第二百六十四話 烈日
長らくゴルベッドを牛耳り好き放題住民を虐げてきた吸血鬼一族、ブラッドレイ家がクレイルの差し金で調査に来たミシェル達によって打倒されたその日の晩。
ブラッドレイ家に与していた役人や兵士を連行したり要所に探りを入れたりして慌ただしいソエ・レーブルを街で一番高い建物の屋上からクレイルが眺めていた。
夜風を浴びながら屋上の縁から投げ出した足をぶらぶらとさせながら、クレイルは横に置いているペンダントに取り付けられた水晶に目を向ける。
「で、満足かい?オルバット公」
『ああ、近年は何を企んでいたのかゴルベッドから連合への支援金の揺すりが酷かったからな。ウチはともかく、他の主要国は奴らの圧力に堪えきれず兵を募ってたぐらいだ。だからこそ、今回の話に食いついてきたんだろうが』
「小国とはいえ多数のコミュニティの連合なんざまとまるわけ無いと思ってたもんだが…中々どうして、欲が絡むと人間の団結力ってもんは侮れないな」
『はぁ…茶化すな。それにゴルベッドの民を救いたいと思ったのも事実だ。それこそ他の連中は今回の件で兵を上げる時はそれを建前にしてたぐらいだからな』
「それは擁護になってんのか…?まあいい、とにかくだ。約束通りウチの領民の受け入れは頼んだぞ?」
『勿論、責任を持って保護しよう。だがもし戦いが天変地異の規模にでもなるようなら海の方から出て行ってくれ』
「意外に俺の戦い方はこじんまりしてるもんでな。流石にあの辺からお前のところまでなんかまで影響及ぼせるのなんてノワールかリアトリス、後はフィロスティアぐらいだろ」
『…だから天秤というものが恐ろしいんだ。噂に聞くだけの者の畏怖をお前達は理解しろ』
「そりゃ失敬、ハッハッハッ」
「随分楽しそうだね?」
「…悪い、客だ。一連の報告は済んだし、また今度な」
『…今度特産品の果物でも送ろう。またな』
「おいなんでもう見舞いの品用意しようとして…はぁ、で?何の用だ?」
連絡用の魔道具で知人のオルバット公と連絡を取っていたクレイルは、談笑の途中に首筋にヒヤリとした冷たさを感じた。
そこに一切の比喩はなく、物理的に冷気で冷えた金属───若干表面に結露が発生している刃が軽く押し当てられていたのだ。
そんな状況でも堂々と別れの挨拶を済まし連絡を終えたクレイルは振り返ることも無く飄々と背後の何者かに声を掛ける。
最も、その正体についてはクレイルも察してはいるが。
「何の用、ねぇ。本気で言ってるならこのまま横に動かすけど良いの?」
「冗談だ。ゆとりも無い奴はフィロスティアに蔑まれるぞ〜?」
「な、ティアは関係無いでしょ!それにティアはそんな事言わないし!」
「だから冗談だって」
試しにその名前を出してみれば分かりやすく反応があり、ケラケラと笑いながらクレイルはようやく後ろを振り向いた。
そこで剣をクレイルに突きつけながら顔を僅かに赤らめてムスッと頬を膨らませているのは、今日は厚く着込んでいる年若い少女。
言うまでもなく正義の天秤、アウリルであった。
ため息一つ、頭を搔くアウリルは剣…最強の神器の一つであるそれを鞘に納め、クレイルの横に腰掛ける。
「あのさぁ、やり過ぎ。今回のはだいぶグレーだよ?」
「だよな?俺もちょっと手出しし過ぎたかと思ったんだよ」
「笑い事じゃないんだよ…天秤の力はそんなほいほい振るって良い物じゃない。私は”役割”としての都合上資質を行使する事は多いけど、存在そのものが周囲の生き物に活気を与える生命力の噴水になってるティアとか、ただいるだけで一帯が調停されるノワールみたいな、常に資質の力が溢れ出してるのならともかく、君のは任意で完璧に制御できる資質だよ?それをあんなさぁ…」
「ハッ、そもそもあれを片付けるのはお前の仕事だろ?後回しにして何十年、いやそこまで遡るとお前の管轄外だが…手が回らないとはいえあそこの住民が後回しにされ続けてきたのは間違いない。お前はお前の裁量で平等に救済と制裁を与えるが、少なくともあそこの連中にとってはそれが理不尽だったって話だ」
「…私だって身体と意識は一つしか無いからね。手近な所から掃除を初めて、遠いところの掃除が遅れるなんて当然…とは割り切らないけど、それでも出来ることには限界がある。世界の管理者なんて謳っておいて、その役割を担うのは所詮ただの小娘だもん」
「お前がただの小娘なら俺の娘の立場がねえ」
「自分の子に酷い言い草…そんなんで厄害となんて戦えるの〜?」
