第二十六話 港町酒場で…
あの後皇立美術館を栗色の髪の修道服の青年に案内され、所々説明などをしてくれたお陰で存外楽しむことができた。
彼に見送られお礼を言って美術館を出た私達は一旦宿に戻り、今後の事を改めて話すこととなった。
「リリエンタね…天樹ってのが気になるわね」
「フィリアが行きたいなら行くよ?」
「あんたはもう少し自我を持ちなさい、このバカたれ」
「なんたる言い様」
親友の容赦ない物言いに若干ショックを受けるが、三秒で忘れ去る。
都合の悪いことをいつまでも記憶しておくような脳の作りはしてないのだ。
「…絶対下らないこと考えてるわよね?」
「心でも読めるの?」
「考えてるのね?」
「それは置いといて…」
「おい」
「もう、私だってちゃんと自分を考えて行動してるよ。時と場合によっては他人を見捨てることもあるし」
「聞きたくなかった」
「ただなによりもフィリアを優先しているだけだから」
「それに問題が…あぁ、はいはい。あんたはなに言っても変わらないわよね」
諦めたようにため息を吐いて椅子の背にもたれ掛かり体を反らせるフィリア。
解せないと思いつつも自らもまたベッドに倒れ込んだ。
「明日からどうする~?」
「…行くわよ、リリエンタ」
「あはは、やっぱり行きたいんじゃん。でも一月後にリエナが作ってくれてる服ができるって行ってたから、そのくらいの期間で一回戻るよ?」
「別に良いわよ。なら今回は飛んでさっと行ってさっと帰るわよ」
「日帰り…とまではいかなくても、まあ一週間も滞在する予定ないしね」
「本音を言えば天樹に近づいてみたい気持ちもあるけど…」
「流石に危険っぽいからやめて欲しいな」
天樹のある孤島と港町リリエンタを隔てる海。
その海域は修道服の青年が言うには水明竜"ミクリ"とやらの縄張りらしく、海路も空路も危険らしい。
これは元の世界でもそうだったが、そもそも竜とは種族そのものがとんでもなく強い生き物だ。
圧倒的な魔力に強靭な肉体、無尽蔵の体力は厄介極まりなく、低位から中位までならともかく高位の竜となると元の世界の基準なら私達でも一筋縄ではいかない。
ミクリとやらがどれ程の存在かは知らないが、下手に関わる相手でもないだろう。
思えば超大型特級蛇も竜の近縁種だし、元々一般の天使兵だった頃やフィリアと一緒に戦争終結のために動き回った頃も竜によって苦汁を舐めさせられているため、正直竜に良い思い出がないというのが本音だ。
「というわけで、リリエンタの町に来たわけだけど」
「やっぱり飛んだら直ぐ着くわね。ここ最近ゆっくり移動してたから少し味気無い気もするし…」
「私はやっぱり空飛ぶのも好きだけどな~」
身支度を整えてひとっ飛びリリエンタまで数時間でやってきた私達。
一応町の入り口から離れた場所で降りてちゃんと町の入り口から入ってるので文句を言われることはないだろう。
港町といわれるだけあってリリエンタの町並みは爽やかで白や水色っぽい壁や屋根が使われた建物が多い。
なおかつ潮風が通りやすく湿気が籠らないように区画の構造が工夫されていて、建物の劣化を押さえている。
また海辺には多くの漁船が停まっていて、市場に海鮮物が多いことからいかにも港町といった感じだ。
「こういう所に来たからには美味しいもの食べたいよねー」
「それも良いけど、まずは例の展望台に行きましょう。天樹っていうを早く見てみたいのよね」
「でもここまで飛んでくる時にそんなの見えた?」
「この辺りは上空の方に霧がかかっているみたいだから、あまり高い位置を飛んでいると逆に見晴らしが悪くなっているみたいよ?」
「あぁ、言われてみれば」
確かに飛んでいるときに妙に視界が悪くなっていたので、一瞬空中ではぐれそうになっていた。
