第五十六話 眠れ霊峰、休めよ乙女
「えっ?どうやって来たって言った?」
「お姉ちゃんの射った『ナイトアトラ』の矢に乗って」
「んな無茶苦茶な」
あんなに速い矢にしがみついたのかなんなのか知らないが、普通に危ないという発想は出てこなかったのだろうか。
そんな体験をした後でもノフティスはこの気だるげな顔である。
もうちょい表情変えてくれないと調子が狂うのでやめて欲しい。
そんな思いも露知らずノフティスはナルユユリが生やした石の柱に捕まりながら辺りをキョロキョロと見回し、今の状況を把握しようとしている。
ナルユユリの顔の近くを跳ね回って気を引いているワズベール、自らの世界に入り浸って琴を引き続けるフィリア、そして先程ノフティスが蹴落とした眼下のハナユクラ。
それらを確認すると、「成程…」と頷いて、こちらに顔を向けた。
「…うん、どういうこと?」
「カオスなのは分かるけどね、とりあえずハナユクラのせいで暴れたナルユユリを鎮めようとしてるってことだけ分かってくれたらいいよ」
「そう…じゃあ私はハナユクラを…って行きたいけど、私一人じゃ無理。これだけ障害物が多いとお姉ちゃんも援護射撃しづらいし」
「とは言っても、私も流れ弾とかナルユユリがちょいちょい伸ばしてきてる石柱からフィリアを守りたいんだよねぇ」
「ふぅん…あれは、魔道具?そういうことね、なら時間だけ稼いで置けばいい?」
「理解が早くて助かるよ」
頷いたノフティスは石柱を掴んでいた手を離し、起き上がろうとしていたハナユクラの脳天に再びかかと落としを打ち込み、その頭を地面に叩き付けた。
「おっと、あんまり観戦してる余裕もないね」
地表から伸びてきた石柱に極光を纏わせた碑之政峰を叩き付け破壊する。
竜の魔力はほぼ無尽蔵と言っても過言ではない。
竜だけが体内に持つ特殊な生成機関、『天脈の心臓』は竜の最大魔力量を大きく引き上げ、その上凄まじいペースでの魔力の製造を行う永久機関のようなものだ。
そのため、竜を相手に持久戦に持ち込むことは無意味なのだ。
フィリアが奏でる安魂弦のお陰で少しずつ落ち着いてきているのか最初ほどの激しさこそはないが、一々攻撃が大質量のため、その迎撃に毎回かなりの魔力を使ってしまう。
(このペースだとナルユユリが落ち着くよりも先に私の魔力が尽きる。だったら…)
再度伸びてきたフィリアを巻き込みそうな石柱を手元に集めた光の束を投擲して破壊し、タイミングを見計らってナルユユリの周辺の石柱の側面を蹴りナルユユリの気を引いてブレスで狙わせないようにしているワズベールの元まで飛んだ。
「ちょっとそろそろ魔力がキツイから変わってくれない!?」
「あ?大丈夫なのか!?」
「本当はフィリアを守る役目は私がやりたいんだけど、まあ仕方ないしね。それに私は普通に飛べるから、気を引くくらいなら魔力がなくても出来るし」
一旦石柱に掴まって一休みしていたワズベールに交代を促したが、ここでナルユユリがその長い首を大きく振りかぶった。
「うわっ、薙ぎ払う気!?」
「チッ、上に飛べ!」
振り払われた首は間合いの中のナルユユリ自ら作った無数の石柱を尽く粉砕し、視界を全て覆ってしまうような砂塵が舞った。
その上、高く伸びていた石柱は折れた部分が倒れ込んで来たため、飛行の邪魔なことこの上ない。
「危ないじゃん…『白夜の天蓋』」
倒壊する石柱や瓦礫が未だ琴を奏続けるフィリアに落ちないように、フィリアの頭上に光輪を浮かべさせると、それは狂ったように回転し、光輪より上にある全ての物体を消し飛ばした。
一応光輪はフィリアの頭上に浮かべたままにして守らせる。
