉に対して逆干渉が発動する術式が組み込まれていたのかしら?いや、私が解析した時は何も起こらなかったし…。でもどちらにせよミシェルがあの魔道具に何かしらの影響を受けていたのは確かよね。あぁ、さっきのであの魔道具も壊れたみたいだし、せめてもう一つサンプルでも用意して置けば良かったわ…」
「ちょっ、もしも~し!フィリア!」
「うわっ、何よ?」
「フィリアの考え事は長いからね。そろそろ今後の話しようか」
「あー…分かったわ。それで、どうするの?帰る方法探す?」
「う~ん、せっかくの異世界なんだから元の世界ではあんまりできなかった冒険でもしてみたいなぁ」
「そんな気楽な」
とはいえ、実際問題この世界に来た原因と思われるあの魔道具がもう無い以上、帰るのはかなり難しいだろう。
アルカディアに思い入れが無いでもないが、あちらはフリージアに任せておけば大丈夫だろうし、元々行き当たりばったりで秘境でも見つけられればな、と思って旅をしようと言ったのだ。
ならば全てが未知のこの世界を旅するのも悪くないと思う。
そんな私の考えを読み取ったのか、フィリアは少し悩んで「う~ん」と唸り、ため息を吐いた。
「仕方ないわね…この世界を探索するのはいいけど、流石にいつまでも帰れないとまずいから、そっちについても平行して調べるわよ?」
「もちろん!そのうちフリージアのところにも顔を出さないといけないしね」
「じゃあ、まずはどこに───」
その時だった。
遥か遠くから凄まじい爆音と地鳴りが轟いた。
音の方向へ目を向けると、遠くの森の一角で何やら大きく砂埃が舞っている。
「何かしら?」
「あれは…何か戦ってるっぽい?」
「…何が?」
「何か、人間っぽいのがいる。」
「人間?」
私は権能の力もあり舞う砂塵もものともせず遠く離れたその場所を認識する。
そこにあったのは小柄な人影と、黒い大きな"何か"。
「何か襲われてるのかな?」
「…助けに行く?」
「うん、そうだね。貴重な情報源だし」
「どちらかと言うと助けてあげたい、っていうほうが強いんじゃない?」
「あはは、良く分かってるね」
「お人好しね、まったく…本当に?」
「…?勿論そうだけど…」
フィリアは訝しげな視線を投げかけてきたが、その意図は分からずも笑みを浮かべる私にフィリアは微妙な表情で苦笑する。
そんなフィリアの手を取り、私達は翼をはためかせて戦闘が行われている方へと飛んだ。
複数の集団が、黒い怪物と戦っていた。
その集団は軍服に赤いマントを羽織っている兵士のような者達で、音頭を取っているのは紅蓮の赤髪が特徴的な少女だった。
少女は剣を両手で持ち、目の前の怪物を見据える。
それは50mは越えるであろう巨体。大きなひれを持ち、それを使って大地を泳いでいる。
「まるで鯨ですね…これが"黒い獣"の一角ですか」
少女は苦笑しながら目の前の怪物の姿に対する感想を漏らした。
確かにその魚に似た姿と巨体は鯨に酷似しているだろう。
だが本物の鯨はここまで黒くないし大地なんか泳がない。
何よりこんなにも邪悪で禍々しい威圧感は放たない。
辺りで兵士達が怪物を牽制するように魔法を放ったりしているが、魔法は見えない力に歪められるようにうまくその効力を発揮せず着弾してもほとんど損耗を与えられていなかった。
兵士達の牽制を気にもかけず"黒い獣"はしばらく少女達の周囲を遊泳したが、突然集団に殺気を向ける。
『──────!!!』
「っ!」
大音量の奇声を放つと、その背から黒い魔力の塊を飛ばした。
それは空中で弾け、雨のように降り注ぐ。
「はぁぁ!」
少女は剣で降り注ぐ魔力を弾き返すが、いかんせん数が多すぎる。
兵士達は上手いこと回避したり自力で捌いたりで何とか凌げているので、途中で弾くことを諦め回避に専念するようになった。
しかし魔力が落ちた場所を見れば、そこがまるで腐ったかのように溶け、侵食されていて、触れればまずいものだと良く分かる。
「キリがないですね。ならばっ!」
「あ、姫さん!前に出んな!」
少女はそばで護衛していた男の制止も聞かず"黒い獣"に一気に間合いを詰め、魔力を大量に込めた剣でその大きな脇腹に剣閃を叩き込んだ。しかし───
(固い!私じゃあ力が足りない!)
