第二百五十七話 双星
「チッ、鬱陶しい…!」
ソエ・レーブルの上空で起こる衝突、昨晩に続き行われる騒乱に街の住民は戦々恐々としながら建物に篭もり騒動が収まるのを待っている。
そんな騒動の中心にいる三名は、二対一の構図でありながらも戦況は硬直状態にあった。
「やっぱりやりづらい…フィリア結界お願い出来ない〜?」
「”黒い獣”と違ってあんだけビュンビュン飛び回られるとそんな暇無いわよ。あんたがしっかり抑え込んでくれるんだったら不可能じゃないけどね」
「…どれぐらい?」
「最低一分死守ね。簡易のものじゃ直ぐに戦闘の余波で壊れるわ」
「う〜ん厳しい」
「あんたらっ…!調子乗ってんじゃ無いわよ!『流血術:腕』」
「あーもうまたあれか…」
話しながらも無詠唱で出来るような小技…フィリアの指パッチン爆発や低火力版『無遠慮な破光』で牽制しプリムに付け入る隙を与えないよう立ち回っていた私とフィリアだったが、いつまで経っても攻めきれない私達に痺れを切らしたのか今回戦闘が始まってから何度目かの大規模な魔法を行使した。
プリムの手首から皮膚を突き破って血が溢れ、それがプリムの腕に巻き付くように這い回る。
やがてプリムの腕全体を覆い尽くすと、巨大な血の腕の形をとってプリムの腕の動きに合わせて振りかぶられる。
あれの厄介な所は、一振りするだけで血の腕が自壊し、同時に大量の血の雫が弾丸のように降り注ぐところ。
そして、その先にはソエ・レーブルの街があるところだ。
「『白夜の天蓋』!…まったく、街まで巻き込むような攻撃しないでよ」
「ハッ、アイツらは私達の物よ!それを私達がどう扱おうが勝手じゃない!」
「そんなに人を好き勝手したいなら大人しく奴隷制でも取り入れとくべきだったわね。社会構造に則った形で人を好きにしてるなら文句は言わないわよ、私達に危害が無いのならば、だけど」
「そんなの父さんに何度も言ってるわ!なのに、人間なんかに怯えてこそこそしてるのは本当に気に入らない!」
「へぇ〜、吸血鬼も確かに種族として強いけど、人間なんかって見下してると先は短いよ〜?」
「言ってなさい!羽虫風情が!『流血術:目』」
「!あれはまずそうね…」
苛立ち混じりに鍵言を唱えるプリム、その瞳から涙のような血が流れ、顔から滝のように流れ落ちた血が空中に留まり、二つの大きな目を形作る。
血の目は意志を持っているかのように独りでに瞳孔を動かすと、その視線が私達に向く。
その瞳に睨まれた途端、私達の動きがピタッと止まった。
「…あ〜、そういう感じ?」
「呪いの類かしら?血を媒介にするからこそ出来る簡易呪術ね」
「ハッ、もう終わりよあんたら。こんな可愛くない魔法を私に使わせて…このまま嬲って私の玩具に加えてあげる!」
魔法による拘束が決まり、勝利を確信したのか気を緩めたプリムはスイーっとこちらに向かって飛んでくると片手に血で出来たナイフを持ち、もう片方の手で私の顔を掴んだ。
「どうしてやろうかしら。本当に見た目は良いから顔を傷付けるのは勿体ないわよねぇ…ああ、その翼を毟って新しい羽毛布団でも作ろうかしら。抵抗できないようにまずは翼を切り落としてから…」
「楽しそうにしてるところ悪いけどさぁ…」
「ん?何、負け惜しみでもふぎゃぁ!?」
完全に油断して独り言を始めたプリムに声をかけると、回し蹴りを顔面に向けて叩きつける。
叫びながら吹っ飛ぶプリムに反撃の暇を与える前に胴を選り抜き、角度を調整して再度吹き飛ばし血の瞳を巻き込んで崩壊させる。
それによりフィリアの方の拘束も解けたようで、自由の身になったフィリアが私の方にパタパタと飛んできた。
「あ〜あ〜、あんな奴に触られて…顔に血が着いちゃってるわよ」
「ん…ありがと」
「な…な、何で…動けて…」
