第二百十四話 夜に深し儚月
「はぁ…父さん遅いよ」
「悪い悪い、思いの外話が弾んでなぁ。良い子にしてたか〜?」
「ちょいちょい姉さんがフィリアさん達を襲おうとしてたくらい」
「本気で手が出る前に躾てくんない?」
「…すまん」
日も落ちて暗がりに包まれたリリエンタ。
一旦分かれてからそこそこ時間が経って合流したクレイルさんにここ数時間の間のユラの所業について文句を言えば、素直な謝罪が帰ってくる。
そんな父親を横でもどこ吹く風とさっき私達が渡した血の入った小瓶を熱の篭った爛々とした目で見つめるユラは、何処か妖艶な雰囲気を纏っているように見えた。
それも次に浮かべたアホっぽい気の抜けた笑顔で霧散したが。
「ねぇ〜、もうお父さん帰らなくて良くない?こっち住もうよ〜」
「ばーか、好き勝手やってるお前らとは違って俺は領地の管理とか他所との外交とか忙しいんだ。そうそう移れるかってんだ」
「うん?貴方何処ぞの領主様もやってるの?」
「ん、ああ。先祖代々受け継ぐ古い領地でな、俺が生まれるよりも昔っからの契約で、俺たちが管理する領地に住む人間は定期的に体調に影響が出ない程度に血を寄越す事になってんだ」
「あ、分かった。その見返りにクレイルさん達がその人達を守ってるんでしょ?」
「ご名答。最初に約束を取り付けたのはなんと三万年ほど前…それもあの火の国の皇帝様らしい」
「火の国…って確か神器を作ったっていう国よね?」
「ああ。詳しい経緯までは知らないが、友好を結んだ彼の皇帝は御先祖様にその証として特別な神器を送ったんだ。それも受け継がれて今は俺が所有してる。それこそ俺が守るべき大事な『絆』って奴だな」
「へぇ〜、こうして昔の話とか聞くと、色んな所で繋がりがあるもんだね」
一つの質問から繋がって、想像以上の話が聞けた。
そんな御先祖様からの縁を話すクレイルさんはそれはそれは楽しそうに語っていて、そういう昔の話をするのが好きなんだろうと伝わってくる。
「…で、父さん。聞きそびれてたけど不夜城の方ってどうなってるの?」
「あ、忘れてた。一部壊れて領地の方も荒らされてたな。幸いクレアが頑張ってくれたから人的被害は無かったそうだが、復興には何週かかかりそうだ。直るまではこっちで遊んでろってさ」
「お母さん怪我とかしてないかな?」
「別に僕は戻って手伝っても良いんだけど…」
「こらシーディアス!滅多なこと言わないの!せっかく遊んでて良いって言われてたんだったら好意に甘えてればいいの!」
「姉さんはフィリアさん達と離れたくないだけでしょ」
「そうだけど?」
「このっ…抜け抜けと…」
「ほらほらもう宿に戻るぞ〜。クレアも全然元気だったから帰ったらハグでもしてやれ。お前達は同じ宿か?」
「いや、いつも使ってる宿があるからそっちに行くよ」
「そうか、じゃあ今晩はこれでお別れだな。まあ別に何日も付き合わなくていいし、オウガからはもうお前らも帰っていいって聞いたし」
「あらそう?じゃあ明日には一旦帰ろうかしら」
「えぇ〜!?もっと一緒に遊ぼうよ〜!」
「迷惑かけんな。相手は天使と悪魔だ、幾らでも会う時間はあるさ。シーディアス、抱えろ」
「は〜い」
「あ、ちょっ!姉をそんな荷物みたいに…い〜や〜だ〜!」
「じゃあな〜」
「お世話になりました」
「う、うん」
「…仲良いことね。さ、私達も戻りましょうか」
駄々をこねるユラをシーディアスが肩に担ぎ、吸血鬼一家は挨拶だけしてそのまま私達が泊まる予定の宿とは別の宿に向かって去って行った。
この数日間、嵐のような出来事に見舞われたが子守りもようやく一旦終わりを迎え、肩の力が抜ける。
個人的にはユラはフィリアを襲ったしかなり苦手な相手だったが、この調子だと暇さえあればウチに突撃してきそうな強い”縁”を感じるし、どうせまたその内振り回されることにもなるだろう。
だからそれまではせめてしっかりと休まなければいけないだろう。
「はぁ…なんかすっごい疲れた…」
「そう、それでもまだユラ達と会って二日くらいしか経ってないのよね」
「濃い…過ごす事に一日のイベントが濃くなってきてる気がする…これが世界の排斥ってこと?」
「精神的な疲労で攻めてくる世界とかしょうもなさ過ぎて嫌よ。いつもの悪運か腐れ縁でしょ」
「そんなこと『いつもの』にしないでよ…まあいいや、ようやくまた二人きりだよ。凄い久しぶりな気分」
