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9筆目:滅竜顕現、第二幕の始まりだ

 無量の闇が濃縮し、道化面の全身を覆っていく。

 異常な密度に至る暗気はその四肢へ被さり、躯へ纏わり、頭部へ巻き付き、細部までを取り込んでいった。

 死の瘴気に包まれた道化は、天使達の眼前で等身大の球へ変異。闇色の大球は空間の中程に浮き上がり、動きを止める。そこから音もなく微かに震え、次の瞬間、急激な膨張を遂げた。

 元々の大きさから数十倍にまで極大化した闇は、その表面を流れるように揺らがす。強風に煽られた水面を思わせるたゆたいを経て、暗色の陰気で飾られた球の全面は静かに波打つ。一切の光を通さない真闇の天球は、世界に生まれた汚点であるかのように、無情な態で存在感を誇示していた。

 純粋な邪悪さのみを強め、球は死の歪音わおん迸らせて、忌まわしい胎動を開始する。脈打つ腐気が焦土の気配を滴らせ、地獄のかんぬきを引き抜いた鬼の形相が如く、救いの無い猛悪ぶりを奮起させた。何人も祝わぬ滅びの生誕を前に、此の世の悪鬼邪妖が百万の歓声に迎え入れた事を、天使達は錯覚せずにいられない。

 滾り続ける負の因縁は重さと苦しさとを招き、格段に溢れさせた怨念に不遜な鼓動を重ねさせる。半壊した魂のいななきか、はたまた堕ち行く亡者の断末魔か、生と死の狭間で交錯する魔性の怖気は赫怒かくどを高め、忙殺のあぎとを開いて静寂を噛み砕いた。

 沸騰する溶岩に似た低く陰鬱な胎音は、不気味に響いて空間を満たす。絶えず天使達の耳朶を冒し続ける脈動が、一際の高まりと異形の怪音へ成長した時、遂にそれは起こった。

 闇球あんきゅうの内側、両側面より鋭利な爪を備えた腕が突き出してくる。否、腕というよりも脚。前脚と言った方が適切な、そんな形状の物。これに続いて似通った形状の後脚が、球の側後面より伸び出した。

 それからは瞬きの間に現状が変転する。前後の脚を送り見せた闇の塊が、急激に上下へと進み、ねじれるように収縮し始めた。その全容が細まり詰めると同時、静かに闇が崩れ、晴れ行く不浄の内面より新たな躯体くたいを現し出す。より正確に言うならば、闇そのものが集まり、溶け合い、統合して、それを実体化させたのだ。


「こんな……」


 翠の天使が、前方に屹立する果てし無い巨躯に、唖然とした声を零す。

 赤の天使も同様で、彼女の場合は呆けたように口を開けたまま驚き顔を固めていた。

 天使達のに映るは威容にして偉容。そして異容。

 山城と見紛う程の巨体、長命たる大樹の幹を思わせる太く頑健な四肢、その先端に伸びるのは長く鋭い五爪、下半身後方から肉厚にして柔軟なる尾が流れ、後背には大鷲に似るだがそれよりも遥かに巨大な暗色の翼が揃う。

 前方に長い鼻先の形状は蜥蜴に似、大きく裂けた口と、その内側に居並ぶ獰猛な牙の群が見えた。顔の上段中央部から両端へ緑の眼球が蜘蛛の複眼よろしく幾つも在り、長き首その回りには真紅のたてがみが揺れる。

 全身をくまなく覆う漆黒の鱗、ある種神々しくさえある大躯、現存するどの生物をも凌駕する存在感、威圧感。それは多くの伝承や神話に語られてきた、脅威の超生命体『ドラゴン』そのもの。そう。今、天使達の眼前には、漆黒の巨竜が尊大な御姿を露としていた。道化面が現した真の姿、それは闇色に聳える超大なドラゴンである。

 その在り様を見、天使達は愕然とした虚脱状態に陥った。より一層膨れ上がった相手の迫力に当てられ、再び身動きが取れなくなっている。ただ前方を注視し、自分達を見下ろす異形を眺めるばかり。


