第五十八話 竜害制して睡に安らぐ
「…ん?また”黒い獣”が死んだのか?全く、私達が五万年も手出しできなかった問題をこうも他人が片付けてくれていると思うと、頭が上がらんな」
孤島にそびえ立つ天を貫く大樹。
その中に存在する無数の空洞の一つを住めるように家具が置かれた空間で、ソファに腰をかけながら机に向かい、書類の束を片付けている白いロングコートの様な制服の女性は愚痴を零してため息を吐いた。
その女性の後ろからソファの背もたれに手をかけてフード付きの黒いマントを羽織る少女が声をかけた。
「まぁ、ほら。あいつらって私達が近付いたらすぐ逃げるじゃん。仕方ないよ」
「…いつの間にかいるのはもう驚ないがな。それよりお前、私の仲間にちょっかい出すのやめてくれないか?」
「あぁ、リリエンタの時のこと?いやー、あれはちょっと心配な子達がいたから様子見に行ったんだけど、たまたま鉢合わせちゃってね。ごめんごめん」
両手を前に合わせておどけたように軽く頭を下げる少女に女性は苦笑いをし、書類を抱えて席を立った。
「うん?仕事?どっか出かけるの?」
「調べ事をしに行くだけだ。ついでに久しぶりに”ネプラリネラ”の様子も見るつもりだ」
「『叡智の天秤』か〜、そういや私まだ会ったことないんだっけな。ねぇ”ティア”、私も付いてっていい?」
「そうだな。近々”ノワール”から連絡がくるだろうし、”シャロン”も他の天秤と顔を合わせといた方がいい」
「ありがとね…あっ、そういえばそのリリエンタで前に話した通り例の天使と悪魔に会ってきたんだけどさ─────」
「うーん、やっぱりいつ見ても気持ち悪いわね」
「バラバラにしちゃったのは不味かった?」
「そうねぇ、取れる部位も減るだろうし、サンプルとしてはもう少し大きめのものの方が…」
皇国の祭り的な毎年恒例らしい霊峰竜ナルユユリが排泄する特殊な鉱石の採掘。
それを行う一行をナルユユリを暴れさせることで巻き込もうとした”黒い獣”ハナユクラを撃破、そしてナルユユリを鎮圧した後、ギルデローダー討伐後のように帝都から多数の兵士や研究者等の調査隊が送られてきた。
指揮を取るのは今回何かと身体を張っていたワズベールで、あの崩落の時に放置したことについてこってり怒られたのは言うまでもない。
一応ノフティスも現場監督としてここに留まっているが、特に指示などは行わず黙々と手伝いをしている。
ちなみにナルユユリが攻撃に用いた地平線まで埋めつくしていた無数の石柱は、魔力で形成されていたものだったため私がナルユユリから吸い取った魔力を用いて放った堕落せし天の神の影響でしばらくした後まとめて消滅したので、幸い地上が瓦礫で埋まる事にはならなかった。
「はぁ…とことん今回貧乏籤だったな…」
「ワズベールなんて世界から雑に扱われる宿命なんだから気にするだけ無駄」
「そんな壮大な話だったか?」
「いやー、ノフティス抱える分しか手が空いてなかったからねぇ、物理的に」
「…まぁいいか。それより、こんなことまで手伝って貰って悪いな」
「乗りかかった船には最後までついていくのはいつもの事だからね」
「ねぇ、あの破片バラバラになった奴一部貰っていいかしらー?」
「…お前の相方さんは相変わらず図太いな」
「そんな所も魅力の一つだからね」
「全く…あぁ、持ってけ持ってけ。必要最低限な分は内の研究者がもう取っちまってるし」
許可を得たフィリアは目を輝かせ嬉々として地面に飛び散っているハナユクラの破片を拾い集めては丸いフラスコの様な瓶に詰めていく。
また帰ったらしばらくあっちに集中するんだろうなと思うと少し胸がざわざわするが、別にフィリアじゃなくても行き過ぎたものでなければ他人の趣味に口出しするつもりはないし、またサプライズでも計画することにした。
なお、この作業が進んでる間もナルユユリは大きな寝息を響かせていたが、日が落ち始めて調査隊も一部帝都に回収したものを持ち帰り始めた頃に目を覚まし、辺りを見回すと何事もなかったかのようにのそのそと大地を踏みしめながら山脈の裏へ帰ってしまった。
相も変わらず竜とは強く、恐ろしく、そして自由な生き物だ。
それから後日。
「今回は何事もなく採れて良かったですね。それにしても、例の一件でユーリ石が消失していないのは僥倖ですね!」
「出直すんだ〜…強かだねぇ、皇国は」
まだ辺りに戦闘痕は残っているものの、日を置いて再びナルユユリの排泄する鉱物を取りに来た一行。
あの時避難していたサリエラや他のこの仕事の参加者達はスクエラートに滞在していたそうだ。
あの一件で皇国東部の馬車の運行が止まり、元々住んでいた街に直ぐに帰れなくなったので、せっかく来たのだからやることやって行かないと勿体ないと現在の状況だ。
私がノリと勢いで使った魔力を壊す魔法である堕落せし天の神でユーリ石などに含まれていた魔力も消し飛んだが、一応有用なのは石本体だったので採掘に悪影響はないとの事。
「結局今回も先導俺かよ…」
「お疲れ様。ノフティスは帰ったのかしら?」
「姫さんとフロウの事務仕事手伝ってるらしいぞ。ただまあ、諜報や暗殺で第一線を担ってただけあってその穴埋めも苦労してるがな…」
