298 冥界入り
俺は愛する者がいなかったわけじゃない。
ただ、何が愛なのかがわからなかっただけだ。
マリアが俺に与えたものが、途方もなくて・・・。
なぜなのか、最期まで理解できなかった。
この塔には、どこかマリアとの思い出が詰まっている気がしていた。
ガンッ
ミイルの剣を弾く。
「!!」
「神剣開放しても、やはりその武器は、使えないようですね。ハデスは冥界の王ですから、そう簡単には武器を渡しません」
バイデントは思うような動きをしなかった。
武器が意志を持って、動いているような感覚だ。まだ、手に馴染まないな。
「まさか、魔王ヴィルとここで戦うことになるとは・・・」
アイリスがこの剣を軽く受け止めたのは、かなり力があるからだな。
「これでも僕は天使なんですよ。甘く見るなって、アエルから聞きませんでした?」
ミイルが余裕そうな笑みを浮かべる。
「そんなアエルと俺が仲よく見えたか?」
「アエルは君のこと気に入ってたじゃないですか・・・・・ま、彼はアリエル王国の天使ですから当然ですね」
「お前はミハイル王国の者を捨てたもんな」
「捨ててないから、アイリスに怒りを覚えてるんですよ。僕の大切な者を、アイリスは奪った」
ミイルが青い髪をなびかせる。
「魔王ヴィル様、私がやるから」
「いいから、下がってろ」
前に出ようとしたアイリスを止める。
「お前の攻撃はこいつに読まれてる。対策してきたんだろう。お前の魔法も動きもすべて」
「でも・・・」
「アイリスは僕が殺します」
シュッ
避けきれなくて、青い刃が前髪を少し切った。
バイデントを回して、下がって体勢を整える。この武器なら、魔王の剣のほうが戦いやすいが、ハデスの剣の力を借りなければ、堕天使とは互角にやりあえない。
「魔王ヴィル様! ミイルの剣は毒があるの。傷が・・・」
アイリスが傷を見ようと、近づいてきた。
「俺に触れるな!」
「あ・・・・」
慌てて手をひっこめた。バイデントを持ち直す。
「そうか、テラがかけた呪いは継続中なのですね」
「・・・・・・・・」
皮膚がしゅううううっと音を出す。
手の甲に、竜の鱗が浮き出そうになっていた。
「ミイル様、僕も戦います。この階は、僕が守るようにと言われていますから」
「グルム、貴方はそこから動かないように。これは命令です」
「!?」
ブオン
ミイルが手をかざした。
グルムとワームのいるところに、透き通るような結界が張られる。
「徹底してるな」
「9人の”ウルビト”は生かしておかなければいけないのでね。私は興味ないのですけど、他の天使がうるさいので」
「お前はえらくアイリスを殺すことに執着しているみたいだが、そんなことをしてもハナは蘇らないだろう。アイリスのせいじゃないと言っていたハナの言葉を、忘れたのか?」
「ハナのそばでは、綺麗な心を保っていられたんですよ。ハナが悲しむ姿を見たくなかったのでね」
刃先を見つめながら言う。
「でも、憎しみは、時間が経つほど、積み重なるんです。きっと、アイリスがどこかで死んでいたら、こんなことを思わなかったのでしょう。人は死ぬものだと割り切れたのに・・・」
「・・・・・・・・・」
アイリスが奥歯を噛む。
「全く・・・時間が解決してくれるなんて、誰が言い出したのでしょうね。きっと大切な人を亡くしたことが無い人が言っているのでしょう。実際は、風化していくほど、恐ろしくなり、アイリスを見れば思い出す。ハナが楽しそうに魔法を覚えていたことを・・・きっと、まだ、生きていたかったはずなのに」
ミイルは以前会ったときよりも荒んでいた。
青い瞳は暗くなり、魔力にはびりびりとした棘があり、別人のようにも見える。
「アイリスが禁忌魔法を教えていなければ、ハナは死ななかった。ハナが死ななければ、僕は天使のままだったのでしょう。ハナは僕の白い翼が好きだったから」
「互いに過去のことばかりだな」
ズン・・・
「!」
バイデントに魔力を込めて、ミイルに迫る。
キンッ
「お前は俺に愛を知らないと言い切ったけどな・・・」
刃が火花を散らしていた。力を込めるほど、どんどん熱くなっていく。
