第五十五話 鳴動
”黒い獣”、ハナユクラの分裂体に攻撃された事で私達にその怒りを飛び火させた霊峰竜ナルユユリは、再び口内に凄まじいエネルギーを収束させ始めた。
「わっ!?また咆哮!?」
「チッ、逃げるわよ!」
「あーあ…マジであいつ次見つけたらぶっ潰してやる」
ワズベールは襟を掴みながら飛んでいる形になっているので一応首が締まらないように配慮だけしてやってナルユユリの射線から全力で逃げた。
程なくしてそれだけで大気が揺れ大地がひび割れる程の爆音と共に光線状の咆哮が放たれ、直線状の雲は丸ごと消し飛び、通り過ぎた後の空が歪んだ。
─────そして、遠目に何か大きな極光が見えた気がした。
「…うっそでしょ?今射線の先にあった星消し飛ばなかった?」
「小惑星とかでしょうけど…どんだけ遠くまで飛んだのよ…」
遥か宇宙の星にまで届くその圧倒的な力に戦慄しながらも、未だこちらに向いているナルユユリからの敵意をどう振り払おうかと頭を働かせる。
今は私達が空中にいたからナルユユリも追って空中に向けて撃ったが、あれと同じ威力の物を地上にも向けられたら辺り一帯が焦土になるどころの被害では済まない。
最初に地を薙いだ本気には程遠いだろう咆哮ですら私達でも一撃で蒸発する自信がある。
そもそも上位の竜に戦って勝てるはずもない。
「…全部諦めて逃げる?」
「おおい!?ナルユユリがどこまで暴れてどこまで巻き込むかも分からないんだぞ!?ここで確実に鎮めなけりゃ、帝都まで巻き込まれるかもしれんだろ!」
「とは行ってもねぇ…竜と戦ったことくらいあるけど上位相手にまともに相手になったことないんだもん。ワズベールは勝てると、止められるとでも思ってるわけ?」
「…お前、結構ドライだな…」
「ミシェル、とりあえず倒すことが目標じゃないんだし、ひとまずやれるだけやってみましょうよ」
「…フィリアがそういうなら別にいいけど、危なくなったら直ぐに撤退するよ?」
「なんでそっちには甘いんだよ!」
まあフィリアの頼みだからやるにはやるが、具体的な策は思い浮かばない。
竜が暴れたら倒すか逃げるかしかしてこなかった対竜経験の浅さが仇となってしまった訳だ。
「何も思い浮かばないんだったら一旦気絶させるくらいしか出来ないからな俺は」
「「脳筋は黙ってて」」
「よし、いつも通り辛辣だな。その調子で何か考えろ」
「あんたねぇ…でも本当にどうしようかしら…」
チラリとナルユユリに視線を落とすと、未だこちらを睨み続け、次攻撃する機会を伺っているように見えた。
頭痛も我慢して権能で見てみると、その精神は酷く荒れていて、とても元々温厚で他の生物を傷付けようとはしない優しい竜だったとは思えない。
あれを何とか鎮める、冷静にさせる、落ち着かせるには───落ち着かせる?
「そういえば、何かフィリアそういう魔道具持ってなかったっけ?」
「魔道具?…どんなのだったかしら?」
「ほら、最初に帝都に行った時に路銀稼ぎのために大通りで芸やった時にフィリアが弾いてて、後でフロウに注意されたやつ」
「…ああ!”安魂弦”ね!」
「名前は別にどうでもいいけど」
「酷くない?」
しかしフィリアは直ぐに無限鞄を漁り、そこから一つの琴を取り出した。
その音色を聞くものの精神を落ち着かせるというシンプルな特性を持つ魔道具。
通常普通に魔法で干渉してナルユユリの精神を落ち着かせようとしても、ナルユユリ自身の高い抵抗力で精神には届かない。
しかし、それ専用に作られ、多くの補助術式が組み込まれている魔道具を介せば、普通に魔法で干渉を試みるよりも遥かに成功率が上がるのだ。
まあそれでも相手は上位の竜、その身の抵抗力も桁外れだろうが、ないよりはマシな筈だ。
「それなら行けるのか?」
「分からないけど、試してみる価値はあるわよ。とはいえ、”聞かせる”事で効果を発揮させる魔道具だから暫く奏続けないといけないけど…」
「なるほど、つまりナルユユリが大人しくなるまでそれを邪魔させないようにすればいいんだな?」
「話が早くて助かるわ。ミシェルもお願い出来る?」
「おう、一応あんたらも皇国国籍だ。国民を守れずして何が黄道十二将星だ」
「なんなら倒しちゃってもいいんでしょ?」
「早まらないでお願いだから」
「ふふっ…って、危な!?」
軽口を叩いていたら突如先程まで飛んでた場所を鋭い針が突き抜けた。
ワズベール何かちょっと掠ったと騒いでいるが自分で黄道十二将星だなんだ言っていたので無視しても構わないだろう。
それよりも針が伸びてきただろう地上を見ると、どうやら針の正体は地下の岩盤をナルユユリが魔力で隆起させたもののようだ。
