272 クラーケン
「魔力が若干乱れてるな」
「うん・・・自分で整えられるから」
「そうか」
そっと、サタニアから手を放す。
「ねぇ、サタニアは宝石のアメジストみたいですね。この髪、角度によって少し色が変わって見えるんですね」
「ちょ・・・ちょっと・・・そんなところまで触らないでよ。くすぐったいじゃない」
「サタニアはいい匂いがします」
サンドラがぐいぐいと近づいて、サタニアに話しかけていた。
「誰なの? この子」
「サンドラはピュグマリオンが作った女の子だ。人工知能で動いてるVtuberアバターと同じと思っていいよ」
「はい。サンドラはピュグマリオンが作った美少女です」
「美少女って・・・自分で言うのね。どうでもいいけど、ヴィルに変なことしないでよ。これ以上ライバル増やしたくないんだから」
サタニアが髪を耳にかけて、頬を膨らませていた。
「サタニア、さっきどうゆう感じだったの?」
「えっと・・・うん。心臓が掴まれるような感覚だったんだけど、今はもうなんともないの」
胸をさすりながら、不安そうな表情を浮かべる。
心臓を掴まれたというのは、呪いの類なのだろうか?
ナルキッソスは何か知ってるだろうか。
あまり深堀して、サタニアを不安にさせても仕方がないな。
「あー!」
サンドラが突然声を上げる。
「予定よりも時間が経ってしまいました。急ぎましょう。ナルキッソスのダンジョンの扉は、干潮の時にしか開かないのです」
「そうなのか?」
「はい! 書いてあったので、確かです」
「わーマジかよ。早く言えって」
「すみません、すっかり忘れていました。風向きを考慮したルートに変更します」
モニターの地図を見ながら言う。
指を動かして、赤い線で目的地までのルートを書いていた。
「なんだかんだ、早く着いちゃったね」
「私がスピード強化のバフを付与したからね。魔王城で留守番してるときに色々覚えたんだから」
サタニアが得意げになっていた。
潮の香りが吹き抜ける。
ナルキッソスのダンジョンは海に面した洞窟だった。
干潮を迎えるまで、数十分ある。まだ、扉は固く閉ざされたままだった。
「まぁ、早い分にはいいだろう。その辺で休むか」
「綺麗な場所ね」
「リーム大陸じゃなければ、ゆっくり休みたいところだけどね」
「そうだな」
サタニアが靴を脱いで、波を蹴る。
白い砂浜はきらきらとしていて、海は青く澄み渡っていた。
歩いていると、風が肌を柔らかく撫でていった。
「すごい発見です!」
サンドラが目を輝かせて波打ち際の足跡を見つめていた。
「波が引くと、足跡が消えて砂浜が平らになるのですね。魔法じゃないのに」
「そりゃそうだろ」
「サンドラには不思議なことです。また一つ、知識が増えたのです。きゃっ・・・」
少しよろけて、腕を引っ張ってくる。
「大丈夫か? 砂浜は足を取られるんだから気を付けろよ」
「うん。サンドラは大人になっていきます」
「ヴィルから離れてよ。もうっ・・・」
サタニアが割って入ってくる。
「どうしてですか? サンドラはヴィルが好きなので、くっつくのは当たり前なのです」
「好きって・・・会ったばかりじゃない。じゃあ、ほ、ほら、エヴァンはどう? エヴァンだって大きくなったらかっこよくなるかもしれないわよ」
「げ、俺を巻き込むなよ」
「いつもの仕返しよ」
「俺、サタニアに恨まれる覚えないって」
「恨まれることしか言ってないわ」
エヴァンが心底嫌そうな顔をして、マントを後ろにやった。
「サンドラは、ヴィルだからいいのです」
ツンとしてサタニアから視線を逸らす。
「サンドラはヴィルだからヴィルが好きなのです。ヴィルのいいところたくさん知ってるのです。困ったことがあったら助けてくれるし、優しくて強くて、どこか孤独で・・・あ、ダンジョンではいつも先頭を歩いて、魔族のことを一番に考えて・・・・」
「そもそも、お前を助けた覚えなんか無いんだが」
「なんでそんなこと知ってるんだよ」
エヴァンがサタニアの手をほどいて、真剣な表情を向ける。
「それ・・・アイリス様の記憶じゃないのか?」
「え・・・・」
「お前ら下がれ!!!!」
エヴァンとサンドラを引っ張った。
ドーン ドドドッドドドドドッドド
「!!」
突然、砂浜が盛り上がっていった。飛んで、後ろに下がっていく。
巨大なタコのような足が、砂浜を打ち付けていた。水しぶきが飛び散る。
「なんだ!?」
「く・・・クラーケンです。情報を収集します」
サンドラがモニターを出して、画面の文字を素早く切り替えていた。
「体長約55メートル」
「はぁ!?」
― 魔王の剣 ―
ザザザザザアザザーッ
現れたタコ足を斬っていく。
