55話
目を、覚ました。
……上の方には、霧に霞んでぼんやりと崖が見える。
多分、あのまま吹き飛ばされて俺、落ちたんだな。
……落ちたのに生きてる、ってのは……単なる幸運、ってかんじじゃねえな、こりゃ。
体に傷1つ無い。痛む所はどこも無い。実はもう俺死んでて幽霊になってます!って言われても信じられちゃうぐらい。しかし、脚はある。頬を抓ればそれなりに痛い。つまり、夢でも幽霊でも無い!
……1人でやってても悲しいので起きよう。多分、ディアーネもヴェルクトも心配してるだろうから、なんとか連絡ぐらいは取らないとな。
狼煙でも上げようかと思ったんだけど、火種が無かった。
……光魔法のランプはあるんだけど、火じゃない。
レンズ代わりになる魔石はあるけど、霧が濃くて太陽光を集められそうにはない。大体、燃料になりそうな木の枝も大体全部霧で湿ってるし。
うーん、人魚の島でディアーネに作ってもらってたみたいな信号用の魔石、常に携帯してなきゃだめだな、こりゃ。
しょうがないんで、歩き始める。相変わらずというか、不自然なほど、体に変調は無い。
……普通に考えて、あの高さを落ちたんだから、骨の一本二本折れていて然るべきなんだけどね。
いや、魔力があったなら、俺、普通に着陸したよ。風魔法なり無属性魔法なりで勢い殺して、ふんわりクッションに乗っかるみたいに華麗な着地を披露してみせたよ。けど、今の俺って魔法が使えない訳で……無意識に使った、とか、そういうメルヘンな事もある訳ねえしなぁ……。
あ、ディアーネやヴェルクトがなんかした、ってのも多分ナシ。
ディアーネがなんかやったなら、俺が火傷しても居なけりゃ服も荷物も焦げてもいない、っつうのはおかしいし、ヴェルクトは……多分、あいつなら、魔法より先に体が動くだろうからな。あいつ、そんなに器用じゃないもん。無い無い。
……って事はどういう事か、っつうと……俺達以外の誰かが、或いは何かが、俺が空から降ってきたときに魔法を施した、って事だろう。
ここはアマツカゼ、風の国。そーいう魔法を使う奴なんて、生物無生物問わずいくらでもあるだろうしな。
事実、俺が無様にも転落しちまったのって、いきなり穴の奥から風が吹いたからだし……。
……案外、マッチポンプなかんじなのかね。誰かが穴の中に潜んでて、俺を落としておいて、軟着陸させた、みたいな。
だとしたら、目的はなんだ?
……ま、いいや。俺を崖の下に連れてくるのが目的なんだったら、すぐに会えるだろうから。
霧の中を歩き続けたところ、髪は湿っぽくなってくるし、服は湿っぽくなってくるし、お肌の潤いが120%増しぐらいになるし、で、中々に不愉快になってきた。俺のお肌はもう十分肌理細やかでもちもちだからね。これ以上潤いなんて要りませんっての。
……しかし、これだけ霧が深いとなると、魔法的な何かを疑いたくなる。
いや、あるんだ。こういう魔法。かなり大規模な割に効果がただの霧だから、目くらましにするにも効率が悪いってんで、殆ど使われた記録が無いんだけど。
けど、念のため辺りを魔力を見る目で見てみたら……うっすらと、魔力の線が見えた。
か細い線は、精巧に辿りにくく編み上げられた、隠蔽性の高い術式。
……大した術式だな、これ。たかがこんな魔法に、これだけの労力費やすんじゃあ割に合わないんじゃないの?これ、ランニングコストも馬鹿にならなそうだし……。
……けど、ま……隠れ里、とか作るんだったら、まあ、割にはあうかもしれない、とも思う訳よ。
「……ね?そこのお嬢ちゃん?」
術式の細い細い魔力の糸を手繰っていけば、茂みの中でこちらを注意深く観察している人物に行き付く。
巧妙に隠され、あちこちで誤魔化され、人物自身の魔力も偽られて隠されて……そんな隠蔽っぷりだったもんだから、その子は俺に見つかって大層驚いたらしかった。
「敵じゃないなら出てきてよ。聞きたいことが山のよーにあるから。あ、敵ならお嬢ちゃんみたい可愛い子殺したくないから出てこないでね」
怪しい者じゃないよ、って事で両手を広げてみせると、しばらーく、そのまま動かず……そして腕が疲れてきた頃になってやっと、がさり、と茂みが鳴った。
「……おおう」
思わず、声が出た。
その少女のぱつり、と切りそろえた長い黒髪のポニーテールも、大粒の翡翠のような瞳も目を引く。引くが、何より目を引くのは……額から伸びた、2本の角である。
「俺の事、崖下に落としたのは君?」
俺より少し低い位置にある少女の目を覗き込むようにして尋ねると、少女はぷい、と横を向いてしまった。
「違う。妾では無い。妾はそんな短慮な真似はせぬ」
……ちょっとばかし、気位の高いお嬢ちゃんである。
「あらら。じゃ、君の知り合い?」
「……妾では無いが……そうとも。貴様を吹き飛ばしたのは妾の里の者よ。……すまなんだな、こんなことをして」
が、きちんと謝ってはきたので、悪い子じゃないんだろう。多分。
「ってことは、俺に何か用でもあった?」
「ああ。他所の妖怪なぞそうお目に掛かれるものでも無いからな。手荒な真似になってしまったが、こちらも緊急事態、という奴でな」
……ちょ、ちょっと待て。ちょっと待って。
え、え、俺、妖怪?妖怪なの?
