表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/11

6筆目:苦難直面、解放への1歩を進め

 目的を果たせず、狙いとは別方向に移動させられながら、それでも赤の天使は戦意を衰えさせない。

 確かに初撃は防がれた。しかしだからと言って、それで諦めてしまう程、彼女はあっさりした性格ではない。道化面への抵抗意欲を更に燃やし、表情を引き締める。

 背の翼を羽ばたかせ、空中移動の途上にあった自身の体へ制動を掛けた。その気になれば自由に空を舞う事も可能な双翼が動き、少女を押し流していた力を殺す。再び自由を得た天使は宙空で体勢を立て直し、緩やかに床へと着地。足裏が冷たい石面に触れた瞬間、両脚に力を込め、今一度、ピエロ仮面目掛けて駆け出した。


「だぁぁぁぁりゃぁぁぁぁッ!」


 両手の戦斧を水平に寝かせ、再度の気合いを声に乗せ、赤の天使は道化へ迫る。

 散ばる鎧を踏み込めて、猛然と突っ込む天使は、短時間で標的への接近を果たし。眼前に捉えた負の集合へ左手を振るい、大斧を薙ぎ払った。

 空気を裂いて風を切り、反身の緋刃が道化を襲う。だがの者は慌てるでもなく、悠然とさえする動作で、急接する刃の軌道上に左手を突き出した。開かれた五指、その掌へ、天使の戦斧が激突する。強大な力が弾け、凄まじい衝撃が空間へ走った。瞬間的に生じた力場が空気層に波紋を広げ、斧と掌の周囲に透明な烈風を迸らせる。

 けれども重刃は、今回も道化面に手傷を負わす事が出来ていない。伸ばされた掌に刃を打ち込んだまま、僅かにも皮膚を傷付けられず止められていた。


「とぉぉぉぉッ!」


 それを気にせず、赤の天使は右腕も振るう。左手とは逆方向から大斧は薙がれ、道化の体を狙い打った。

 が、やはり相手の動揺を誘う事は出来ず。今度は右手が動き、進行経路に伸び出して刃を止めた。

 左右双方の攻撃を片手で、しかも素手で受け止められ、天使の顔に若干の怯みが覗く。とはいえそれも一瞬。彼女は折れぬ反意を面上に燃やし、相手の行動より速く両斧を引き戻した。同時に床を蹴り、跳ぶようにして仮面の側方へと回り込む。そこから再度左腕を振り、右肩から斜めに斬撃を見舞った。


「頑張り屋さんだねぇ。イ〜イ表情かおだ。壊し甲斐があるよ」


 天使の攻勢を前に、仮面の者は余裕と共に嘲笑う。

 その右手はまたしても斧を受け止め、一切の威力到達を阻害していた。少女天使の攻撃はこれまでに、どれ一つとして道化へダメージを負わせていない。先に戦った鎧達とは比べ物にならない程の実力が、高い壁となって彼女の前へ立ちはだかっていた。

 悪意の笑いを注いでくる仮面へ意識を向けたまま、赤の天使は横目で姉妹の様子を見る。

 翠の天使は依然として幾本もの触手に絡め取られ、全身を締め上げれていた。彼女の顔には明確な苦痛が浮かび、体力的にも然して猶予の残されていない事が知れる。

 無慈悲な拘束下にあって悶える翠の天使へ、赤の天使が送る眼差しは辛さと悲しみに宿り。しかしそれを一拍の間を経て道化面へ移した時には、激しい怒りが爆熱の大渦となって荒れ狂っていた。


「許さないんだから」


 どんなに力を入れても押し進められない斧刃越しに、敵対者へ向け、天使は灼熱の感情を叩き付ける。

 軟弱な者なら目を合わせた瞬間に失神してしまうだろう強視線を射込み、強烈な闘志を真っ向から浴びせかけて。


「僕の事が憎くて憎くて仕方ないという表情かおだ。ふふふ、ふふふふフ」


 天使の睨みに対しても、道化面は当所からの雰囲気を揺るがせない。仮面の下からは、相変わらず不気味な嘲笑が吐き出される。

 彼人の声が大気を掻く中、空けられていた右腕が、天使目掛けて動かされた。蒼の大衣おおいひるがえし、下方から上方へ、掬い上げるように振るわれる。

 この腕運に際して、天使の反応は迅速だった。道化の腕がモーションを始めた直前に変異を察し、掴み止められていた巨斧を素早く引き戻す。そこから流れる動作でバックステップを踏み、一足跳びに距離を取った。