『やっぱり、本来の姿はイイねぇ。前の格好は、肩が凝ってしょうがなイ』


 巨顎を動かし、大竜がわらう。

 その声は大気を震わせず、天使達の頭へ直接響いてきた。意識の内側で乱反射する声は、彼女達の神経を故意に傷付ける悪意へと染まる。

 そのまま竜の巨躯が緩やかに降りて来た。今まで空中に停滞していた体が高度を下げ、前後の四肢が床を踏む。瞬間、凄まじい地鳴りと震動が巻き起こった。

 ドラゴンの4脚が硬面へ付き、恐ろしく巨大な身を支え体重が大地に掛かった事で、地震に近しい衝撃が全域へ走る。激しい鳴動に続き、天井からは構造材の破片が磨り潰された粉粒となって降り落ちた。


「ど、ドラゴン……」


 こうして発生した大きな揺れに自身等も身を振るわせつつ、赤の天使が呟く。

 眼前の黒竜は緑の複眼を奇妙に光らせ、その1つ1つに天使達の姿を映した。合わせて首を動かし、彼女等各々の顔を覗き込むように近付ける。硬く滑らかな暗色の鱗が筋肉の働きと共に動き、光さえ飲み込んで離さないだろう漆黒の輝きに少女を照らした。


『そのとォーりだよ、天使ちャァァァ〜ん。ファンタジィーの王道、どぉ〜らごぉぉ〜ンさぁ』


 押し出されてきた竜の顔が、大きく引き裂かれた顎が、その奥で粘つく唾液に濡れた牙が、天使達にギリギリまで迫る。

 真紅に染まった口腔から、死と腐臭にまみれた吐息が溢れ、彼女等の全身を襲った。


『ふふふフ、僕は、僕等は滅竜族。此の世の均衡を崩す存在、それを見出して滅ぼす事を定められた、世界の守護一族だ。数多の世界で最も雄々しく、最も残忍で、最も強大な、天に愛されたる神の子だァよ』


 複眼をギラつかせ、漆黒の竜はわらい上げる。

 天使達の頭に反響する声は豪笑だが、邪竜の口から溢れるのは巨大な咆声。言葉の形を取らない雄叫びは天地を揺るがし、彼女等にも尋常ならざる動風を叩き付けた。魔性の激轟が生み出す暴風の吹き荒れる中、赤と翠の髪が揃い揺れる。この下にある少女等の顔には明確な戦慄が宿り、眼前の巨悪へ幾許かの気後れを示した。


『君達には名誉と思って貰いたいなァ。僕がこの姿になるなんて、凡そ400年ぶりなんだからねぇ』


 強大に吠え上げながら、竜が首を天蓋へ仰ぎ向ける。

 大きく首を反らし、天井を見上げた巨竜。その口内に青黒い輝きが灯った。強い光を発す青と黒の明滅、双色が交わった複合光は牙の合間から外部へと燐光を飛ばし。高く掲げられた黒竜の頭部へ夥しい力の集約を教えた。


「いけない!」


 竜の口部へ集う力の渦。これを察した翠の天使が、訪れた危機感へ対し切迫した叫びを上げる。

 彼女は反射的に滅竜へ背を向け、手にする大弓を玉座の傍で倒れる少女へ向けた。白い鎧に包まれ、床へ倒れ伏したまま動かない彼女へと、弦を引いて矢を生み出し、狙いを定めて即座に撃ち出す。

 瞬時に宙空を駆ける光は少女の真上へ達すと、そこで四つの欠片に分かれ、周囲から娘子を囲った。欠片達が望まれた位置へ配置された後、それぞれの微光から翠の線が飛び、隣接する欠片同士で繋がり合う。少女の上に一つ、その周りへ三つ置かれた欠片が全て線で結ばれた時、翠光は三角形の障壁を形成。内側に在る少女を包み、彼女を護るべく完成された。

時を同じく、赤の天使もまた動きを見せる。

 翠天使の背後へ素早く移動し、姉妹天使を庇う形で竜の前に立った。手にする戦斧を炎へ変えて、両手を目線の高さで空へ突き出す。物質から変じた炎を双掌に揺らめかせると、これをより激しく燃え上がらせた。広げられた炎はすぐに膨れ上がり、赤の天使と背後の翠天使を、小規模なドームと見える炎膜に覆う。灼熱の囲いは少女等を外界より隔絶し、一分の隙もなく関連性を断った。


