第1話 1
第1話 難波にて
1
今から千三百年以上昔のお話です。歴史の区分では奈良県の明日香村に都があった飛鳥時代と呼ばれていた時期になります。
このお話が始まる西暦654年の時点は大化の改新で有名な孝徳天皇 (当時は大王と呼ばれていたそうです)ご在位で、大阪の難波長柄豊碕宮に都がありました。
西暦645年に蘇我体制へのクーデターである乙巳の変で蘇我入鹿が中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足たちに討たれてから九年が経ちました。大化の改新による律令制度が押し進まれて、天皇を中心とした律令国家が着々と作られていく、変革が朝廷から地方豪族に向かって嵐のように進められた時代になります。
天皇の部下に橘中納言道忠さんという朝廷で大臣の次に偉いお仕事をしていた公家のおじさんがいました。
おじさんには二人の娘さんがいました。姉は玉代姫、妹は勝世姫といいます。二人は都では評判の美人姉妹と言われていました。
二人はきれいなお着物を着て、広いお屋敷の中でお話しています。
「ねえ、勝っちゃん、わたし求婚されちゃったみたいなんだ、お父さまの上司のなんとかというお爺さんに。なんて名前だったっけ?」
そう、とぼけたことを言った玉代姫は采女という天皇のお世話をする女官をしていました。玉代姫は花の十六歳、今でいう女子高生の年齢にあたります。少しつり目の勝気な顔をした元気っ娘、それが玉代姫。
玉代姫は頭の上で髪をまとめた宝鬢とよばれる髪型にかんざし状のかざりをつけ、内裏にあがる正式な服装としての女官礼服を着ていました。
それはたった今、宮殿のお仕事からお屋敷に帰って来たばかりだからです。礼服は衣とよばれる広い袖の朱色の着物、下には裳と呼ばれる袴のような薄緑色のスカートを履いています。
この辺わかりにくいですね。簡単に言うと飛鳥時代の貴族のお嬢さんの恰好をしていた、ということですね。余計わかりにくいですか?
「お姉さま、巨勢徳多様のことですよね?忘れちゃダメですよ、左大臣様なんですから。それにしてもあの方はもう五十歳超えてますし、奥方様や側室もいるじゃないですか。いいんですか?それにお姉さまには婚約者の阿部比羅夫様がいるんじゃないですか?」
妹の勝代姫はおっとりとした顔の十四歳ですが、近所では姉よりもしっかりしているともっぱらの噂です。
「嫌に決まってるじゃない!あのお爺さん、会うたびに嫌なこと言うのよ?『十六にもなってまだ嫁にもいかないのか?』とか『お嬢ちゃんかわいいねー、おじさんが可愛がってあげるよー』とか、肩に手を乗せてくるのよ!セクハラよ!訴えてやる、あのエロおやじ!」
この時代にセクハラという言葉があったかどうかは別として、玉代姫は大王の身の周りのお世話のために内裏へ上がることも多いので、どうしても皇太子や左大臣などといった位が高い人と接する機会が多くなります。
現在の大王は病に臥せっておられるのに、皇太子の中大兄皇子様とか中臣鎌足様は勝手に大和の地に都を移してしまったのです。そのために大王が住んでおられる難波の宮にはお役人や警備の人も少なくなり、だんだん治安が悪くなってきました。
「お父様は春からはるか遠くの蝦夷が住むみちのくへ一人で出張に行って、いつ帰ってこられるかわかんないし、変なお爺さんには求婚されるし、どうなってんだろうねー。比羅夫はいつ都に帰ってこられるのかなー?」
「お姉さま、阿倍比羅夫様は水軍の練習で越後の方に行っておられるので、しばらく戻られないと先日、木簡でお手紙があったばかりではないですか?」
「そーだっけ?木簡来てた?比羅夫もお手紙じゃなくて直接会って言ってくれればいいのに。ぶーぶー」
「えーと、それはどうかと、越後は遠いですので・・・。それからきな臭いお話を聞いてまいりました。お父さまですが、此度の出張はただのみちのくの蝦夷の現状視察ではなく、左大臣の巨勢徳多様の陰謀によるものとのもっぱらの噂ですよ。
お父さまは左大臣様に嫌われたため、みちのくのさらに北の方のまだ朝廷の御威光が届いていない蝦夷を服従させるまでは帰ってきてはいけないと命令されてお出かけになられたそうです」
「うわ、ひっどーい!じゃあお父様一生帰ってこられれないじゃん!ウチどうすんの?禄もらえなくなっちゃったらごはん食べられなくなるよ?」
「それはご心配はいらないかと思いますけど・・・。それよりもお父さまの御心配は?」
「ところで勝っちゃん、どこでそんな話聞いてくるの?なんでそんなこと知ってるの?」
「わたくしは目的のためには手段を選ばない姫と呼ばれておりますから、なんでも知っているのですよ、ふふふ。お姉さまはお聞き及んでいませんでしたか?」
「聞いてないわよ。そんなの!」