 彼女が間合いを開けるのと、道化面の右腕が振るい上げられるのは同時。大きく上天を突いた右腕は、瞬間、闇の気を凝縮して異形の怪腕と化す。赤天使の立っていた箇所は負の巨爪に抉られて、硬材が砕け、跳ね上がり、太い爪状の壊痕を刻み付けた。


「ハッハ! 綺麗に躱すじゃないかァ〜」

「えぇぇぇぇいッ!」


 声調狂いの狂笑を漏らす道化。それを敢えて無視し、赤の天使は攻撃を終えたばかりの相手へ飛び掛る。

 両腕を振り上げ、破壊された床を越え、一直線に標的の懐へ。勢いのまま再接近を果たし、またも射程内へ収めると、右手に握る戦斧を躊躇無く叩き付けた。

 彼女の進行速度と武器の重量が合わさった豪速の一撃。黒鎧ならば容易く破壊出来たが、道化面には例の如く通用しない。それは今回も同じで、彼女の豪打は、上げられていた相手の右手に難なく掴み取られてしまう。確かな速度を誇った斬撃は威力を発揮する事無く封じられ、天使の行動を無意味と為し。


「う〜ん、無駄だと判っていても頑張る健気さ。泣けてくるねぇ〜」


 ピエロの仮面が発すのは、人の神経を逆撫でする弄調の

 それでも今の少女に動じる様子はない。片方の攻め手を奪われても構わず、もう一方の左手を、そこに握った戦斧を縦へと打ち下ろした。但し、今回の狙いは道化面に非ず。右手の打ち込みを押さえ防ぐ彼人の左側面から、胴部前方へと振り下ろした一撃こそ、真打だった。

 彼女の戦意を照り返すかのような緋色の刃は、道化の体から僅かに離れた空間を打ち据える。其処にあるのは虚空、空気、そして触手。そう。赤の天使は道化面を討つのではなく、姉妹天使を捕らえる触手に標的を定め直したのだ。


 正確に言うなら、彼女は最初から触手をこそ狙っていた。しかし敵対者も同箇所への襲撃を予想し、迎撃準備を整えていた可能性は高い。いきなり攻め入ったとて、防がれてしまっては意味が無い。そこで天使はパターンを作った。

 何度やっても防がれる事を承知の上で、相手へと攻撃を繰り返す。敵はそれを防ぐか避けるかするだろう。そして、こちらの行動は失敗に終わる。だがそれに構わず、こちらは次も同じ行動をする。敵は先の手段で相手の行動を無力化出来た事を学習している、だから似通った手段を用いてこれを防ぐ。『この行動に対して、こう対処すれば効果がある』それはパターンだ。

 自らの行動をパターン化する事で、相手に次ぎ取るべき行動を刷り込ませる。即ち、相手の行動をもパターン化する。自分と相手双方の行動を形態化すれば、微小ながら思考を傾かせる事が可能だ。パターンを繰り返す中で、不意にイレギュラーな行動へ出れば、反応は幾許かでも鈍らせる事が出来る。天使が仕組んだのはそれだった。

 無論、敵勢を誘導する為の行動段階で、それが本当の狙いを隠す目的である事を知られてはならない。本当にそれしか手が無いように、そう思わせる必要性がある。だからこそ、赤の天使は全ての攻撃を本気で行った。加えて怒りの感情を雰囲気や表情、動きと全身で表現し『激情に駆られて突っ込んでいるだけ』と道化に思わせたのだ。冷静さを欠き、力配分も出来ず、怒りに任せて走っているだけの状態だと。