『ただ、この姿になると手加減は出来なくなるからネ。ふふふフ、激しすぎに御用心!』


 上向けていた首を動かし、天使達へ見下ろす位置取りで首を曲げる。

 そうした竜の口腔には、燃え上がる青黒い炎熱が巨大な塊となって存在していた。

 真実の姿へ至った道化面が口を上下へ押し開く。檻とも見える牙の羅列が拘束を消すと、そこへ閉じ込めていた焔塊が解放された。魔竜の口から青と黒とで彩られた獄熱が躍り出、この波は一直線に天使達へ突っ込んだ。

 赤の天使が張った炎の護りへ、斜め上方正面から青黒い炎が激突する。半球状の防御結界は、しかし一瞬で襲来した火炎群に飲まれ、瞬く間に姿を消した。

 竜の口からはそれでも尚、闇の滅亡炎が吐き出され続ける。際限なく増長する炎は天使等を喰らった後、床を打ち、これを伝うように広範囲へ走り渡った。急速に広がる火炎の流れは床面全体を隠し、空間の深奥部まで一気に染める。途中、翠の護陣に護られた白鎧の少女も居たが、この護り毎彼女を取り込み、突き立つ剣を含み、玉座を融解させ、果ての果てまで黒炎は席巻。見渡す限りを激熱の奔流に沈み入れた。

 更に炎へ変化が覗く。床一面を舐め敷く炎は所々が渦を巻きながら、徐々に上方へ伸び始めた。最初は小さな糸のように天へ走った炎も、捻りを強め、刻々と太さを増し、より激しくられ、あれよと言う間に遠き天空へ駆け上る。

 その姿は竜巻。灼熱に燃える、青と黒の竜巻だった。竜等の存在する四角い空間、その下面域を満たした炎から竜巻が立ち、空間内に夥しい熱と力を備えた颶風ぐふうを暴れさす。

 巻き起こった竜巻群は床と天井を繋げ、うねりながら当て所もなく移動し、その場へ留められた温度を急上昇させた。それに合わせて青黒い大旋風も威力と太さを増し、荒れ狂う勢いさえ強大化。屋内である事が嘘のように、縦横無尽な軌道で全てを削りいく。

 そんな物が暴れ続けるのだ。空間を形成する硬材達とてつ筈がない。

 床は激しくめくれ上がり、割れ砕け、瓦礫片を撒き散らしては竜巻に飲まれて消滅する。壁にも大きな亀裂が次々走り、次第に崩れては、床材と同じ運命を辿った。そして天井。猛り狂う膨熱の火柱が群舞に叩き上げられ、長らく耐えていた其処も遂に崩壊の時を迎える。

 竜巻の接面から幾筋ものひびを刻み、構築材同士の噛み合いがずれ、一塊ずつ落下を始めた。落ちて来た天井の一部分は、床へ激突する前に近辺を行く竜巻に巻き込まれ、熱と力で粉々に砕け、溶け、完全に霧消する。一連の現象が天蓋の随所で起こった後、下から押し上げる青黒の旋風群は、機能の多くを失った天井を撃滅。硬い覆いを取り払い、巨大な材片を降り注がせながら、開かれた真の天空へと立ち昇った。

 かつて天井を構成していた硬材は竜巻の群に当てられ消え去り、多量の埃さえも炎が焼き払う。土煙など一切噴き立たせる事なく、覆いに隠された空を晒した。


『ふふふフ、はははははハ! やはりこうでないと。何時までも狭苦しい室内にいると、かびが生えちゃうからねェ』


 大顎を閉ざし、吐き付けていた炎を止め、巨竜は天に向かって咆哮する。

 開かれた先にあるのは一面の黒。暗黒の色。そこへ瞬く遠き星々の煌き。夜空だった。満天の星空が、竜の複眼に映り込んでいる。何処までも広がる雄大な銀河の写し身が下、夜の闇より尚深く、尚昏い漆黒の竜は、愉しげにわらい続けた。


『さァ、燃えてきたよォ! この世界が命運を別つ、天使と竜の殺し合い。愉快なショーの第二幕、始まりだァッ!』


 悪竜の背に生えた双翼が大きく拡げられる。

 それが激しく羽ばたき始め、見えざる突風を生み出した。巨大な風の流れは床全体を打ち比し、この一帯を覆い隠す熱波の大海を吹き散らす。大風に煽られた青黒い炎の軍勢が、竜より叩き送られる猛風に従い、随時駆逐され。それはあの竜巻達とて例外にはなく。床を占めた炎の消滅に伴い狂暴なハリケーンも、まるでケーキの上に立てた蝋燭の炎を吹き消すかの如く、数度の揺らめきを経て立ち消えた。

