第二百五十八話 極夜の羽
「…う〜ん、まさかそっちからアプローチしてくれるとは、嬉しいじゃないか。しかし君が…君達が直接乗り込んで来てたとはね。お友達は外かな?」
「この期に及んでまだ私と会話しようなんて思えるその呑気な脳味噌が哀れで仕方ないですわ。ねぇ?ドラ息子」
「姉さんがいきなり真面目に…どんだけ嫌だったのさ」
「ミシェル様とフィリア様に頼まれなければわざわざ貴方の視界に入ることすら嫌でしたのよ」
「酷いなぁ、私は君に何か嫌われるような事をした覚えはないのだけれどね」
「下卑た視線、しつこい手紙、人の迷惑を考えずに会いに来ようとする気色の悪い執着、人に嫌われるようなことしかしていませんわ。私が貴方の脳内でどのような扱いを受けているか考えるだけでゾッとしますの」
「そこまで行くと君の被害妄想のような気もするのだけど…」
まるで星空の中にいるような前後左右上下に空が広がる空間で、言葉の応酬を交わすのはノイエンとユラ。
そして少し離れてシーディアス。
ノイエンからは好意の籠った、そしてユラからは嫌悪と軽蔑が籠ったやり取りは、傍から見ているシーディアスにとっては居心地の悪いものだったが、長きに渡る確執やらよく苦しめられていると聞くゴルベッドの住民達の為やらで、気乗りはしないが姉と共に目の前の吸血鬼に立ち向かっている。
さてそんな渦中のユラだが、普段なら直視するのも嫌がり存在に気付けば直ぐに離れて身を隠す所だが、この男を打倒するという大義名分と愛する天使と悪魔の頼みにより闘志を滾らせ得物である槍を構え、その切っ先をノイエンに向ける。
口調からもわかる通り、今は遊び無しの本気モードだ。
そんな遠慮も容赦もない殺意を受けるノイエンと言えば、飄々した態度は崩さず静かにコートの内ポケットをまさぐると、チェーンで下げられた懐中時計を見せつけるように取り出した。
「…それは?」
「君の質問なら喜んで応えたい所だけど、今はそういう訳には行かなくてね。悪いけど後で聞かせてあげるよ」
──────カチッ
「っ!『魔力風』」
時計の針が動いたような、そんな音が空間に響く。
わざわざ取り出した懐中時計、まず間違いなく魔道具の類だと当たりをつけたシーディアスが最初に動き、自身とユラに対してエネルギー的な干渉を弱め魔力の消耗を緩和する支援を行う。
それを受けてユラもその意図を察し油断なく構え、ノイエンの一挙一動に注意を凝らす。
僅かな動きでも取ればその瞬間にその行動を潰しに行くつもりだった。
「…良いね、ここまで君に全力で意識して貰えると言うのは」
「…自惚れないでくださいまし。そんなに私に意識されたいならおくたばりになったらいかがです?葬式ぐらいは開いて上げますわ」
「君に死を看取って貰えるのなら本望だけど、私としてはもっと君との時間を過ごしたいかなと。だから…私も本気で応えよう」
ノイエンが懐中時計を振り子のように振ると、その度にカチッ、カチッと音が響く。
その音に嫌な予感を覚えたシーディアスは短杖を振り衝撃波を放つが、ノイエンは懐中時計を持っていない方の手を前に出し、簡単にそれを弾いた。
防がれた事への同様はなく、しかし何処かに感じる違和感にどうしようもなく背中に冷や汗が流れるのを感じたシーディアスは、しかし判断に迷い、ユラがノイエンに飛びかかる事への静止が間に合わなかった。
吸血鬼の身体能力の高さを存分に活かした突進は他の種族ならば反応することすら難しい凶悪なものだが、相手もまた同じ吸血鬼、その上より長い時を生きて年季でも上回っている相手である事を忘れてはいけない。
「くっ…!?はな、しなさい…!」
「熱烈だね、私は今凄く感動しているよ」
