第二百十話 明星宵に陰を落とす
吸血鬼姉弟を連れ教団の本拠地、天樹の島に遊びに来た晩。
島内の仕事を見学したり畑仕事を手伝ったりして歩き疲れたのか飽きたのか、姉弟は島で貰って回った食材で作った私達の手料理を食べた後、天樹にある談話室のソファで無気力に腰を据えていた。
なんだかんだこの二人も並んで座っている感じ仲は悪くなさそうで何よりだ。
それはともかく…
「…どう?今日一日楽しかった?」
「うん?ん〜…新鮮な体験出来たし、ちょっと大変だったけど…ミシェルちゃんとフィリアちゃんと一緒に回れただけで十分満足だよ!」
「まあその…本当ご迷惑かけてすみません…お世話になりました」
「お世話したわよ、全く…私達も初めて島内歩き回れたから丁度良かったけど」
「明日もう親御さん迎えに来るんだっけ?時間帯とか指定されてる?」
「最後にやり取りした時は明日の昼前に来るって言ってました」
「もうちょっと居たかったんだけどなぁ…お父さん何かしらに巻き込まれて到着遅れないかな?」
「滅多なこと言うもんじゃないよ?家族は大切にしなきゃ」
「う〜ん…ミシェルちゃんがそう言うなら…?」
あまりよく分かってなさそうに首を傾げるユラ。
シーディアスは何か思うところがあったのかそんな姉をジトっとした目で見ているが…
「はぁ…じゃあそろそろ帰ろうか」
「またフィロスティアさんのとこ挨拶に行けば良いかしら?他の人に帰る事伝えるだけとかは…」
「なんだ、お前ら帰るのか。気を付けてけよ」
「あ、噂をすれば…って」
「何?なんか文句ある?」
丁度よく談話室を通りかかったのはもはや一緒にいることがデフォみたいになってるフィロスティアさんとアウリルのコンビ。
水浴びしてきたばかりなのか二人の肌や髪は湿っていてタオルを首にかけており、アウリルは薄地のワンピース、フィロスティアさんは髪を下ろしいつものカッチリとした教団の制服ではなく、ネグリジェのようなラフな格好だった。
「別に一晩くらい泊まってっても良いんだがな。こっちからクレイルに連絡して遅れさせることも出来るぞ?」
「えっと…いや、大丈夫です。お父さんも私達が心配だろうし…」
「色んな意味で心配してるだろうね〜。多分既に心労が募ってるよ」
「だろうな…あいつも大変だ」
半目で姉弟を見て空いているソファに座るフィロスティアさん、ナチュラルにその隣に寄り添うように座るアウリル。
風呂上がりでちょっとイロっぽく見えるせいか、ユラが二人を気にしてちらちら見ている。
やっぱりこいつ結構面食いかもしれない。
「帰るなら船を出すとするか…またデュスティネに送らせれば良いか?」
「あ、ありがとうございます」
「…あ、そういえばフィロスティアさん。前から気になってたけど、どうして教団って人間の人が全然いないの?」
「ん?あぁ、人間は寿命が短いからな。長命種みたいなのからすると短い寿命の友人が出来るのは中々酷だからな。だから敢えて基本的に受け入れてないんだ」
「なるほど…アウリルは?」
「なんなのさずけずけと…私は天秤の”資質”を持ってるから寿命じゃ死にません〜。肉体も資質が全盛期と判断したらそこで成長が固定されるしね」
「天秤ってそんな力まであるんだ」
「寿命の短い人間だよ?世界の管理者の積を負うのにそんなコロコロ入れ替わってたら面倒極まりないじゃん?だから世界は資質にその機能を備えさせたの」
「お陰でシャロンとはずっと親友でいられるからな。世界様々だ」
「もうそんなこと言っちゃって、心配しないでも私はずっとティアの親友だから」
「ま〜たやってるわね…」
言うやアウリルがフィロスティアさんに抱きつき、いつもやってるかのようにイチャつきだす。
そして本当にあれで親友のつもりでいるのだから怖いものだ。
そんな二人を奇妙なものを見るような目で見ていたシーディアスが、ふとピクリと何かに反応しているのが視界の端に見えた。
「…ねぇ、フィロスティアさん。近くに父さんの蝙蝠来てない?」
「む…本体…の方じゃないな。あいつの眷属か?ちょっと拾ってくる」
「あ、私も行こうか?」
「いや、シャロンは待ってて。湯冷め…なのかな?水浴びした後外でたら風邪引くかもしれないし。最近寒いし暖かくしてね」
「う、うん。分かった…」
