第二百二十三話 弄虫華月
設定資料:妖精
種族的にはあらゆる種の中でもっとも弱く、肉体能力は飛行能力こそ持つが最低レベル、魔法の適性はそこそこだがそもそも全体的に容量が小さいので強力な魔法を使えるものは少ない。
その上危機感もないので簡単に外敵に狩られる。
しかし種族的な固有特性は一応保持しており、第一に妖精は自然豊かな、かつ大気中の魔力が豊富な場所で自然発生する性質上、例えこの瞬間絶滅したとしても魔力が豊富で豊かな自然さえあればそこから新しく発生する。
そして、妖精は発生の起源となったものの性質を一部もって生まれる。
例えば炎から生まれたのならば常に周囲の気温を上げる程度の熱を放つ妖精が生まれたり、氷から生まれたのならばその逆。
木から生まれたのならば周囲の植物の成長を早める特性を持っていたり、風から生まれたのならばその周囲の風が強くなったりする。
それらの特性は基本的にどれも弱々しいものであり本人の制御出来ない部分で勝手に働くが、中には稀にこの特性が強かったり、自力での制御が出来る妖精が生まれることがあり、そうした妖精は他の妖精より高い知能や個性を持つ事が多い。
殻を脱ぎ捨て、羽を伸ばした甲虫のような形態に移行した”黒い獣”が、半分ほどになったとはいえ未だ百メートル近くはあろう巨体を重力を無視しているかのように浮かばせ、高速でこちらに向かって突進してくる。
何とか突進の直線上から逃れるも、傍を通り過ぎた後に発生した風圧に身体を煽られ、張り巡らされている糸に触れかける。
「あっぶな…っていうかあいつは自分の糸に引っかからないわけ!?」
「すり抜けるみたいに通過してたわね…自滅は望めなさそうよ?」
「何それズルい…っていうかこれかな〜りまずくない?」
「勿論…機動力で上取れてたから何とかなってたけど、向こうも飛べるんだったら話が変わってくるわ」
これまでは下から糸を吐く程度しかこちらへの攻撃手段が無かったあの”黒い獣”だが、虫のような羽を伸ばし今は私達の頭上をとってホバリングしている。
先程の動きから速度はかなりもの、ホバリングも可能となるとその機動力は侮れない。
そして、向こうだけが一方的に動き回れるこの無数の糸に包まれた空間。
こちらは”黒い獣”の攻撃を避けるためにより動かなくてはならず、その分糸に接触する可能性が跳ね上がる。
戦況はどう見ても不利だ。
「けど…甲殻を脱ぎ捨ててくれたってことは…『侵食する月光』!」
『──────!!?』
空から降り注ぐ光が、”黒い獣”を焼く。
それは付属する身体能力を奪う効果はおどみに削がれてあまり発揮していないようだったが、先程と比べればダメージとしてはかなり効きが良いように感じた。
しかしそれでも相対的なものであって、これだけでは打倒にはまだ程遠い。
今回は私達の力だけで、見つけなければいけない。
勝利の糸口を。
『────────!!』
「うわぁっと…もう!やりづらい!」
「叫んだ時の風圧ですら体が持ってかれて糸に当たりそうになる…空中戦は不利なんてもんじゃないわよこれ…」
「どうする?降りる!?」
「そっちの方がいい気もするけど…それはそれで機動力で向こうに分が行っちゃうし…あぁもう、本当に面倒な相手ね!」
巨体の飛行により生じる風圧、奇声により発生する衝撃波。
ただの生態行動があの巨体から発せられるというただそれだけで私達を苦しめるには十分な一手になる。
特に奇声は間近で叫ばれれば体勢を立て直せる自信はなく、そのまま天使さんホイホイ一直線だろう。
尽くこちらの動きが潰され、せっかくの飛行能力を活かせず地上に降りるしかないという焦れったさ。