ナルユユリは、その巨体を支える強靭な前脚で地団駄を踏むように地面を叩くと、今度は地面から集合体恐怖症が卒倒するような程の数の石柱が生えあがって伸びてきた。
伸びる速度から推測できる圧力は、当たれば全身砕け散りそうな程で、まともに衝突したら普通に死ねる。
フィリアは安魂弦を抱えながら、私はワズベールの襟を掴みながら飛び回って回避するが、通り過ぎた石柱は砕けながら崩壊して破片を雨のようにばらまいてこちらの飛行を邪魔してくるので厄介で仕方ない。
それに範囲もえげつなく、少なくとも地平まで石柱が伸び上がっているのが確認できた。
やってることとしてはこの前ヴィクティスで戦った時神教国の聖騎士と似たようなものだが、その規模は文字通り桁違いだ。
スクエラートやあちらの方面の町は大丈夫だろうかと気になるが、今はこっちに集中するしかない。
「ちょっとワズベール、このままだと普通に邪魔だから落としていい?」
「字面がひでぇ。まあいいけどな、ナルユユリの顔の周りでも彷徨いて気を逸らしてくるから、後は頼んだぞ?」
「任せておきなさい、こちとら敵味方両方の上司に喧嘩を売って逃げ回れるくらいには肝が座ってるのよ」
「だから字面がひでぇんだよ!だいた───あぁぁぉぁぁ!?」
うるさいのでナルユユリの真上まで飛んだ辺りでワズベールを投下し、こちらに伸びてきていた石柱を腰の鞘に仕舞っておいた碑之政峰を抜いて迎え撃つ。
碑之政峰から溢れた光が石柱と拮抗し、そして押し切り崩壊させる。
「じゃあフィリア、お願い」
「任せなさい」
フィリアは器用に飛びながら身体を丸めるようにして折り畳んだ膝に安魂弦を乗せ、丁寧にその音を奏で始めた。
べん、べんと独特な音色を発し、辺りに伸びた石柱に音が当たって乱反射して反響する様子はいっそ幻想的で、こちらを狙っている石柱を迎え撃ちながらも私はそれに引き込まれていた。
フィリアは魔道具に詳しいし、その扱いも上手い。
だから、楽器を元にしている魔道具の扱いにも長けていて、故に普通に楽器の演奏が上手い。
特技と言われても不思議ではないだろう。
「…少し、攻撃が緩やかになったかな?」
先程まで無秩序に、不規則にこちらに向かってきていた石柱はその数を減らし───いや、フィリアが奏でる安魂弦のリズムに合わせているかのように規則的な攻撃に変化していた。
ナルユユリの周りから伸びている石柱を足場にナルユユリの周りを跳ね回り、咆哮で狙おうとしているのを邪魔しているワズベールも、その移動が若干リズムに乗せられているようにも見える。
肝心のナルユユリはと言うと、さっき見た時よりは確かに精神の荒れが緩やかになり始めている。
それでも依然激情は健在だが、このまま続けていれば数十分程度で落ち着くだろう。
最初は諦めるつもりだったが、案外何とかなるものだ。
そう安心して一定のペースで伸びてくる石柱を切り払っていた時───
「────────!!!」
「っ!?あいつまだっ!!」
それは、先程退けたと思っていた”黒い獣”。
無数に伸び、崩壊し、辺りの視界を覆い尽くしていた無数の瓦礫に紛れいつの間にかフィリアに急接近していたハナユクラは、鋭い爪を伸ばした前脚をフィリアに向かって振りかぶっていた。
フィリアは私を信じて安魂弦を奏でるのに集中して自らの世界に入っているため、その奇襲に気付いてすらいない。
ワズベールはハナユクラの咆哮で気付いたようだが、ワズベールとハナユクラの間にはナルユユリが伸ばしていた石柱が複数あるため、直線的な動きを得意とするワズベールでは直ぐには駆けつけられない。
そしてワズベール程の速さもない私では間に合わない。
ならばと翼を切り離そうとして────フィリアに向けて振るった爪が当たりかけていたハナユクラが、一時の間も置かず遥か遠くから飛来した極太の光の矢に撃ち抜かれた。
「!あれは…」
「ふぅ…やっぱり来たか。報連相は偉大だな」
飛来してきた光の矢から小柄な影が飛び出し、矢に撃ち抜かれたハナユクラの脳天にかかと落としを決めてその巨体を直下に叩き落とした。
その勢いのまま跳ねた小柄な影は辺りの適当な石柱に捕まると、こちらに向けて無愛想で、気だるげで、そして眠たそうな表情のまま手を振った。
「諜報の仕事がリストラされたから書類仕事に回ってたら、こんなことがあってお姉ちゃんの弓に乗せられてそのまま打ち飛ばされた黄道十二将星が序列八位、ノフティスとは私の事だよ。────はあ、だっる」
睡蓮の将はまた一時の眠りのために───