「俺にも会いたい者はいる。でも、死んだ。死ぬ直前まで、優しかった。俺が戦闘で見てきた死の直前の人間は、人をののしりあったり、精神崩壊したりしていたが、俺の母親は病に体を蝕まれても気丈に振る舞っていた。綺麗に死んだんだ」
「マリアですか」
「そうだ。お前らの勝手な事情で蘇った。憎しみが戦う理由になるなら、俺もお前らが憎い。よくもマリアを、死を、冒涜したな」
「!!!」
グルムを睨みつける。
「そちらにはそちらの正義があるということですか」
「・・・・・・」
「正直、魔王ヴィルを倒すつもりはありませんでした。でも、今、邪魔をするというなら仕方ありません。ここからは本気でいかせてもらいます」
剣を押して、アイリスの横に立つ。
ミイルが3つの魔法陣を自分の周りに張っていた。
「っ・・・・」
かなり強力なのが伝わってくる。
十戒軍を創立した、堕天使の力・・・・。
アイリスのホーリーソードから放たれる攻撃も無効化してしまうだろう。
「魔王ヴィル様、あれは・・・・」
「そうだな。このままなら、確実に負ける」
アイリスがまた禁忌魔法に手を出さない限り・・・な。
ミイルが力を高めるほど、終焉の塔の柱が振動していた。
ワームが怯えているのが見える。
「・・・アイリス、悪いが、ハデスの王に会ってくる」
「え?」
「必ず、ミイルに勝つ。でも、冥界の王に会った後、力を制御できるかわからない。俺が暴走したら、禁忌魔法を使わずに、止められるか?」
「え・・・・」
「もし、禁忌魔法を使わないと止められないのなら、他の方法を考える」
「ううん・・・」
アイリスが思いっきり首を振った。
「魔王ヴィル様、やっと、私のこと頼ってくれた」
「ん?」
ミイルが殺気立っているのに、アイリスが嬉しそうにこちらを見た。
「初めてかもしれないなって。魔王ヴィル様が私を頼ってくれるの」
「ダンジョン攻略ははお前に任せてただろうが。忘れたのか?」
「あ、そっか。そうだったね。ダンジョンがあった」
アイリスが少し嬉しそうに、ホーリーソードを握りしめる。
「うん。必ず止める、禁忌魔法は使わない。約束するよ。だから、ちゃんと戻ってきてね」
「あぁ」
「何をする気ですか? まぁ、何をしても、無駄ですよ。僕は準備を重ねて、ここに立っていますから。バイデントを使いこなせないなら、アイリスに任せたほうが、まだ勝算はありますよ」
バイデントの形態を、ハデスの剣に戻す。
「魔王とはいえ、天界の力には敵わないでしょう」
「今のままでは、な」
「?」
冥界から、ハデスの声が聞こえていた。
風が吹くたびに、心配そうに見つめる、マリアの視線も感じた。
この剣を使いこなすには、冥界に行かなければいけないらしい。
指を動かして、剣を黒く染めていく。
冥界に誘う形なのだと、頭の中に入ってきた。
ドンッ
「!?」
剣を自分の胸に突き刺す。
目を閉じる寸前、堕天使ミイルの驚いたような表情が見えた。
「おいおいヴィル!!!」
『あぁぁあぁぁぁぁ、なんてことだ。魔王!!!!』
アイリスがふわっと俺の体を浮かせる。
薄れゆく意識の中で、りりるらとナルキッソスの動揺が伝わってきた。
アイリスは上手く説明できているだろうか。
冥界の王ハデスに会うには、この方法しかなかった。
ゴオォォォォ
獣のような鳴き声が聞こえた。
肉体から魂が離れて、冥界に入っていくのを感じる。
『ヴィル』
暗闇の中からマリアが話しかけてきた。シルクのベールをかぶっている。
『・・・マリア、ずっと待ってたのか?』
『うん、ヴィルが心配で』
花のようにほほ笑む。傷は無く、安らかな笑顔だった。
『また、子ども扱いしやがって。俺は魔王だ。あのときとは違う』
『だって、子供でしょ』
『・・・わかったよ。で、どうしてここに?』
『迷わないように、連れて行ってあげる』
自分の体は小さくなっていて、少し背の高いマリアが手を差し伸べていた。
『・・・・・・・』
簡単なクエストで力をコントロールできずに、メンバーから置いて行かれたとき、マリアがオーディンと迎えに来てくれた時のことを思い出していた。