88話
感動の再会もひと段落着いたところで、俺達は家に上げてもらった。
お茶を頂きつつ、城から持ってきたお茶菓子を広げてのんびりおやつタイム。
そして、お茶を飲みながらルウィナちゃんの近況報告を聞くことになった。
「お兄ちゃんも聞いたかもしれないけれど、今年は豆以外、大体不作気味なの」
そうみたいね。城で見た書類にもそんなこと書いてあったし、村人A君もそんなこと言ってたし。
「だから、これだけじゃ駄目だ、って事になって……ネビルムは農業と狩猟以外に産業もないでしょ?だから、この機会に産業を作って、収入を安定させよう……って領主様が仰ってね」
「それで、村の女たちが魔力布づくりを始めたんだな」
お茶を頂いているテーブルの横には、小ぶりな織機が置いてある。
そこに張ってある糸は、きらきらと煌めく細い細い空色の糸だ。
あれが『空』そのものなんだろう。
「うん。……ほら、前、シエルさんが私達を助けてくれた時に、私と領主様はお墓の下にいたでしょ?あそこをもう一度調べてみたら、この本が出てきたの!『空の織り方』の本よ」
「ちょっと見てもいい?」
ルウィナちゃんが机から取ったボロボロの本を借りて、慎重にページを捲って、中身を読む。
……おー、見事に精霊言語。こりゃ、精霊に好かれてないと読めない類の文字だな。ルウィナちゃんは空の精霊に大層好かれてるから、当然のように読めるんだろうけど。
……しかし、こんな術、俺、知らないぞ。
相当な古い魔術なのか……それとも、このネビルム村だけにひっそりと隠されていた術だったのか。
どっちにしろ、これはかなりの大発見だろう。なんてったって、今までずっと失われていた伝説の代物が、実物として蘇ったのだから。
「古い糸車と織機を借りて、その通りにやってみたの。私もお手伝いしたかったから……そうしたらね」
そこでルウィナちゃんは席を立って、窓を開け……す、と、空に向かって手を差し伸べた。
……そこで、魔力が複雑な動き方をする。
精霊言語で記してあった割には、精霊を介している訳でも無い。しかし、ルウィナちゃんの力で、というよりは……『空』自体が、協力しているかのような、そんな印象を受ける。
ふと、ルウィナちゃんの手が動く。何かを手繰り寄せるように手が動くと、その指先には、もう『空』の端っこが絡めとらているのだ。
取った空の端っこを糸車にかけて糸車を回し始めれば、糸巻きには透明な空色の、細い細い糸が綺麗に巻き付けられていく。
『空そのもの』に働きかけて、流れを殺すことなく誘致して、実体化させる。
……成程、『闇の帳』の糸と同じだ。
「私ね、この本のやり方で、『空を織れる』みたいなの!だからね、空を織って、行商の人にアイトリアまで運んで売ってもらって……私もネビルムの力になれるのよ!」
心底嬉しそうにはしゃぐルウィナちゃんの頭を撫でつつ、ヴェルクトは「えらいぞ」と褒めてやっている。
そしてルウィナちゃんはお兄ちゃんの言葉にますます嬉しそうにするのだ。
なんとも微笑ましい光景ではあるが、ちょっとその微笑ましい光景を邪魔させてもらおう。
「ルウィナちゃん、空を織れるって事は、これも織れる?」
きょとん、とするルウィナちゃんに、『闇の帳』の原材料、『闇の糸玉』を見せる。
「これは……夜空、ですか?」
「ううん。闇」
触ってもいいですか、と恐る恐る手を伸ばすルウィナちゃんに『闇の糸玉』を手渡す。
……繊細な闇の糸は、ルウィナちゃんの手の中で転がされても、解けたり、ばらばらになってしまったりする事は無かった。
「頑張れば、もしかしたらできるかもしれないけれど……でも、この糸玉1つじゃ、ハンカチぐらいにしかなりませんけれど……」
どうしたものか、といった様子のルウィナちゃんに、何故俺が『闇の帳』を必要としているのかをざっと話した。
まだ幼いルウィナちゃんには『魔王ぶち殺して魔力もぶんどる』みたいな話はちょっと刺激が強すぎるかもしれないので、そこら辺はマイルドにしたけど。
「……じゃあ、シエルさんが女神様のお言葉の通りに動くために、『闇の帳』が必要なんですね?」
「まあ、そういうこと」
そういうことにした。かなりマイルドな内容にした。
……ヴェルクトがこちらを見る目がなんとなく、やんわりしている。なんかうっとおしい視線だな!