「このっ!」
「うわっ…ととっ、痛いじゃないか」
ノイエンの心臓を狙った槍の一撃、しかし気が付けばいつの間にか槍はユラの手を離れ、ユラはノイエンによって抱きしめられていた。
腰を撫でる手の感触に悪寒が走ったユラはなりふり構わずノイエンに頭突きを行い、怯み腕が緩んだところで飛び退いて距離を取る。
一連の動きを離れた場所から俯瞰していたシーディアスは引っかかりを覚え、ノイエンを注視する。
その違和感の正体はイマイチ掴めないが、何かがあるとすればそれはきっとあの懐中時計に違いない。
「姉さん!一旦こっちに引いて、下手に突っ込んだらまたセクハラされるよ」
「肝に銘じますわ…あ〜、直ぐにミシェル様とフィリア様に抱き締めてもらって身体を洗って貰ってそのまま抱き枕にされてお二方の間に挟まりたいですわ」
「真面目な時でも気持ち悪い事は言うんだね」
「失礼な。しかし、流石は兄弟ですのね。ミシェル様もウィリアムから似たような事をされたと愚痴を零してましたわ。一家揃ってどうしようも無い性犯罪者の集まりとは、救えないですわね」
「…そっか。やっぱりウィリアム…後はケランもかな?連絡が来なくなったのは君達の仕業なんだ。ああ、別に怒ってないよ?私としては君の事に比べれば些細な事だから」
「っ!」
「…」
何の気なしに言うノイエンの言葉に、ユラとシーディアスは分かりやすく怒りを剥き出しにする。
確かにノイエンという男は愛想は良いが、その本性は自身の欲望以外には無関心で、例えそれが血を分けた家族であろうと興味の対象がそこに存在しなければどうでもいいと流す。
そうであろうとは感じてはいたが、こうして直接口に出されれば”絆の天秤”の子としては黙っていられない。
強い絆と繋がりによって結ばれた一家、頻繁に喧嘩し不夜城を壊すほどにいがみ合うユラとシーディアスでさえお互いの関心がない訳でもなし、互いに一喜一憂することがあればそれを気にかける程度の情はある。
故に、血の繋がりという最も分かりやすく普遍的な絆を何とも思わず、それを絆とすら捉えないこの男が許せない。
シーディアスは短杖を振るい破壊力の高い魔法を繰り出す。
ユラは同じヘマはすまいと一層を警戒を強めた上で、手首を牙で裂き、流れ出る血で作った槍を構えてシーディアスが作る隙に差し込むようにヒットアンドアウェイを繰り返す。
しかし、
「狙いが粗いよ義弟君。それに、君も動きに無駄が多い。飛行もだ。この空間の中じゃなかったら何度地面やその辺の木や家屋に衝突するかも分からない」
「うるっさいですわ!」
「君になんか言われなくても散々擦られたよ!」
今でも指向性を持たせる魔法の狙いが不得意なシーディアス、速度を出せてもそれの制御が上手くいかず大回りな旋回をしてしまったり小手先の小技が出来ず簡単にノイエンにいなされる。
ユラもシーディアスも当然弱くは無いし、天秤の子として産まれた以上少なからずその才能や恩恵を受けている分他の同族よりも魔力や肉体能力は上回っていることが多い。
それでもやはり経験の差というものは覆しようがなく、ウィリアムやプリムと同様、同格以上との戦闘経験は少なく、日常茶飯事の喧嘩で多少の戦闘勘はついても同じ相手としかしないので対応力という点で劣ることは言うまでもない。
対して、ノイエンも危機に瀕した回数で言えばユラとシーディアスとはどんぐりの背比べだが、それでも長い時を生きて培った老獪さと感覚は時の重みを二人に思い知らせるには十分なものだった。
「はっ、はっ…!」
「くっそ…『神秘霊撃』」
「鈍いし、君はいよいよどこに撃ってるんだい?」