席を立ち外に出ていくフィロスティアさんの背中をアウリルが物寂しそうに目で追っていた。
暫くの間沈黙が流れ、その間に何かを決意して立ち上がろうとするユラの頭を押さえつけて立たせないようにしたり、見かねたシーディアスがユラにヘッドロックを掛けたりしたりして、ようやくアウリルが声をかけてきた。
「…そこの、馬鹿やってる吸血鬼姉弟。随分その天使と悪魔に懐いてるんだね?」
「…ん?それがどうしたの?天秤とはいえ誰が誰に懐くことに口出しできるほど偉いの?」
「いいや全く。自分で言うのもなんだけど、天秤ってのは世界の均衡と秩序の為に自分の裁量で自分のルールを押し付ける仕事だからね。口出しできない訳では無いけど、今回の場合はそれこそ君らのお父さんの役割だし」
「…質問の意図はなんだったんです?」
高圧的なアウリルに二人は果敢に質問で返していた。
なんというか、流石天秤の子供だけあって肝はかなり座っているようだった。
もしかしたら元々の二人の気質なのかもしれないが。
さてそんな中シーディアスの質問に首を傾げるアウリル。
「意図ねえ…純粋に気になっただけだよ?そこの天使と悪魔の何が特別なんだろうって。他所の世界から来てる時点で十分特別なのはそうだけど…やっぱり創世神の選定なのかな?」
「…ずっと前から一つ聞きたかったのだけど、私達がこの世界に引き込まれた事とこの世界の創世神はどんな関係があるのよ?」
「お、それ聞いちゃう?…そうだなぁ、ティアも戻ってくるまでもう少しかかりそうだし、手短に話しちゃおうかな?端的に言うと、”黒い獣”の存在によってこの世界は終わりかけてる…そしてそんな終わりかけた世界を修正できる存在。私も詳しく知ってる訳では無いけど、『世界を変えられる存在』を手繰り寄せて呼び出してるって話だよ」
「世界を…」
「変えられる…」
…確かに、長い時を争った天使と悪魔の大戦を終わらせたのは、世界を変えたと言っても良いかもしれない。
それが起因してこの世界に引き込まれたのなら傍迷惑な話だが、別に後悔はしてないしなんだかんだこの世界を楽しんでるからそこまで悪いとも思わない。
しかし…
「…向こうから呼んできたのに世界の排斥とやらを受けるのって…」
「創世神の意思と世界の意思は同一じゃない。創世神の勝手を世界が許すことは無い。なんせ、世界は”黒い獣”の対処をもう諦めてる。だから、奴らは存在するだけで世界の歪みと崩壊を加速させるけど、それの打倒を世界が諦めている今、少しでも延命の為にそれ以外の歪みを作る原因を取り除く…つまり、異物の排除だね。世界は創世神と袂を分かってる」
「じゃあ…さ。もし、私達が生きている間に”黒い獣”がいなくなったらどうなると思う?」
「ううん…難しい質問だね。実現できるかはともかく、もしそうなったら…もしかしたらお目こぼしはされるかもね?”黒い獣”が存在することに比べれば、君達がいることで発生する歪みなんて微々たるものだろうし。まあ今はそんな微々たる歪みすら容認できないくらい余裕が無いみたいだけど」
「…」
私は、私達は、死にたい訳では無い。
出来る限り長く生きて、生涯を楽しみたい。
それはこの世に生きるものなら誰だって抱きうる欲であり、本能だ。
ただそれを確実にするためには、自分達から困難に飛び込まなければ行けないとなるとどうだろう。
それ自体は当然のことだ。
しかし、そのリスクはあまりにも重すぎる。
ウロと遭遇し、厄害とぶつかり、その度に死にかけて、何とか乗り越えてきたが…
「気に病むなとは言わないし、どうせ君達に安寧なんて訪れない。戦い続けないといつか淘汰されるだけ。世界は異物である君らに優しくなんてしてくれないだろうね。足掻き続けないと、進み続けないと…創世神の身勝手でこの世界に引き込まれた時点で、君らの天運は尽きてる。世界を変えられるだけの天運を、ね。そんな事も分からないのは、創世神ってのは本当に馬鹿だと思うよ」
「…」
「…黙って聞いてれば、アンタね。好き勝手言って…」
「なにさ、私は間違ったことを言った覚えは無いけど?」
「いいや、間違ってるね。正直何の話か全然分かんなかったけど…」
「姉さんそういうところ」