「やっぱりろくに戦闘したことないの?千年近く生きてるんでしょ?マジで?」
「あぁ!?」
「まあこの世界だと天使と戦う機会なんて早々ないのかな?だったら覚えておきなよ。天使っていう種族の強みを、色々な加護の中に含まれる呪いへの耐性の高さとか、ね!『清浄な迅光』!」
「っ!」
フィリアに顔の血を拭われながらプリムに向かって無数の光球を差し向ける。
私の操作により逃げるプリムを追跡する光球だがあまり速度は出ず吸血鬼の飛行速度には流石に追いつけない。
だがやる事は以前と同じ、そもこの魔法は障害物、或いは置き罠に使うのがメインの魔法だ。
まあウィリアムとの戦いの時みたいに結界で覆ってないと範囲が広すぎてあまり効果的とは言えないが、ないよりはマシ。
光球の空中地雷により迂闊に私達に近付けなくなったプリムはギリギリと歯軋りをすると、腕に血を纏わせた。
先程のように血をばらまいて光球を破壊するつもりかと思ったが、何故かプリムは私達とは反対方向に血の巨腕を振るう。
「!?まさか…」
「ああもう、そういう事するわよね〜」
「さっきから街に気を遣って…そんなにあいつらを巻き込みたくないならせいぜい守りなさいよ!」
「フィリア!」
「『調律風』」
自壊した血の巨腕から飛び散った弾丸のような破壊力を持つ血の雨。
それらが街に落ちる前にフィリアが短杖を一振りして衝撃波のような魔力の風を起こし、血の雨を一掃する。
しかし私達がそっちに意識を向けていた隙に光球を避けて大きく迂回し、再び腕に血を纏いそれを振るって血の雨を浴びせようとしてくる。
「馬鹿の一つ覚えみたいに…『旋律風』」
「ぐっ、こんなの!」
「…なるほど?『不条理な極光』」
降り注ぐ血の雨に先程と同じようにフィリアが短杖を音楽の指揮者のように揺らすと、生じた衝撃波の様な魔力の風が血の雨を吹き飛ばす。
風はそのままプリムにまで届き華奢な身体は風に煽られるが、流石にその程度で墜落するほど間抜けでは無く直ぐに体勢を立て直していた。
一見先程のと同じ魔法に見えるが…鍵言の違いと私の権能によってフィリアの狙いを理解し、私も畳み掛けるように光の槍を投げ、空中で分裂したそれがプリムを追尾する。
「鬱陶しい、鬱陶しい、鬱陶しい!この私のっ…てを煩わせるなぁ!『流血術:翼』!」
「あら、また新しいのね」
ここまで戦闘においてコケにされたことが無かったのか、怒りを顕に叫ぶように声を上げながらの鍵言。
プリムの背中から血が吹き出し、吹き出た血がそのまま巨大な翼の形をとって空を覆い、プリムを追尾していた光の槍が翼に衝突しその全てが弾けてしまう。
ただ血で大きな翼を作っただけ、と侮れる訳も無くあの魔法で作り出したものは先程の瞳のように特殊な効力を持っていてもおかしくは無い。
故に油断なく構える私達だったが…
「あんたら、もういらない。さっさと死ね!」
「…!これは思ってたより…」
「厄介ね。面倒極まりないわ」
プリムがブオンと音を立てて巨大な血の翼をはためかせると、翼から霧のような血が発生し、それが私達より上空に陣取るプリムの高度からゆっくりと地上に降下してくる。
あの霧は明らかに触れたり吸ったりするのはまずそうで、空が落ちてくるかのような霧の量、それら全てを街に被害が出ないように防ぐのは簡単な事では無い。
「『旋律風』」
「『無遠慮な破光』」
「無駄よ!そんなの私には効かないんだからぁ!」
フィリアが放った衝撃波のような魔力の風も、私が投擲した激しい光の束も、巨大な血の翼を盾にしてプリム本体には届くこと無く弾かれる。
魔法に対しての強度が高いところを見ると結界術も織り込まれてる可能性があり、そんな魔法の掛け合わせを平然とやってのけるその才能はかなりのものだろう。
