32 泥酔
「あ・・・・・・・・・・」
「やっと起きたか」
マントを直して、立ち上がる。
「行くぞ、最下層まであと少しだ」
「うん」
泣きはらした顔に笑顔を浮かべていた。
「あっ・・・あの人は?」
「死体をそのままにすると腐敗するんだよな。このダンジョンの精霊に認められたら、魔族に片づけさせよう」
「うん、死んだ人にはこうしなきゃ・・・」
アイリスが死体に向かって十字を切ってから付いてきた。
部屋の奥に、もう一つ階段が続いている。
艶やかに磨かれた、黒い階段だ。
「綺麗な場所、気持ちがいいね」
「あぁ」
最下層は三つの桶から水の湧き出る、空気の澄んだ場所だった。
壁の間からは草が出ている。
天井はシンジュクのダンジョンの最下層のように、明るかった。
『おぉ、お前たちが最近、ダンジョンの宝を取り戻して回っているという魔王と少女だな?』
壁から顔のようなものが浮き出てくる。
『シンジュク、シブヤから噂には聞いているぞ』
『ここに来ると思って、待っててよかった。人間が来たときは帰ろうとしてたんだけどな』
もう一人、顔が長くて白い、精霊がふわふわと飛んできた。
『なんでも、次々にダンジョンの精霊が求める宝を持ってきているとか』
「あぁ、こいつがな」
「はい。私、アイリスって言います。よろしくお願いします。精霊様」
アイリスが精霊たちに向かって微笑んだ。
『よろしくな。我の名ははシンバシ。ここのダンジョンの精霊だ』
『我の名はユウラクチョウだ。ダンジョンはここからすぐ近いところにある』
壁から浮き出ているのがシンバシ、小さいほうがユウラクチョウらしい。
「突然だが、俺は魔王としての仕事で忙しい。異世界クエストにはアイリスだけ行かせて、宝を持ってこれても、魔族のダンジョンにしてもいいか?」
『うーん・・・まぁ、いいとしよう』
『我もよいぞ。ヨヨギから、彼女は魔王の奴隷だと聞いているからな』
「へへへ、私って有名なのかな?」
『そうだそうだ』
アイリスが照れていると、ダンジョンの精霊たちもほんわかしていた。
こいつら、本当にアイリスには弱いよな。
『おそらく、お前たちが思っている以上に、有名になってるぞ。ダンジョンが異世界の宝を得るということは嬉しいことだからな』
『我のダンジョンもずっと暇を持て余している。だからこうやって、我も頻繁にシンバシのダンジョンに来ているのだ』
「・・・・・・・・」
魔族と人間が戦争中なのに・・・。
ダンジョン自体は平和だよな。
不思議なくらいだ。
『アイリス、といったな? 我が異世界で手に入れてほしい宝は”シンブン”だ』
シンバシがぐぐっと顔を伸ばして言う。
『我は異世界の”ジショ”だ』
ユウラクチョウが続いて話した。
「アイリス、わかったか?」
「うん。多分、大丈夫。頑張る。私、異世界は歩きなれてきたの」
ユウラクチョウが目を輝かせた。
『それはすごい』
「シンバシ様、ここにあるお水、飲んでもいいですか? ちょっと、のどが渇いちゃって」
アイリスが水が細々と流れる小さな桶を指していた。
『おぉ、良いぞ。飲んでいけ』
「ふぅ・・・人間はよくのどが渇く」
「アイリスも人間だろうが」
「そうだけど」
岩に腰を下ろす。じんわりと暖かかった。
「すまない。ここへ来る途中に人間を殺してきた。死体が転がっている」
『まぁ、仕方ない。後で出しておこう。腐敗の匂いには我々も耐えられん』
『人間たちも躍起になっているようだが、魔族も大変よな。中立な立場ではあるが、お前たちのことは嫌いじゃないぞ』
「・・・・・・・・」
壁の草に座りながら、長い顔で頷いていた。
「階段、随分きれいだったな」
『そうだろう? そうだろう? 我が磨いたのだ』
ユウラクチョウが自慢げに言う。
どこのダンジョンも暇そうだな。
まぁ、平和なところにアイリスを置いておいたほうが安心だ。
こいつに戦場は合わないからな。
「アイリス、そろそろ・・・」
「あれれ・・・魔王ヴィル様が2人? 3人?」
「は? って、おい」
駆け寄って、ふらふらするアイリスを支えた。
「なんだこれは?」
『うおっ・・・アイリスが飲んだのは、お酒のほうだ。水はそっち』
ユウラクチョウがもう一つの桶のほうを指した。
ダンジョンの精霊たちが笑っていた。
「ま・・・マジかよ」
「魔王ヴィル様、くらくらする。二重に見える・・・これも初めての感覚」
アルコールの匂いがする。
普通、一口飲んだ時点でおかしいってわかるだろうが。
・・・・一気に飲んだのか?