私の権能のお陰で直ぐに見つけられたが、これも常時使ってるわけではないので天樹を見られなかった訳だ。
町の臨海部には塔のような建物があり、それが例の展望台だろう。
あの高さなら上空の霧にも入らないし、しかし展望台もかなりの高さがあるのであそこからなら天樹を望めるというのは良く設計されている。
入場料もなく普通に入れた展望台の最上階に上がり、ガラス張りの壁から海の方向を見ると、それが遠目に発見できた。
「うわぁ…本当におっきい…」
「春暁祭の会場になる大草原の大樹もかなり大きかったけど…あれは明らかに比べ物にならないくらい大きいわね…」
その木、天樹は比喩でもなんでもなく文字通り天を突き、雲を抜けてなお、その頂が見えない。
地上からは地平や水平の問題もあって見えなかったが、遠くの水平線?と雲との間に少しだけ見える天樹は目測でも最低一万メートルは越えるだろう高さと数百、或いは千メートルあるかもしれない太い幹を持っていた。
葉すら比較にすると一枚だけで数メートルあるかもしれないと言えば、その大きさが伝わりやすいか。
天樹の周りには環をかけるように雲が渦巻いていて、それだけで十分神秘的と言えるだろう。
だが何よりも私達の目を引いたのは、その木が含む圧倒的なまでの魔力だ。
この町は妙に魔力に溢れていると思っていたが、それの発生源があの天樹なら、この距離まで豊富な魔力を届けるその魔力量は、ホロウェルやギルデローダーなどの"黒い獣"が持っていたそれをも遥かに上回る。
少なくとも私達が元いた世界にあそこまで魔力で溢れている存在など、それこそ神等しかありえなかったくらいだ。
「う~ん、こうしてみるとこの世界来て良かったなーって思うね」
「確かに脅威も多いけど、その分見たことも無いことがいくらでもあるから、研究欲を刺激されるのよね~」
「フィリアもこっちに来てから結構イキイキしてるよね」
「そう?元々こんな感じだと自分では思ってたけど…」
「ふふっ、私の"眼"は誤魔化せないよ?」
「はぁ、権能の無駄使いね。らしいっちゃらしいけど」
「心までは見てないよ?あくまで表層の感情を読み取っただけ。悪魔だけに」
「絶対言うと思ったしあんたは天使でしょうが」
軽く頭を小突かれるが、痛くも痒くもなく、逆に少し安心するような手付きはどちらかというと撫でられているようにも感じた。
そうしてる今も緩やかで楽しそうな雰囲気を出しているし、"慧眼"様々だ。
それから暫く遥か遠くの天樹を眺め、気付けば三十分近く話し込んでいた。
天樹をお目にかかるという一番の目的は達成したし、詳しい調査はまた後日するということで、私達は展望台を降りたのだった。
「で、なんで酒場なんか来たのよ」
「こういう町ではレストランとかに行くより居酒屋でお酒と一緒にお魚を食べるのが美味しいんじゃん」
「一応言っておくけど、一杯だけよ?あんたお酒弱いんだし」
「そんな殺生な!?」
「ホロウェルの時に酒気にやられて迷惑かけたのをもう忘れたのかこの鳥頭!」
「残念、翼はあるけど天使でした~」
「くっそムカつく!」
ミシェルが行きたいと言うので何故かやってきたリリエンタの一角にあるごく普通の酒場。
アルカディアでもお酒関連でやらかしたことがあるのだからいい加減学んで欲しいのだが、駄々をこねられると折れてしまう私も相当ミシェルに甘いと思う。
当然迷惑をかけないように飲む量は制限させてもらうが。
カウンター席に並んで座る私達は酒場のマスターにおすすめの料理を聞くと、この町特産の魚を使った尾頭付きを出してくれた。
出された魚は…見た感じ鯛のような、というか見た目は完全に鯛だが…
試しに一口食べてみると…
「鯛だ…」
「鯛だね…」