それに空中なら攻撃が空中に向けられていたが、地上にいると攻撃も地上に向かってくるようになるので周辺被害も馬鹿にならない。
「うぐぐ…でも飛びながら戦うのは本当にキツイ…」
「仕方ないけど、一旦降りるわよ。このままやったら勝ち目が無いわ」
「今までで一番戦いづらい…得意潰されるのってこんな厄介なんだなって」
勝てない相手には如何に全力を出させないかが肝になってくるが、相手にこれをやられると極めて不快なものだとよく分かる。
実際は向こうの戦法がこちらに対して有利なだけだろうし私達があの”黒い獣”より格上だとは思っていないが。
糸を避けながら地上に降りた私達を追おうと”黒い獣”もブーーン、と不快感の募る羽音を響かせながら地上へ向けて突進してきた。
低空飛行でまたそれを避けるが、”黒い獣”と地面との衝突の衝撃波でまた身体が吹き飛ばされそうになる。
地上は空中程糸がないが、それでも気を抜けばぶつかってしまいそうでこちらも気が抜けなかった。
「こっから勝ちを拾える方法なんかある?」
「暫くあいつを足止めできるなら…けど、ミシェルがそれをやっても意味は無いのよね」
「え?マジで?私一人でもやれと言われれば頑張るんだけど…」
「一手打つのにミシェルの力も必要だから、何かしらの手段で一時的に行動不能にするか私達以外の要因で足止め出来ないとキツいわね」
「そっかぁ…光皇なら或いは、って感じだけど…」
「あんまりミシェルにばっか負担かけさせたくないのだけど…いざとなったら頼むかもね」
「あはは、クレイルさんのところ訪ねる時にはまだ眠りっぱなしかもね」
「そういえばそっちにも行く予定あったわね…他にも色々巡りたいところあるんだし、こんなのに時間かけてられないわよ!」
「そりゃそうだ!」
『────────!!』
地面に上半身が突き刺さって暫くもがいていた”黒い獣”は奇声を上げながら顔を出し、私達を視認するやいなや脚を激しく動かし、羽による推進力も加えて私達に向かって突進してくる。
それを左右に別れて避け、挟み込むように私が『天剣』を、フィリアが『黒纏』を発動し、光の柱が、黒い靄による波動がそれぞれ”黒い獣”の前脚に直撃する。
関節の細い部分を狙ったからか”黒い獣”は走行中なのも相まって体勢を崩し、頭部から地面に突っ込みながら倒れ込む。
しかし復帰も早く、三対六本ある脚のうち後方の脚を利用して身体を起こすと、倒れ込んだ勢いのまま反転しこちらに巨体を叩きつけようとしてきた。
「ははっ、虫さんがお腹なんて向けてきて良いのかな!『天光』!」
『───!?』
倒れ込んでくる巨体の腹部に向けて、今度は逃げず防がず迎撃を選んだ。
再びラクリエルに纏わせた光の柱を迫る”黒い獣”の腹部に向け思いっきり振るい、”黒い獣”の身体が若干浮き上がる。
少し堪えたのか、苦しそうに呻き声をあげた”黒い獣”だが下からの衝撃を受け身体が浮いたことを知覚した瞬間直ぐに真上に浮かび上がり、一気に上空まで急上昇した。
そして、そこから糸を吐き下ろしてくる。
「まだ糸吐けるのね」
「あぁもう!こっちが上から一方的に狙われるとは思わなかった!」
「制空権を取られたままなのはまずいわね…引きずり下ろしましょうか。『重圧殺』」
「あ、また巻物使ったー!」
フィリアが鞄から引っ張り出した巻物を発動させると、上空にいた”黒い獣”に対して瞬間的、かつ局所的な強力な重力が発生し、まるで真上から叩き落とされたかのように垂直落下して地面に激突した。
あの魔法もそれなりに強力な部類だったが、あれだけの効果で一回使い切りとなると少し割に合わない気もする。