ちなみに全体を守るようにしたりナルユユリとの間を隔てるように結界などを張ると安魂弦の音がナルユユリまで届かなくなるので出来ない。
「じゃあワズベール、もしフィリアに何かあったら殺すからね」
「おい殺意!なんで既に殺気出してんだ!?」
まあ多分なんとか頑張ってくれるだろうが、念は押さないと気が済まないのは仕方ないだろう。
フィリアの護衛をワズベールに任せ、ナルユユリの顔の近くまで飛んでいくと、体の大きさに合わせて巨大な二つの眼球がこちらを捉えた。
…流石に竜に睨まれるのは私でも恐怖を感じるし、思わず萎縮してしまう。
それでも、フィリアの邪魔はさせないと己を奮い立たせ、縦横無尽に、そして不規則に辺りを飛び回る。
ナルユユリは自らの視界の中でそれを行う私をつい視線で追ってしまっているので、この間は気が散って石柱の攻撃が僅かに弱まっている。
それにブレスを打たれたら終わりだが、見たところあれは顔の位置と向きを固定してからじゃないと打てなさそうなので、こうして注意を引いている内は打って来れないだろう。
「…っうわ!?」
「わぷ…あ、ごめん。やっぱ一人じゃ止めきれない」
が、そうやって一人頑張って飛び回っているところに少しボロボロになっているノフティスが吹き飛んできた。
咄嗟に受け止めて抱き抱えたが、ノフティスが吹き飛ばされてきたと言うことは…
「ちょっと投げるよ!」
「え、ちょっ、私の扱い最近雑…うわぁぁぁぁぁ!?」
ハンマー投げの容量で脚を掴んでぐるぐる回し、琴を弾いているフィリアとそれを守るために迫る石柱を拳で粉砕しているワズベールに向かって石柱を蹴って飛び跳ね、接近しようとしているハナユクラに放り投げた。
「ふぅ…っ!」
普段のイメージから似合わないような大声を上げながらぶっ飛んで行くノフティスの背中を見送っていると、背後から強烈な威圧がかかり、咄嗟に振り返って光の障壁を展開し、翼で自分を覆った。
次の瞬間、空を赤く染めるエネルギーの奔流に包まれた。
障壁は暫く耐えたが、咆哮は竜が打ち止めるまでいつまでも吐かれ続ける。
やがてひび割れる音と共に障壁が砕け散ると、その後ろに隠れていた私の翼を焦がす。
直後、咆哮が止まったのと翼を盾にしたため威力が緩和されたお陰で致命傷こそは受けなかったが、それでも耐えるための反射で魔力は一気に消費され、足りなかった分を受けてしまったため少なくない傷を負った。
あのノフティスを振り回していた僅かな時間、速射重視の溜めのほとんどない咆哮。
最初に大地を薙ぎ払ったものよりもさらに威力の低いであろうそれですら、一撃でこのザマだ。
「やっぱり、安請け合いはするもんじゃないなぁ…」
今の一撃で、まともに飛ぶ体力すら消し飛んだ私は体に力が入らずふわりと落下を始めた。
翼も焦げて所々チリチリと黒ずみ、回復には時間がかかるだろう。
せっかくこの前怪我から治ってきたばかりなのに、またフィリアを心配させるかなと自嘲のため息を吐く。
落下する私を視線で追うナルユユリは、再びその巨大な顎を開き、口内にエネルギーを溜め始めた。
「まぁ、諦めはしないけどね?こんなことでフィリアを悲しませたり、一緒に居られる時間を奪われるような私じゃないよ。良いよ、霊峰竜ナルユユリ。最高位天使の本気、見せてあげるよ!」
それでも、気丈にナルユユリを睨み返すと、碑之政峰を先程ので若干焦げた無限鞄に仕舞い、代わりに四本の愛剣の一本、『六花剣ラ・ピュセル』を引き抜く。
これの特性は一度使うと次使うのにかなり期間を開ける必要があるのでそうそう使うことはないが、今は四の五の言っていられない。
ナルユユリは私の思惑を知らずに口内に溜めた極大の魔力を一条の光線としてこちらへ向かって放射した。