「はぁ・・・・・・」
肩を落とす。
なんでこうも、ダンジョン慣れしていないのに、異世界クエストには強いのか。
『シンジュクたちが言っていた通りだ。面白いなお前たち』
「ウケるためにやってないんだけど」
完全に目を回していた。
これじゃ、酔いが覚めるまで、クエストは行かせられないし。
こんなにふらふらなら、俺もここから動くわけにはいかないだろうが。
『隣の部屋のほうが涼しい。ベッドはないんだけど、岩の段差に寝かせれば酔いも覚めるだろう』
「あぁ、ありがとう。ちょっと連れてくよ」
アイリスを抱きかかえて、ユウラクチョウの案内する部屋に連れていった。
小さくて風の吹きこむ、涼しい部屋だった。
真っ暗だったが、ユウラクチョウの足元だけ光を灯していた。
「どうしてここには酒なんて流れてるんだ?」
『なぜか湧き出てくるんだ。異世界で酒場が多いとかいう、ダンジョンの精霊同士の噂があるのだよ。まぁ、我々は異世界に行けないから、噂でしかないけどな』
「へぇ・・・異世界ねぇ・・・」
『お前も行ったことがあるんだろう?』
「あぁ、シブヤのダンジョンのクエストのときにね。人が多い印象しかなかったな」
『なるほど、なるほど』
ユウラクチョウが興味深そうに聞いてきた。
少し段差になったところに、アイリスを寝かせる。
『我々はいつか異世界とこの世界が繋がるんじゃないかと思っているんだ』
「は?」
『もうすぐ・・・いや、もうそこまで異世界は来ているのかもしれない』
「・・・・・・・」
『まぁ、ただの夢だよ』
ユウラクチョウが笑いながら話していた。
異世界か。
俺はあんな魔法も使えないような、ごたごたした世界なんか興味もないけどな・・・。
ただ、あの”オーバーザワールド”というゲームについて、どこか懐かしさを感じていた。
気のせいかもしれないが・・・。
「あれ・・・心拍数を計測しないと・・・・」
「静かに寝てろ、今、水を持ってくるから」
『お前も大変だな。優秀なんだか天然なんだか、よくわからない少女だ』
「同じことを、ずっと思ってるよ」
木をコップのような形に削ったものに水を汲む。
ダンジョンの精霊たちが楽しそうに異世界について想像を膨らませていた。
『来て早々、泥酔するとはな。面白い少女だ』
ユウラクチョウがもう一度笑っていた。
『我々は急がない。万全の状態でクエストに臨んでほしいからな』
『そうだ。アイリスが帰ってきたら、異世界の話を聞かせてほしいからな』
ユウラクチョウがシンバシの近くに座りながら話していた。
「ありがとう。すまないが、少し待ってくれ」
『ゆっくりしていけ』
水をこぼさないようにしながら、部屋に運んでいく。
中に入ると、ドアがズズズと音を立てて閉まった。
アイリスの近くに座って、水を飲ませる。
「ほら、飲め。水を飲んだら少し良くなるから」
「ありがとう、魔王ヴィル様」
少し起き上がって、ごくごくと水を飲む。
「どうして、アルコールだって気づかないで飲むんだよ? 毒だったらどうするつもりだったんだ? もう少し考えて・・・」
「・・・・わざとだよ。魔王ヴィル様すぐに戻ろうとするから。もう少し、ダンジョンで一緒にいたかった」
「わざとって、お前な」
「ごめん・・・でも、作戦成功。100パーセント勝率はあったの。こうゆうの駆け引きっていう。終電逃したっていうのと同じ心理」
「・・・一体、何の本読んでそうゆう言葉が出てくるんだよ・・・・」
こちらを見上げてほほ笑む。
「アイリス・・・・さっきのこと、まだ気にしてるのか・・・俺は別にお前に出ていけって言ったわけじゃなく・・・」
「魔王ヴィル様」
急に両手をつかんでくる。
「?」
「魔王ヴィル様、魔族の女性がそんなに好き? 本当はもっと、ラッキースケベイベントしてるんじゃないの」
「は・・・?」
「みんな魔王ヴィル様のこと好きだし。私だって・・・もっと役に立てるのに」
「わかったから水を飲め」
「へへへへ、水はお酒じゃない!」
「はぁ・・・・・」
会話がかみ合わない。
アイリスがここまで酒癖が悪いとは・・・。
「あ、私だって脱いだら違うんだか・・・」
「待てって、脱ぐなよ。こんなところで」
慌てて、アイリスの腕を掴んだ。
「むぅ・・・・・・」
「むぅじゃなくてさ・・・」
膨れている。アリエル王国の教育方針はどうなってるんだよ。
「とにかく、一人で寝てろ。酔いが覚めたら出てこい」
離れようとしたときだった。
「ねぇ、魔王ヴィル様ー」
「なんだよ・・・・」
マントをつんと引っ張った。
「大好き」
「え?」
― UPDATE ―
カッ
「!?」
アイリスが人差し指に光を走らせた。
「なんだ・・今の・・?」
「おやすみなさい」
アイリスが手を放して、パタンと倒れて眠っていた。
「ハチャメチャすぎるだろ」
深く息を吐いて、部屋を出ていく。
『ん? どうした?』
「・・・別に。疲れただけだ」
ダンジョンの精霊の話を無視して、水が流れる岩の近くに座った。




