第0話 オリジナルの小川原湖伝説
第0話 オリジナルの小川原湖伝説
このお話は青森県の東側に位置する小川原湖の周辺の三沢市、東北町などの市町村に伝わっている伝説になります。別名、沼崎観音の伝説ともいいます。
昔々、伝えられているところではお話の始まりは西暦654年、孝徳天皇が崩御されて、第三次遣唐使が送られた年です。丁度大阪の難波から奈良の飛鳥に遷都されたタイミングになります。
都に橘中納言道忠という男がいました。
彼は最愛の妻を失った悲しみのあまり、出家するために現在の小川原湖の辺りへ来ました。
残された娘たちは、姉の玉代姫十六歳、妹の勝世姫は十四歳です。
彼女らは行方の知れない父を探すために、進藤織部と駒沢左京之進という家来を連れて旅に出ました。途中の熱田神宮で遠く陸奥の国の古馬木山に父がいると神託を受け、はるばる本州の北の端まで来たのです。
たどり着いた時には時遅し、既に道忠は亡くなってしまっていたのです。
姉の玉代姫は悲しみと観音菩薩になってみんなを救うという決心をして沼に入って沼の主となりました。その沼の名前を姉沼とつけられました。
妹の勝世姫も姉と同様に小川原川の主になるために身を投げようとしたとき、水中から巨大な鰐鮫が出てきて、『ここは俺の縄張りだ!出ていけ!』と、勝世姫に襲い掛かってきました。そこで勝世姫は大蛇となって鰐鮫と三日三晩戦ったのです。
そこへ観音菩薩になった父の道忠が来て観音のお経を唱えると鰐鮫は苦しみだしました。
そして勝世姫が淵へ飛び込んだところ、川は大きな湖になりました。これが小川原湖です。
父の道忠は湖のほとりの沼崎観音となり、親子三人がそれぞれ観音様として祀られています。
この伝説にはいくつかの内容が違ったバージョンがあります。それらは小川原湖から少し離れた五戸町や六戸町にも伝わっており、実際に遺された仏像があるという話もあります。代表的なものでも後述するように沢山あります。
・道忠の奥様は死んでいなくて都で元気で住んでいる。
・道忠は小川原湖の北の方に庵を建てて仏像を彫って元気に暮らした。
・玉代姫の櫛を玉代姫の家臣の進藤織部が大事にした。
・勝代姫の家臣の進藤織部が湖のほとりにセンの木を植えて暮らした。
・生き残った道忠が遠く都の奥様と石で連絡を取り合った。
・玉代姫と勝世姫がみんなを救うつもりじゃなくて、父が死んだのを悲しんだだけで湖に身を投げた。
・小川原湖の北にあるお堂に道忠が彫った仏像が安置されていた。あるとき賊がはいって仏像を盗もうとした。それを守ろうとした住職が仏像を持って沼に飛び込んだために仏沼と呼ばれた。
・仏沼から二体の仏像が引き上げられて六戸と五戸の人が安置している。
・道忠の苗字が橘ではなくて立花とされている。
・姉沼の名前の由来がアイヌ語の『細長い沼』から来ているという説もある。
本編の新小川原湖物語はオリジナルの設定を借りた全く別のお話となっています。ファンタジー要素は極力排除していますが、フィクションをフィクションで上書きしたとお思い下さい。
あくまでフィクションですからね。時代考証がいい加減だとクレームを付けないでくださいね。