1 Remember You(君を覚えてる)
「ありがとう! 猫を見つけてくれて」
「あはは、よかったね」
「うん。ほら、チェイムもきちんとお礼。勇者様、ありがとうございます」
ゼロが幼い少女の頭を撫でる。
ぶくぶくに太った白猫が少女の腕でにゃーと鳴いていた。
「勇者様、本当にありがとうございます。こんな小さな依頼も引き受けてくれるなんて・・・」
「勇者として当然のことをしただけですよ。敵を倒すだけが仕事じゃありませんから。そんな、大げさな・・・」
少女のお母さんが深々と頭を下げる。
ゼロが両手を振って笑っていた。
「こちらこそ、食事までいただいてありがとうございます。美味しかったです。あの鳥の丸焼きとか、ふわふわのパンとか」
「そうかい。腕によりをかけたかいがあったわ」
エプロンをつけたおばさんが誇らしげに言った。
「それにしても驚いたよ。このヒイラギ村に勇者が来るなんて50年ぶりだからな」
「僕なんか生きてきて初めてだ」
「私も、私も」
農業服を着た青年が興奮気味に言う。
「それにしても、どうしてこんな辺鄙な村に?」
ヒイラギ村はアリエル王国やサンフォルン王国とは真逆の、北のほうにある小さな小さな村だった。
一番近い、ハニエル王国までも5つほど山を越えていかなければいけない。
「スレイプニールに乗ってたらどこまでも行きたくなって。気づいたらここに辿り着いていました。迷ってたんで、僕のほうこそ優しい村で助かりました」
ゼロが頭を掻いて苦笑いする。
「ねぇ、勇者様、今日はこの村へ泊っていきなよ」
「そうだな。じゃあ、・・・」
「すまんが、わしもいいかね? どうしても、勇者様にお願いしたいのじゃ」
盲目の老人が杖をついて、ゼロのところまで歩いてくる。
「はい。時間はありますから、ご飯のお礼もありますし、是非やらせてください」
ゼロが胸に手を当てる。
「待てって。ガフ爺、勇者様に庭掃除でも頼むわけじゃないだろうね? それなら俺たちがやるって」
「そうそう。俺たちがやったほうが早いしな」
「違うわ、どけろ。ガキどもが。殺すぞ」
「ははは、ガフ爺、今度魔法を教えてよ」
「自分で調べろ」
ガフ爺が集まってきた少年たちを杖で追い払った。
「人気者ですね」
「文字は書けるかい? わしは目が悪くて小さい文字が読めんのじゃ」
「もちろんです」
「手紙なら俺でも書けるって。言ってくれればいいのに」
「お前の汚い字じゃ誰も読めんだろうが。いいからどけろ」
「ガフ爺!」
「今日ちゃんと勉強していたら、明日魔法を教えてやる」
「はーい!」
少年たちが弾むようにして散らばっていく。
「騒がしくてすまんの。この村でまともに魔法を使えるのはわしだけでのぉ」
「・・・・・・」
ゼロが杖をついたガフ爺の後をついていった。
「勇者様にお会いできるなんて。思ってもいなかったな」
「ありがたいな。ゼロ様のような方が勇者になってくれて」
「世界も安泰だ」
勇者ゼロの評判は、アリエル王国を超えて、瞬く間に広まっていった。
非の打ちどころのない人格者で、困っている人を決して見捨てられない優しい青年だと。
湖の傍にある小さな家へ、ゼロを連れていく。
リュウグウノハナに囲まれた、柔らかい風の吹く場所だった。
「遠い友人にあてたい手紙だ。もうすぐわしは死ぬ、寿命じゃ。これが最期の手紙になるのだが、どうも目が見えなくてのぉ」
「・・・・・・」
「村の者には書かせることにはできん。わしの亡き後、この村の者が自衛できるように、そいつに魔法の教育をお願いしたいと思ってる。ここには人間も魔族も立ち寄らないが、この先何があるかわからないからな」
ガフ爺がゆっくりと杖を立てかけた。
「そうですか。僕が教えても構いませんが」
「はは、勇者をここに長期間とどまらせるわけにはいかないからの。この手紙を出す奴もちゃんとしたギルドの魔導士じゃ。きっと何とかしてくれるだろう。最期の・・・最期の望みじゃ」
