80話
この世界の歴史上で最も妖精を泣かせたのは間違いなく俺であろう。
妖精達は、『ゴン!ゴンがああああああああ!』『なずぇ報われないんでぃす!』『愛だ……これは最も美しい愛の物語なのだよ諸君!』『愛っていうか哀ではないかね!?』『そんなことよりウナギ食べたい!』……といった具合に、ぎゃーぎゃー騒ぎまくっている。
……物語のラストシーン、妖狐であるゴンが村のハンターであるヒョージューのクロスボウによって心臓を射抜かれるシーンにはオーディエンス達、大泣き。
そしてヒョージューが『ゴン、お前だったのか』と呟き、ゴンが頷いた、その一瞬、1人と1匹がたった一瞬だけ分かりあえたその瞬間で物語が幕を閉じると……もう、オーディエンスは暴動を起こす勢いである。
……悪戯大好き楽しい事大好きな妖精たちは、喜怒哀楽の振れ幅がでかい。
楽しけりゃ笑うし、悲しけりゃ泣く。怒ったら人間なんてぐりぐり巻きアンド吊るしててるてる坊主の刑である。
だからまあ、こういう話を聞かせてやったら1匹ぐらいは泣くんじゃないかな、と思ったら……まさかの大泣きであった。
なんかこう、『人にあらざるものが人との交流を図った結果非業の死を遂げた』っていうストーリーが、『人にあらざるもの』である妖精達にとって、非常に共感できちゃうものだったらしい。
そして、それと同時に妖狐ゴンは『孤独』。
この森の妖精たちは友達も多いし、群れになって行動してる訳だから、孤独からは程遠い。
『理解できる悲しみ』と『自分達の知らない悲しみ』が混じりあった結果……妖精たちはかように大泣きする事態になってしまったのであった。
そんな様子を俺は神妙な顔で内心にやにやしつつ見ている。
ディアーネは『妖精ってこんな生き物なのね、可愛い』ってかんじににこにこ見ている。
ヴェルクトは悲痛な面持ちで斜め右下の虚空を見つめている。こいつも妖精さんかな?
とりあえず、妖精どもがぼだぼだぼだぼだ垂れ流している涙が勿体ないことこの上ない。
貴重な貴重な魔法薬の材料が垂れ流しって、神が許しても俺が許さねえ。
なので俺は妖精一匹一匹の顔をハンカチで拭いてやりつつ、溢れてくる涙をさりげなく小瓶に受け止めさせてもらった。
大泣きしてるので妖精たちは自分達の涙が採集されていることに気付いてない。気づいてたとしても、止める気力は無い。そして少なくとも、俺が妖精の涙を採集するために『ごんぎつね』を語ったとは思ってない。
これだけの数の妖精がこれだけべそべそ泣いてるもんだから、とっても貴重な妖精の涙も採り放題。
ここぞとばかりに、小瓶を数本分満タンにさせてもらった。これだけあれば間違いなく足りるだろ。ははは、俺の頭脳の勝利である。
さて、目的のブツも手に入ってしまったので、他に欲しいものはもう情報だけになってしまった。
……ここで失敗したのは、妖精が未だにずびずびぐすぐすしているせいで、今一つ情報収集に向かない状態になってしまった、って事だ。
……まあ、うん、さっき世間話したかんじだと、妖精達は最近アイトリアに行ってないみたいだから、情報収集しても情報が出てこなかっただろうとは思うんだけどさ。
けど……これだけは聞いておかなければいけない。
「なあ、『アルカセラス・レイ・アイトリウス』って、知ってる?」
……が、妖精達は何も知らないらしかった。
いよいよ、分かんねえんだけどなあ……。
ま、仕方ない。妖精たちが知らないっつってんだから、知らないんだろう。
となると、『アルカセラス』はこの森に来たことが無いどころじゃなくて、アイトリアの城の裏の林とか、薬草園とか、花畑とかにも行ったことが無い人物、って事だろうから……フォンネールから籍だけアイトリウスに移した誰か、とか?
……そんな奴、居たかぁ……?いや、何もフォンネールの王家の血が入ってれば、フォンネール王族じゃなくてもいいのか。
となれば、フォンネールの傍系とか、フォンネール王家の不義の子とか忌み子とかの類か……そういう奴とアイトリウス王族の間にできた不義の子とかそういう誰かか……。
……駄目だ、まるで分からん。材料が無いんだからしょうがないけど。
考えてても仕方ないので、さっさと出発した。
今日は堂々とアイトリアの城下町で宿を取ってやる予定である。
何故かって?そりゃ、リテナで俺の美少女っぷりが人間の目を眩ませることが十分実証されたからだよ!
