第二十七話 取り巻く未知
「…」
「…」
「あむ…うん、美味しい」
私達の正体を見抜いたと思ったら隣で魚の煮付けを食べ出す黒いマントにフードを被った少女。
特に何もするでもなく器用に箸で…この世界に箸の文化があったことに驚いたが、丁寧に感想を言いながら食べていく様は私達からすればかなり気まずい。
逆にこちらは箸とお酒が進まず、天樹を見て高揚していた気分が一気に冷めて中々の迷惑である。
「…どうしたの?出された料理に手を付けないのは作った人に失礼だよ?」
「あ、えー…うん、そうだね…」
「いや、何あんたも萎縮してんのよ。二人で楽しく食事してるところに割り込んで来るのも失礼だと思うわよ?」
「あはは!ごもっとも!まあ相席は酒場の嗜みだからね、そう怒らないでよ」
「むぅ…」
なんだかんだフィリアも二人での食事を楽しんでいてくれた事が分かったのはいいが、それにしてもこの少女は肝が座りすぎてないだろうか。
先程フィリアは正確にその少女だけに向けて殺気を放ったが、少女は涼しい顔で食事を続けている。
「おっと、それでどうなの?天使の翼って消せるものなの?」
「なんでそれをそんなに聞きたいの?」
「好奇心に決まってるじゃん。私まだまだ子供の領分だからね」
「子供は酒場になんて来ないでしょうが」
「成人はしてるからね」
「どっちよ!」
のらりくらりとしたつかみどころのない会話はこちらのペースを狂わせて来る。
私達と同じくらいの背丈はあるので子供と言い切るのは無理があるだろうが、好奇心が強いのは私達も同じなのでなんとも言えない。
一応少女も周囲に配慮してるのかここまでの会話は全て小声で行われてきているが、こっちが反応でつい大声を出してしまいそうになるので本来なら関わりたくはない、のだが…
「で、結局どうなの?」
「はぁ…天使の翼っていうのは魔力の作成器官や制御器官も兼ね備えていて、存在そのものがスピリチュアルなものなんだよ。だから実は決まった実体は無くて、魔力に還元して体内に格納することもできるんだ。ちなみにこの理由で上位の天使は翼が多かったりするんだよ」
「へぇ…そうなんだ。でもこの世界の天使と差ってあるのかな?そこのところどう思う?」
「…君、本当に何者?」
この少女は私達がこの世界の天界で生まれてないということまで見抜いたのか。
フィリアは露骨に警戒心を露にして、魔力を高めて威嚇しているが、やはり少女はまるで動じない。
「ふふーん、だって雰囲気が明らかに違うじゃん。この世界のものじゃないっていうか、なんというか」
「それでも初見で別の世界なんて発送はでないと思うのだけれど、そこのところあなたはどう思うかしら?」
「うん?被せてくるとは上手いねぇ。"黒い獣"と戦う以外にもいい職見つけられるんじゃない?」
「…ここまで新聞出回ってるの?」
「この国の国営機関は優秀みたいだからねー。件の出来事から次の日には国中に新聞が回ってるみたいだよ?」
何の嫌がらせだと内心セレナ達に毒を吐くが、問題は目の前の少女だ。
流石に不信なので権能で見ようとしてみたのだが…なぜかこの少女の周囲の空間が歪んでいるかのように靄がかかり、心の表層すら読み取ることができない。
まるで、世界がその少女を守っているかのようなその不自然な靄を怪訝に思っていると、酒場の扉が開きベルの音が鳴った。
それを期に酒場の他の客がざわざわとし始めた。
酒場に入ってきたのは、白いロングコートのような服装の狼の耳を持つ茶髪の獣人の青年と、同じく白いロングコートで、襟で顔の下半分を隠し、シルクハットのような帽子を被る子供のように小柄な人物。
その二人は何かを探すように酒場の中をキョロキョロと見回しだした。
「あれは…まさか『教団』の連中か?」
「えっと、マスターはあの人達のことを知ってるの?」
「ん?知らないのかい?あのコートは教団っていう慈善団体の制服なんだが、連中は神教国とかに差別され迫害されている人外種とかを保護してるんだが…鉢合わせた神教国の軍隊も容易く壊滅させちまう程に恐ろしい強さを持っているらしいんだ。以前はそれで神教国の"聖騎士"が倒されて皇国も助かったって話があったな」
「へぇ…」
酒場のマスターは物知りというのはこの世界でもあるあるなのか、思いがけずまた一つこの世界の知識が得られた。
それは良いとして、辺りを見回していた二人は不意にこちらの方に視線を向けた。
するとなぜか眉をひそめ、ゆったりと向かってきた。
「え?何?」
「ちょっ、ミシェル。あんた何やったのよ?」
