299 ハデス
冥界はいくつもの層にわかれているのだという。
マリアと歩く道は、白く柔らかい花の香りがした。マリアの行く場所は、美しい景色の広がる天国なのだろうな。
『ヴィルは何でも自分でやろうとするから、ハデスの声も聞かないと思ってた』
『そこまで冷静さを欠いていない。あのまま俺がバイデントを無理矢理使ってたらどうなってたんだ?』
『・・・・あの子が、禁忌魔法を使わざるを得ない状況になってた、かな?』
『そうか。じゃあ、かなり危ない状況だったんだな』
『うん』
マリアが目を細める。
『ヴィル、大人になったね』
『何度も言ってるだろうが。俺はもう、あの頃の俺じゃない』
『うん。わかってる。ヴィルに、信頼できる仲間ができて良かったなって思ったの。私も安心して眠れる』
楽しそうに話していた。
ガルルルルルルル
時折、聞こえる獣の声は、冥界の門を守るケルベロスの鳴き声なのだという。
姿は見えないが、白い道を微かに揺らしているのを感じた。
『・・・終焉の塔にマリアはいるのか?』
『うん。今は、まだいるの。でも・・・』
ピンク色の髪を耳にかける。
『ヴィルをハデスのところまで案内したら、いなくならなきゃって思ってた。リョクって子に、全部明け渡して・・・私、一度死んでるからね』
『そうか・・・・・』
『あ、リョクに協力するわけじゃないよ、リョクがやろうとしていることは止めなきゃいけない。”ウルビト”は人間だけじゃなく、魔族もゆくゆくは殺して、天使の認める綺麗な心の持ち主だけを残すつもりだから』
『リョクのことがわかるのか?』
『うん・・・面識はないけど、ね』
前を向いたまま頷く。
『お互い、心臓の半分は捧げてるから、かな。悲しみ、怒り、憎しみ、望月りくが異世界で経験したことも痛いほどわかる。異世界を知らないけど、死にたいほどつらくなる気持ちが伝わってくる』
胸に手を当てて、ぎゅっと握りしめた。
『でも、私、少しだけ羨ましくて』
『何がだ?』
『彼らはクリエイターが描いたアバターに、心が宿って動いてるでしょう? 私は元々、子供の産めない体だったから、そうやって自分の子を持つことができたらよかったのになって。そう思ったら、なかなか終焉の塔から離れられなくて』
終焉の塔から感じる、マリアの力の理由か。
天使たちに強引に縛り付けられていると思っていたが、マリア自身が望んで・・・。
『・・・息子が俺だけじゃ不満か?』
『そうじゃなくて、ヴィルにはベラがいるでしょう?』
『ベラ?』
マリアの口からベラの名前が出たことに、少し驚いていた。
『ヴィルの目はベラにそっくりなんだって。勇者様が話してた。あと、魔力を暴発させてしまうところも、ベラと同じなんだって』
『会ったこともない奴を母親と言われてもな。俺からすると、他人だ』
『・・・私ね、本当はヴィルに魔法のコントロールとか、もっともっと、ギルドで馴染むために教えられたことがあったんじゃないかって・・・力がなくてできなかった。結局ヴィルに何もしてあげられなかったなって思ってて。ベラが生きていたら、きっとヴィルを・・・・』
『俺の母親はマリアだけだ。助けてくれたことを思い出せば、キリがない。心から感謝してるよ』
『ヴィル』
『俺は元々人間が嫌いだった。ギルドの人間じゃなく、魔王になる運命だったんだ。魔王になったら、もうマリアの子供ではなくなるのか?』
『ううん!』
マリアが思いっきり首を振った。
『そんなわけない。どこにいても、ヴィルはヴィルだもの』
『じゃあいい・・・マリアともう一度話せてよかった。ありがとう。終焉の塔は俺に任せて、マリアはもう休んでいてくれ。ちゃんと、うまくやるから』
『うん。こっちで待ってる。ヴィルはあまり早く来ないようにね』
『マリア?』
ふっと笑うと、ベールが取れて、霞の中に消えていった。
花の匂いが消えて、土の匂いに代わる。
『親子の会話は終わったか?』
『・・・・ハデス・・・・』
いつの間にかハデスの館と呼ばれる場所に来ていた。
巨大な椅子に、冥界の王ハデスが座り、横には魂を焼く炎が揺らいでいた。
ハデスの足元には、三つの頭を持つケルベロスが眠っている。
『天使がお前に私の武器を授け、名前を刻んだそうだな』