アイトリアの王族だし、前世の記憶持ってるし、生まれ持っての魔力は膨大だったし、けっこうぶっ飛んだ爆誕っぷりだったと思うけど、けど、そこに更に『実は妖怪でした!』なんつうぶっ飛び要素が追加されるなんて聞いてないよ?
「緊急事態?」
けど、俺、内心で何思ってても外側に出さない技術には自信がある。
面の皮厚く無きゃ妾の子が王城でのびのび生きてけるかっつの。
「ああ。妖怪の里の者たちが奇病に悩まされていてな。寝込むものが後を絶たん。そのせいで結界は穴が開くわ、看病の手は足りないわ……」
……ああ。成程。妖怪は今、元気が無い状態なのね。
だからよそ者が不用意に近づいて妖怪たちを困らせないように、テンバラ村の人達は妖怪の事を知らんぷりしてたのかな。或いはほんとに妖怪の事なんて知らないってだけかもしれないけど。
「ほーん。じゃ、俺は看病のお手伝いをすればいいの?」
「そうさな……お前は何が得意な妖怪だ?見たところ、魔力は上手く隠しているようだが」
隠すも何も、無いよ。0だよ。分厚いヴェールの向こう側には何もないんだよ。
「うん。ちょっと訳ありなの。だから、魔力を使わない仕事があればありがたいかな。ちょこっとは薬の知識も病気の知識もあるよ」
「そうか。西洋の妖怪にも色々あるのだな……」
……うん、まあ、俺、西大陸の出だから、西洋の、は合ってるよ。妖怪じゃないけど!
「ならば重ね重ねすまぬが、一つ、病人の看病を頼まれてはくれぬか」
……ちょっと、ディアーネとヴェルクトの事が心配になったけど……悪いけど、俺はここでちょっぴり別行動させてもらおう。
「うん。分かった。助け合いって大事だもんな!」
だって、妖怪の鏡ゲットのチャンスだもん。
「そうか、手伝ってくれるか。いや、ありがたい。……申し遅れたな。妾は名をナライと言う」
「ん。ナライね。俺はシエルアーク。シエルって呼んでね」
少女改めナライちゃんに自己紹介すると、しえる、しえる、と、俺の名前を口の中で転がして首を傾げている。
「しえる?しえる、しえる……ふむ、西洋の妖怪は名も面妖な……あ、いや、気を悪くされたならすまなんだ」
「いや、別にいいよ。異文化ってそういうもんだし」
俺からすると『西風』なんてちょっぴり懐かしい響きですらあるんだけども、ね。
「そうか。恥ずかしいことに、妾はこの年になるまで里の者と麓の村の人間以外の者に会った試しがなんだのでな。……しえる、は、随分と見分が広いようだな。幾つになるのだ?」
……妖怪だと幾つぐらいが妥当なんだろうね?
「幾つに見える?」
なので、こういう時は聞き返すに限る。
「ふむ……そうさな、三百と少し、というところか?」
ざんねーん、15歳でーす。
……とは言えないので、そんなところだよ、と曖昧に返しておく。
……ナライちゃんはお幾つなんだろうね。
ナライちゃんにとっては楽しい異文化交流、俺にとっては綱渡り中のスパイ活動、みたいな齟齬が生じてる会話を続けつつ霧の中を歩いて行くと、途中で結界らしきものがあった。
「ふむ、少々待っておれ」
「あ、大丈夫。俺、結界全部すり抜けられるから」
ナライちゃんが解除してくれようとしたので、慌てて結界を抜けてみせた。
結界のON/OFFってそれだけで結構魔力消費しちゃうからね。ナライちゃんも疲れてるんだろうし、あんまりこういう所で無駄な労力使わせたくない。下手にナライちゃんが落ちたら妖怪の里を守る結界が一気に消し飛びそうだし。
「む!?……はあ、しえるは面妖な術を使うな……全く分からなかったが。西洋の術なのか?」
「え?いやあ……俺自身の性質、みたいな?……俺自身も不本意なんだけどね、これ……」
西洋の妖怪には色々あるのだ。腹違いの兄に魔力を奪われて殺されかけた挙句7年監禁される、とか。
「む、そうか。……すまなんだな、物珍しいもので、つい根掘り葉掘り聞いてしまう」
「いや、いいよ。俺も色々聞いちゃうこともあると思うからさ。そこはお互いさまって事でいこうぜ」
多分、かなり聞く。村に着いたら、とんでもなくいっぱい色々聞くと思う。
妖怪の常識なんて分かんねーもん、俺!
結界を抜けて歩くと、急に霧が晴れた。
「着いたぞ。ここが妾達の里よ」
……テンバラ村と同じような、素朴な家々。小さな畑や田んぼ。(小豆らしい畑がやたら大きいのは小豆研ぎでもいるからかもしれないね。)
そして、道行く人影は数こそ少ないが……ここが妖怪の里だと認識するには十分である。
やたら首が長いお姉さんとか、片足でぴょこぴょこ飛んで行く傘とか、ブリッジのままカサカサ動く誰かとか……。
そういう、どこか懐かしいような……恐ろしさよりも親しみが先に来ちゃうような妖怪たちが、この里には住んでいるらしかった。