「なんで私がやらかしたこと前提なの!?」
「面倒事に巻き込まれるときはだいたいあんたのせいでしょうが!」
親友にトラブルメーカー扱いされるのは心がきゅっとなるが、そんななか教団のものらしい二人組はこちらに歩を進める。
最近やたら色んな人に絡まれるせいで反射的にまた身構えてしまう。
こちらに歩いてきた二人は───未だに食事を続けている黒衣の少女を睨んだ。
「なんで君がこんなところにいるのさ?」
「うん…ん?君達は確かティアのところの…奇遇だね」
「奇遇…ね。随分上手いこと鉢合わせたじゃないか。僕達も面倒事は避けたいんだけど、あまり仕事の邪魔はしないでくれないかな?」
「邪魔?私はたまたま立ち寄った酒場で一人食事を楽しんでいていただけだけど?」
「一人か、そうか。たまたま僕達が探していた相手と相席するとは、妙な因果が巡ってるみたいだね」
「いや、結局私達巻き込まれてるじゃない!」
途中まで関係ないと思って聞いていたが、獣人の青年の発言から私達も無関係ではないと知ってフィリアがばん!とカウンターを叩いて大声をあげる。
突然のそれに驚いて言い合っていた両者がビクッとして周囲の野次馬も全員がこちらを見たが、フィリアは強気に立ち上がって少女と獣人の青年に向き直る。
「私達はねぇ、ただ食事を楽しんでいていただけなのよ。それなのに急に割り込んでくるあんたも、隣で言い争って内容的に明らかに私達を巻き込んでるあんたも、常識がないんじゃないの?」
「「あ、ごめんなさい…」」
鬼気とした有無を言わせない気迫によって二人はつい謝ってしまっていた。
ここまで一言も発していない子供のような人物はほとんど隠れている顔の中で見える目は面白がっているようだったが。
「言い合うなら他所でやりなさいよ、他所で!」
「…はぁ、随分強かなことで。いいよ、私は。元からそこまでちょっかい出すつもりじゃなかったし。それにしても…君達、中々数奇な運命に導かれてるね。せいぜい望むままに生きられることを願うといいよ」
「それは、どういう…」
意味深な言葉を残した少女は、さっさと残った料理を食べると足早に酒場を出ていった。
残された私達と教団という団体所属らしい二人組との間に気まずい空気が流れる。
とりあえず場所を移して人の少ない酒場の墨に移動すると、二人組が軽く頭を下げた。
「なんというか、邪魔して悪かったね」
「謝ったのなら別にいいわよ」
「それは良いけど、私達を探していたとかみたいなこと言ってたけど、どういうこと?」
「う~ん…」
正直私が一番気になったのはそっちだ。
見たところこの二人も私達の正体を見破っている。
まだまだ未知の多いこの世界で、こういった情報収集を怠ると必ず墓穴を掘ってしまう。
だからこそ相手も話せる相手のようなので、聞けることはできるだけ聞かなければならない。
獣人の青年は悩むように顎に手を当て、頭の狼の耳をぴこぴこと動かすと、ため息を吐いた。
「本当はこっそり接触する予定だったんだけど、まあいいか。とはいっても深い理由はないよ?"黒い獣"が倒されたって聞いたからそれがどんな人物なのか、悪意を持っているものなのか、善意が強いものなのか。そういった均衡や調和を管理するのも僕らの仕事の一つだからね。簡単に言えば害のある存在か否か観察しに来たってところだね」
「なるほど…」
「いい加減平穏が恋しいわね…」
確かに良くも悪くも私達はこの短期間で目立ちすぎているので、調査に来たと言われれば納得するしかない。
この世界で五万年も討伐されて来なかった"黒い獣"を数日の間に二体も倒したと知れ渡れば目を付けられるのも当然と言える。
「じゃあ、どうやって私達のことを見抜いたの?」
「それは簡単だよ。ちょっと知り合いに天使と悪魔がいてね。それと雰囲気…少し違う感じもするけど、それが似てたからね。一目で分かったよ」
「この世界の天使と悪魔とは、初めて聞いたわね…」
「というか、そっちの子は喋らないの?」
今の今まで無口を貫いてきた子供のような人物に視線を投げ掛けると、その子は獣人の背に隠れるように逃げた。
「っと、ごめんね。この子は"ルイン"、それと僕はアラン。教団の者だよ。あと、さっき君達が絡まれていた少女は…いや、これは言う必要はないか」
「ちょっと、そこで区切らないでよ。気になるじゃん」
「残念だけど彼女の存在を下手に晒すのは暗黙の了解として禁止されているんだ。これについては君達が気にする必要はないよ」
「…あなた達は、一体何を知っているの?」