「……その、でも、この糸って、貴重な物、なんですよね。……私、織れるかどうか……」
そして一方、ルウィナちゃんは暗い顔で『闇の糸玉』を見ている。
成程、自信が無いらしい。……糸玉を見るだけで、闇の糸がどれだけ繊細な代物かが分かったのだろう。織りあげるのには相当な技術とセンスが必要なはず。しり込みするのも無理はない。
しかし、俺としても、ここで断られちゃうと後が無い。正直、ルウィナちゃん以外に『闇の帳』を織れそうな人間なんて、もう考えつかないのだ。
「すごく疲れる作業だと思う。集中もしなきゃいけないと思うし。……けど、俺はルウィナちゃんならできると思ってる」
正直、こんな繊細な糸を扱うなんて、負荷以外の何物でも無い。
そういう意味では、『闇の帳』作成を頼むのは、かなり心苦しいことではあるんだけど、そうも言ってられないからね。
「この糸を織り上げて、布にしてくれないかな」
ルウィナちゃんの手を握ってお願いすると、ルウィナちゃんは迷ったように視線を彷徨わせて……闇の糸玉を、じっと見つめた。
それから顔を上げて、俺を見て……遂に意を決してくれたのである。
「分かりました。私、やります。シエルさんに恩返しできるんだもの。頑張ります。精いっぱいやります。……でも、その、もしうまくできなかったら、ごめんなさい」
「大丈夫。この布だってすごく綺麗だ。ルウィナちゃんはいい職人だよ」
織りかけの『空』は緻密な綾織りにされて、織機に掛けられたまま陽光に照らされて煌めきを放っている。
これほどのクオリティで実体の無い物を織り上げられるんだ。きっと『闇』だって織ってくれるだろう。
俺、割と人を見る目があるタイプ。
それからルウィナちゃんは鋏を取り出してくると、織機に掛けられた経糸を全て、ジョキジョキと切ってしまった。
……機織りとかの知識がそんなにある訳じゃないけれど、それでも、経糸を掛ける作業がとっても大変な事は知っている。
ルウィナちゃんは『闇の帳』をすぐに織るため、作りかけだった空の織物をそこに掛けた労力ごと駄目にしてくれているのだ。
なんというか……申し訳ない。
「ハンカチぐらいのサイズなら、夜までには織り上げてみせます。……それまで、領主様の所でお待ちください。領主様、シエルさんがネビルムに来てくれたって知ったら、きっと、とっても喜びますから」
つまり、これからルウィナちゃんは集中して作業に入るのだろう。
なんというか……重ね重ね申し訳ない。
「ああ。なら、俺がシエル達を領主様の所へお連れしよう。……無理はするなよ」
早速機織りの準備を始めたルウィナちゃんの頭を1つぽふ、と撫でて、ヴェルクトは俺達に退去を促した。
粛々と家を出て、領主の屋敷へ向かう。
……なんか、ヴェルクトにも申し訳ない!
「ようこそおいで下さいました!ささ、こちらへ」
領主の屋敷を訪ねると歓迎を受け、早めの夕食をご馳走になることになった。
尚、俺との約束を意識してか、食卓にはパンがいっぱい並んだ。うれしい。
やっぱりネビルムのパンは美味しいんだよな。干した葡萄が入ってる奴も、胡桃が入ってる奴も美味い。ザラメ糖を振りかけてあるふわふわのも、塩味が利いてる固めなのも美味い。
大体どれも美味い。ずるい。こんなに美味いのずるい。
ちなみにというか当然と言うか、パン以外の食事も出てきたんだけど、正直パンばっか食ってたので割愛。
領主の屋敷で俺達の冒険譚を話したりしている内に日は沈み、月が昇って空には星が輝くようになる。
ルウィナちゃんの様子を見に行きたいけれど、それで邪魔したら悪いし……という葛藤に苛まれていた所、ついにドアが叩かれた。
「シエルさんっ!」
駆けこんできたルウィナちゃんの手には……滑らかな、1枚の黒い布があった。
「お待たせしました!あの、どうぞ……」
おずおずと差し出された布を受けとって見てみれば、これが『闇の帳』であることはすぐに分かった。
縁には模様が織り込まれており、織った職人の技術の高さが伺える。
まさか、ここまでのものができるとは思って無かった。ちょっとびっくり。
「あの、いかがですか?」
不安げに俺を見上げるルウィナちゃんに俺は、満面の笑みで返すことにした。
「完璧!ありがとうな、これで女神様のご意志を遂行する事ができる」
ついでに頭をわしわし撫でると、ルウィナちゃんは大層可愛らしい様子で照れてみせるのだ。ううん、空の精霊が気に入るのも分かるかも。
さて、これで無事、『闇の帳』も手に入ってしまったし、ついでに、ルウィナちゃんが織りかけでちょん切ってしまった『空の帳』(って名付けた。命名・俺。)も貰ってしまった。
込められた術式をしっかり解明させて頂こう。実体の無い物を実体化させて織り上げる、なんて術式、役に立たないわけが無い。応用すれば光そのものでできてる剣とか……つまり、ビー○サーベルとかライト○ーバーとか作れるんじゃないだろうか。
……結局、折角ネビルムに戻ってきたっていうのに、妹は機織りに追われ、邪魔する事もできず……ってんで家族団欒できなかったヴェルクトがあまりに不憫なんで、俺とディアーネは領主の屋敷に泊めてもらう事にして、ヴェルクトは家に帰らせた。
積もる話……主に、『旅が終わった後』について、話があるだろうしな。
そして翌朝。美味しいパンを頂いて朝食を終えて、その後にお茶を頂いてのんびりして……ってしてた頃、ヴェルクトがやってきた。
「すまない、遅くなってしまって……」
一応、朝食後に出発、って予定だったから、ヴェルクトは遅刻である。折角の里帰りなんだし大目に見るぐらいのことはするけど。
「いや、いいよ。ルウィナちゃんと積もる話もあっただろ?」
「いや……それが……寝坊、した」
……が、理由がこれだった。
「珍しっ!」
いや、もっと大目に見る気にならざるを得ないけど!