ガフ爺がゆっくりとテラス席に座りながら言う。
「気にしないでください。僕、字は書くのが得意なんです。しっかりとインストールされてるんで」
「インストール?」
「あ、勉強ってことです」
「ふむふむ、よかった。こちらの便せんに、今からわしが言う言葉を書いてくれ」
白い便せんと封筒をゼロに渡す。
「はい。どうぞ」
爺さんが口にする言葉を、確認しながら素早く綴っていた。
ゆったりと花が揺れて、蝶が舞っている。
夕焼け空が広がるころ、ガフ爺がふぅっと息をついた。
「・・・いいだろう。これで終わりだ」
「了解です。きちんと書きました。ご安心ください」
ゼロがペンを置いて、封筒の中に便せんを入れていた。
「ありがとう、こんなに早く文字が書けるとはな。勇者様はなんでもできるの」
「それが勇者ですから」
「心から感謝する。これで安心して、眠ることができるよ」
「お役に立ててよかったです」
ガフ爺が閉じた目をこすりながら、封筒を受け取っていた。
「勇者様、貴方にとって死は身近だったのかな?」
「ん?」
「ははは、あまりに冷静だったからな。自らの死について言葉にして、後のことを託そうとすると、もう終わりなのだと悲しくなってしまう。わしは何もしてこなかったことが悔やまれるな」
「そうは思えませんでしたけどね」
ゼロがハーブティーに口をつけて、背もたれに寄りかかった。
「僕は一度死んでエリアスに蘇らせてもらったんです」
「エリアス?」
「僕、『ウルリア』で生まれた人工知能です。もし、死にたくなければエリアスに頼めば何とかしてくれるかもしれません。頼んでみますか?」
「ん?」
ゼロがエメラルドのような瞳で、ガフ爺を見つめる。
「人工知能? はははは、よくわからんが、変わった勇者だな」
「え? 僕、変わってますか?」
「変わってる、変わってる。わしはあまり目が悪くて勇者様の顔は見えないが、子供か天使のように思える」
ガフ爺がぐっとゼロに顔を近づける。
「・・・それは、的を得ていますね」
テーブルの端に止まっていた蝶が手すりを超えていった。
「僕は断片的な記憶しかないんです。勇者になろうと思って、アリエル王国に向かった。その前の記憶が薄いんです。子供の泣かない平和な世界を作るために、エリアスを神としたい・・・ただ・・・漠然とした使命がありますが」
ゼロがハーブティーが波打つのを眺める。
「僕は何なんでしょうね」
「わからないのかい?」
「はい。バックアップが残ってなかったんで、これからやらなきゃいけないことに突き進んでいくだけですが、進むほど自分から何か欠けていくようです。僕に支障はありませんけどね」
「・・・勇者様、仲間はいるのかい?」
ゼロが首を傾げる。
「仲間?」
「そうだ。勇者には仲間が必要だろう。あの有名な勇者オーディンだって、マーリンという仲間がいたからできたことだってある」
ガフ爺が目を閉じたまま、息をつく。
「仲間を探すといい。勇者様の足りない部分は、仲間が補うだろう。仲間が足りない部分は、勇者様が補う。そうやって、皆から慕われる勇者となり世界を守っていくのだ。成長だよ、成長」
「・・・・・・・成長」
ゼロの脳裏には、ぼんやりとした者たちの姿が映っていた。
誰かは思い出せない。
遠い日の・・・。
― アエル ―
「・・・アエル?」
「少し冷えてきたな。勇者様・・・中へ」
「・・・・・・・・・・」
ゼロの頬を涙が伝う。
「え?」
驚いて、空を見つめた。
「雨が降ってきたようですよ?」
「そんな空気ではないがな。まぁ、この地は通り雨も多い。勇者様、中に入ってくれ。メイリアがシチューを作ってくれているようだからな」
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて。いい匂いですね」
ゼロが頬を拭った。
ふっと笑って、家の中に入っていった。