「…いや、別に良いのよ?そもそも魚なんて天界とか魔界では取れなくて現世から流れ着いたのがたまに手に入るくらいだし、これも凄い美味しいのよ?でも…なんか異世界風の特徴的なものを期待してた自分がいるのよね…」
「でも、世界が違うのに同じ品種がいるってなんでだろう?」
「あれよ、確かどこかの進化に関する理論で聞いたことがあるけど…生き物は進化を繰り返して姿を変えていくでしょ?その際に必要なものだけを残して不要なものを取り払っていくから、形体にもよるけど進化の行き着く先は種別毎にだいたい同じようなものになるのよね。たとえば、猿が人間になり、獣が獣人になり、魚が人魚や魚人に、精霊が…これはちょっと特殊だけど人間の子供に似た妖精になり、天使や悪魔も大きく区別すれば人型でしょ?こんな感じで生き物はより生きやすい形を取ろうとするから、その過程で姿が似るのもよくあることなのよ。だから、異世界でも普通に人間はいるし、この世界に鯛がいてもおかしくないのよ」
「う~ん…なんとなく分かるような…」
「…もっと分かりやすく言うなら、どこの国でも料理を食べるときに食べやすくするために同じような発明…ナイフとフォークを作る。こんな感じで国が違っても生活しやすくするために同じようなものを生み出す。これを世界と生物に置き換えたのがさっきの理論よ。極論、世界のどこにいっても草とか生えてるでしょ?そういうことよ」
「ああ、それならちょっと分かりやすいね」
何故私は酒場に来てまでこんな難しい理論を語っているのか…
少し虚しくなり聞いてきたミシェルを恨めしそうに睨むが、本人はどこ吹く風と美味しそうに鯛の尾頭付きを食べている。
幸せそうに食べる様子をみて思わず私も頬を緩めてしまったが、咳一つで誤魔化し、ミシェルがカップに麦酒を注いだのを確認して酒瓶を取り上げる。
抗議の視線を無視して鯛を食べると、元の世界でも食べたことのある高級魚の味が口に広がって微妙な感情が溢れてきた。
酔っていたら泣いていたかもしれない。
本来私達は何も食べなくても生きていけるが、それでもなんやかんや食事を楽しみ、お酒を楽しみ、二人の時間を楽しんでいた。
…そんな中、私達の横の席に黒いマントにフードを被る人物が座ったのを視界の端で捉えた。
「マスター、軽く食べれるものを適当に一つくださいな」
「あいよ、直ぐに作るからね」
まだ幼さの残ったような若く可愛げのあるその声、あとは割りと膨らんでいる胸とスタイルから、黒衣の人物は少女だと分かる。
若い女の子が酒場にくるというのもどうかと思うが、それを言ったら見た目だけなら私達も完全に十五、十六程度の少女にしか見えないので人のことは言えないが。
ちなみに私達は千年以上生きているが、人間の年齢に換算すると十代半ば程度であり、見た目の成長も個人差があるが、私達はどちらかというと遅い方である。
なお皇国では十五から成人なのでそれを知らない人から見ても私達もお酒を認められるし、マスターの対応と少女の高くはないが私達と同じくらいの背丈からそれくらいの年だと伺える。
「…君、天使って翼消せるものなの?」
「「っ!」」
突然の少女の小声の発言に私もミシェルもとっさに身構えた。
今ミシェルは翼を隠すのではなく、魔力に還元して体内に格納しているような状態で人間に擬態している(悪魔である自分は普通にマントで隠している)のだが、それを見破るのは簡単ではない。
それも最高位の天使であるミシェルの擬態だ。
その反応を面白く思ったのか、フードの陰から金髪と笑みを覗かせた少女は不気味な威圧感を放ちながらこちらを見据えた。
「まあまあ、ここは無礼講の場だからね。知らない相手でもゆっくり話ながら食事を楽しむのも乙なものだよ?」
無礼講、上はどちらか────
 




