1筆目:執筆完了、新世界
イラストが基礎となっているキャラの性格・容姿表現等は作者の感性に強く依存しておりますので、実際のそれと異なる可能性が。
青い空は広がっている。何処までも、何処までも、永遠と思えるまでに広大。
蒼穹は果てし無く、当て所なく、始まりもなく、終わりも無い。
雲も何も浮き非ず、見渡す限りの青。在るのは空だけ、ただ青だけ。
さらさらと、筆が走る。
ガラスで出来た雅なペンが、何も無い虚空へと文字を刻む。
描かれる一文字に、乗るのは想い。
紡がれる一文字に、秘めるは願い。
綴られる一文字に、宿るは世界。
金の髪を靡かせて、空色の衣を振るわせて、その人は筆を振るう。
軽やかな腕運で、時に激しく、時に優しく。宙を駆ける煌きが、次第に全てを染め上げる。
空へたゆたう文字の海、そこから滴る、夢の音。
「始まるね、始まるね。主さまが新しい物語を書き上げたよ」
今では空間全てを埋める途方も無い文字、文字、文字。それを見上げて、赤い衣の天使が目を輝かせる。
薔薇色の髪を左右で2つに結わう、それは少女。あどけなさの残る顔に、見えるは緋色の瞳。
金の首飾りを巻き、紫の肌着と、青のハーフパンツを身に付けて。その上から赤い衣を纏う者。背中からはカーディナル色の翼が生える。
期待と興奮に彩られた双眸を、静かに波打つ文章群へ注ぎ。彼女は片手を天へ向け、満天の文字列を撫でようとした。
「今度は、どんなお話かしら」
同じ様に空を見詰める緑の衣を着た天使。彼女は微笑みながら息を吐く。
髪の色はアップルグリーン、揉み上げ部分のみが肩を越える程に長く伸び。髪に隠れた耳辺りから、緑の小さな翼を生やす女性の姿。
首には金の首飾りを巻き、着込むはコバルトグリーンの薄手なローブ。ゆったりとしたそれは、彼女の線を浮き彫りにする。穏やかな面上に刷かれた、たおやかな微笑と相まって、彼女を落ち着きある大人な女性と感じさせ。
澄んだ瞳に映り込む、浮かび漂う文字の道。それは彼女の吐息を受けて、波紋のように揺れ動いた。
2人の天使が見守る中で、金髪揺らすその人は手を止める。
最後の一字を書き終えて、指の上でペンを回した。それは、己が仕事の終了を告げる合図。
次の瞬間、宙空を満たす文字という文字全てが、一斉に黄金の輝きを放ち出す。一文字ずつが眩い光を周囲へ飛ばし、見遣る天使の目を閉じさせた。
咄嗟に額へ手を翳し、降り注ぐ金光を防ぐ乙女達。それに反して、直視に辛い黄金の斉射を、金髪のその人は笑みさえ浮かべて受け止める。実に楽しそうな、喜悦に満ちた快笑だった。
不思議な3者の様子に構わず、宙を埋める文字の変化は続く。激しい光をそのままに、文字達はまるで水に浸された墨が如く、静かに滲んで消え始めた。
溶けて、消えて、無に帰す文字。全てを照らす明光残し、次々失せる文字また文字。
天使達が目を開ける。揃って空をまた眺める。
彼女達の瞳の中で、文字の走っていた空が歪む。輝き湛えた虚空が撓み、渦巻くように動き出す。
回る、廻る、まわる、マワル……文字が果て、宙が螺旋を作り上げ、その巡りは今や数えられぬ程。
「さぁ、作品の鼓動を聞かせてくれ」
金の髪のその人が、空に向かって高らかに叫ぶ。
直後、渦の、歪みの、螺旋の中心が、音も無く弾けた。
瞬きの間さえ超える脅威の猛速で、空は瞬時に黒へと変わる。渦の中心から広がった黒は全てを包み、2人の天使と金髪の人以外、何かもを染めてしまった。後には何も残らない。ただ只管に黒。まったき黒。
「わくわく。どきどき」
赤の天使が口を動かし、自らの胸中を言葉に変える。
無音と化したその場には、彼女の声が大きく響いた。
「感じます。確かな響きを」
緑の天使が胸に手を当て、受け取る事実を小さく囁く。
鈴音に近しい可憐な声が、黒の世界へ染み渡った。
そして始まる新たな変化。
延々と広がる黒の中に、突如として亀裂が走る。最初は1本の線。だがすぐに分化し、統一性のない無数の罅割れが生まれた。それは黒の出現と同じ程の速度で、空間の果てまで急速に拡がる。
