182 果ての大地⑫
北の果てのエルフ族は居なくなった。
炎が消えた後は、どこまでも真っ白な世界が続いていた。
「これがここでの最後のお役目です・・・・時の祠を閉めます。異世界住人が氷のダンジョンに来たら大変です・・・セツが危ないのです・・・」
レナがひっくひっくしながら、祭壇の水を取り替えていた。
「本当にいいの?」
「はい・・・もう、大丈夫なのです」
「大丈夫そうには見えないが・・・」
「・・うぅ・・・・」
レナは時の祠に着いてからも、しばらく泣いていた。
「・・・・」
「・・・・」
エヴァンも、サタニアも、ユイナも、口数が少なくなっていた。
各々、思うことがあったようだ。
異世界住人がかなりのスピードで力をつけている。
セツから貰った3枚の地図のどこかに、異世界転移を止められるダンジョンの精霊が居るとわかった今、一刻も早く向かわなければいけなかったが・・・。
今は仕方ないな。
魔族のステータスも底上げされたし、少しくらいは時間が稼げるだろう。
俺自身も、あまり焦る気にはなれなかった。
「時の祠は人間の寿命の何倍も生き続けるエルフ族と共にある、守らなきゃいけない場所でした・・・・この場所は・・・大切な場所です」
レナが剣を向けて、ドアに氷を張りながら言う。
「レナは臆病だったので、何度も、何度も、みんなに助けてもらいました。でも、レナは結局何もできませんでした。たくさん生きていたのに・・・いつか恩返しを・・・って思ってたのに、こんなに簡単に終わってしまう日が来ると思わなかったです・・・」
「辛いのはわかる。でも、前に進まなきゃいけない」
「うぅ・・・・・」
「エヴァン様・・・」
ユイナが小さく、止めに入る。
「だって、そうだろ? あの異世界住人を倒したいなら、泣いてる時間も惜しいくらいだ。特に、君は弱いんだから」
「わ、わかってるのです。ちゃんとわかってるのです」
「・・・泣くだけじゃ、何も守れない。力が無きゃ駄目なんだ。残酷だけどね」
エヴァンがきつく言うと、レナが涙を何回も拭っていた。
「いい? 転移するわ。みんな、絶対に魔法陣から出ないでね」
サタニアが両手を広げると、魔法陣が光り出す。
「さよならです。みんな」
レナが最後にくるっと剣の先で円を描いた。
瞬きした瞬間、祠が凍り付いていくのが見えた。
「やぁ、ヴィル、と皆さん。あ、一人増えたんですね。こんにちは」
「うわっ」
「ものすごい羽根の量だな」
魔王城の自分の部屋に入ると、堕天使アエルがソファーで寝転んでいた。
黒い羽根が床に散らばっている。
マキアに掃除してもらったばかりなのに。
「つか、アエル・・・何やってるんだよ」
「はははは、本読んでました。面白いですね。この本、笑いが止まらないです。クククク」
読みかけの本の表紙を見せてきた。
1か月前に読んだが、笑う内容ではなかったけどな。
「どうしたんですか? お通夜ですか? 皆さん揃いも揃って暗いですね」
「通夜だよ、通夜」
ため息をついて、ソファーに座る。
「本当、デリカシーのない堕天使ね」
サタニアが苛立ちながら言う。
「えっ、だ・・・堕天使!? どうして魔王城に?」
「その子は、なんと、北の果てのエルフ族ですか。エルフ族、エルフ族・・・あー、エルフ族を見るのは初めてですね。はじめまして、こんにちは」
「これは、どうゆうことなのですか?」
レナが真っ赤な目をこちらに向ける。
「異世界住人がアリエル王国に来るようになってから、堕天使が魔王城に入り浸ってるんだよ。アエル、その羽根どうにかしろって」
「そうだよ。この毛のせいで、異世界住人に逃げられたんだからな」
エヴァンがずけずけと、アエルのほうへ歩いていく。
「なるほどなるほど。すみません。生え変わりは自分でも止められないんですよね。あ、サタニア、見てください。代わりにこんなにきれいな羽根が生えてきた」
「ちゃんと掃除してよね。そんなに羽根が落ちてたら、間違って部屋ごとアリエル王国に転移しそうよ」
「変なこと言うなよ」
「そうなったら、楽しいですね。もっと落としておきましょうか。あ、冗談ですよ。怒られちゃいますから」
アエルが笑いながら体を起こす。
こいつが言うと、冗談なのか本当なのかわからないのが怖い。
「ん? 重要なことに気づきました」
「・・・な・・・何よ」
アエルが真剣な表情でサタニアのほうを見る。
「サタニアから少しエロさが消えました。ヴィルを他の女にとられてしまいましたか?」
「はぁっ?」
サタニアが耳まで赤くして後ずさりした。
「冗談ですよ。冗談。いい反応ですね。エロくなくても、私のサタニアへの想いは変わりません」
「ねぇ・・・・もう、いっそのことアエルと付き合ったら」
「そうです。エヴァンの言う通り、私と付き合えば、全て丸く収まります」
アエルが真剣な顔でサタニアににじり寄っていった。
「どうでしょう?」
「勝手なこと言わないでよ!」
サタニアがツンとして視線を逸らしていた。
