第1話 2
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その時、玄関の方から大きな音がしてきました。
「中納言さまの奥方はおられるかー?大至急の用事である!」
屈強そうな武装した武士六名を従えた左大臣の巨勢徳多が玄関先で大声を出しています。
巨勢徳多は冠という黒い帽子をかぶって黒い衣袍という着物を着て、勺を持った、でっぷりと太ったいやらしそうな顔をしたおじさんです。とてもご機嫌なのか、とてもニヤニヤしています。
「大王が昨夜から急に様態がお悪くなり、先ほど崩御なされた。大王は長らく病に臥せっておられたが、まだまだ崩御されるには早すぎる。これは大王に誰か毒を盛ったに違いないのだ。昨日大王に会った人物が容疑者となっておるぞ。こちらの玉代姫はたしか昨日大王にお会いしていたはずだが?」
「ええー?大王崩御?大変じゃないのよ?あんたなんでそんなに嬉しそうにニコニコしてんのよ?それにこんなとこで犯人捜ししてる場合じゃないでしょ!巨勢様だって、忙しいんじゃないの?」
「その通り。じゃが、おぬし達に一言いっておく必要があるからな。玉代姫、わしの妾になれば犯人の疑いはなしにしてやるぞ?どうだ、明日まで返事するんだな。はっはっは!ちなみにあんた呼ばわりはやめなさい。旦那様と呼んでいいのだぞ。特別にトコピーと呼んでもらってもいいのだぞよ」
「うっわー、キモイよ!悪役丸出しだよ!誰があんたなんかの妾になるもんですか!」
「なにを言う?お主こそ容姿はかわいいが、アホの子だからせいぜいバラドルになってテレビに出るのが関の山だろうが!わしがもらってやろうというのだ。ありがたく思うのだな!」
「意味わかんないし、迷惑だよ!お父さまを辺境に左遷したって本当のことなの?あんたのせいなの?」
「ふふん、道忠は九年前に入鹿様がお亡くなりになるまでは蘇我派だったんじゃ。わしが皇太子にとりなして中納言まで引き上げてやったのに、その恩を忘れて娘を差し出すのを嫌だと言ったからな、見せしめにしてやったのじゃ!」
「巨勢様、そんなことをおっしゃっても、よろしいのでしょうか?」
妹の勝代姫が玉代姫を守るかのように巨勢徳多の前に進み出ました。
「巨勢様こそ当時はバリバリの蘇我派であったとお聞きしていますよ?中臣鎌足様が中大兄皇子様をそそのかして入鹿様を弑された後、中大兄皇子様派に取り入って鞍替えしたとのもっぱらのお噂ですよ?お父さまを蝦夷の住む地へ追いやったのはお姉さまを手に入れるためには、ただ単にお父さまが邪魔だっただけではございませんか?」
「そ、そんなことはないぞよ!し、失礼な小娘だな!」
「もう一つございます。大王は長いこと病の床に臥せっておいででしたが、本当に病気だったのですか?中大兄皇子様からすると邪魔者だったので、ばれないように薄い毒を盛られていたのではないですか?まさか巨勢様はそのような大それたことはしないと思いますが、なにかご存じなのではないですか?」
「ぐ、ぐぬう。さすがは都で一番腹黒いと評判の姫だけのことはあるな。だがワシは無実だからな!鎌足様の指示で女官が毒を盛ったなんてことはないのだからな!不快じゃ、ワシは帰る!」
孝徳天皇は晩年、大阪の難波長柄豊碕宮に宮殿を移しました。しかし、皇太子の中大兄皇子が嫌がる孝徳天皇を無視して奈良に勝手に都を移してしまったのです。そのために世をはかなんで天皇をやめたいとおっしゃられていたようです。そして孝徳天皇は失意のうちに亡くなられたといいます。
巨勢徳多が引き払ったあと、玉代姫と勝世姫は外出先から戻ってきた母に早速相談しました。母は年齢を感じさせないほど若々しく、玉代姫たちと並ぶとまるで姉妹と勘違いされるほどです。
「わかりました。今すぐにここを発ってみちのくのお父様の元へまいりましょう。玉代ちゃんをあの汚らしいゲロゲロヒキガエル大臣の妾になんかさせるものですか!いずれにしてもすでに都は大和へ遷都されていますし、大王も崩御なされたのですから、もうここ難波にいてもしかたありませんし」
「お母さま、わたしあのロリコンの豚エロガエル親父をそこまでひどく言ってませんけど」
「えーと、お姉さま?」
玉代姫と勝世姫のお母さん、つまり橘中納言道忠さんの奥方の早苗姫様は即断即決の人です。竹を割ったような性格とはこのことを言うのでしょう。なんでも直ぐに決めてしまうので、人の意見は一切聞きません。道忠さんは調教されておとなしい人になってしまいました。余談ですが、奥方様が道忠さんを尻に敷いていた鬼嫁というのは都では有名で、知らないものは誰もいないほどでした。ついでに言うと、道忠は入り婿養子です。
その日の深夜、橘家の母と娘たちは、道忠さんの部下で出張に置いてけぼりをくらって暇をしていた、進藤織部、駒沢左京之進、織笠兵部、根井正近の四人の家臣をお屋敷に呼び出しました。彼らは巨勢達に見つからないように最小限の荷物を持って、こっそりとお屋敷を抜け出しましたのです。いわゆる夜逃げです。
お屋敷を出てすぐの大通りではやはり巨勢の手下六名が待ち受けていました。
「やはりな、ここで待っていたら来ると思っておったぞ!夜中に逃げ出すとは大王毒殺犯人であると自ら自供したようなもの。ひっとらえろ!玉代姫には傷をつけるでないぞ!わしの妾にするのだからな!ぐふふふ!」
進藤たち四人と巨勢の手下たちは刀による戦いを始めました。
この当時の刀は戦国時代とか江戸時代の武士が使っていた長い反りのあるタイプではなく、接近戦に有利な短い片手持ちの直刀が主流でした。
彼らはそれなりに剣術に優れていたのですが、さすがに巨勢側は人数が多く、次第に押されてきています。
とうとう、橘家の家臣は全員刀を落とされて抵抗することができなくなってしまいました。
「もはやこれまでか?巨勢に捕まるくらいならここで自決したほうがましですわ!」
「お母さま、なに早まっちゃってんの?よほどこの豚エロガエルが嫌いなんだね!」
「わたくしも若い頃に言い寄られたのです、このガマガエルに。親子そろって狙うとはこのヘンタイが!」
「ふふん、なんとでも言え。お前たちはもう逃げられないぞ。さあ、こっちへ来るのだ玉代姫!」
巨勢が玉代姫の腕をつかみました。当然振りほどこうともがく玉代姫。
「いやー、離しなさいよ!このドヘンタイが!」
「よいではないか、よいではないか。ウヘヘヘ」
とうとう玉代姫は捕まってしまいました。玉代姫はどうなってしまうのでしょうか?このままエロおやじにあんなことやこんなことをされてしまうのでしょうか?