8話
俺の理性が瞬時に仕事した結果なのか、俺の体が怠けただけだったのかは分からないが、迫りくるドラゴンのブレス攻撃に対して、俺は動かなかった。
ドラゴン、という生き物は、ありとあらゆる生き物の中でも多く魔力を持つ生き物だ。
ドラゴン1体で人間100人分もの魔力を持つとも、1000人分の魔力を持つとも言われる。
よってドラゴンの皮や鱗、そして角や骨や牙、肉や血や、心臓や目玉など、ありとあらゆる部位が全て強い呪物となる。
ドラゴンの血を飲んで不老不死になった、なんていう伝説が残っていることにも頷ける程、とかく、ドラゴンという生き物は魔力を多く持っているのだ。
ドラゴンはその鋭い牙や爪、時には角や尾を用いて攻撃してくる。
が、それ以上に脅威とされているのは、ドラゴンが口腔から吐き出す『ブレス』である。
ブレス、というからには息なのか、というと、それもちょっと違う。
便宜上ブレスと呼ばれているだけで、ドラゴンの呼吸とはまた別物だ。
『ブレス』は、簡単に言ってしまえば、ドラゴン独自の魔法である。
人間には到底理解できない竜言語によって編み上げられた魔法は強力で、かつ、人間の相殺魔法や反射魔法の類をものともしない。
人間が用いる魔法とは次元が違うのだ、とまで言われる、ドラゴンの『ブレス』。
対処法はとにかく、避けることだとされている。
ドラゴンのブレスを浴びた人間は、焼き尽くされ、或いは凍り付かされ、或いは共鳴させられて破壊しつくされ……とにかく、死ぬのだ。
……が。
いくら次元が違う魔法だ、っつっても、やってることは魔力を編み上げて形にしてぶっ放してる、ってだけの事である。
そう。魔力だ。
これは、魔力。
だったら……避けるよりかは吸っちまった方が、速いんじゃねえかな。
結論からいこう。
ドラゴンのブレスを受けて尚、俺は無傷で生きのこった。
……ただし、ちょーっとばかし、なんか、こう……予想してたのと違うんだけど……あああ、いいや。とりあえず、この場を何とかしよう。
……このドラゴンの脇を通り抜けて向こう側へ逃げちまうか……或いは、このドラゴンを、倒すか、だ。
俺の攻撃手段は2つ。
1つは、相手に直接触れて、魔力を吸ってやるもの。
2つ目は、魔法銀の短剣で戦う、っていうもの。
……お分かりの通り、どっちにしてもリーチが足りない。圧倒的にリーチが足りない。
くっそ、こんな事になるならアイトリアでまともな剣買っとくべきだったか……いや、流石にそれは危険すぎたし……。
俺がもやもやしている間もドラゴンは待ってくれない。全く、せっかちな野郎である。あ、野郎じゃなくてレディーかもしれないけど。
立て続けにもう一発来たブレスを、今度は迷わず全身で受ける。
受ける、っていうか、もう、ブレスに突っ込んでいく。
……うん、平気だ。
そうか、最初から意識する必要なんて何もなかった。あー……あああああ、もう!いいや!考えるのは後!後で!
いっそ開き直ってブレスの中を駆け抜けていけば、ドラゴンの足元にたどり着く。
ドラゴンの目が俺を見つけてしまう前に、ドラゴンの懐に潜りこむ。
……へへへ、こいつ図体がでかい分、自分の下が死角になっちゃうのよね。
って事で、遠慮なく、脚に触って魔力を吸う。
……。
……あっ駄目だこれ間に合わねえ!
ドラゴンの体がのしかかってきそうになったので、慌てて離脱。
そして、すぐに爪が迫ってきたのでさらにそこからも離脱。
さらに、尻尾が鞭のように振り回されたので、ギリギリ身を伏せて回避。
……身を起こせば、ギロリ、とこちらを睥睨するドラゴンの目と目が合った。
あちゃあ。
とにかくそこからは回避回避回避、ってかんじだった。
撤退しても追いかけてくる有様なんで、も、どうしようもない。
今の状況の原因は……あれだ。
単純に、魔力を流出させる速度が、足りなかった!
ドラゴンは、でかい。
でかい上に、その体のすべてが強力な呪物、ときたもんだ。
つまり、脚に触って魔力を吸おうとした時、精々、表面の鱗と、その下の皮までいったかな?っていう程度にしか魔力を吸えなかったらしい。
そりゃあまあ、ドラゴンだから……。鱗にも魔力ぎっしりだから……。
しかし、鱗1枚1枚吸っていく、なんてやってたらとてもじゃないが間に合わない!