『そうだ。俺はこの武器を使いこなして、『ウルリア』の復活を止めなければいけない。力を貸してくれ』
ハデスの剣をかざす。
『わかっている。私の武器を使うのだ、しっかりと顔を合わせて話しておきたかっただけだ。魔王ヴィルが持つことに、文句があるわけではない。お前は信頼している』
指を動かして、ハデスの剣を浮かせる。
ブオン
二又の槍、バイデントの形状になり、金色の光を放っていた。
『異世界のVtuberとやらが、この世界に流れ込むのは私としてはも面倒だ。死んでも魂をどう扱ったらいいかわからないからな』
『だろうな』
『そういえば、アイリスは元気か?』
ぎょろッとした目で、こちらを見下ろす。
『元気といえば元気だが、どうしてアイリスを・・・・』
『そりゃ、クロノスの娘だと言われればな。俺と兄妹になるはずだが、違う。本当は血など繋がっていない。どこから来たのか』
『は・・・?』
『皆、アイリスに騙されてるということだ』
アイリスが・・・。
『クロノスもどこまで気づいているのか、知らないふりをしているのか、時の神のすることはわからない』
『・・・・・・・』
『まぁな、俺はどちらでもいい。このまま、騙されていても構わない。この事実を伝えたのはお前が初めてだ』
心のどこかで気づいていたことだった。
アイリスは、異世界から来た者なんじゃないかって。
『力を与えよう。今の話を知った上で、魔王、この剣をどう扱う?』
『!!』
ふわっと剣を目の前に下ろす。
『どうだ? お前の魔力と、異世界の魔力、そして、私の支配する冥界の魔力を調節した。この状態であれば暴走せず使えるのではないか?』
『・・・・・』
持った瞬間、剣が体に馴染むのを感じた。
今まで扱ってきた武器と明らかに違う。これが神の力・・・なのか。
『すごいな。この剣は・・・』
『その剣は持ち主を選ぶ。お前は選ばれたのだ。世界を変える者だと、バイデントが判断した』
刃先が金色に輝く。ケルベロスの頭がこちらを見て、もう一度眠っていた。
『はははは、アイリスが呼んでいるようだ。あまりここに長居すると、アイリスが悲しむ』
ズンッ
『調整は終わった。お前を地上に戻す。バインデントはお前に忠誠を誓い、導くだろう』
足元に魔法陣が広がった。
『待ってくれ。アイリスから禁忌魔法を無くす方法はないのか?』
『・・・禁忌魔法には、俺は関与できない。冥界を管理するので忙しいからな』
ハデスが立ち上がり足を鳴らすと、魔法陣がじんわりと光った。
『安心しろ。アイリスが何者であろうと、クロノスがアイリスを溺愛していることには変わりない。じゃなきゃ、この世界にいられないだろうからな』
転移する瞬間、ハデスの笑い声が聞こえた気がした。
シュッ
「魔王ヴィル様!!」
「アイリス・・・・」
目を開けると、アイリスの顔が見えた。
体を貫いていた剣を抜いて、体勢を整える。
痛みはなく、心臓から冥界の魔力が流れてくるのを感じた。
「一瞬で冥界から戻ってきましたか。さすが魔王というべきでしょうか・・・」
ミイルが悔しそうにしているのが伝わってきた。
グルムは何が起こったのかわかっていないようで、ワームと立ち尽くしていた。
「ほら、大丈夫って言ったでしょう? 魔王ヴィル様は何でもこなしちゃうんだから」
アイリスが自慢げに言う。
暴走はしなかったようだな。
心臓を止めて冥界に行ってから戻ってくるまで、数秒しか経過していないみたいだ。
「ん? どうしたの?」
「いや、なんでもない・・・・」
アイリスは・・・・。
いや、今、そんなこと気にしてる場合じゃない。
「びっくりさせるなよ。こっちが心臓止まるかと思ったぜ。って、成樹? おい、大丈夫か!?」
『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』
「死んでない、一応、息してる」
ナーダがぼそっと言う。
「めんどくせーな。つか、ダンジョンの精霊って、死んだらどうなるんだ?」
「知らない。いざとなれば、死体焼きたい」
「物騒なこと言うなって。おい、成樹、起きろ。焼かれるぞ」
りりるらが気絶したナルキッソスをさすっていた。
「・・・・・・・・・・・・・」
ナーダがため息をつきながら、グルムの動きを伺っているのがわかった。