掠り傷程度しか負わせられず、"黒い獣"は大きく跳ねて少女から距離を取り、その巨大なひれを大地に叩きつけた。
その衝撃により大地は割れ、巻き起こる衝撃波により少女は上へと吹き飛ばされる。
それでも少女の反応も早く、吹き飛ばされながらも未だに降り注ぐ魔力の雨を避け、当たりそうなものは剣で弾き、確かに"黒い獣"に食らいついていた。
しかし──
「前に…出んなって!」
「ぐぅっ!?」
"黒い獣"がその巨大な尾びれを向けて振り払い、巻き起こる暴風は周囲の木々をなぎ倒し、またも少女を吹き飛ばそうとした。
しかし、追いついてきた護衛が少女の襟を引っ張り自分の体で覆うようにして少女を暴風とそれにより巻き上がった礫から守る。
少女も強い。それでも、あの怪物を相手取るには圧倒的に力の差があった。
小回りならば上回る。
しかし、少女の力では"黒い獣"に決定打となる攻撃はできず、代わりに"黒い獣"の攻撃はその全てが直撃すれば即死しかねない威力を秘めていた。
「おい!ジェスト!姫さん守れ、俺が出る!信頼してるからな!」
「は、はい!」
『──────!!!』
「うっ…また…」
「チッ、あんなもん捌いても食えたもんじゃねえだろうな」
しかし"黒い獣"は目の前に現れた獲物を逃がそうとはしない。
地響きさえ起こす咆哮が少女達は耳を塞ぎ足を止め、行動が遅れる。
"黒い獣"は大きく跳ね、集団を丸ごと飲み込もうとした。
それを護衛の男が重厚な手甲に覆われた拳を構え迎え撃とうとして────
『────!?』
「!?」
「あ?誰だ?」
凄まじい裂光が"黒い獣"の横腹を切り裂いた。
"黒い獣"は叫び声にも似た奇声を上げ、真横に吹き飛ぶ。
その様子を見て少女は一瞬呆然としたが、すぐに光が飛んできた方向に視線を向ける。
そこにいたのは、三対六枚の純白の翼を持つ少女と、悪魔の翼を生やす少女の二人組だった。
「ふぅ、間に合った間に合った。」
「あの黒い怪物、何か嫌な感じがするわね。」
謎の鯨の様な黒い怪物に襲われていたこの世界の現地人と思われる人間の集団を助けるために飛んできた私達は、紅蓮の赤髪が目立つ少女の前に降り立った。
「君達、大丈夫かな?」
「え?えっと…大丈夫です…」
「ふん…特に大きな怪我はなさそうね」
「あ、えっと、助けていただいてありがとうございます!」
「待て待て姫さん、こんなどこの誰かも分からないような連中に…」
「うん。困ってる人がいたら助けるのは当たり前だもんね」
「それで悪いけど、あれが何なのか聞いても良いかしら?私達この辺のことよく知らないのよね」
「いやお前らも何普通に話してんだちょっと一旦待て」
「えーと…あれは世界に二十九体存在する"黒い獣"という怪物の一体、私達が"ホロウェル"と呼んでいる個体で…」
「"黒い獣"、ね。まあとりあえず私達が仕留めるから、下がってなよ。」
「い、いえ!そういうわけにはいきません!助けて貰った手前そのまま任せっきりにするのは納得できませんから!」
そう言って少女は剣を構え直す。
足手纏い…にはならないんだよねこれが。
実際この子相当強いだろうし、明らかに私達が知ってる人間が持って良い力じゃない。
とはいえひとまず異世界だからと納得はするが。
「う~ん…良いけど、怪我はしないようにね」
「大丈夫です。あなた達は"黒い獣"との戦い方は知らないと見ましたので、サポートくらいはできますよ」
「じゃねぇだろ!?いい加減にしとけ!姫さんアンタ立場わかってんのか!?そんな安易に急くな得体の知れねぇ連中が得体の知れない事言ってんだぞ!?」
「もう、なんですかさっきから」
「これ俺が悪いのか!?ええぃ!良いからまずは色々と詰めることが…」
『──────!!!』
「…あぁクソ!今日一日情報量がおかしいじゃねえか!いい加減にしろ!」
「ミシェル、来るわよ」
「お?結構強く行ったのに思ったより効いてない?」
奇声を上げながら遠方からあの黒い怪物が大地を泳ぎながら接近してくる。一体あれはどういう原理で泳いでいるのか興味はあるが。
先ほどあの"ホロウェル"という"黒い獣"に与えた光の魔法は横腹を軽く焦がしてはいるが、体の内側にはほとんどダメージはないように見える。
「"黒い獣"はどの個体も"おどみ"と言う、魔法や権能により受ける影響を阻害するオーラの様なものを纏っていますので、魔法で消耗を狙うのは困難かと」
「おどみ?なるほど?」
「お前ら本当にそんなことも知らないのか…辺境の田舎者ならともかく天使とか悪魔が?」
少女が丁寧に説明してくれるが…なるほど、なかなか厄介な相手のようだ。
試しに権能を使ってホロウェルを観察してみると、普通には見えなかった黒いオーラの様なものがぼんやりと見えた。