 道化面に天使の状態を非健全なものへ思い込ませた要因は、彼女の演技力のみならず、幼さを残した外観も一役買っている。若輩者であるが故、感情に流され易く、行動が単純であろうという先入観。それもまた、天使の目的達成に大きく貢献していた。

 心と体、二つを欺く事で、天使は当所の狙い通りに、忌まわしき醜物への攻撃を成功させる。敵対者に在る筈だった警戒心を潜り抜け、見事一手を決めたのだ。


 天使の放った戦斧は闇色の群を、邪悪の徒が内側から伸び出る、その付け根近くを、豪快に叩き遣った。

 けれど強靭な鋭刃の直撃を受けてさえ、触手群が切断される事は無い。弾力ある肉感的な管達は斧を受け止め、これに抑え付けられながら下方部へ沈下。断裂という結果は招かず、にわかにたわむのみ。

 ようやく手に入れた反撃の糸口は、結局、大きな戦果を上げる事無く。この事実を目の当たりにした少女天使の面貌へ、本心からの落胆が切なさと共に滲む。

 ……ことは無かった。


 それは充分過ぎる成果。触手の動きを両瞳の映す赤の天使は、反射的に口唇を吊り上げ笑みを作る。

 全ては瞬きの間に起こった出来事。

 赤天使の斧撃が触手へ命中しこれをたわめた時、翠の天使を縛り上げる触手群は、彼女へ対する拘束力を多少ながら緩めていた。

 それは奇跡の様な一瞬。千載一遇たる起死回生の好機。言うなれば、海の中へと沈み込み呼吸が出来ず苦しんでいる者が、突然に海面へと顔を出し、欲して止まない空気を吸えた瞬間と同じ。

 翠の天使を苦しめていた触手の圧力が、突如として軽減されたのだ。それは時間に換算してあまりに短い仄かなる一時にすぎず。されど苦しみから解放された彼女の意識は、この刹那の間に、形勢を一転する為の行動を組み上げた。

 それは思考というプロセスを踏まず、本能の閃きに準じた働きだったのかもしれない。死をまじかに控え、終わりという名の冷たい御手で撫でられた者だけが感じる、命の危機。それへ接した事によって研ぎ澄まされた生存本能が、生命活動の維持継続へ向けて全てを動かしたのか。

 彼女自身にさえ、それを知る術は無い。だがそんな物は現状に於いて、然したる問題でなし。

 脳内で輝きを発した行動計画は、稲妻の速度で肉体にこれを実行させた。


 緩んだ拘束の下、微細な自由を手に入れた四肢。翠の天使は考えるよりも先に右腕を動かし、左腕を動かし、指を動かし、瞳で照準を合わせ、息する間に光矢を放つ。

 神業的速度で行われた超速度の射撃は、翠の光で構成された眩い矢を世界へ顕現させ、彼女を包む望まぬ覆いを撃ち抜いた。翠の矢が天使の腕と腰へ巻き付く触手を食い破り、更に進行経路上に連なる触手群の束根を貫通。闇色に蠢くそれらは中途から焼き切られ、千切れ飛び、肉柔壁を上下へ弾ませ、吹き散らされる。

 これによって彼女を捕らえる触手は大幅に力を失った。かなりの自由が天使へ戻り、それは次なる反撃の狼煙のろしと化す。翠の天使は2撃、3撃と続け様に矢を射放ち、周囲にまとわり付く触手と、その束根を相次いで突き崩した。

 こうなってはもう、異形の醜管群に天使を封じ続ける力は無い。幾多の長物が撃ち切られ、床へ落ち、青黒い炎を上げて燃え始める。猛烈な異臭を発して燃える触手の残骸は、次にはもう灰すら残さず消えていた。


 粘つく忌まわしき拘束を断った天使は、大きく飛び退いて床面へと降り立った。

 翠の衣の足まで達す裾をなびかせ。ただ静かに、されど厳然として、故に美しく。細く色白い両脚が、硬き床を踏んだ。

 天使の肩は忙しなく上下に動いている。苦痛から解放されたばかりで、呼吸は荒げられていた。そんな彼女の顔には、自由を得た喜びよりも、死を免れた安堵よりも、自らを救う為に奮戦した赤の天使へ対す、直向きな感謝が浮かぶ。両の碧眼に宿る謝辞の念は、幾らかの距離を置いて立つ姉妹天使に注がれた。

