5話
朝、早起きして、起きたらすぐに部屋の魔草を摘む。もうこの部屋に帰ってくることも無いだろうから、盛大にやっちまうぞ。
摘んだ魔草を装飾的なフラスコみたいな器具で煮込んだり、屑魔石を途中で加えたり、真珠魚の鱗を入れたり……とやって、簡易ポーションにした。
それらを瓶(例によって、やっぱり全部香水瓶である)に詰め、鞄に詰め込んだ。
鞄の中には、簡易ポーションの瓶と、塩の瓶、胡椒の瓶、パン、月虹草の花の砂糖漬け、筆記用具、着替え、魔石の装飾品の数々。
それから、水を生成できる水差しを改造して、持ち運べるように瓶の形にしたものも鞄に詰める。
部屋の壁掛けランプも鞄に詰める。暗い所では役に立つこと間違いなし。
更に、乾燥させた魔草の束や、魔草の種、魔鳥の羽なんかも持つ。ここら辺は換金してもいいし、自分で使ってもいい。
この鞄は魔法具だ。内容量が見た目以上に大きくて、それでいて、重量は軽くなる。実にファンタジックな鞄だ。
これは使用者の魔力によって動かすものじゃないから、今の俺でも使えるんだよね。ありがたいありがたい。
そうこうしている内に朝食が届いた。
メイドと兵士といつものように雑談して、しかし、別れの寂しさなんぞは表に出さないように気を付ける。
メイド達が昨日の夕食のワゴンを持って部屋から出て行った所で、俺はこの部屋で摂る最後の食事を楽しむことにした。
発つ鳥跡を濁しまくり、の精神で、塩の瓶は中身を丸ごと貰っていく。
紅茶に入れる砂糖も、砂糖壺の中身全部貰っていく。……砂糖って、そんなに安いものじゃないからね。最悪、路銀にしてやるつもりだ。
それから、パンにバターを塗って、良く焼けた厚いベーコンを乗せて、またパンを乗せて挟む。
それを紙で包んで、今日のお弁当は完成だ。道中で食べよっと。
朝食が終わったら、着替え始める。
動きやすい服の上にそこそこ丈夫な上着を着て、更にその上にフード付きの外套を羽織る。
外套……マントは胸の前の留め具で留めるタイプ。布を肩にかけておけば背中に垂れるだけだし、前を合わせてしまえばてるてる坊主みたいな格好になれる。
実はこれら、雨にも風にも、ついでに炎にも斬撃にも強い、という至高の装備である。俺のタンスに俺の最強装備が入ってて良かった。旅着としても防具としてもそこそこ便利な代物だ。
ベルトに魔法銀の短剣を固定したら、これで俺の旅装束は完成。
……圧倒的に、武器不足だ。
道中で剣、買いたい。
そうこうしている内に、窓の外から民衆のざわめきが風に乗って聞こえ始める。
俺は魔草の蔓を編んで作ったロープを錆びていない格子の一本に結び、ロープのもう一方を俺の腰に結ぶ。
……そして、遂にその時がやってきた。
高らかにファンファーレが鳴り響く。
そして、滑車の上を鎖が滑る重い音とともに、城の跳ね橋が下りる。
跳ね橋が下りきって、その内側の城門が、開く。
そこにいるのは、これから魔王を討伐しに行く勇者……アンブレイル・レクサ・アイトリウス王子だ。
多分、民衆に手でも振ってるんだろう。演説でもしてからアイトリアを出るのかもしれないな。
……そうして、民衆の歓声が最高潮に高まった所で、俺は格子の隙間から、遂に窓の外へ出たのである。
光魔法と火魔法を組み合わせたらしい花火まで上がる中、俺がたてる物音に気付く者は誰も居なかった。
主要な役職の者は全員、アンブレイルの出発式典に出ているし、使用人もそれとなく、窓から城の前の様子を眺めているのだから。
そして、俺がずっと閉じ込められていた……というか、閉じこもっていた東塔は名前の通り城の東にある訳だが、城の東には城の術師と薬師が使っている薬草園があるぐらいなので、人の目が元々少ないのだ。
そして城の南に人が集まっている今、城の北も東も、ますますがら空きなのだ。おめでたいからしょうがないね。二重の意味でね。
ロープを伝って、遂に、俺の足は7年ぶりに大地を踏みしめる。
が、久しぶりの感覚に感動している暇はない。ロープを短剣で切って、その場に捨てていく。
上にぶら下がったロープを回収する手段は無いから、これはもう諦めた。
大丈夫。どうせ見つかったとしても、その頃、俺はもうアイトリアを出ているだろうから。
薬草園の中を通って、(ちょっと魔樹の実をちょろまかさせてもらって)、城の北に出る。
裏門は流石に兵士が張っている。(万一誰も居なかったらここから出てやるつもりだったけど。)
ということで、俺が狙うのはもっとずっと端っこの方だ。
城の北東、城壁の角。そこには小さな抜け穴がある。
少し体がつかえたが、まあ、なんとか通った。
……そして、城壁をなんとか抜けた俺は……その先にある結界をも、するり、と抜けたのだった。
うわ、予想してただけで実践は全然やってなかったから不安だったけど……本当に抜けられちゃうのねこれっ!