「ところでシエル。貴方、どうやってアイトリアの城内に忍び込むつもりかしら?」
「ん?夜中に北側から結界すり抜けて忍び込んだら厨房の裏口から侵入して、抜け道通って玉座の間近辺まで出たら隠し扉すり抜けて宝物庫の結界すり抜けて……ってかんじ」
一応、ちゃんと頭の中にスケジュールは叩き込まれている。
7年間監禁されていたとはいえ、その前の8年間はずっと過ごしていた城だ。抜け道も隠し通路も全部把握済みなのである。
「厨房には夜中でも人が居るんじゃなくて?」
「だろうね。……知り合いだったらいいけど」
が、どうしたって、どこかは賭けになる。
今の俺が城の誰にも見とがめられずに城の中に入るのはまず不可能。
昼間に変装して入ったとしても、その後宝物庫近辺まで行くことはまず無理だろう。なんといっても、宝物庫の入り口って玉座の間のすぐ横で……当然、日中、最も警備が多い場所である。
……なら、多少なりとも警備が薄くなる夜中を狙った方が良い。
そして、厨房だったら、詰めているのは兵士じゃなくてメイドと料理人だけだ。最悪の場合でも、逃げること位はなんとでもなるだろう。
「……つまり、お前1人で、という事か」
「そ。お前らが結界を何の痕跡も残さず、何の反応もさせずにすり抜けられるってんなら話しは別だけどな」
勿論、ヴェルクトもディアーネもそんなことはできない。
……というか、この世界で俺以外の全ての生物は、そんなことできない。
できたら困る。一体なんのセキュリティだ、っつう話になってしまう。
結界ってのはちゃんと侵入者を拒むからこそ結界なのであって、当然、魔法の都アイトリアの城を守る結界なんて、結界オブ結界なんだから、働かないわけが無いのである。
「そう。……なら、私はシエルが侵入している間に城の外で騒ぎでも起こせばいいのかしら?」
「いやー……それ、日中ならいいけど、夜中にやったら間違いなく寝てた兵士が起きてくるだろうから、却って兵が増える」
アイトリウスの国王は無能だ。なんてったって、あの無能親父である。無能だ。当然、無能だ。
……しかし、今アイトリウスに伝わる国政マニュアルみたいなものは、歴代のそこそこ有能な王様たちが作ってくれたもの。
その通りにしっかりかっちり兵士は動くようになっているから、当然、今の王がいかに無能であったとしても、城の警備は抜かりなく行われる。
騒ぎがあったからって、そっちに兵が注意を取られて他の場所の警備を疎かにしないだけの知恵と伝統と歴史がアイトリウスの兵士たちにはあるのである。
それは、誰よりも城の中を見てきた俺だから、良く分かる。
「だから、お前らはお留守番。万一、俺が捕まったら城を吹っ飛ばしてでも助けてね、ってぐらいだな」
「そう。……少し残念だけれど。なら、頑張って頂戴ね、シエル」
少々ディアーネは不満げだが、仕方ない。
ま、精々上手くやってみせるさ。
アイトリアに着いたのは夕方だったが、案の定、王都だけあり人の出入りはそこそこあって、街門を通る時の審査にちょっと時間が掛かった。
時間が掛かっただけですんなり通れちまったんだから、やっぱりこの国もザル警備かもしれない。
俺が王になったらもうちょっと街門の警備、強化しようかな……。
『クレスタルデのお嬢様』が泊まるに相応しいランクの宿を取ったら、久々に野営じゃない食事を摂りに、城下へ出る。
アイトリアは俺の庭だからね。美味しいごはんの店だって熟知しているのである。
「……クレスタルデの食堂に入った時も思ったが……シエルは庶民的なんだな」
「美味いものに貴賎なし、って事でどう?」
本日の俺のチョイスは、裏通りにある居酒屋である。
居酒屋だから当然、酒を出すところなんだけど……ここのサイドメニューのビーフシチューが矢鱈と美味いのである。
ネビルムのパンには劣るがバゲットも美味いし、酒のつまみに供される生ハムも、この店のマスターが手ずから仕込んだ至高の一品なのである。
という事で、そんな店に俺達は入り込んだわけなんだけども。
「……ん?シ……じゃないな。ディアーネ嬢!ヴェルクト!こっちだ!」
店の奥のカウンター席には何故か……地の精霊のお気に入り、エルスロア一の鍛冶職人……ウルカ・アドラが座って酒を飲んでいたのであった。
……なんでこいつがここに居るんだろ。