「ふふっ、それはそれはお疲れ様。今日はゆっくり寝なさいよ〜」
「う〜…思いっきり添い寝してやる〜!ユラに取られてた分私が甘えまくってやる〜!」
「別に私も甘やかしてたつもりは無いんだけどねぇ」
月の綺麗な夜の道。
儚げに苦笑するフィリアの横顔は疲労のせいか酷く幻想的に見えて、心が癒される感覚が広がる。
或いは瞳の魔性の魔力に魅せられているのかもしれないが…それはそれで本望という奴だ。
自然な流れで手をギュッと繋ぎ、軽く振って歩くだけでもフィリアとの絆を実感する。
クレイルさんと会った影響か、それとも”縁”の話を聞いたからか、今の私とフィリアの関係についての想いがやけに脳にこびりついて仕方無い。
「…帰ったらまたリエナの店行こうよ」
「また〜?それですぐ散財するから何でも屋行く事になるのよ」
「フィリアに可愛い服着せられるなら労働も苦労も望むところだよ」
「…アンタもなんか着なさいよ?」
「…ふっ、ふふっ…うん!飛びっきり可愛いの選んでくれたら嬉しいな!」
「全く、この天使はしょうがないわね」
「もう、す〜ぐそうやって…そういえば教団でユラがアウリルとなんか揉めてたこと思い出したけど、フィリアって普段あんまり私のこと名前で呼んでくれないじゃん?」
「…まあ、真面目な話とかする時くらいしか呼んでない気はするわね」
「だから、今までは流してたけど…私としてはもっと名前で呼んでくれたら嬉しいなって…ダメ?」
「気安すぎるのもどうかと思うのだけれど…そう言うならちょっとくらいなら頻度を増やしてあげても良いわよ、ミシェル」
「…!な、なんだか照れるな…えへへ…ありがとう、フィリア」
「本当に…全くこの天使は…」
「ああ!言ったそばから!」
フィリアに名前を呼ばれ、時々とはいえいつも呼ばれた時はそうでも無いのに、改めて面と向かって名前出呼ばれると嬉しさよりも気恥しさが勝ってついはにかんだような笑みがこぼれてしまう。
それを見たフィリアは一瞬硬直すると、スっと顔を背けてしまった。
が、耳が赤くなっていたり頭の翼が忙しなくパタパタ揺れていたりとフィリアも照れてくれてるんだなと思うとまた嬉しさが込み上げてきた。
「…ま、今日はゆっくり寝よっか」
「そ、そうね…」
月下に照らされ光源が無くとも互いの顔が見れる明るさのなか、しかし互いに顔を背けるせいで互いの表情は伺えない。
それでも、クレイルさんが言っていた繋がりという絆、縁という絆、結びつきという絆、そんなものが私達の間には確かにあると信じて、硬く繋がれた手は握り合う力を増して、夜道を二人で歩いていく。
明日はどんな一日になるか、そんな期待半分不安半分…それでもきっと二人でならやって行けると信じて、信頼を胸に私達は宿に向かったのだった。
「あー、あー、聞こえるかぁ?」
『…夜分遅くに失礼な奴だな。わざわざリシャーナを起こすな馬鹿者』
「あ、そっち今真夜中か。それはすまん…あ〜、今ガキ共も寝てるからちょっと小声で話すが、相談があるんだけど」
『いつものを始める気なら先に貴様がいる座標を教えろ。ここから攻撃を届かせてやる』
「言う訳ねぇしそんなことしてるほど俺も暇じゃねぇよ…話ってのは、最近西の大陸で”黒い獣”がやたらめったら大暴れしてるんだ。つい先日俺の屋敷と領地も襲われた」
『…他に被害は?』
「連合の加盟国の内三つがこの一年余りで滅んでる。十中八九厄害だろうな。それも滅ぼされてる国は段々と俺の領土に近付いてる」
『む?貴様のところを襲ったのは厄害だったのか?』
「違うが…」
『ならば…ああ、そういう事か。”黒い獣”同士で結託でも始めたのか?どの道貴様が吊り出されそうになってるのは間違いなさそうだ』
「そこまで分かってくれたんなら話は早いな。ちょっと手伝ってくんね?」
『生憎、こちらも今手が離せない。南の大陸も同じく各地で”黒い獣”による被害が多発してる。例の天使と悪魔が来てから二、三年程か。これだけの期間を生き抜いた異邦人も初めて、ここから先は奴らがどれだけ活発化するかは予想も付かん。最悪一気に世界が終わってもおかしくないほどにな』
「ははっ、そりゃ怖ぇわ。戸締りでもしとくかね」
『何の意味があるんだそれは…悪いが助けを求めたいのなら他を当たれ。ただでさえこちらは手一杯だ』
「そうか…そうかぁ…───────
─────マジでどうしよっかなぁ…」
暗雲月を覆い、不安立ち込める昏い導き───