ドラゴンにしてみれば、精々髪の1本2本が抜けたような感覚だろうしなぁ、これ。
……となると、せめて鱗の下、あわよくば皮の下、から、魔力を吸えなきゃいけない、んだよなぁ……。
……が、最初の一撃に警戒してるのか、それとも、ブレス攻撃を躱されたのを根に持ってるのか、ドラゴンの攻撃は執拗であった。
ドラゴンって、気位の高い種族だからねー。自分の渾身の一撃が効かなかった、ってのは屈辱的だったのかもしれないね。いや、だからっつってどうこうしてやる気は無いが!むしろ、徹底的に屈服させてやる気満々だが!
とにかく、距離を取ることにした。
ブレスはともかく、爪だの尻尾だのはどうしようもない。
これが他の低級の魔物だったら、その攻撃にむしろ当たりに行って、接触と同時に魔力を吸う、とかできちゃうんだけどね、ドラゴンは無理。
となるともう、俺はひたすら避けるしかないのだ。
7年間の筋トレが本当に役に立った。これ、訓練を怠っていたら間違いなく回避が間に合わなくて死んでたな。
……俺は無意味に距離を取ってるんじゃない。
今、俺はドラゴンのブレスを引き出そうとしている。
ドラゴンの近くに居たら、爪だのなんだのの物理的な攻撃が飛んでくる。勿論、俺はこれに対抗する手段が無い。
が、ブレスなら、俺は真っ直ぐ突っ込んでいっても大丈夫。
となると、このひっきりなしのドラゴンの猛攻、隙ができるとしたらそれは、ドラゴン最強の攻撃であるブレスをドラゴンが吐いた時、という事になる。
が、勝負は一回。
流石に3回もブレスを浴びて俺が無傷であるところが分かってしまったら、それ以上ブレスを吐いてこないだろう。ドラゴンは賢い生き物だからね。
……が、ドラゴンは気位の高い生き物でもあるから、自分の最強の攻撃を無傷で済まされた、ってのには納得がいかないだろう。
って事は、多分、俺の隙を狙って、今度こそ俺を仕留めるために、ブレスを吐いてくるはず。
俺の隙がそのまま、相手の隙になるのだ。
……相手のプライドが俺の予想より低かったら俺の負け。
そうでなかったら俺の勝ち……の可能性がまだ残る。
俺はドラゴンの爪を避けて大きく距離を取りながら、慎重に……足元の石に躓いて、転んだ。
……来た。
ドラゴンが仰け反り、その咢を開いたその瞬間を狙って、俺は地面を蹴った。
それより一瞬速く、ドラゴンのブレスが襲い掛かってくる。
……無属性の、単純な魔力。純粋な破壊のために吐き出された竜言語の魔法。
それらは俺の中を通り抜けて、そして、俺の中の何にも引っかかることなく通り過ぎていく。
ただ、通り過ぎていくだけの魔力の波の中を駆け抜けていく。
さっきと違うのは、そのルート。真っ直ぐ突っ込んで懐に潜りこんだらさっきと同じだ。
だから、この地形を生かすのだ。
ブレスに隠れながら壁を蹴って、壁を蹴って、天井を蹴って。
俺はドラゴンの背に着地した。
一瞬。
その瞬間に、魔法銀の短剣を振るう。
隙を考えない大ぶりの一撃は、無事、ドラゴンの鱗を剥ぎ、皮に傷をつけた。
当然気づいたドラゴンが俺を払い落としにかかって来るが、もう遅い。
俺はドラゴンに付けた傷……ドラゴンの血が滴るそこを殴る様に、手を接触させる。
巡る血は、効率よくドラゴンの魔力を運んでくれた。
少なくとも、さっきの鱗の時よりはずっとずっと速く。
……そして、体の内部から魔力を吸われたドラゴンは、当然、魔力不足の症状がすぐに出る。
ドラゴンの傷から手を離さず、それでいてドラゴンのふるい落とし攻撃や尻尾攻撃をギリギリで躱すこと数回の後には、すっかり動きが鈍くなったドラゴンと、ドラゴンの血で手がべったべたになった俺が居た。
「……ドラゴンって、言葉が分かる種族もいるんだよな。駄目元で話しかけるぞ」
魔力不足で動くこともままならないらしいドラゴンに話しかける。
「俺はシエルアーク・レイ・アイトリウス。アイトリウスの不当なる王の子。そして魔王を倒して勇者になる予定の者だ」
ちょっとドラゴンの目が訝し気に細められたが、続ける。
「お前の命は取らない。この山脈を守っているのはお前だろう?」
……多分、このドラゴンがこの山脈の守り主だ。
このドラゴンが居るからこの山脈がこんなにも豊富な資源を有するのか、豊富な資源があるからドラゴンが住み着いたのかは分からない。もしかしたら、両方正しいのかもしれない。
けれど確かに言える事は、ここにこのドラゴンが住み着いているからこそ、ロドリー山脈には品性の無い魔物が少ない、という事なのだ。
強い魔物は多い。侵入者があれば、襲い掛かってくる。しかし、この山にいる魔物は皆、そこそこ『わきまえてる』。
麓に降りて人を襲う事は無いし、無暗に山脈を荒らすような事はしない。
それはきっと、このドラゴンが睨みを利かせているからだ。
……俺はこの山脈を、美しいと思う。あの日の感動は色鮮やかなまま、薄れない。
だから、まあ、このドラゴンを生かしておいてやってもいいよね、って思うわけだ。
ドラゴンの傷に低級ポーションをびったびった掛けると傷が塞がった。ははは、質を量でカバーする作戦だ!