今が昼間だから良いものの、夜に戦っていれば、或いはもっとプリムが同格近くとの戦闘経験を積んで入れば状況はかなり変わっていただろう。
真っ赤な霧はフィリアの魔法でも押し返し切れず、街の空全体を覆うほどに拡散し、それらが一斉にゆっくりと街に向かって降下する。
空を見上げて戦闘の様子を窓から眺めていた住民達にとっては間違いなく絶望の光景で、いよいよあの吸血鬼達によって滅びを悟った者もいるかもしれない。
「…フィリア、まだ?」
「もうちょっと調律する。霧の対処をお願い」
「りょーかい、急いでね。よっこい、せ!」
配置していたままだった光球を操作し降下を続ける霧の下まで動かすと、それらを一斉に弾けさせて衝撃によって僅かに霧を押し上げる。
だが勿論ほんの僅かな時間稼ぎにしかならず、直ぐに霧は降下を再開して街を飲み込もうとする。
霧を止めるには本体を叩いて術式を中断させるしかないが、この距離から狙おうとしてもあの翼を盾にして防がれる。
戦況の形勢は間違いなく傾き、勝敗が決しようとしていた。
私達の、勝利に向けて。
「『調律風』、『旋律風』」
「だから、そんなことしたって無駄よ!この翼の守りは抜けないわ!」
「どうかしら、案外そうでもないかもしれないわよ?」
「はぁ!?」
霧を避けて降下しながら迎え撃っていた私達だったが、とうとう建造物の屋上程までの高さにまで下がってしまい、そのすぐ真上まで霧が降りてくる。
そこまで来て今度こそ勝利を確信し、しかし抜け目なく自身を血の翼で覆い隠していたプリムだったが、対しフィリアは一切の焦りもなく冷静に答える。
そして、最後に鍵言を唱えた。
「あんたなんかにせっかくの消耗品を使うのも癪だけど───『属性解放』」
「何を──────がはぁっ!!?」
フィリアが鞄から取り出した一つの巻物。
本来フィリアが習得していない魔法でも、詠唱込みの最も強力な状態で簡単に発動できる単純な魔道具、それから放たれた魔法の正体は『あらゆる魔法的な属性エネルギーの直接投射』
例えば熱、例えば冷気、例えば雷等、既存の魔法体系───この魔法の場合私達のいた世界の魔法体系───に分類される魔法に用いられる魔法の”属性”というものが、指定した対象に一気に流し込まれる回避不可能必中の魔法。
万全に使用するためにはあらゆる魔法に深い造詣を持っている必要があるためフィリアも習得を断念したものだが、フィリアですら賢者と称して尊敬するという大悪魔に特別に送ってもらったものだと記憶している。
しかしかなり強力な魔法ではあるが、使用する為には事前に対象とする相手に対して各種属性の魔法を与えて相手に属性エネルギーを蓄積させる必要がある。
その手間を解決するのが、先程から何度もフィリアが放っていた『調律風』と『旋律風』。
前者は与えた相手の魔法的な属性エネルギーに対する抵抗力を減衰させる副次効果を持ち、後者はその魔法そのものが微量ではあるが多様な魔法的な属性エネルギーを含んでいる。
それを直撃は防いでいたとはいえ何度も、交互に受け続けていたプリムは『属性解放』に巻き込まれ、一撃で強力なショックを受けたことによりその意識が刈り取られた。
プリムの意識が落ちた事で術式が保てなくなり血の翼は溶け落ち、地上に落ちようとしていた赤い霧は霧散して消滅する。
最後に墜落するプリムを回収し、適当な建物の屋上に降りた私達は疲れを癒す為に腰掛ける。
「あ〜…勿体ない…貴重な巻物が…」
「まあ街に被害出さないために仕方ないと思って…それに、まだもう一仕事やらないと、ね。ユラとシーディアス大丈夫かな?」
「出来るだけ仕込んだしアイツらも簡単には負けないでしょう。私達も少し休んだら直ぐに手伝いに行くわよ」
「は〜い」
調律奏でる魔力の共鳴───