 そうして現れるのは、粉々に砕け、殆ど原形を留めていない床面。激しい炎力に抉られ、引き剥ぎ、かれた硬材の、無惨な姿。何もかもを焼き、破壊し尽した黒竜の破炎。それが過ぎ去った後には、救いの要因は微塵もない。

 ただ唯一、静かに、健気に、されど確固として息衝く三つの命を残して。


『ふふふフ、そうこなくちャ。こんな所で終わられたら、僕が滅竜族の本体ほんとうのすがたになった意味がないからねぇ』


 竜の持つ緑の複眼が、床上に立つ赤と翠の天使を捉える。

 2人共、幾許かの煤汚れはあるものの、目立った火傷云々は見られない。あれだけの大炎に襲われながら見事耐え抜いたのは、赤の天使が作った炎の防護膜にかなりの力があった証拠。

 加えて彼女等の後方には、依然として倒れたままだが、こちらも焼け傷の見られない少女が伏す。翠の天使が放った矢、そこから作りだされた結界が彼女を護ったのだ。しかも少女の使っていた剣もまた、床に立ったまま損傷なく残されていた。


「天井が、無くなってる」


 若干の疲労を面上にきつつ、それでも戦意損なわぬ赤の天使。彼女は頭上の変化に驚きの声を漏らす。

 見上げた先には硬質な天蓋はなく、代わりに果てし無い星空が覗くのだ。天使の驚きも道理と言える。


「あの姿は、伊達ではないということ」


 少女天使同様、空を見遣る翠の天使。彼女は自分達を焼き払わんとした相手の力量へ思い至り、表情を多少なりとも硬くする。

 驚嘆と恐怖を半々に顔を正面へ戻し、異形の巨竜を今一度視界に置いた。


『このぐらいの事が簡単に出来ないようじゃ、世界を護るなんて不可能なのさ。圧倒的な力で、他を叩き潰す。それが僕等の遣り方だァ〜』


 愉しそうにわらう竜の精神波。

 これを受け、赤の天使も敵対者へ視線を向け直す。改めて対峙する両勢の間に、強い緊張感が生まれた。


「戦う以外にだって、遣り方はあった筈だよ」

「力を通すばかりじゃありません。話し合いで解決出来た問題だって、きっと」


 2人の天使が非難めいた瞳を、対面の大竜へ射込む。

 闇と腐と死に彩られた漆黒の魔竜へ、その生き方、遣り方へ、反感と抵抗の意思を投げた。そもそもに於いて、相手が有無を言わさぬ強行手段にさえ出なければ、彼女等とて戦う必要は無かったのだ。その思いが声に乗り、糾弾の言葉となって道化面へ向かう。

 だが竜の反応は、思案でも後悔でもなかった。


『他の遣り方? 話し合い? ……ふふ、ふふふフ、ふふはははははははハ!』


 竜の顎が限界まで開き、その内奥からけたたましい大哮が溢れ出る。

 それは大気を激しく鳴動させ、天使達の五体を揺さぶり、彼女等の脚を僅かながら竦ませた。


『君達は道を歩く時、いちいち蟻と会話をするかい? 君達は花畑を散策する時、逐一虫達の動向を気にするかい? その生涯に思いを馳せるかい? ふふふフ、はははははハ、そういう事だよ、天使ちゃァァん』


 荒々しい波長が天使達の胸中を叩く中、竜が翼を1度ためかせる。

 これに生じた烈風が空間を走り抜け、天使の赤と翠の髪を、身に付ける着衣を、大きくなびかせた。前後して、彼女等の顔に険しさが浮き、目も厳しいものへ変えられる。戦いが避けられない事を、知った者の顔へ。


『簡単に果ててくれないでおくれよ、天使ちゃァん達。愛しい愛しい、羽虫共よォッ!』


 それまでで最大の咆声が上がる。

 凄まじく重い暴風が叩き吹き、破壊の意思が全てを襲った。

 天使達は咄嗟に身構え、各々の武器を実体化。戦闘態勢を整えると同時、漆黒の竜が右前肢を振り上げる。鋭利な爪を備えた野太い脚が、竜の巨肢が、少女等目掛けて走り来た。

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