戦闘開始から早数十分、のらりくらりと攻撃を捌くノイエンによりユラとシーディアスは魔力的にも体力的にも疲弊し、段々と攻め手のキレが無くなってきていた。
ノイエンが特に反撃をすることもしなかった為戦闘は長引いているが、ノイエンが本気だったならばとっくに制圧されていてもおかしくは無いだろう。
「…さて、そろそろおしまいかな…この結界?空間?君達のどっちかが展開してる訳じゃないの?魔力を消耗させれば維持できなくなると思ったのにそれとも外のお友達がやってるのかな?プリムがそっちを制圧出来なかったら…面倒だね。まあいいや。取り敢えず義弟君は別に消えても良いんだけど、君が助けを乞うなら見逃して上げてもいいよ。勿論下手なことは出来ないように生涯軟禁することになるけど」
「ふ、ふん!既に勝った気になっているとは片腹痛いですわ!」
「そんな事言って大丈夫かな〜?私が油断してあげてる内に奇策でもなんでもしないとこのまま君は私に嫁入りすることになるんだけど」
「それでしたら死んだ方がマシですわね。貴方如きにこの私の命を使い潰すのは何とも勿体ない事ですが」
「それは同感だね。そんな事で死なれたら勿体ない。そう言うんだったら仕方ないけど、自決も抵抗も出来ないくらい君を拘束する必要があるね…私に想い人を束縛するような趣味は無いのだけど」
「あらあら、結局貴方もその程度の変態という事ですわ。それで私に釣り会おうなど身の程を弁えてくださいまし。私には既にこの身を捧げると決めた方がいるので」
「…ふーん?」
強気に言い返すユラに、ノイエンは冷たく笑う。
その底知れぬ圧に一瞬及び腰になるユラだったが、この場を任されたのはその最愛の者達からの信頼。
故にその信頼応えるためにユラもまた二人を信頼し、迷う思考を振り払って前のめりにノイエンへと向き合う。
そんな様にノイエンは冷たい笑みを一度崩すと、愛おしいものを見るような温和な笑みに戻り赤く染めた頬に手を当てる。
「あぁ、やっぱり君は良いね。あの時見た私の直感は間違ってなかったよ。やっぱり君こそが、私の運命の…」
「気色悪いこと言わないで。私は私の道を、私は私の恋路を。私は私の夜を行かせて頂きます。誰であろうと、それを拒むというのならば…正義の天秤クレイルの子、ユラ・ノクスの名において、打破しますわ!」
「良い、良いね。そうこなくっちゃ。労せず手に入れる血を美味しいとは思えないように、簡単に欲しいものが手に入ることほどつまらないものはない。どうか全力で抵抗して、どうか私に君を捩じ伏せる悦びを噛み締めさせてくれ」
ユラの燦然と煌めく月夜の如き美しい魔力が、ノイエンの欲望のままに全てを飲み込むような真っ黒な魔力が、空間内で衝突し押し合う。
今のうちにと離れた場所からユラに支援の魔法によって補助を施しているシーディアスはその様子を眺め姉の成長をよく感じとっていた。
(今の姉さんと喧嘩したら絶対圧勝される…やっぱり好きな物に対する執着って言うのかなぁ…そういうのあると壁を一枚越えられるものなのかな?)
「…ともあれ、僕は姉さんの弟だ。反りは合わなくても血を分けた姉弟…姉さんにはさっさと幸せになって落ち着いて僕のストレスにならないで欲しいものだよ『術式補強』」
「…感謝しますわ、シーディアス」
「やっぱりそれキモイからもうやめない?」
「覚えてらっしゃい」
「…君が大切にして慈しむ全てを振り切って、私が君を手に入れる。覚悟は良いかい?ユラちゃん」
「…そう呼んでいいのは、私の家族と心を許した相手だけですわ。貴方が私の家族になれるはずもありません!この場で葬って二度と月も陽の光も拝めなくしてやりますわ!」
偏愛と妄執の交錯───