とはいえ糸をばら撒かれることを妨害した上地上に引きずりおろせた事は大きく、次は浮上を許さないと糸が張り巡らされている高度に入らない程度に常に”黒い獣”の周囲を飛び回り、飛び上がろうとすれば何時でも叩き落とせるように備える。
それでもタイミングをしくじれば浮上を許してしまうわけで、この立ち回りも責任重大で気が抜けない。
あの魔法が籠った巻物ももうないらしいので次はない。
『──────────!!!』
「うぐっ…うぅ…かん、たんに…吹き飛ばされてたまるかぁ!!」
”黒い獣”は、叫ぶだけで私達が体勢を崩すことを理解し始めたのか積極的に奇声をあげるようになった。
それに煽られ、毎回発生する衝撃波を受けても、なんとか飛ばされないように必死に堪えるが、このままだと限界が来る。
未だ致命的な有効打を与えられていない現状、いい加減退避を考える必要が出てきてしまう。
「このっ…『星斬』!チッ、やっぱり”黒い獣”にはあんまり効果ないわねこれ!」
「魔力とか大丈夫!?」
「まだまだ行けるわよ…けど、尽きるまで使っても倒せる気がしない…何か、何か…!」
「…っ!?何!?」
「え、なにが…?これは…」
『────?』
怪我を悪化させる魔法でも対して外傷を広げるには至らず、いよいよ押し込めなくなってきた時。
突如として生じた変化に、私達は勿論、”黒い獣”も困惑したような反応を見せた。
その変化、即ち一帯に現れた無数のぼんやりとした動く光。
どこかから来たのか、それらは蛇行を繰り返しながら私達の元へと集まっていた。
その光は何か魔力的なもののようだが…その魔力に少し既視感を覚える。
丁度つい最近…というよりかなり直近に見た事のある魔力だ。
そしてそれらの集まってくる光を追うように──────遠方から、無数の魔物や魔獣が集まってきた。
「なっ…!?」
「あれって…あの光…もしかして、ルーチェ?」
光の妖精、ルーチェ。
或いは、ルーチェ。
魔力は妖精の中ではそこそこ高い方であり、光を操る特性を持つ。
放射した光の先に瞬間的な移動をしたり、無数の光球を同時に操作することも出来る。
しかしそれらの光は一切の攻撃能力を持たない…もっと言えばルーチェには直接的な攻撃手段が存在しない。
そんな彼女が、あの”黒い獣”を追い払うべく考えを振り絞った結果がこれだ。
『へぇ〜、大変じゃないかしら?この辺魔物とか沢山いるのに』
いつかの会話にあった通り、この妖精の里の周辺には大量の魔物や魔獣が棲息している。
それらに限らずとも魔物や魔獣は見境無しに他の生物を攻撃するが、”黒い獣”が相手となると冷静になり距離を置く程度の理性が存在する。
しかし、それは冷静であった時の話だ。
”黒い獣”がいると気づけばどんな騒音でも直ぐに逃げる魔物達も、目の前でこれみよがしにチラつく光球を見て冷静さを保てる程気の長い生き物では無い。
一度失った冷静さは、恐れを忘れさせ”黒い獣”に誘導されようと飛び回る光球を追跡してしまう。
そしてそれに焚き付けられ、単純な思考回路の魔物達はそれに混ざって一緒になって光球を追いかけ、それが連鎖して魔物の大群が”黒い獣”の元へと誘導された。
それを実行できたのは一重にルーチェという用心深い妖精が外敵が現れた際の対処法として日頃から想定していた策の一つであるからだ。
「…こ、これで…倒せたら、良いんですけど…はぁ…なんとか…お願いします…はぁ…はぁ…」
それでも、脆弱な妖精であることに変わりはなく結界の光は透過する性質を利用した瞬間移動、魔物を誘導する為の光球の操作で息を切らし身体を震わせるルーチェ。
最後の力を振り絞り、光球が”黒い獣”に吸い込まれるように見えるまで操作して、ついに力尽きて倒れ込んでしまった。
