第二百二十五話 雪月花
「あ…見て見て」
「ん…あら。ここ最近ずっと寒かったけど遂に雪まで…」
「前の冬季は何でも屋で仕事したり家でゴロゴロしたりであんまり楽しむ機会なかったけど、せっかくだしちょっと遊ぼうよ!」
「そんな子供みたいな…」
叡智の天秤との出会い、妖精の里での短い滞在、”黒い獣”との戦い。
色々な出来事が一気に起こった妖精の里を出てから二週間程、招待を受けた絆の天秤、吸血鬼クレイルさんの屋敷へ向けての旅を続けていた。
里にいた時は忙しくて連絡が取れなかったが、あの後遅れる旨を伝える手紙を届けてもらおうと色々試してみたところ、無事に”夜雲会”の鳥に回収されたようで、クレイルさんから返信を受け取っていた。
簡潔にまとめると、「好きに見回って来てくれていい。けどユラが会いたがってるから気が向いたら早足で来て欲しい」とのことだった。
「というわけでこの辺で二〜三ヶ月くらいキャンプしない?」
「何がという訳なのよ。何?行きたくないの?」
「いや〜、だってさ〜…言っても私まだユラのことちょっと苦手だからさ〜…フィリアだって襲われたのに何とも思ってないわけ?」
「何度も言うように別に大したことじゃないし気にしてないわよ。っていうか多少改善したかと思ったのにまだ根に持ってたの?大体過去に襲ったから〜って話をあんたがする?」
「ごめんなさい」
正論を突きつけられ速やかに土下座をすると、フィリアは肩を竦めて歩みを進める。
慌てて追いかけていると、強い風が吹いて、それに合わせて降雪の勢いも増した気がした。
「この調子だと明日には辺り一面銀世界ね。あんまり積もる前に進みたいけど…流石にそろそろ飛んだ方が良いかしら?」
「え〜?でもクレイルさんのところそろそろ近いし、一気に着いちゃうじゃん」
「何が悪いのよ」
「むぅ…もうちょっとだけ、積もるの待って少し遊んでこうよ!」
「あんたって奴は…じゃあいわよ、自分で降らせるから遊ぶなら今やってくわよ!」
「ええ!?それはちょっと違っ…」
「ちょっと仕様に手を加えて…『凍結世界』」
フィリアが雪の降る曇り空に手を向けると、手のひらから波打つような波動が広がり、気温がさらに下がった。
そして少し経つと雪の勢いが急激に激しくなり、視界もほとんど覆い隠される程の雪が降り注いで積もっていく。
多分いつも『浄化領域』を”黒い獣”毎に調整したみたいに術式を変更したのか、ただ空間の温度を下げ一定に保つ効果から雪を降らす効果に変わっているようだった。
最早別の魔法と定義して鍵言をつけ直した方が良いんじゃないかとも思えるくらい無駄に凝った技術だが、せっかくしんしんと雪の降る雰囲気を楽しもうとしていたのにこれでは台無しもいいところだ。
文句は荒れ狂うように振り続ける雪と風の音に掻き消され、魔法を止めたのか雪の勢いが弱まった時には、この周辺だけ腰下ぐらいまで雪が積もり私達の半身が雪に埋まっていた。
「…何してんの?」
「ほら念願の雪よ。遊びましょ」
「遊ぶけどさぁ…」
「遊ぶんかい」
意趣返しにからかえばノリ良く突っ込まれる。
ともあれ風情は台無しだが、久しぶりに雪を使ってフィリアと何かをしたかったのも事実。
埋まった体を揺すり下半身の周りの雪を退け、頭と翼に積もった雪を払い落とす。
手袋を脱いで適当に雪を一掴みして握ってみると、確かな冷たさと柔らかな感触が伝わってくる。
雪を集めて丸く固め、フィリアに軽く投げてみると真顔で避けられた。
「…なんで避けるの?面白くないなぁ」
「ミシェルの握力で握り固められた雪なんか鈍器と変わらないじゃない」
「失礼すぎない?あと私そんな強く握ってないし言うほど力飛び抜けて強い訳じゃないから」
「…で、雪合戦でもしたいの?」
「雪遊びと言えばマストじゃん?」
「じゃあ喰らいなさい」
「え?そんないきな───わぷっ!?」
言うやいなやフィリアは雪を掴むと容赦なく頭に投げつけてきた。
ムッと睨むと、フィリアは小さく舌を出して悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「もう!そっちがその気なら────」
「あらあら、私も混ぜてくださいませ」
「!」
「あ…」