「お前が自力で回復できる程度まで回復してやるからな」
それから、鞄を漁って魔石の装飾品をいくつか取り出す。
いくらドラゴンだからっつっても、最上級レベルの魔石が2つもあれば元気になるだろう。
右手でドラゴンの皮膚に触れる。そして左手で魔石を握り。
……左手から流れ込む魔力を、右手へ流す。
魔力ポンプと化した俺は、凄まじい速さで魔石からドラゴンへ魔力を送り込んでいく。
「これで大丈夫か」
装飾品2つを空っぽにした時点で、ドラゴンは大分元気になったらしい。
ばさり、と翼を一度広げてから、座り直す。
「よし。じゃあ、分かってると思うが、俺はお前に勝った!ここは通してもらうからな!」
堂々と傲慢に言い放ってやれば、ドラゴンは澄ました顔で少し横にずれ、俺が通す意思を表した。
あー、よかった。これで通れる。さ、こんな道はさっさと抜けて北の岬へ急ごう。
……あー。
うん。
ええと、最後に、一言だけ……。
「……こんなに綺麗な場所を守ってくれて、ありがとう」
ドラゴンは知らん顔で丸くなって眠るような体勢を取り……ふらり、と一往復、尻尾を振った。
それから更に1時間程歩き続けた頃だろうか。
ふわり、と冷たい風が顔を撫でていく感覚に思わず足を速めると、案の定、出口がすぐ先にあった。
洞窟を抜けて、森に出た。
木々の隙間から見える空は満天の星空。
……うわあ。結構早く着いちゃったんじゃないの、これ。
予定では夜明けごろに出られればなー、ぐらいの予定でいたんだけどね。案外あの抜け道、曲がったりせずに真っ直ぐ伸びててくれたらしい。
今、深夜真っ只中ってところかな。時計は残念ながら持ってないので正確な時間は分からない。あれだ。太陽が昇ったら朝だ。
うーん、そろそろ歩き続けるのは辛くなってきたんだけど、折角ならこのままもうちょっと進んでこの先のネビルム村まで行っちゃうか……。
この時間じゃあ宿ももう閉まってるだろうけど、どこか納屋の屋根の下でも貸してもらって……うん。森で野宿するよりはよっぽど安全だろうし。
そうと決まれば、歩くしかないな。
ひたすらひたすら、森の中を北に向かって歩く。
……が、眠い。いい加減そろそろ眠い。
よく考えたら休憩らしい休憩って、ロドリー山脈の抜け道に入る前のあれ一回こっきりで、それ以外はずっと歩いてたのか。
うわぁ、初日にできる限り距離を稼いでおきたいとは思ったけど、明日以降が不安になるな。大丈夫かな。疲れが一気に出て明日一日動けないとか勘弁してもらいたいんだけど。
しかし、今できることっつったら、とにかくこの森をさっさと抜けて、眠る場所を探すことだ。
あ、ついでに飯も食いたい……。ドラゴン戦の緊張で忘れてたけど、俺、すごく腹減ってる……。
ひもじい……眠い……ひもじい……。
疲れと眠気と空腹を同時に感じつつ、森の中を歩き続ける。
……それで、注意散漫になっていたんだな。うん。
魔力の感知に関しては今までよりずっと敏感なんだし、万全の体調だったら気付けていた、と思う。
上から来た。
ほんの微かに、かさり、と木の葉が擦れ合う音が聞こえたかどうか。
たったそれだけの音の後、俺は衝撃を食らって地面に倒れる羽目になった。
「……動くな」
しかも、首筋にあてられてるこれは……星明りに鋭く煌めくこれは、ナイフ、じゃないか?