「…僕達が知ってることはそんなにはないよ。ただそういったことに詳しい人が身近にいるだけ」
「面倒臭い世界だねぇ。無駄に危険が多いし、色々と不安定だし」
「ははは、否定はしないよ。ここ最近"黒い獣"達が活発に動いているようだしね。まるで、つい最近起きた何かしらの変化に呼応するように、ね」
「それって…」
「おっと、だからこれは君達が気にする話じゃないよ?少なくとも僕達から見た君達は正しい。さっきの少女もやってること自体は正しいし、僕達も正しいつもりだ。本来なら僕達は協力できる立場にある。もしその和が乱れるとしたらそれは…まぁいいさ。僕達はこの辺で失礼させてもらうよ」
獣人の青年…アランと子供のような人物…ルインは酒場のマスターに頭を下げて店内で揉めたことを謝って酒場を出ていこうとする。
しかし、アランは酒場を出る直前に思い出したように立ち止まると、こちらに振り向いた。
「それと一つ…この世界で生きていくアドバイスをしてあげるよ。
一つ『命を悪戯にするなかれ』
二つ『繋がりを乱すことなかれ』
三つ『知識を粗末に扱うことなかれ』
四つ『力を我が儘に振り撒くことなかれ』
五つ『この地を領域を、盤を崩すことなかれ』
六つ『理即ち法、調停を破ることなかれ』
七つ『均衡を傾けることなかれ』
…そして八つ『正義に背くことなかれ』
これは天秤の掟だ。これを破ると調停者達からの裁きを受けることになる。ここは面倒臭い世界だからね。長生きしたいのなら、倫理と感情を上手く切り替えながら生きなよ。じゃあね」
指を折りながらその八つのことを数えたアランは今度こそ酒場を出ていった。
不穏な空気だけが残された私達には、もはや最初のテンションで酒場に居座ることはできず、おずおずと支払いを済ませ外に出る。
あまり間は無かった筈だが、もうアランとルインの姿は見えなくなっていた。
軽く探っても気配すら感じられないことから、既に町を出たのかもしれない。
「はぁ…これはあれよ。絶対私達の知らないところで何かしらに巻き込まれてるわよ」
「ただ観光気分で天樹を見に来ただけなのに、なんでこうなるかなー」
「流石トラブルメーカーの面目躍如ね」
「そんな面目いらないよ…二人で楽しく食事するだけのつもりだったのに…」
「ご飯くらいいつでも付き合うわよ。どうせいつまでも一緒にいるんだし」
「そうだね…って、え?今何て…」
「も、もういいからさっさと宿を探すわよ!」
「あっ、ちょっと…」
さっさと進んでいくフィリアを慌てて追いかける。
いつの間にか日が落ち始め夕焼けに赤く染まる空のせいか、それとも別の要因のせいか、顔を赤くするフィリアの横顔を見ていると、自然と頬が綻んでくる。
「ねぇ、フィリア」
「…何よ?」
「フィリアは、いつまでも私と一緒にいてくれる?」
「そうね…腐れ縁みたいなものだし、毒を食らわば皿までとも言うし、生きている限りは一緒にいるんじゃない?死んだ後は…気が向いたら天国でも地獄でも付いていくかもしれないし、もしかしたら新しい道を進むかもしれないし」
「そっか。私は、生きてても、死んでも、天国でも地獄でも…そして生まれ変わっても、フィリアに付きまとうつもりだよ?」
「それは…流石に疲れるわね…」
「それで、何度でも言うんだ。『君に退屈しない、刺激的な日常をあげる』って」
「…なら、私はその旅にこう言わなくちゃいけないのね。『あなたの理想が叶うまで、あなたを支え続けてあげる』って」
それは、私達が約束を交わしたいつかの草原でのやりとりだった。
あの時のことを思い出すと、今でも心が暖かくなる。
大切な思い出の一つ、天使と悪魔の少女が交わした二番目の約束。
私達はきっとこの世界をただ平穏に生きていくことはできないだろう。
必ず何かしらの事件に巻き込まれて、なんやかんやでそれを解決するために奔走して、色んな人と出会って、色んな困難に当たって、そして最後にはまたくだらない話で笑い合うのだろう。
それはそれは愉快で、辛くて、残酷で。
人生は喜劇と言うが、私達はどのような物語を辿るのだろうか?
喜劇で終わるのか、或いは…
「ねぇ、フィリア」
「だから何よ?」
「…ずっと一緒にいられると良いね」
「…そうね」
それでも、隣にこの子がいてくれるのならば、私はどんな物語でも受け入れるだろう。
フィリアが望まないと言うのなら、私はそれも受け入れる。
ただ、その後に自分が何をするのかは想像できないけれど。
「次はもっと、まったり旅がしたいね」
「…ほんとうにね」
二人は世界を揺蕩うか────
 