「そんなお国の裏側語られても困るのだけど…」
「いくら公正を唄う皇国も戦争は綺麗事だけじゃ回らねぇからな。割り切れるところは割り切って全力で勝ちに行かなきゃいけねぇんだよ」
確かにこれがただの遊びならともかく、命を賭ける勝負で正々堂々やろうとして負けたら元も子もないのでそこは共感できるが。
兎にも角にも戦争は出来れば早めに終わらせてもらって私達がのんびり観光とかできるようにして欲しいものだ。
(…いや、神教国の方針的にあっちが勝ったらどの道のんびり出来ないのか。となると皇国に勝ってもらうしかないけど、出来れば戦争自体にはには干渉したくないし…何かしら手を打たないとなぁ)
こういうことを考えるのも自分らしくない。
大戦の時の仲裁作戦は細かいところは大体フィリアに丸投げだったし、アルカディアを建国した後の政治もほとんど頼りきりだった。
別に、それを悪かったなとは思っていない。
私に出来ないことをフィリアがしてくれるなら、私はフィリアが出来ないことをするだけだ。
ずっとそうしてきた。
今までも、きっとこれからも。
「これからねぇ…『こんな世界で、当然のように明日が来るとは思うなよ』…か。私達、これからどうなるんだか」
大戦後期にあった出来事を思い出し、自分の考えを自嘲する。
そうだ、この世界はどこまでも理不尽で、身勝手で、その箱庭の中に生きる者の都合など考えてはくれない。
そんな世界に、私達は生きているのだ。
ワズベールと談笑するフィリアに近づいて袖を引っ張ると、何事かとこちらを見て首を傾げてくる。
───君とは、普通に出会いたかったな───
これまで心の中で蠢いていたその思いは、すとんと収まるように変に私を納得させた。
そんな運命さえも、世界の我儘ならば、私は、私達は、それに抗うだけだ。
「ねぇ、フィリア。永い旅が始まるね」
「…そうね、きっと」
フィリアが何を考えてそう答えたのかは分からない。
だがおそらく私が考えていることと大差はないだろう。
結局は、今までと同じことの繰り返しなのだから。
遠い日の約束、いつかそれを果たすまで。
「つ〜か〜れ〜た〜…」
「何か我が家に帰ってくるのも凄い久しぶりに感じるわねぇ」
諸々の仕事が終わり月が高く登った頃にオルターヴの家に帰ってくるや否や、有無を言わせずフィリアの部屋に押し入りベッドに飛び込む。
「ちょっと前にも見たわよこれ。なんなのあんた、どういう倫理観で生きてるのよ」
と一応文句は言うが私がそれを聞き流すのを分かっているのかなんだかんだ退けようとはせずに隣に寝そべるフィリア。
フィリアも疲れているのか雑に掛け布団を自分に掛けると着替えもせずに目を閉じた。
「んー?フィリアお疲れかな?」
「ミシェルを抱えてた時にあんたが持ってたナルユユリの魔力をちょっとだけ拝借してね…発散できてないから今でも身体に合わずに気持ち悪いのよ」
「なんだ自業自得か…なら適当にその辺に魔法ブッパすれば?」
「その辺ってどこよ。窓の外にでも打てばいいの?」
「近隣住民に迷惑がかかるから止めてね?」
竜の魔力を無理に身体に蓄えている時の気持ち悪さはあの時十分思い知ったのでその辛さは分かる。
だからなんとかして治してあげたいが、過剰な魔力での気持ち悪さを治す魔法なんて存在しないし、どうしたものか。
「あ、じゃああのユーリ石のネックレスに込めておいたら?」
「あぁ、なるほど…えっと…襟の内側に入れてるから取ってくれない?」
「えっ!?私が!?」
「手も動かしたくないくらいだるいのよねぇ…ノフティスになった気分だわ」
どこかで気だるげな少女がくしゃみをしているのはさて置いておいて、仕方なくフィリアの軍服の首元を開き、ネックレスの紐を引っ張る。
が、何かに引っかかって取れず紐の先を指でなぞりながら追うと首筋を指が這う形になり、フィリアがくすぐったそうに首を傾ける。
「ちょっとー」
「…仕方ないじゃない」
「じゃあ、肩だけ浮かせて。なんでネックレスが首の後ろ側に回るかなぁ…」
「あれじゃないかしら、ハナユクラに殴られた時にでもズレたんでしょう」
「理由は別にどうでもいいけどさ…」
言いつつもフィリアが上半身を小さく持ち上げ、隙間が空いたのを確認してフィリアが疲れる前に直ぐにネックレスの紐を引っ張り、石を抜き出す。
そのままネックレスを首から外してフィリアの手の中に握りこませると、しばらくしてフィリアは目を開けて上半身を起こし、身体を伸ばした。
「ん…まぁ、少しは楽になったわね」
「それは良かったよ。でも、偶に後先考えずに行動するのは頂けないね。本当に、心配させないでよね?」
「…」
「はい人の事言えませんでしたいつも心配かけてごめんね」
ジト目で「お前が何を言ってるんだ」と無言で訴えかけられ迷うことなく土下座をした。
フィリアはため息を吐くと、私の首に腕を回しそのまま抱き寄せるようにして再びベッドに倒れ込んだ。
「あっ…」
「言ったでしょ?あんたも最近翼酷使し過ぎてるんだから休みなさいって」
「…うん。ありがと」
そのまま珍しいことに特にそれ以上のやりとりもすることなく、私達は静かに眠りについたのだった。
二人が何を誓おうと、世界はただ廻り続ける───