「気持ち悪い。クラーケンって嫌いなのよね。あのうねうねが気持ち悪い」
サタニアが体勢を立て直して、魔法陣を展開する。
― 闇夜の盾 ―
黒い盾が、クラーケンの足の攻撃を防いでいた。
「時間停止はさすがに効かないか。ヴィル、どうする?」
エヴァンが剣を抜いて、近づいてきた。
「タコ足、何度切っても再生するみたいだな」
「ねぇ、あの、砂の凹んだところに本体が居るんじゃない?」
「ん・・・・・」
3本のタコ足のちょうど右寄りの砂浜に、ほんの少し砂浜の凹んだ部分があった。
「よくわかったね」
「魔力が集中してるのを感じる。そこを刺せばいいだろう」
「あぁ」
剣に闇の炎をまとわせる。
「ヴィル、援護するよ」
「頼む」
ザッ
背後から襲ってきたタコ足を避けたときだった。
「なんだ? どこから?」
サンドラの居る場所から、美しい音楽が流れてくる。
透き通るような声に、重厚な鍵盤の音が重なっていた。
異国の言葉だろうか。
何と言っているのかは聞き取れなかった。
「どうゆうことだ? これは・・・・・」
タコ足がぴたりと止まり、砂浜の中に沈んでいく。
ドドッドドドドドドド・・・・
水と砂が飛び散る。
「ま・・・間に合ってよかったです」
サンドラが音楽を流したまま近づいてくる。
「なんだったんだ? 今のは・・・なぁ、エヴァン」
「・・・・・・・・・・」
「エヴァン、どうした? なぜ、お前が泣いてる?」
「え? あ・・・いや、なんでもないよ。目に水しぶきが飛んだんだ」
「?」
エヴァンが腕で目を拭っていた。
ドーン バッシャーン
真ん中に頭と右足がタコのような異形の者が現れる。
両腕は人間のような形をしていて、見慣れない服を着ていた。
「なんだ? あいつは」
「クラーケンになってしまった男の人です。元々は人間だったようです」
「人間? あれが?」
サタニアが剣を仕舞う。
「もしかして、人魚に恋をした男の話?」
「たぶん・・・・」
異形の者が、大きな目をぎょろっとさせて周囲を見渡していた。
流れていた曲がぴたりと止まる。
サンドラが、手を動かしてモニターを消していた。
「今、読み終わりました。私が流したのは古の人魚の歌です。あるゲームに出てきた曲をかけたのですが、ちゃんと彼にも効いてよかったです」
「これも異世界のゲームか」
「そうですね。望月りくが好きだったのでしょうね。サンドラも好きですよ。今、3秒で読んだだけですが、ぐっと心にくるものがありました。サンドラも好きな人がいるので」
サンドラが地面を蹴って近づいて来ようとすると、サタニアが割り込んだ。
「もうっ、すぐにくっつこうとするんだから。ヴィルは渡さないからね」
「サンドラも好きですから仕方ないです。これからも積極的にくっつきます」
「駄目、離れて」
サタニアが睨みつけると、サンドラが唇を尖らせていた。
「お前ら、今はそれどころじゃないだろうが」
「そ、そうよ。しばらくは停戦だからね」
「・・・承知です」
「エヴァン・・・・・・?」
エヴァンが波打ち際に降りていた。
「危ないわ! 彼は、クラーケンなことには変わりないんだから・・・あ」
「・・・あいつも馬鹿じゃない。サタニア、お前はサエルのこともあるから、あまり前に出るなよ」
「わ・・・わかったわ」
サタニアを止めて、ゆっくり地上に足を付けた。
「これ・・・」
エヴァンが異形の者の前に立って、水の中から一枚の貝殻を取っていた。
「・・・落としたよ」
『お前は誰だ? 今の歌は、セルキーか? セルキ―がここにいるのか?』
地鳴りのような低音の声だった。
「残念だけど、違うよ」
『いや、今の歌はセルキ―だ。俺が間違えるはずがない』
タコ足で貝殻を受け取る。
『あぁ・・・貝殻・・・美しい・・・』
「セルキーという人魚は見てないよ。君は、ジェームスだろ?」
『なぜ、俺の名を?』
「・・・・・」
彼の名は、ジェームス。
異世界のゲームの登場人物らしい。
元々、今の姿になる前は、名のある海賊だったのだという。
深海に住む人魚セルキ―に恋をして、海の神の逆鱗に触れて、今の姿になったのだと、サンドラが説明していた。
「有名だからさ」
エヴァンが軽い口調で言う。
『有名だと・・・? 人間ごときが、気安く俺の名を呼ぶな。俺の名を呼んでもいいのは、セルキ―だけだ』
「俺はこう見えて、魔族だよ。正確には人間だったけど、魔族になったんだ」
『は?』
「話してやるよ。君のこと、知ってるから」
エヴァンが力なくほほ笑む。
彼はクラーケンの姿で、海を彷徨い、セルキ―を探し続けていたが・・・。
彼の恋したセルキ―という人魚が、ジェームスの前に現れることは二度と無いのだと、説明していた。