「はぁ…はぁ…やっぱり、私ってダメですね…もっと戦えたら、こんなまだるっこしいことしなくても良かったのに…誰にも感謝なんてされないのに…」
例えルーチェが頑張ったところで、自らの命に無頓着な他の妖精達はそれに敬意を表したり労ったりする事などないだろう。
だが…臆病者が振り絞った勇気は必ず誰かに認められるものだ。
例え短い付き合いでも、多くの縁を知り出会い別れてきた者ならば。
集まってきた魔物が、”黒い獣”に吸い込まれるように消えていった光を追う勢いで、そのまま”黒い獣”に襲いかかった。
やはり”黒い獣”はそれを歯牙にもかけず振り払うが、暴走した様子の魔物達は臆することなく”黒い獣”に次々と飛びかかり、どれだけ他の魔物が潰されようとも恐れず立ち向かっていく。
「ルーチェ?あれルーチェが操ってるの?」
「いや、直接的な洗脳とかじゃなくて間接的に暴れさせただけだと思うけど…少なくともさっきの光はルーチェが魔力で出したものだと思う」
「そう…けど、いくら暴走状態の魔物の大群でも簡単にすり潰されるし、ずっと続けてたらいつか冷静さを取り戻して一斉に逃げるでしょう」
「その前に、やれることを…フィリア、さっき言ってたやつやろっか」
「…ええ、丁度今は向こうに気が向いてる状態。飛ばれることにだけ注意してよね」
「勿論、任せて!頑張ってくれた子の勇気は無駄にしちゃいけないんだから!」
”黒い獣”が魔物に襲われている隙に、私達は準備を整える。
フィリアと手を繋ぎ、詠唱を紡ぐ。
”黒い獣”が浮上しようとしたら中断してでも止めるつもりだったが、幸い飛行能力をもった魔物も多いらしく、ある程度の制空権を取って”黒い獣”を足止めしてくれていた。
それに、魔物の大群の中に混ざる魔獣は、魔物より強力な分場持ちが良く明確に”黒い獣”相手にも暫く耐えて気を引き続けている。
そんな大群による強襲で僅かだが”黒い獣”も消耗し始め、私達のことを忘れている訳でもないだろうから、この先はいつ逃げられてもおかしくは無い。
”黒い獣”は魔物達を一掃するために大型の魔物は角やハサミで貫いたり切断、雑多な小型の魔物は奇声を上げたり、糸を吐き散らかして対応し、着々と処理され魔物の勢いも段々と弱り始めた。
あれらが全滅するのも時間の問題と思われた時────ようやく私達の準備が整った。
「久しぶりにやるわね」
「頑丈なやつ相手にする時はやっぱりこれが良いね。行くよ!」
「ええ」
「「『混沌の抱擁』」」
私達が、二人がかりで発動することが出来るこの魔法。
出力の調整のためフィリアに大きな負担を強いる上、発動に長々とした詠唱が必要で継続的に発動しようとするとゴリゴリと魔力を消耗してしまう難点の多い魔法だが…一度決まれば戦況を一気に傾けることさえ可能な大技だ。
放たれたのは、灰色の炎。
それは”黒い獣”とそれに襲いかかる魔物達をまとめてその内に捉え…そして、炎は永続する。
私達が切ろうと思わない限りは永遠に燃え続ける炎が、着実に”黒い獣”の余力を削り始めた。
ついでとばかりに残りの力も使って炎を空に向かって放射し、永続する炎が糸を飲み込んだ。
これはあの糸も吸収できないのか、吸収は出来ても内側から焼かれたのかは知らないが、覿面に効果を発揮して次々と糸が焼け落ちていく。
『────────!?』
「無駄だよ…一度この炎にまとわりつかれたら、どんな風でも水の中でも燃え続ける…君が消滅するまでね」
「おどみが完全なら消されたかもしれないけれど…或いは厄害程の魔力があるなら抵抗できたかもしれないけれど、浄化領域で抑制された以上それも出来ないでしょう」
「詰みだよ」
「詰みよ」
困難覆すは勇気と信頼の鬼火────




