詩を書いていた途中であった色々を目にした中で
詩を書いていた途中であった色々を目にした中で、思えたことは、
今でも私の行動の指針になっていると思う。所詮自分なりの、創作への向き合い方、ってやつ。
それは、自分を変に飾りつけず、おごろうとせず、ありのままに、自分の心を汚さないこと、だった。
詩を書いていく中で、自分の評価を上げる為に様々な印象操作や、様々な自作自演、様々な表現つぶし、
様々な、心が汚れそうなそれらを目にしてきて、……本当に、気持ち悪いと思った。
何故、好きなものを好きなように自由に、心を汚さないように自らの為に書いているものを、他人のしょうもなくくだらなく気持ち悪い思惑に振り回されなくちゃならない。
それはただただ、気持ち悪く、ただただ、私の性質に合わなかった。
なにかあれば、自分の功績でもないのに、名のある方の名前を出し、そういった権威を振りかざし、他者をつぶそうとする。
そして、そのうち、そういったものを目にしていて、気づいてしまった。
私が、あの気持ち悪い方々をあの気持ち悪い方々のやり方や言葉で納得させて、私をあちらに吸収させても、……それは、ただただ私の性質に合わない気持ち悪いものに私が染まるってだけの話だ。
私は、ただ、自らが面白いと思えたものを、自らの表現を自らが思い描いたように表現したいだけだ。
それなのに、それすら。表現の場すら、奪おうとする。
声すら塞ごうとする。
あの気持ち悪い人々も、あの人たちなりのしたいことがあるのだろう。そのために行っているのだろう。
けれど、私は、そのようなことに興味などない。
私は、私の表現が出来ればそれでよいし、表現させてもらえる場で表現を続けるだけだ。
ただただ、心を汚したくはない。
心を汚して、自らの精神性を汚してまで手に入れられるものなど、ほんのわずかにすぎないだろう。
私は、そんなもので手に入れられるようなほんのわずかなもののために、自らの大事な精神性を汚したくなどない。
私は、私の為に詩を書いているし、創作をしているから。
だから、私は、そう決めています。
私は私の為に創作をしている。
それはいつまでだってそうだし、それはいつまでだって変わらない。