……ここにある結界は、生命体の持つ魔力に反応して、侵入を拒むためのものだ。しかしながら、俺は今、魔力を持っていない。よって、こういうセキュリティシステムも総スルーなのだ!
……ああ、このしてやったり感。たまらん……。
うきうきしながらアイトリアの北町を進む。
一応、フードを被って顔を隠しつつ、体の割に大きな鞄を大事そうに抱えて、きょろきょろと、物珍し気に街を眺めながら。
……今の俺は、アンブレイル王子の出立を見に、近隣の町や村から出てきた見物人。親の行商に見習いとしてついてきて、ちょっとはぐれちゃいました、ってかんじだ。
そんなふりをしながら道を歩いていれば、微笑ましく見守ってくれる人は居ても、怪しむ人なんて居やしない。
たまに警邏の兵士とすれ違う事もあったが、止められることも無かった。
……いや、ちょっとそれはまずいだろう。どうなってんだこの国のセキュリティ!
そのまま真っ直ぐ北町の大通りを進んでいけば、アイトリアの北門に突き当たる。
が、北門から出るつもりはないので、右折。
東門から出る訳でも無いので、やっぱりある程度進んだら、右折。
……そうしてぐるり、と街を半周するようにしてやってきたのはアイトリアの南町。
アイトリア一番の賑わいを見せるこの町は魔法の都の名に相応しい様相である。
道にはずらりと魔鋼細工や魔道具の店が、或いは、魔導書や魔法の杖の店が立ち並ぶ。
街灯は光魔法仕掛けだ。逢魔が時になれば、魔石を焼いて作られた硝子越しに魔法の光が溢れるのだ。
中心広場のタイルをはじめ、町のあちこちには古くから伝わる祈りや守りの魔法陣が装飾的に使われている。
それらは町を彩り、そして、守っている。
……そんな町も、今日は一段と賑わっている。
アンブレイル王子の出立を祝おうと、町の者は勿論、アイトリア以外の町からも見物人が来ているのだから。
元々人の多い南町は、今や、某日の東京ビッグサイトのような有様であった。
あ、いや、流石に言いすぎた。謹んで訂正致します。流石にあれよりはマシだと思う。少なくとも、人ごみを縫って歩くことはできるし。
……俺の狙いはこれだった。
ここならば、俺は人ごみにすっぽりと埋もれ、隠れてしまえる。
アンブレイルが出発してしまえば、ここに居る人々は解散するだろう。
そして、その時アイトリアを発つ行商人や見物人も多いはずだ。
……なら、その時の南門(アイトリア正門)が、一番セキュリティの行き届かない門、という事になる。
人垣の向こう側だからぜんっぜん見えなかったが、アンブレイルが演説でもしていたらしい。
が、それも終わったらしく、盛大な拍手と歓声が沸き起こる。
……アンブレイル達が動き出したらしい。またファンファーレが鳴り響き、そして、南門が厳かに開かれる。
人々の視線と歓声の中、アンブレイル一行は南門を抜け、アイトリアから西に向かって進み始めた。
勇者の出立、というおめでたいイベントも無事終わり、その余韻に人々が浸る中、まばらに解散する人も出てくる。
……そして、ある程度人が動いたところを見計らって、俺もその波に紛れ込む。
そのまま人ごみに流されるようにして南門へ向かっていき、アンブレイルが無事出立して気が緩んだ門番たちの目を掻い潜り……。
……俺は、王都アイトリアを無事、脱出したのだった。
アイトリアからある程度離れるまで、アイトリア東街道を歩く。
西街道を進んでもよかったんだが、西にはそこそこ大きな町であるシェダーとかエレインとか、隣国ヴェルメルサとかの方面になるので人通りが多いんだな。アンブレイルもそっち行ったし。
あんまり人目に付きたくない俺は東街道を進むのがベスト、って事になる。
このまま東街道を進むとアイトリアの東にある港町リテナに着くが、今回の目的はそっちじゃない。
適当な位置まで東に歩いたら、北に進路を変える。
俺はこのままぐるっとアイトリアを迂回するようにして北へ向かう。
そして、アイトリアの北に位置するロドリー山脈を、抜ける。
危険は危険だろうな。ロドリー山脈は魔物の宝庫だ、とまで言われることがある。そして俺は今、魔法も使えない。殆ど丸腰。
……だが、そんなリスクを承知の上で、それでも山脈を抜ける。
だってどう考えても、それが一番魔王まで速いから。