「うるさい!でも、ミシェルちゃんもフィリアちゃんに世界は優しくしてくれないって所は覚えてるよ?覚えてるし…例え世界がミシェルちゃんとフィリアちゃんに優しくしなくても、私が優しくするから!」
「!」
「…ユラ」
「…聞くに出会って数日でしょ?なんでそこまでその天使と悪魔に入れ込むの?」
「それは、私が二人に惚れてるからだけど、何か悪い?」
「惚れっ…!?」
珍しく、アウリルが分かりやすく困惑と驚きを表情に出してユラを見つめている。
シーディアスもアウリルに啖呵を切った姉に呆れたようにしているが、それでもどこか期待していたように優しく微笑んでいた。
「それにこの島を歩き回ってる時とかに二人からこれまでの旅の話とか聞いてきたけど、優しくしてくれる人は沢山いたらしいよ?世界がどうとか、排斥がどうとかよく分かんないけど…ミシェルちゃんも、フィリアちゃんも、人だよ?」
「それは…そうだけど…」
「それに私、ずっと許せない事があるから」
「…?」
「アンタ…ミシェルちゃんとフィリアちゃんのことを、一度も名前で呼んだこと無いでしょ!」
「…!?」
本当に、いよいよ訳が分からないと言った表情をするアウリル。
この自由奔放で我儘なユラの言葉に、面白いようにコロコロと表情を変えるのは最早可愛く見えてくる程だ。
だが確かに言われてみれば、今までで一度もアウリルに名前で呼ばれたことは無いかもしれない。
いつも「天使」や「悪魔」、もしくは「君ら」で呼ばれていたと思う。
だとしても私達にとっては別にどうでもいい事だが…
「ミシェルちゃんと、フィリアちゃん。こんな素敵な名前を呼ばないなんて、失礼にも程があるでしょ!そんなに二人のこと嫌いなの?」
「え?いや…嫌いとかじゃ…」
「じゃあ呼べるでしょ。ほら、復唱して。ミシェルちゃんと、フィリアちゃんって」
「えぇ?え…え〜…み、ミシェル、ちゃんと…フィリア、ちゃん?」
「…ぷっ」
「ぶふっ…ちょっ、ごめん…流石に笑う…」
「〜!!」
「はい、よく出来ました」
「全く…姉さんは…あっ」
妙に気迫のあったユラに押し切られ、アウリルが渋々私達の名前を呼んだを
だが、そのあまりにもたどたどしく不慣れな感じに笑いを堪えきれず、それを受けたアウリルが顔を赤くして私達を睨んで来る。
ユラはアウリルが私達の名前をちゃんと呼んだことを嬉しそうにしているが、そんな姉に声をかけようとしたシーディアスだったが、何かを感じ取って部屋の入口の方を向いた。
それに釣られて私達を睨んでいたアウリルがそっちを向いて…入口から顔を出してニヤニヤしていたフィロスティアさんが目に入る。
「…ティア!?いつからそこに…!」
「いや、ユラに言いくるめられてるところから…ふふっ、でもシャロンが他人に言いくるめられてるところってちょっと、面白いなって…ふふふっ」
「あ、あぁ…わ、忘れて!忘れて!このっ…君らのせいだからね!二度と名前なんて呼んでやらないからね!」
「あ、シャロン待って…はぁ、少しからかいすぎたかな…っとと、待たせて悪かったな。連れてきたぞ」
「あ、父さんの眷族…と、手紙?」
「何、お父さんから手紙きたの?遅れるって?」
「まだ中身みてないよ…貰っても?」
「君達宛てだからな。どうぞ」
居心地が悪くなったのかアウリルが部屋に出ていった後、フィロスティアさんが連れてきた彼の天秤の眷属だという蝙蝠が脚に紐で括り付けられていた手紙の話になった。
手紙を受け取ったシーディアスはその中身に目を通し───眉間に皺を寄せた。
「不夜城に”黒い獣”?母さんが追い払ったらしいけど…」
「え?領地の方大丈夫なの?」
「ちょっと巻き込まれたみたいだけど直ぐに治る程度だって。その時父さん丁度不夜城を離れてたらしいから”黒い獣”に襲撃されたんだろうけど…不夜城も修復とかあるから暫く帰ってくるなだってさ」
「え、じゃあ私達…」
「私達っていうか、父さんもそっちで面倒見てこいって母さんに言われたらしいよ」
「…つまり?」
「父さんもこっちで暫く寝泊まりするってさ」
「「…え?」」
「ふふっ…」
更なる心労の予感を感じ取り間抜けな声を上げた私達に対して、他人事のように笑ったフィロスティアさんを恨みがましく睨む私たちだった。
一重に影啜る蝙蝠、来訪する夜叉───




