第1話 3
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「ちょっと待ったー!!」
そこへ一人の背の高い体格のいい男が颯爽と登場しました。手には長い木の棒を持っています。
暗くて顔がよく見えません。誰でしょうか?
「玉ちゃんをかどわかそうとは、その罪、恐怖と共に己が魂に刻み付けるがよい!」
何者かは中二病のようなことを言いながら巨勢の手下を次々と木の棒で巧みに叩いて気絶させていきます。
十名もいた巨勢の手下は、たった一人の謎の男にあっという間に全員やっつけられてしまいました。
「巨勢様、オレを越後に釘付けにして、玉ちゃんを狙うとはイヤらしいヤツ!命ばかりは助けてやる。どことなり去ってしまえ!」
一人きりになってしまった巨勢は、「おぼえてろー!」と叫びながら去っていきました。
「ふー、悪役丸出しだね。助けてくれてありがと!あなたは?」
「いやだな、オレのこと忘れちゃった?玉ちゃん」
辺りはまだ真っ暗くてよく見えないのですが、この声、この呼び方は・・・?
「あんた誰よ?わたしを玉ちゃんって呼んでいいのは比羅夫だけよ?あんたなれなれしいわね!」
「えーと、オレがその比羅夫なんだけど・・・。本当に忘れちゃった?」
「いやだなー、比羅夫がここにいるはずないじゃん。だってしばらく来られないってお手紙来てたもん。わたしを騙そうっても千四百年早いよ!」
「どうしてそんなに人の話を信じないんだ?いつもはすぐに騙されるくせに。しかも中途半端な年数だし。二十一世紀だったら騙していいのか?」
「その独特の突っ込みは本当に比羅夫だったんだ!あいたかったよー!こわかったよー!ふええんー!」
「勝代ちゃんに木簡で連絡をもらっていたんだ。左大臣が玉ちゃんを狙っているみたいだから至急難波に戻るようにと。間に合ってよかった!」
阿倍比羅夫、後年歴史の表舞台で大活躍するこの青年は、歴史上の記録では生年月日が不詳なのです。このお話の現時点では二十五歳くらいの立派で大丈夫な男子なのですね。いわゆるイケメンで体格がよく、家柄のいい貴族のお坊ちゃんで都でもモテモテだったのです。でも彼は許嫁の玉代姫を大事にして、浮気は一切しない真面目な好青年だったのです。玉代姫の白馬の王子様なのです。たぶん。
「オレのこと忘れてたくせに・・・。オレは玉ちゃんに会いたくて無理やり抜け出してきたんだよ。越後からはちょっと、だいぶ遠かったけど」
「朝影に、我が身は成りぬ韓衣、裾のあはずて久しくなれば」
(超訳:あなたとしばらくあってないから、辛くてガリガリに痩せちゃったんだよ、まるで影法師だよ!なんとかしなさいよ!:作者未詳)
「ももしきの大宮人は多かれど情に乗りて思ほゆる妹」
(超訳:都には沢山カワイ子ちゃんがいるけど、オレが好きなのは君だけだよハニー:大伴家持)
「思ひにし、死にするものにあらませば、千度ぞ我は死に反らまし」
(超訳:恋で死んじゃうんなら、もう千回も死んでそのたびに千回も生き返ってるよ!大変なんだからね!もういい加減なんとかしなさいよ!:笠郎女)
「お姉さま、比羅夫様、これは万葉集の流用ではないですか?万葉集は現時点ではまだ編集も始まってないのですよ?家持さんも笠郎女さんもまだ生まれてないのですから、やめてくださいまし!時代をごちゃごちゃにするのは!それにお姉さま痩せてもないですし、毎日元気にお過ごしになられてたではないですか」
勝代姫のツッコミも気にしない二人。真っ暗でわかりませんが、二人とも顔が真っ赤です。ラブラブです。この辺を描写していて恥ずかしくなってきました。
玉代姫はさすがに抱き着くのは恥ずかしいので比羅夫の手を握りました。許嫁とはいっても年ごろの男女。まだまだ健全なお付き合いをしているのです。まだ和歌での交換日記レベルなのです。中学生かー!
「それにしても、これから比羅夫様の船団が蝦夷征伐にでかけることは朝廷でも周知の事実のはずですけど。こんな時期に中納言クラスのお父さまを、蝦夷を懐柔するために派遣するなんて朝廷はなにを考えているんでしょうね?やはり巨勢様の陰謀でしょうか?」
姉たちがイチャイチャしている横で、勝代姫が二人を気にせずに頭をかしげています。勝代姫は時代考証とかのツッコミはきちんとするのですが、恋愛話方面には全然興味がないようですね。
「こんなところでイチャイチャと見せつけないでくれますか?暑苦しい。もうすぐ冬なのに気温が10℃も上がった気がしますわよ。わたくしも道忠様に早くお会いして、イチャイチャしたくなるではないですか」
「あの・・・、お母さま?そんな場合ではありません。巨勢様が応援を呼んでくるかもしれませんよ。早く都から脱出いたしましょう!」
「勝世ちゃんの言う通りだ。話は後にしよう。さあ急ごうぜ!こっちだ!」
橘家の人たちは比羅夫に案内されて都大路を北へ急ぎました。