89話
ネビルムを朝出て、昼になる前にはもう古代魔法の祠に着いて、そこから瞬間移動して……正午になるかならないか、という頃にはもう、クレスタルデに到着していた。
「少し離れていただけなのに懐かしいような気持ちになるわね」
潮風に髪をなびかせるディアーネは、少し目を細めて海を眺めている。
とりあえず、今は表情のどこにも憎悪だのなんだのは無い。ディアーネは単純に自分の故郷への帰還を喜んでいるらしかった。
「とりあえず、飯くっちまおーぜ。いつものとこでいい?」
初めて俺とヴェルクトがクレスタルデに来た時に入った飯屋を目指して歩き始めると、ディアーネがくすり、と笑う。
「ええ。……久しぶりだわ。こうしてシエルとクレスタルデで食事を摂るなんて」
……まあ、そういえば、そうなんだけどね。
「……7年、だものね」
「ね」
そう。俺がディアーネとクレスタルデで飯を食うのも、クレスタルデで話すのも、クレスタルデを歩くのも、全部7年ぶりの事なのだ。
いつもの店に入ったんだけど、今日は紅玉鮪は入ってないらしかったので、代わりに凝乳鰈のムニエルを注文。凝乳鰈はクリームめいたまろやかなコクがとっても美味しいお魚である。スープとかに入れるととけちゃうぐらい柔らかい身をしているので、形を綺麗に保ったまま焼き上げるのには相応の技術が要るのだ。
厨房で元気に魚の調理をしているのであろう爺さんの腕前に感嘆しつつ、こっくりまろやかな魚の旨味を堪能することにした。
美味しい食事に夢中だったもんだから、俺達は特に何を話すでも無く、食事を進めていた。
が、食い方がお上品なディアーネや、俺の倍近く食うヴェルクトと一緒だと、俺だけさっさと食い終わってしまうのだ。
案の定、魚の出汁の利いたトマトスープを飲み干してご飯終了した時点で、まだ2人の食事は終わっておらず……かといって話しかけるのもなんだか気が引けるので、自然と、視線を店内に彷徨わせる事になる。
古びたドアに吊り下げられた魔鋼硝子のベル。
時代を感じさせる柱時計。
潮風に錆びた窓枠に嵌った、歪みのある硝子。
天上からは船で使われるようなランプが吊り下げられ、あたたかな光が床を照らす。
……そんな中、見慣れない張り紙を見つけた。
古ぼけたカウンターに張り付けられた、1枚の張り紙。レトロな店内に似つかわしくない、新しい張り紙だ。
レイアウトのため、ってかんじでも無いから、気になって読んでみる。
『ヴェルメルサ魔道競技大会』。
……なにやら面白そうな雰囲気ね。
そうこうしている内に2人の食事も終わり、お会計を済ませる。
「なーなー、婆さん、この張り紙の『ヴェルメルサ魔道競技大会』って、どんなかんじ?」
お釣りの銅貨を数える婆さんに聞いてみると、はた、と手を止めて婆さんは考えるそぶりを見せた。
「そうねえ……一昨年から始まったのだけれど、中々に盛況みたいねえ。他所の国からもたくさん人が集まってきて。ほら、お隣のアイトリウスには術師の人が多いでしょう?だから余計に盛り上がるのね」
へー。……開催は明後日だ。ちょっと覗いてみてもいいかもね。
人が集まるって事だから、『永久の火の欠片』とか『生命の樹の実』とか『永久の眠りの骨』とかの情報を集めるのにも役立ちそうだし。
……そしてそれ以上に、他人が使う魔法に興味がある。
俺ってとっても勤勉だからね。好きな事はどこまでもお勉強したくなっちゃうタイプ。
店の婆さんと、奥の厨房で調理をしていた爺さんにお礼の声を掛けて店を出る。
「ディアーネ、『ヴェルメルサ魔道競技大会』、出た事ねえの?」
「ええ、無いわね」
折角なので聞いてみたところ、あっさりと予想通りの答えを頂いてしまった。
「できそこないを外に見せる気は無い、だそうよ?」
……ね。
だって、ディアーネが出場したら、優勝まっしぐらだもん。精度も威力も最高峰。こんな奴に魔術で勝てる奴なんてそうそう居るまい。
……だから、まあ、こいつのお姉ちゃんたちだの、親父さんだのは……ディアーネを出したくないだろうなあ、と、思う。
「ふーん。……ちょっと見てみてーな、って思うんだけど、ディアーネはどう?」
「そうね。私も魔女の端くれだもの。当然、魔術に興味はあるわ。シエルが見たいならご一緒させてもらおうかしら」
ふむ、しかし、ディアーネはそこんとこ、ドライである。
割り切るのが上手、っていうか。
「じゃ、とりあえずお前んち行って、それからのんびり西へ……フィロマリリアまで向かうとするか」