「さあな。少なくとも俺は本気でやるつもりだが、それじゃ絶対足りない。聖国での攻防を聞く限り、奴らを倒すのに必要なのは”拮抗”を作れる大戦力と、やたらタフな奴らに”削り”を入れられる手数、そして向こうの動きに”対応”出来るだけの手札。一つ目は俺が担うとして、二つ目と三つ目が些か不安が残るな。お前が手伝ってくれれば良いんだが」
「悪いけど、別件で北の方に行かなきゃ行けないから。今からカチコミに行くなら考えないでもいけど」
「なんの用意も無く挑んで勝ててたらこんな苦労しないっての。まあ何が足りないかと言えば手数と手札をどれだけ用意すりゃ良いのか皆目検討がつかないって事だな」
「聖国ぐらい大きい国のほぼ総力と一定以上の実力者が十数、天秤かそれに近しい力を持つものがリアトリス、ミクリ、法皇さんの三名分。ここに大量の兵器とか策とか神器含む魔道具があってギリギリ勝利。這いよる混沌を倒すにはこれぐらいの戦力があったけど…用意出来そう?」
「アーサーとビュリオーネの嬢ちゃんの力を借りれればギリ、ただやっぱり手数が足りん。教団からは幾らか支援してもらう予定だが…あー、そうだ。そういえばお前北…つまり北の大陸に行くんだろ?なら余裕があったら次いでに手伝いを頼みたいんだが」
「?」
「…さっむ」
一段と冷える空気の中目を覚ます。
毛布の中に包まっている筈なのに何故…と思っていると、毛布とは違う柔らかな感触に包まれていることに気付く。
眠気の残る頭を振って、ゆっくりと目を開けると…
「むにゃ…ミーちゃん…フィーちゃん…」
「…ユラ、身体冷たいから離れて」
「約束でしょうよ寝かせてあげなさい」
「あ、フィリア起きてたんだ」
そういえば昨日だか一昨日だか忘れたが添い寝してあげる〜みたいな約束をして昨晩ユラが私達の間に挟まってきたのを思い出す。
その時はあまり感じなかったが、ユラ…というか吸血鬼という種族の特徴としての低い体温にずっと触れ続けてたからか身体から熱が奪われて凍えそうになってしまっていた…のだろうか。
いや、普通はある程度は低温でもそこまで冷えたりはしない筈だ。
「ねえやっぱりこの寒波おかしいよ。本当にただの自然現象?」
「どこに聞いてもそうだって言われるからそうなんでしょう。実際変な魔力の痕跡とかは見られないし。なんなら自分の権能で確かめてみればいいじゃない」
「うぅ…親友も冷たい…」
「んみゅぅ…んんっ…」
「あ、起きた」
私達の話し声のせいか、ユラの目がうっすらと開く。
そして一番に私が目に入ったのかじっとこちらを見つめてきて、私が起きた時からもずっと回してきていた腕に力を込めて私を抱き寄せる。
もう抵抗もしなくなった私はされるがままにされていたのだが…ユラがくあ〜っと欠伸をして大きく口を開けたかと思えば…次の瞬間、寝巻きがはだけて露出した私の首筋に噛みつかれていた。
「ひゃあん!?」
「あぁ〜!?ちょ、ユラ!それはダメよ!?」
「んくっ…ちゅむ…」
「やっ、ちょっ、力強っ…」
首筋にガッツリと牙を突き立てられ、僅かに痛みが走る。
わざとやってるようには見えないし寝ぼけているのだろうが…もしくは夢だとでも思ってるのかユラはそのまま私の血を吸い上げ始めた。
それによって何故か痛みが和らぎ、それとは別に良くない感覚…認めたくは無いが快感というものだろう…を強制的に流し込まれて変な声が出た。
フィリアが慌てて引き剥がそうとするが、元々怪力のユラ。
中々離れず、結局私がユラの頭に強めのチョップを叩き込んでようやく意識がハッキリしたのかユラが自分から離れた。
「はぁ…はぁ…もうお嫁に行けない…」
「心配しなくても貰い手なんて居ないわよ」
「うっわ一番グサって来たかも。責任取って」
「ごめんなさい…取るね」
「ユラに言ってないよ!」
というのが今朝の茶番。
その後しっかりシーディアスにも怒られながらも私から吸い取った血の味が残ってるのかその日はずっとユラは上機嫌だった。
ちなみにユラに血を座れている時に結構大きめの声を出してしまったからか、近くの部屋で寝ていたリオがその日私達を見る度顔を赤くし、ここぞとばかりに私達がからかったのは別のお話。
そして、それから二週間程が経って…
私達は厄害との戦いに横槍を入れてくる可能性が高いという、”黒い獣”の一種────ブロウロが根城にしているという海のど真ん中の孤島に向かっていた。
少し時は流れて純黒の島へ────
 




