第二百五十九話 日を求むれど
乱舞、残光。
星空のような空間でぶつかり合う赤い光と黒い光。
ユラは自らの血で作った槍で、ノイエンは長く鋭く伸ばした両の手十指分の爪で、衝突を起こす度に火花が散る。
交戦開始からそれなりに時間が経ち、されど両者息を切らすことなく互いに互いを上回ろうと速度を上げ続けていた。
しかし、実力という大前提においては間違いなくノイエンに分があった。
戦いの均衡が現在まで保たれているのは、一重にシーディアスによる絶え間ない支援があるからこそだった。
(…さっきから、丁度良いタイミングで義弟君が邪魔を入れてくる。指向性の魔法じゃなく、本人が受け入れる限りは必中の直接支援の魔法だ。あれのせいで中々こちらも有効打を入れられない。ならば後衛を狙うのが定石───)
「───させませんわ!」
「む…」
ユラとの間にある実力差を埋めてくるシーディアスというサポーターをまずは落とそうとユラを弾き飛ばした隙に考え手の中に血の渦を作ったノイエンだったが、瞬時に食らいついて来たユラによって防御に回らざるを得なくなり、形状を保てなくなり血の渦が崩れる。
確かに、最初はシーディアスの支援があってもノイエンが押していた。
しかし、戦闘が長引く程にユラの直感は研ぎ澄まされ、瞬発力が増し、身体の扱いが上達していく。
末恐ろしいまでの成長速度、これを相手していたのがプリムやウィリアムならばユラ単体だけでも完全に追い越され、そして突き放されるだろう。
「だけれど、僕と君の間にはまだ開きがあるようだ」
「ぐぅっ!?ぐ…いい加減うざったいですわ!」
ノイエンの首をユラの槍の穂先が抉る。
そこまで深いわけではないが、頸動脈がバッサリと切られ、人間ならば出血多量で死に至る程度の裂傷。
しかし、ノイエンは切られた傷から勢いよく血を吹き出させると、それをユラの槍を持つ手に這わせるようにして操り、まとわりつかせようとする。
対してユラは全身から勢い良く魔力を放出することによってそれを無理矢理引き剥がすが、既に同じようなことをされて三度目、一度引き剥がすだけでもかなりの魔力を消耗するため、ユラの余力はあまり残されていない。
その上、
────カチッ、カチッ
(…まただ。またあの音。恐らくアイツが腕から下げてる懐中時計。あれが何かしらの魔道具である事は間違いない…けど、その正体が分からない)
激しい戦闘音に時計の針が動く音が紛れ込む。
最初にノイエンがその音の元と思われる懐中時計を取り出した時からそれについて考察し観察を続けていたシーディアスだが、中々その特性にアタリを付けることが出来ず、時折起こる違和感によって翻弄されていた。
次もまた、
「───っ!」
「折角の機会なんだ。まだまだ終わらせるには惜しい。だから直ぐには倒れないでくれ」
「やばっ…シーディアス!」
「分かってる!『魔力風』!『術式補強』!」
「それで足りるのかい?『鮮血の輝き』」
シーディアスでも気を抜けば見逃してしまいそうなユラとノイエンの高速戦闘の最中、突如として違和感が生じ、気が付けばノイエンがユラの背後を取った。
その手の中には先程中断させられていた血の渦があり、それは先程のような溜めの間もなく既に暴発寸前といった様子なのが見て取れる。
至近距離からそれを受けるのはマズイと判断したユラは咄嗟にシーディアスに助けを求め、言われるまでもなくほぼ同時に支援の準備をしていたシーディアスによって緩衝材となる魔力の風が挟み込まれる。
次の瞬間────血の渦から四方八方に向けて無数の高圧の血がレーザーのように無差別に放たれ、旋回しながら周囲の存在を切り刻もうとする。
今はこの空間の中に閉じ込めているから良いが、もしここが市街地ならばあの攻撃だけで街が壊滅しただろう攻撃範囲と威力。
ノイエン自身はどうやら身体を分解し無数の蝙蝠に変身し、自分自身で放ったそれを上手く回避したようだった。
しかし至近距離にいたユラ、そして攻撃範囲に巻き込まれたシーディアスは…
「う、うぅ…」
「姉、さん…しっかり!」
『魔力風』の守りにより威力が減衰されたお陰で致命傷は負っていないが、それでも身体中に大きな切り傷を作っており、シーディアスは距離があった為…また、あの高圧の血のレーザーが距離が離れるほど切断力が下がっていたお陰でユラよりも軽傷で済んでいる。
ともあれ、二人とも少なくは無いダメージを負ったことにより出来た隙は、ノイエンが蝙蝠から元の姿に戻るまでの隙を晒してなお更なる行動を行えるほどに大きなものだった。
ノイエンの全身を覆うようにどこからともなく血が溢れ、翼や頭までを飲み込んだ。
やがて血は大きな球体を作ったかと思えば、底面部から糸を引くように血が滴り落ち、球体の中からノイエンが姿を現す。
全身に血を纏う事で体積をかさ増ししてるのか、体格は元の倍近くにまで増大し、全身、翼にかけてまでがおぞましい真っ赤に染まり、魔界の怪物のような仰々しい双角と鱗状の模様が目立つ長い尾を持つ異形。
目にあたる部分に光る真っ赤な灯火が、執着を顕にユラを見やった。
「『貪食飢餓獣』…私はこれから、本気で君を獲りに行く」
「…上っ等、ですのよ!そんな亡者のような姿になって…ならば私が手ずからあなたを奈落に葬って差し上げますわ!」