そして、正確にその黒い靄の正体が掴めないのも合わせて、私の権能をもってしてもホロウェルの力が見通せない。
その上魔法の類いも効きにくいとなると、私達でも少し苦戦するかもしれない。
「まあ見るからに頑丈そうだし、性に合わないけどちまちま削って行こうか…ねぇ、そういえば君。この辺で私達の他に天使とか悪魔見かけるの?」
「あ?普通は現世にいるようなもんじゃねぇが、現世で暮らしてるやつもいるにはいる」
「そうなんだ…その人達って…」
「異世界であろうとどの世界とも同様の次元構造をしているはずよ。私たちのいた世界の縦に天界、現世、魔界があるなら、他の世界も同様ってね」
「そういうものなんだ…あまりそういうの詳しくないから初めて知ったよ」
「専門で学ばなきゃ知る機会すらないでしょうし仕方ないわよ。しかし、困ったわね。私今回あんまり攻めに回れないわよ?」
「完全に効かないって訳でもなさそうだし、効きが悪くても多少消耗させることはできるんじゃない?」
「それなら継続的に損傷を与えられる炎熱系の魔法を使えるなら、それらで削る方が良いと思います」
「なるほど、じゃあ援護はするから気をつけて行ってらっしゃい」
「任せてよ」
「あ、ちょっ待て…おい!ジェスト!そいつ見張れ!姫さんになんかあったら解雇じゃすまねぇからな!」
「は、はい!身命に変えても!」
「…いや、その…そんなジッと見られても…あの人の指示もそういう感じでやれって事じゃないと思うわよ?」
「え?そうですか…?」
「えっとその…本当に…巻き込んでしまってすみません…」
「良いわよ別に」
だいぶカオスなことになってきたが、ある程度意思疏通が終わったところで、ほぼ同時にホロウェルが大地を砕きながら遊泳し、こちらに突っ込んで来る。
それに対してフィリアが指を鳴らすと、ホロウェルの進路上に魔法陣が出現しそれが障壁となってホロウェルの突進を受け止めた。
しかし、"おどみ"とやらに障壁の耐久力は一気に削られ、直ぐに突破されてしまう。
「へぇ、本当に厄介ね」
感心したように呟くフィリアだが、しかしまだ余裕の笑みを浮かべて再び指を鳴らした。
今度はホロウェルを取り囲むように周囲に大きな魔方陣が展開され、そこから極大の火球が放たれ、ホロウェルの身を焼いた。
「──────!!!」
「凄い…」
「ほお?悪魔らしい趣のある魔法だな」
「無詠唱でできる程度の小技よ。見た目は派手だけど、あいつにはあまり効いてないわね」
実際無詠唱で扱う魔法は本来より威力や精度が落ちる為、ダメージ自体は大して与えられていない。
だが牽制としては十分だろう。
ホロウェルは身を大きくよじらせ、体を捻るようにその場で回転する。その風圧により纏わりついていた炎が全て振り払われ、私達に怒りを持ったのか背中からどす黒い魔力の塊を飛ばした。
それは空中で弾け、雨の様に降り注ぐ。
「当たるとまずそうだね」
「当たりそうなやつは防いであげるから気にせず肉薄してきなさいよ」
「う~んと、多分避けきれるからそっちの子…君達、そういえば名前は?」
「え?普通今聞きます?思いっきり戦闘中なんですが?」
「ミシェルはそういうやつだから気にしないで」
「どういう意味かな?」
「えぇ…ええっと、私は"セレナ"と言います。どうぞお見知り置きを」
「…ワズベール。そっちのが俺の部下のジェスト。お前らも自己紹介するかー?」
ワズベールと名乗った男の呼びかけにこちらをチラチラと気にしながらもあの黒い怪物の警戒を行っていた周辺の兵士さん達は、首を振ってそれを否定した。
セレナと名乗った少女は魔力の雨をフィリアが障壁で防いでるその下で丁寧にお辞儀をしてくる。
なんかこの子もワズベールさんも割りと余裕がありそうだ。
なんなら助けなくてもあの場面は自分達で乗り気っていたかもしれない。
「そっか。じゃあ私は大丈夫だからフィリアはセレナを援護してあげてよ」
「分かったわよ。でも油断はしないようにね?」
「大丈夫大丈夫!」
「それ言うやつはだいたい大丈夫じゃないのよ?」
この頃フィリアが辛辣だ。
まあそれはそれとして、魔力の雨を防いでいた障壁が侵食されて崩れかけていたので、そろそろ動くことにする。
私は肩に下げていた無限鞄から一振りの剣を取り出した。
大戦時代から使っていた愛剣、膨大な魔力を貯蔵できる私が扱う四本の剣の一本。
その名は、"光剣 碑之政峰"
輝く刀身を一閃して使用感を確認し、私はホロウェルに向かって突っ込んだ。
そしてそれを頭を掻きながら心配そうに、ワズベールさんも追ってくるのだった。
黒い獣を前にして天使と悪魔の少女はその力を見せつける───