「フヒヒ♪…やけに一部だけ雪が降ってるのが見えましたので、すっ飛んで来ましたわ♪ご機嫌麗しゅう、御二方…なんちゃって、元気ー?」
「…君かぁ、ユラ」
フィリアにやり返そうと雪を握りこんでいた時に唐突に現れ声を掛けてきたのは、ファーの着いた黒いコート───背中には翼を通すためのスリットが開けられている───を着込んだ吸血鬼の少女。
クレイルさんの娘さん、ユラ。
社交界用の見栄を張るための口調で話しかけてきたが、フィリアが降らせ腰下まで積もった雪を掻き分けながら歩いてきていた為少し不格好なのがちょっと面白い。
「わざわざ迎えに来たの?」
「えへへ、早く会いたいから探しに来たよ!もう、だいぶ前に来るって聞いてから結構経って心配したんだよ?」
「悪かったわね。こっちも色々立て込んでて…主に”黒い獣”のせおで」
「あ、何か一匹倒したんだってね?倒されたのお父さんが察知してたみたい」
「あら、天秤ってそういうの分かるのね」
「位置自体は割出せないみたいだけどね。まあ天秤が”黒い獣”を察知すると厄害でもない限りその時点で逃げられるそうだけど」
「…そんで、もうクレイルさん家行かなきゃ駄目?」
「え?あ〜、私が会いたかったから来ただけだけど…もうちょっとゆっくりしてたいならそれでも良いと思うよ?まあ、私は着いていくけどね!」
「…私達は大丈夫だから早く帰ってクレイルさんにもうすぐ行くって言ってきなよ」
「わあ、ミシェルちゃんったら〜」
「ほらほら、ミシェルも早く仲良くしなさいよ」
一方的なユラからの好意の感情にすげなく返していると、フィリアが割り込んで諌めてきた。
そして片手で私の手を、もう片手でユラの手を掴むと、そのまま先導するように引っ張ってくる。
ユラはフィリアに手を引かれる事に照れたのか生娘のように顔を赤くした。
「ふぃ、フィリアちゃ…って、案内は私の役目なのに!なんでフィリアちゃんがリードしてるの!?」
「まあ方角自体は分かってるしね」
「あっはっはっ、君の助けは要らないってことだよユラ…いてっ」
「だから直ぐ煽らないの」
ここぞとばかりに憎まれ口を叩くが、軽くフィリアにチョップされる。
それにユラも気にしていないようで、つくづく気に食わない。
なんだかんだ教団に行った時とかはそれなりに付き合ってあげたりお世話したりしたが…やっぱり改めて冷静になってみると中々好きになれなさそうだ。
「雪遊びも良いけど、どうせならさっさと行きましょう。そこそこの期間滞在するつもりだしその間に雪も積もるでしょうから続きはまた今度ね」
「は〜い…」
「あ、その時は私も誘ってね!」
「…」
「ミシェル」
「う〜…分かったよ…」
嫌いとまでは言わないが、苦手なのは変わらない…なのに、こうして純粋な好意を向けられるとこっちが悪いみたいでいたたまれなくなる。
私の反省を感じ取ったのかフィリアは私とユラの手を離すと、翼を調子を確認するようにはためかせた。
「じゃあ、せっかくだから案内任せるわよ、やっぱりユラ」
「う、うん!任せて!」
「好きな人から頼まれると調子良いね〜」
「それは…前も言ったけど、私はフィリアちゃんもミシェルちゃんも好きだから、ね。ミシェルちゃんも、困ったら私に頼ってくれたら嬉しいな」
「…」
「ふふっ、あんた、苦手だ何だって言って、実は照れてるだけなんじゃない?」
「それはない!」
からかってくるフィリアにこれ以上何か言われる前にクレイルさんの屋敷の方に飛ぶと、案内という体を守るために慌てたユラが私の前に飛んで来て、フィリアも後ろから着いてきた。
しかしこうしてみると、吸血鬼は霊的な天使や悪魔と違って実体的な肉体を持っているからかちゃんと羽ばたかせて飛んでいる。
私達の翼は実質魔力で浮遊してる上での姿勢を補助するくらいの役割しかないが、実体的な有翼種の生き物は羽がそのまま飛行の為の機関となって、逆に魔力は浮力を足す等で補助に使っているというのがよく分かる。
「う〜ん…そこはちょっと興味深い」
「え?あ、翼の事?よ、良かったら後で幾らでも触るなりなんなりしても…」
「…気が向いたらね」
「はぁ…」
「えっと…ここから飛んだならそんなに屋敷まで時間かからないから…夜には着くと思うよ!」
「夜に着くも何も確か君達の屋敷がある所って常に夜なんでしょ」
「ちょっとしたジョークでしょ。笑ってあげなさい」