「アエル、何しにここに来たんだ?」
「あ、そうそう。アリエル城に戻ってきた異世界住人がね、エルフ族の血を大量に持ってきたんですよ。それと、そこにエルフ族がいるのは、何か関係がありますね?」
「!?」
レナが息を詰まらせた。
「異世界転移で寝たきりだった異世界住人はどうなった?」
「今はぴんぴんしながら動いていますよ。エルフ族の血が効いたみたいですね」
「・・・・・・・」
空気が張りつめる。
「・・・・想像通りだな」
「ここまでスムーズにいかれると、腹立つね」
エヴァンが机に座って、剣を見つめていた。
「弱肉強食の世の中ですから、中立の立場である堕天使が何かできるわけじゃありませんが」
アエルが窓枠に付いた枯葉を一枚取った。
「見ていてとてもイライラしますね。エルフ族の血で、なぜかエルフ族の能力もうっすら備わったみたいです」
「そんな・・・・!!」
レナが顔をゆがめていた。
「・・・・・・・・」
ユイナは端のほうにいて動かなかった。
顔をこわばらせて、硬直している。
「運も味方してるみたいだな」
「そうね。他の種族の血を入れるなんて・・・普通なら、ステータスが下がるどころか、死んでもおかしくないのに」
「彼らは怖いもの知らずです。痛覚も取れば感じないし、肉体は異世界にもあるのですから、どんな無茶をしてもいいと思ってるんですよ」
「元々動ける異世界住人は、エルフ族の血が欲しいと言い出さないの?」
サタニアが少し空いた窓を閉めながら言う。
「次自分たちに何かあったときに使いたいというのが大多数のようですね。テラはその血を研究して、次に転移してくる人たちに使いたいようですけど」
「ひどいですっ・・・!! え・・・エルフ族を殺して取った血を、ただのモノみたいに使って・・・奴らはどれだけ残酷なんですか・・・」
レナが唇を震わせていた。
「レナ、あいつらのことはいったん忘れろ。今のお前には毒だ」
「アエルも、もう少し気を使ってよ」
サタニアがレナの頭を撫でながら、アエルを睨む。
「私も、北の果ては知ってるんですよ。いいところですよね。雪の美しい、冷たくて静かな場所です」
「どうして、平和を望んだ代償がこんな・・・」
「ひどいですね。ひどいんですよ。でも、大丈夫です。運は長くは続きません」
アエルが緑の髪をふわっと上げて翼を伸ばした。
「運は尽きるんですよ。永遠ではない。だから、あまり心配しなくても大丈夫です。そんなに、テラの思い通りにばかり、事が運ぶわけありませんから」
「・・・・・・・・」
アエルがぞくっとするような口調で言う。
一瞬、空気が変わるのを感じた。
「そんなことより、リョクが目を覚まさないようですよ。会いましたか?」
「リョクが!? なんで、そんな重要なこと早く言わないんだよ!」
エヴァンが机から飛び降りた。
「優先順位低いと思ったのですが・・・」
「低いわけないだろ! 最優先だ! ど、どこにいるんだ? リョクは」
「急に眠るように倒れてしまったので、マキアが部屋に連れて行きましたよ。魔族は原因不明だと言ってましたが・・・」
「原因不明!? リョク!!」
「エヴァン、ちゃんとドラゴン化してから・・・」
「リョク!!!」
エヴァンが勢いよく部屋から出ていった。
刃を出しっぱなしにした剣が、机に残されている。
「ったく・・・追いかけるわ。他の魔族にエヴァンの姿を見られたら面倒だもの」
サタニアがエヴァンを追いかけて走っていった。
「あー、心配ないよーって言おうとしたのに。行ってしまいましたか」
「性格悪いな。お前・・・」
「堕天使の話は最後まで聞かないと」
アエルがにやっと笑みを浮かべる。
「・・・・アイリスはどうしてる?」
「はははは、聞いてくると思いましたよ」
風が吹き込んで、本のページがパラパラ捲れていった。
「アイリスは姿を消すことが多くなりましてね。気になっていたんです」
「姿を消すって?」
「実際はどこかにいるんでしょうが、私でも見つけられないってことですよ。彼女の魔力はすごいですね。どんどん覚醒していきます。堕天使である私でさえ、能力の限界がわかりません」
「・・・そうか」
「今のアイリスは、ヴィルといたときと別人のようですね。でも、あれが本当のアイリスですよ」
「・・・・・・・・」
アイリスは、突然大量に持ってきたエルフ族の血を、どう思っているんだろうな。
異世界住人の導きの聖女として、奴らのような考えを持つようになってしまったのだろうか。
・・・・俺には関係のないことだが、な。
「・・・・・・」
マントを後ろにやって、部屋を出ると、レナとアエルがついてきた。
「待ってください。レナもリョク? ・・・・という子を診ます。回復魔法は得意なのです」
「はははは、大げさな魔族たちですね。なんともないのに」
「・・・レナはエルフ族なのです」
「そうですか。わかってますよ。貴女からは深い雪の匂いしかしませんから」
アエルが軽く笑い飛ばしていた。