金の髪の人が、不敵に笑いながらを指を鳴らした。
小さな、けれど確かな存在感を示した音。同時に、黒が砕ける。
叩き割られたガラスのように、無数の破片を撒き散らし、全てを包んだ黒は粉々に散った。回転しながら舞い飛ぶ破片の数々。小さな欠片は宙空で色を消し、素早く透けて実体を失っていく。天使達や金髪の人へぶつかる事も無く、互いに擦れ合う事もなく。
崩れ去った黒の後、その背方から現れた景色は元の空。文字も、光も、存在しない、青空のみ。
但し、異なる所が1つだけ。天使達の見上げる先に、姿を現す巨大な城が。空の彼方の虚空の先に、彼女等一同頭上の果てに、驚くなかれと佇む王城。
数々の物語に記されてきた、ファンタジーの象徴とも言える白亜の大城。それは幾多の棟と聳える列塔を高く伸ばし、雄々しく雄大なる威容を以って屹立していた。異常を謳うとするならば、空の真中に巨体を据えて鎮座するのと、逆さとなっている事か。
そう。その城は天に向かって建つのではなく、その頂上点を本来とは真逆、下方へ向けて存在していた。城を見上げる天使達に、自らの頭頂を突き示し。
尤も、そこは空以外には何も存在していない場所。どちらが上で、どちらが下か、それは判然としていない。全ては天使達を基点とし、見た場合に過ぎないが。
「お城だね。おっきいね」
黒を割って現れた遥かなる偉状を指差して、赤の天使は楽しげに笑う。
彼女の心を表すように、背へと生える双翼が忙しなく羽ためいた。
「でも、仄かな悲しみが流れてくる」
無邪気にはしゃぐ赤の天使の傍らで、緑の天使は目を閉じる。
感じる思いを胸に受け、微かな切なさを声へと乗せた。
「物語。それは一時の夢。儚い幻。されど其処には、確かに息衝くモノがある。感じ取られようと、無視されようと、変わらず宿るモノがある。創作とは、担い手の魂を他者へ伝える思いの形。だからこそ、力だ」
金髪のその人は、天に浮かんだ逆さの巨城を仰ぎ見て、誰とはなしに言葉を投げる。
確信と決意に滾る真摯な声は、空へ届いて霧散した。
その最中、赤の天使と緑の天使は、共に背後を振り返る。彼女達の視線が先へ、何時現れたとも知れぬ卵が1つ。
「丹精込めて紡いだ物語、それはどんな物であれ、書き手の魂を反映した律動。命の片割れ。だからこそ、価値がある。そうは思わないか?」
金髪のその人は言いながら、天使達と同様に、唐突に出現していた卵を見遣る。
淡く、金色に光る卵。何も語らず何も返さず、ただただ静かに、薄い明滅を繰り返す。その内側で育まれる何かが、鼓動しているかのよう。
「俺は、書き続けるぞ。好きだからな。楽しいからな。誰に何を言われようと、俺は俺の書きたい事を書き続ける」
卵から視線を外し、再び上天の城を視界に置いて。金髪のその人は、手にしたペンを腕毎で高らかに掲げる。
天使達も彼の人を見た。屹然とした佇まいで胸を張り、確固とした信念で宣言する。そんな創造主へ、激励にも似た温かな視線を送り。
「さて」
不意に、金の髪の人が振り返る。
彼人の瞳に映り込む、赤と緑の姉妹天使。小首傾げる彼女達を捉えたまま、深い色合いの瞳が鈍く光った。
「折角だから、楽しんで来い」
彼の口が開閉した直後、2人の天使は光の球に変じてしまう。
片手に収まる程度の小さな球だ。それらは緩やかに浮かび上がると、次には燐光放って急上昇。風の疾さで逆さまの城へ飛んでいった。
「はわわわ〜!?」
「あ、主さま、これって……」
天使達に抵抗する間はなく、ただ状況を受け入れる以外に術はない。
遠く彼方へ舞い上がる光球から、驚きと困惑の声が僅かに届く。けれど、それさえ半瞬後には聞こえなくなってしまう。
反論する機会も与えない。文字通り、有無を言わさぬ早業だった。
「後で感想を聞かせてくれよ〜」
遠く去り行く光球を見送りながら、金髪のその人は愉快げに手を振る。
ニヤリという擬音が聞こえてきそうな、そんな笑みを浮かべて。
彼の背後では、空の只中に浮いた卵が無音で脈打つ。控え目な光だけを、後に残し。