「さっきも言ったみたいに、それも本望…けどまだ終わる気は無いんだ…邪魔だよ。さっきから君は場違いなんだ」
「うるっさい…姉さんの事情は元より、何より家がかかってるんだ。父さんと母さんは優しいから…君に姉さんが連れてかれたらどう利用されるか分からない」
「あんたこの期に及んでまだ私の優先度が一番になりませんの?」
呑気に、尊大に会話をするノイエンの背中にシーディアスが放った純魔力のエネルギー波が直撃するが、まるで聞いていないかのようにノイエンは淡々とシーディアスを咎めた。
状況は間違いなくユラとシーディアスが不利、戦闘を続ければ間違いなく敗北し、シーディアスは殺され、ユラは望ましくない扱いを受けるのは間違いない。
そんな絶望的な中でも普段のノリは続けていたが、それでも互いにそれが強がりだということを自覚していた。
(…こいつを倒す為に必要な要素は三つ。一つ目はあの魔道具の解析、あわよくば無力化。二つ目はあの姿へのダメージの与え方の看破。そして三つ目がミシェルさんとフィリアさんとの合流。一つ目は解析はともかく無力化自体は可能にする目星が着いた。二つ目は色々試していくしかない。三つ目に関しては…早く来て欲しいけど、あの人達の性格からしてギリギリまで焦らされるかもなぁ。それにもうあっちが片付いてるっていう保証もないか…)
ノイエンを打倒する為に頭を回し、策を思案し、状況を理解するシーディアスは短杖をぐるりと回すように動かすと自身とユラにとある魔法をかける。
これは保険であり、ノイエンの虚を突く為の布石でもある。
「…踏ん張りなさいよシーディアス」
「直ぐに落とされたら承知しないよユラ姉さん」
「…行くよ。君を傷物にすることをどうか許してくれ」
ノイエンは血を纏わせた事で巨大化した翼をはためかせると、勢い良く滑空しユラに飛び込む。
ユラも迎え撃とうとバットのように槍を振るが───刀剣のように巨大化した右腕の爪によって簡単に砕かれ、左腕の爪が首筋を掠める。
出血を気にする間もなくノイエンは追撃しようとするが、ユラも負けじとノイエンの懐に入り込むと鳩尾に向かって全力で拳を叩き込む。
「───っ!?何この…!」
「効かないよ」
「うぐぁっ…!ぐぅぅぅぅ!!」
「…うん、効かない」
全力の拳は確かにノイエンの鳩尾に当たる部分を捉えた。
しかし、まるで泥を詰め込んだ袋を叩いたかのような手応えのない感触に呆気に囚われた隙を突いてノイエンの肘がユラの顔面を打ち据え、即座のユラのカウンターを顔面に受けても、先程と同等の感触でまるでダメージを与えられたとは思えない。
「姉さん退いて!」
「っ!」
「逃がさ…」
「もうっ!いい加減セクハラで訴えますわよ!『血槽茫漠』」
「…!魔法!?」
「私が力ばかりの馬鹿な女だとでも思いましたか!ざまあみなさい!」
シーディアスの掛け声により一度退却しようとしたユラだったが、逃がすまいと血に覆われたノイエンの腕が物理的に伸びてそれを捕らえようとする。
しかし、それへの対処はユラが放った血の球体、それが爆裂し流れ出た滝のような血液によって妨げられた。
ここまで武器や肉弾戦をメインにしていたユラがここぞと使ったのは、本来得意としない中でも何とか覚えたある意味ユラの切り札とも言える技。
ノイエンの全身を覆う血液を遥かに上回る質量がさらに上から覆いかぶさり包み込む。
血は球状に渦を巻き、その中に紛れ込むのは凝血し硬化した血の刃。
捕らえた相手を内部で切り刻む絶死の殺意。
「良いよ姉さん!そのまま離れて!『根源爆発』!」
そこへ畳み掛けるシーディアスの魔法、放物線を描いて放たれた純粋な魔力の結晶。
それはシーディアスの狙いの下手さによりノイエンを捕らえる血の渦とは大分ズレた方向へ飛んでいくが…
「本っ当にあんたは…!いい加減その下手くそ魔法を何とかしなさい!」
ユラが腕で受け止めると、血の渦に向かって投げつけるという力業で軌道を変更した。
勿論シーディアスもそのつもりで結晶の強度を調整したからこそ為せる荒業だが…その威力は本物。
血の渦に飛び込んだ結晶は極大の爆発を起こし、出来るだけ距離を取ろうと離れたユラとシーディアスも衝撃波に巻き込んで広範囲を焼き尽くす。
風圧に煽られてかなり吹き飛ばされたユラとシーディアスが体勢を立て直し爆発の中心部を確認すると───
「…やってくれたね。でも、それで終わりだったのかい?」
纏っていた血の殆どが剥がれていたが、それでも血が薄くなった箇所から覗く本体は無傷のノイエンが静かに漂っていた。
「「…」」
「いやー、危なかったよ。でも、本当に今ので倒したかったのなら全魔力を注ぎ込んでやるべきだったね。まあそれでも今の義弟君の魔力で私を倒し切れたとは思えないけど」
「ふ、ふふっ…」
「…?何の笑いだったのかな、今のは。諦め?自嘲?」
「…蔑みだよ。君へのね」
「…!?それは…!?」
ノイエンからの質問に不敵に笑ったシーディアスは、ユラから投げ渡されたそれを勝ち誇った笑みで見せつけるように腕から下げた。
そう───ノイエンがずっと使っていたあの懐中時計を。
回歴、反撃の刻───
 