「それがいいと思うわ。どうせ『炎舞草』はフィロマリリア西の森にしか無いのでしょう?なら、クレスタルデからはどうせ西に進む事になるものね」
ま、ディアーネも特に気にしないでくれるみたいだし、どうせ道程の途中にフィロマリリアがあるんだし、開催は明後日だし。丁度いいから、見物してみてもいいかもね。
雑談している内に、遂に、ディアーネの生家……クレスタルデ邸へ到着してしまった。
庭の手入れをしているメイド達がディアーネの姿を見つけると、何人かがぱたぱたと慌てて屋敷の中へ駆けていく。
多分、クレスタルデ伯にディアーネの帰還を報告しに行ったんだろう。
「お、おかえりなさいませ、お嬢様!」
「ただいま、ベリル。……アイトリウス王国のシエルアーク殿下とその騎士様をお連れしたわ。……お父様とお姉様はいらっしゃる?」
さりげなく『騎士様』呼ばわりされたヴェルクトが照れくさそうに視線を逸らしたのが見えた。……今日日珍しい位の恥ずかしがり屋さんである。
「え、ええ、旦那様は書斎にいらっしゃるかと……ティーナお嬢様はご不在ですが、メイアお嬢様とミーナお嬢様はいらっしゃいます」
ちなみに、ティーナ、ってのが長女。暗めの金髪にマリンブルーの目のボインさんだ。今はアンブレイルと一緒に居るはず。エルスロア国王と謁見した時に一回会ってるね。
で、メイアってのが次女。亜麻色の髪にペールブルーの目のスレンダーさん。闇魔法は小魔法までしか使えないはず。
最後に、ミーナってのが三女。ド金髪にアクアマリンの目の小柄な人。こっちは光と闇両方とも小魔法までだったはず。
……なんとなく、みんな容姿がこう……ディアーネより色が薄め、なんだよね。
ディアーネはもう、炎のような髪にエメラルドの瞳、ってな具合なのに、お姉さん達は多少の色合いの違いこそあれ、大体は金髪碧眼の範疇なもんだから……なんか、ディアーネ1人だけ異質なのである。
髪と瞳の色については、間違いなく幼いディアーネの性格を捻じ曲げる一因になったと思う。
「そう。ならまず父上にお会いするわ。シエルアーク殿下たちには私の部屋でお待ちいただきます。お茶をお願いね」
メイドにそう告げると、ディアーネは颯爽とクレスタルデ邸の門を潜った。
そして俺達を振り返り「行きましょう」と、ディアーネは……いつもの高慢そうな笑みを、そのエメラルドの瞳に浮かべたのであった。
それから、ディアーネは迷うことなく、書斎へ向かった。
「シエル、クレスタルデ邸の間取りは分かるわね?」
「うん。ここでおいてけぼりされても平気。『ちょっと道に迷っただけ』だし」
ディアーネの意図を汲んでそう言えば、ディアーネは少し笑って、書斎のドアをノックした。
「入れ」
すると、中から声が聞こえてくる。
クレスタルデ伯……ディアーネの親父さんの声だ。
「失礼します」
ディアーネは飄々と優雅にドアを開け、中へ進み入った。
俺はディアーネの意図を汲んで、そのドアの側で立ち聞き開始である。
「おや、シエルアーク殿下をお連れしたのではなかったのか?」
「ええ、シエルには私の部屋で待っていてもらっています」
……が、様子がおかしい。
「そうか、なら後でメイドにお茶を持って行かせようじゃないか。……ところで、ディアーネ」
様子のおかしさには、ディアーネも気づいているだろう。当然、気づいたとしても気にしないふりをするだろうけれど。
「勇者様へのご無礼や、お前の姉さん達への侮辱も、今は水に流そうじゃないか」
うん、決定的におかしい!なんだよ、水に流そうって!ぜったいおかしい!
クレスタルデ伯がディアーネに対して怒りをぶつけないなんて、おかしい!
「ただ、その代わりに『ヴェルメルサ魔道競技大会』に出場しなさい」
「あら、お父様、急にどうなさったの?『できそこないを世間に見せる訳にはいかない』と仰っていたのに」
ディアーネの嫌味も様子見気味だ。
ディアーネも、クレスタルデ伯の意図が分からないだろう。俺も分からん。
なんでクレスタルデ伯がディアーネに妙に優しいのか。
……答えとなるクレスタルデ伯の次の言葉は待つまでも無く、すぐに現れた。
「勇者様たちが今、フィロマリリアにいらっしゃってね。ティーナもそこに居る。……勇者様たちも魔道競技大会に出場なさるそうだ。勿論、ティーナも、だ。……後は分かるな?」
……今、ディアーネはどういう顔をしているのだろうか。