……ヴェルクトは根が真面目なんで、寝坊なんて今までしたことも無かったし。
寝坊しちゃった、って事は……今まで張りつめてた気が緩んだ、って事だろうし、それって今まで無理させてたからかな、って思うし……部下のメンテナンスはちゃんとしないといけないからな。うん。俺、別に怒らない。珍しいと思いはするけど。
それから領主に暇の挨拶をして、もう一度ヴェルクトの家に戻ろうと思ったんだけど。
「いや、いい。挨拶はもう済ませてある」
……ヴェルクトによって阻止された。
「俺はまだだぞ」
「いや、その、そうなんだが……その……」
一応、俺はルウィナちゃんに『闇の帳』を織っておらったわけだし、ちゃんと挨拶ぐらいはしとくべきかと思ったんだが、どうにもヴェルクトの歯切れが悪い。
「……シエルと顔を合わせたくない、んだそうだ」
……あー、うん。そっか。
多分、昨夜、ヴェルクトは『旅が終わった後の話』をしたのだ。つまり、俺の騎士になった、っていう事について。
……当然、俺は旅が終わった後もヴェルクトを手放す気は無いから、それってつまり、ルウィナちゃんやネビルムからヴェルクトをとっちゃう、って事になるわけでもある。
勝手にそんなことしたんだから、嫌われても仕方無いんだよな。ルウィナちゃんはまだ小さいし。お兄ちゃんをとっちゃう奴は憎いだろう。
……って、俺の明晰な頭脳が解を導き出したんだけど。
ちょっと、正解じゃなかった。
「昨夜、色々と話している内に泣き出してな。……そのせいで顔が酷いから、シエルに会いたくない、んだそうだ」
……。
「あのさ、それって」
「シエル、言うな。言わないでくれ。俺の気持ちが分かるか?」
心底『どうしよう』みたいな顔をしているヴェルクトに『どうしよう』みたいな顔を向けていたら、ディアーネがころころ大笑いしだした。
……うん。ね。どうしようね。
どうしようはさて置き、俺達はネビルムを発った。
今日中にクレスタルデまで行っちゃう予定である。
多分、古代遺跡の祠の瞬間移動を使わなくても今日中に着いちゃいそうな気はするんだけど、まあ、折角なので祠を使う事にした。クレスタルデまでは旅の始まりのルートを踏襲、ってかんじになるな。
「さて、いよいよクレスタルデ伯、かあ……」
「お父様は貴方の事を気に入っているから大丈夫よ、シエル」
「ああ、うん。俺も嫌いじゃないよ。嫌いじゃないけど……あのおっさん、あんま好きじゃないんだよね」
「そうね。私も嫌いよ」
道中、俺とディアーネはヴェルクトそっちのけで話し込んでいた。
なんてったって、ディアーネにとっては戦場へ行くようなものだからね、実家に戻るのって。だから英気を養うの、大事。
「私は一体どのぐらいお叱りを受けるかしらね?」
くすくす笑いながら、ディアーネは目が笑ってない。
クレスタルデが近づく程、ディアーネの瞳の奥には炎が燃え上がり、憎悪と野望と……といったような面をより際立たせていた。
……ヴェルクトに続き、ディアーネも里帰りである。
里帰り、だけど……ヴェルクトのみたいに、穏便に済む訳は、ないんだよなあ……。