 これに気付く赤の天使は相手の脱出成功へ嬉々としながら、抵抗力の耐えた触手より斧を離し、続け様に横へと薙ぎ払う。緋の一閃が道化面の外套を末端だけ斬り裂き、破れた布地を宙へ飛ばした。

 青の炎に包まれ、一瞬で消えてしまうそれを横目に、少女天使は床を蹴って一気に後退。翠天使の横方へ並んだ。


「有り難う」


 赤の天使へ向けて、翠の天使は頭を下げる。

 短いが、だからこそ数多の想いが込められた言葉。これを聞いた少女天使は、微かに頬を染めてはにかんだ。


「ううん、そんなのいいの。お互いを助け合うのは当たり前だよ」


 緩く頭を振って微笑みかける。赤の天使のその仕草は、翠天使の顔にも同様の微笑をかせた。

 2人は見詰め合い、そして頷き合う。同じ主よって創られた姉妹天使に、多くの言葉は不要だった。両者は以心伝心の間柄。互いの心を、想いを、自分の事の様に理解出来る。まるで双方が共に半身同士であるかの如く。

 感謝も、安堵も、喜びも、怒りも、悲しみも、2人は常に分かち合ってきた。その胸中は、言わずとも充分に伝わっている。だからこそ両者の決意も同じに堅固。今再び揃い立った天使達は、等しく強健な意志を交差させた。目的意識はただ一つ。正面に佇む悪意への、叛意は強く。


「あいつをやっつけて、絶ぇぇっ対に望まれた終わり方ハッピーエンドを作ろうね!」

「ええ、勿論よ。2人で一緒に、勝ちましょう」


 赤の天使は戦斧を構え、翠の天使は矢をつがえる。

 2人は同時に道化を睨み、戦闘体勢を整え直した。両者に宿る敵愾心てきがいしんは、先よりも熱く激しい。相対する邪悪へ注ぐ視線は鋭く重い。

 翠の天使の呼吸も段々と落ち着きを取り戻しつつある。彼女の状態が持ち直されれば、それが戦闘再開の合図となるだろう。その刻は近い。


「やれやれ、酷い事をしてくれた。内臓を引き裂かれた気分だよォ」


 天使達に正対する道化面は、蒼の外套を振るってわらう。

 外套の下から覗くのは黒い着衣。そして青い炎に焼かれ、消え散る触手。蒼套の下から溢れ出ていた醜悪な異形群は、今全てが塵さえ残さず消滅していた。

 翠の天使に射抜かれ、大半が欠損した為に。もう殆ど使い物ならなくなったそれを、道化自身が抹消したのだ。触手群は元々肉体の一部ではなく、仮面の者が有す闇の気が、死の波動が、無数に集約し生まれた擬似的な部位にすぎない。

 ただ肉体の延長上に作られ、本人とも強く結び付いているので、損傷と喪失には彼人の言葉通り、かなりの痛みを伴ったが。


「それに、上手いことたばかってもくれた。ふふふ、嬉しくなるね〜」


 少なからざる痛みに晒されながら、それでも道化から漏れ出るのは愉しげな声。

 尤も、声調が一定でないので実際にどのような感情が宿されているかは判然としないが。

 笑みで固まったピエロの仮面は、麗しき天使達を見据えている。その奥にある瞳もまた、彼女達を捉えていた。

 全身から放たれる負の統念は濃度を増し、不浄の存在を更に恐ろしやかなモノへ感じさせる。だが、既に覚悟を決め、勝利を誓った天使達は動じない。臆さない。怯まない。抗う意識は清浄の気迫を天使達に与え、近付く闇を振り払っていた。

 2人の天使と道化面は、真逆の立場から正対する。相反する両勢の、目先が目的だけは同一。敵対者の撃破。これ一つ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