今落下中の私を狙ったこの咆哮は地上に向いているので、このまま何もしなければこの辺りが丸ごと消し飛んでしまうだろう。
だから、私はラ・ピュセルの剣先をそのブレスに向け────ラ・ピュセルで吸い取った。
ナルユユリは、目の前で起こった現象に困惑したのか、その首を傾げる。
驚くのも無理はない、ラ・ピュセルの特性は『超吸収』
剣の容量の限界すら超えて一時的に魔力を押さえ込み、蓄積することが出来るので、主に相手の高火力魔力攻撃への反撃として使っている。
しかしナルユユリに打ち返す訳にもいかないので、吸い取った魔力を私自身へ移して魔力の回復を図った。
「うっ…これ、酔う…」
しかし、あまりの魔力の濃度に気分が悪くなった。
これは調子に乗った私が悪いが、まあまだ我慢出来るのでよしとしよう。
「…ん?お、やっとかぁ…」
そしてその時、ナルユユリがゆっくりと脚を折り始めた。
先程の事で困惑したのか一瞬怒りを忘れたナルユユリの精神にフィリアが奏で続ける琴の音色が良く響いたのであろう、鎮静化が一気に進んだのだ。
グルル…と唸り声のような音を発しながら体勢を低くするナルユユリ。
やがてお座りしたような姿勢を取ったナルユユリは、天に向けていたその長い首をも地に伏せさせ、ゆっくりと目を閉じると、ついに寝息を立て始めた。
(これは…ノフティスが音色の魔力に自分の魔法を混ぜたのか…確かにノフティスの権能ならナルユユリの抵抗も弱められるし、本当に良い人選だね)
少し余裕が出来てきたので他の皆の様子に目を向けると、ナルユユリが眠った事で石柱の攻撃が止まり、手持ち無沙汰になったワズベールはハナユクラがフィリアを襲わないように止めていたノフティスを援護しに向かった。
フィリアは相変わらず自分の世界に浸っているためまだ琴を引き続けている。
邪魔はしたくないが流石にフィリアの力を持て余させる訳にもいかないので痛む翼を必死に動かし、フィリアの元まで飛んだ。
「ほーら…フィリア。もういいよ」
「………ん?えっと…あら?もう終わったの?」
「結構フィリアがノリノリだったから気付いてなかったんだろうけど結構時間経ってるからね?」
「あー…それはごめんなさいね…って、ミシェルは大丈夫なの!?」
フィリアは私の焦げた翼や所々の怪我を見ると途端に慌てだし、必死に治癒系の魔法をかけまくってきた。
過剰回復は逆に痛むので落ち着いて欲しいが…幸いそこら辺の加減は流石に考えていたのか丁度よく痛みが引いた辺りで必死の魔法掛けは打ち止めとなった。
ただ状況を聞かれたのでここまでの事を全部話すと、呆れたようにため息を吐かれてしまった。
「はぁ〜…竜の咆哮を正面から受けるとか…てかちょいちょい思うけどあんた自分の翼盾にし過ぎよ?いくら性質上かなり頑丈な機関だからといって、酷使し過ぎると後で痛い目に会うわよ?」
「何か凄い母親に怒られたみたいになってるね」
「あんた母親いた事無いでしょうが」
「それもそうだねー」
(…いや、結構重い事言ったのにそんなさらっと流されても…)
何故かフィリアが微妙な表情で黙り込んだので気になって顔を眺め続けていると、はっとなったフィリアは私を後ろから抱きしめると、そのままワズベールとノフティス達の方へ飛び始めた。
「え?いや、自分で飛べるけど?」
「あんたは一回翼を休める期間を作りなさい!その間は私が抱えて飛ぶから!」
なんだそれはと苦笑いしたが、これはこれでかなり体が密着しているので悪くないと思い、ひとまずされるがままに運ばれるのだった。
「後は───」
「ハナユクラを倒して、また散々休むわよ!」
少しずつ…少しずつ…何かが歪んでいく───