「フィリアちゃん、そう言われると逆に恥ずかしい…」
フィリアからの残酷なフォローに顔を赤らめるユラ。
その後は恥ずかしさが尾を引いたのか特に言葉は交わすことがなく、しばらく飛び空が暗くなってきたのを確認してようやく声を掛けてきた。
「あ、見えてきたよ!あれがお父さんの領地、そして私達の屋敷…『不夜城』」
「屋敷なのにお城なの?」
「不夜城っていうのは夜でも明るく賑やかな歓楽街を指す言葉だけど…良いネーミングセンスしてるわね」
「前までは別に名前とかは無くて、お父さんが初めて名付けたんだって」
「クレイルさん割と茶目っ気あるよね…あの人人生楽しそうだな〜」
夜の化身のようなあの強大な吸血鬼がウキウキでわざわざ屋敷に名前を付けてるところを想像すると少し和んだ。
フィリアも想像したのか軽く吹き出し、ユラも同意するように苦笑する。
それから近づいて見えてきたのは、人間の気配が多く感じる集落と少し離れた場所にある大きな木造の屋敷。
集落の方は木造の家屋が殆どで基本石造りだった皇国等よりかは文化レベルは低そうだが、人口はそこまで多くないようだから仕方ないとして、聞いた話だとあの屋敷もかなり古そうなのに見た感じかなり綺麗で保っているのが不思議だ。
「あの屋敷まで木造とは意外だね?それにもっとお城みたいなのに住んでるかと思ってた」
「先祖代々の屋敷だし、立て替えるのも忍びなかったんじゃないかな?私は別に不便とかしてないし良いんだけど…っと、そろそろ降りるよ」
「…?屋敷に直接降りるの?」
「窓とかバルコニーから直接入った方が楽だしね。律儀に玄関使ってるのお父さんくらいだよ」
「あら、娘にディスられて可哀想なお父さん」
そのままユラに案内され屋敷のバルコニーに降り立つと、そこでは二人の人物が出迎えてくれた。
片方は言わずもがな、屋敷の主、ユラのお父さんのクレイルさん。
そしてもう一人は、初めて見る黒のスーツをきっちりと着こなし片眼鏡をかけ、金髪をポニーテールに纏めた綺麗な女性だ。
「よお、ユラなら絶対こっちに降ろすと思ってたぞ。客人なんだから玄関から出迎えさせろ馬鹿たれ」
「良いじゃん、いつも言ってるみたいにわざわざ玄関まで降りて廊下通って部屋まで行くの面倒臭いんだもん」
「はぁ…まあ良いか。んで、色々あったようだが長旅ご苦労、ミシェルの嬢ちゃんとフィリアの嬢ちゃん」
「あはは…えっと、そちらの方は初めまして…だよね?」
「…どうも、娘と息子、それと旦那がお世話になりました。ユラとシーディアスの母、そしてクレイルの妻のクレアと申します」
「おい俺は世話になってねぇ」
礼儀正しくお辞儀をして名乗ったクレアさん。
背も高くスーツを着てても分かるスタイルの良さと顔の良さ。
何となく雰囲気的に脳裏を初めて会ってからここ二年くらいででガラッと雰囲気が変わっていた色ボケ精霊が過ぎったが、あの人と比べたらかなり落ち着いているようでひとまず内心安堵する。
「こんばんわ、クレアさん…私達もお世話になったわ」
「初めて会って言うのもなんだけど、ちょっとお世話しちゃったかな…」
「ミシェル…あんたねぇ…」
「ふふっ、お気になさらず。娘が大層ご迷惑をお掛けしたようで、ユラに代わって改めて謝罪申し上げます」
「あ、いや…私も、引きずっててごめんなさい…」
「あ…ミシェルちゃんは謝らなくて良いよ!私が悪いんだし…」
ユラへの皮肉も込めて言ったつもりだが、ここまでしっかりと謝られるといよいよ何時までも気にしてる私が馬鹿みたいになってきて、いい加減あの件を水に流す事を決めた。
フィリアはその様子を見てため息を吐き、クレイルさんは愛想良く笑うと、場の雰囲気を仕切り直す為かパンッと手を叩いた。
「さ、遺恨を引き摺って良いことは無い。そんな嫌な”繋がり”なら俺が断ち切ってやる。せっかく来てくれたんだ、楽しく過ごしてくれ」
「…」
「…ほら、ミシェル」
「…うん。暫くお世話になるので…どうぞ、よろしくお願いします」
「…うん!よろしく!楽しんでってね!ミシェルちゃん!フィリアちゃん!」
私がこれまでの謝罪も含めた挨拶をすると、嬉しそうにユラが挨拶を返し、見守っていたクレイルさんとクレアさんは親らしく微笑むのだった。
縁を結ぶ不夜城、吸血鬼一家との交流───
 




