33話
「ディアーネ」
アンブレイルの後ろからやってきた女性には見覚えがある。
流れるような暗めの金髪に、柔らかいマリンブルーの瞳の美女だ。
クレスタルデの……ええと、どれだ。長女か。次女か。三女か。正直俺にとってはディアーネ以外のお姉さん3人は大して違いがねえっつうか……ええと、つまり、見分けがつきません!7年会って無いし当然だよな!
「ティーナお姉様。どうしてこちらへ?」
あ、長女だった。
……ええと、つまり、目の前のこの美女は、ティーナ・クレスタルデ。
ディアーネの所の一番上のお姉ちゃんであり、水地火風に加えて光と闇の両方の魔法を使える、という、万能型魔法使いである。
「私は今、勇者様の魔王討伐の旅に加わらせて頂いているの。まさかあなたがこんなところに居るとは思わなかったわ、ディアーネ。あなたまさか、うちの船を勝手に出港させたのかしら?」
……あー、そっか。
確かに、『炎の石』を手に入れてからフェイバランドまで船を使わないで歩いてきた、って言うには無理がある速さだ。
実際は俺達、人魚の力を得て泳いできたんだけど、それを種明かししてやる義理も無いしな。
「いいえ?手紙はご覧になって?私、あれからクレスタルデへは戻っておりませんのよ、お姉様」
ディアーネが実に楽し気に笑いつつ返せば、ティーナ・クレスタルデの表情は厳しいものへと変わっていく。
「……そう。手紙ね。ディアーネ。あなた、あれはどういうつもりなの?『魔王の首を持ち帰る』ですって?あなた、クレスタルデの名に泥を塗るつもりなの?勇者様であるアンブレイル殿下への無礼、見過ごすわけにはいかないわ!」
そういえば、ディアーネ、相当煽ってる手紙出してたな。
「あら、別に勇者が魔王を倒さねばならない、なんて決まりは無いはずよ?お姉様」
ディアーネの挑発的な発言に対して、ティーナ・クレスタルデは嘆息し、怒りを呆れで抑え込むようにして言葉を続けた。
「愚かな妹。あなたは何も知らないのね?いい?何故アンブレイル殿下が世界を巡ってらっしゃるか考えてごらんなさい?今、魔王討伐のためにアンブレイル殿下は」
「ティーナ、もういいよ」
が、アンブレイルによってティーナ・クレスタルデの発言は途切れる。
それからティーナ・クレスタルデとアンブレイルは何かこそこそと話し……ティーナが後ろに下がり、アンブレイルがディアーネの目の前に出てくる。
「……ディアーネ・クレスタルデ。話がある」
「あら、私の名を覚えていて頂けたのですね。光栄ですわ、アンブレイル・レクサ・アイトリウス殿下」
優雅に煽りつつ、ディアーネは『炎の石』を懐から左手で取り出した。
「これについてのお話かしら?」
「ああ、そうだ!その『炎の石』はヴェルメルサ帝王から僕が」
「ええ。公正なる帝王様は確かに、炎竜の首を持ち帰った私にこの『炎の石』をお授けになったわ。宿でのんびりしていた貴方に、では無くてね?」
これについては多分、ヴェルメルサの帝王様からもアンブレイルに話が行ってると思う。
あの帝王の事だ、かなり誠実な対応をしたことは間違いない。
「それに、火の精霊様には私から『お願い』したんですもの。それはご存知でしょう?なら、これ以上私に何をお望みになるの?」
……ディアーネが火の精霊に一体どういう風に『お願い』したのかは分からない。
分からないが……アンブレイルを苛立たせる『お願い』だったのは間違いないね。
「もしアンブレイル殿下が『炎の石を渡せ』と仰るなら、せめて恩知らずにならないようになさいな、『勇者様』」
「ディアーネ!あなた、さっきから無礼にも程があるわよ!」
アンブレイルが劣勢と見てか、ティーナ・クレスタルデが割って入った。
「あなたは昔からそうね、ディアーネ。人の手柄を横から攫っては驕って。……禿鷹のようだわ」
「あら、ただべらべらと言葉を並べる以外に能の無い小鳥よりは優秀な力ある禿鷹の方が余程良いのではなくて?」
……いつからこうなのかは分かんないけどさ。
ディアーネは、こういうやりとりをしている時、本当に輝く。
本人も心底楽しそうだし、なんつーか、こういうやりとりをして高慢ちきに笑ってるディアーネは、火魔法ぶちかまして高笑いしてるディアーネと同じぐらい輝いてるんだよね。
そんなかんじにディアーネはアンブレイルをやりこめ、ティーナもやりこめ、横から口を出してきた従者達も口だけで思うが儘に嬲り……『炎の石を寄越せ』なんて言わせる隙を与えることも無く完封勝利した。
「……くそ、行くぞ!こんなところにいつまでも居る必要は無い。地の精霊様にお目通りしなくては」
すっかり苦り切った顔でアンブレイルが踵を返そうとするが、しかし。
まだディアーネのターンは終わっていない。
「ねえ殿下、お待ちになって。私も貴方にお話があるの」
アンブレイルに近寄って、ディアーネはにっこり笑うと……。
スパァン、と、良い音がした。
ディアーネ、渾身の平手打ちである。
「貴様っ、何を!」
「ディアーネ!勇者様になんてことを!」
ティーナが怒りを露わにディアーネに詰め寄るが、ディアーネは地獄の熾火のような目で、ただアンブレイルを見ている。
「今日の所は、これだけにしておいてあげるわ。でも、これで全てが済んだと思わない事ね。……貴方がシエルアークにしたことを私が許すと思って?」
ディアーネの視線の鋭さに、アンブレイルは動揺を隠そうともしない。
「何故それを知っている!」
「慢心なさらない事ね、アンブレイル殿下。精霊様は全てを見てらっしゃるわ」
ディアーネはそれだけ言うと、俺達を連れ、ドレスの裾を翻し、颯爽と城を出た。
「……さて、と」
ウルカの店に戻って着替えた所で、ウルカがどん、と机の上に瓶を出した。
「祝杯だ。勝利の美酒というには弱いが、まあ、美味いぞ」
「よっしゃ!酒だ!」
エルスロアは山が多いんで、水が美味い。その銘水で仕込んだ酒ってのもまた、大体美味いのだと聞く。
……そして、この酒は只の酒では無い。
瓶の中に沈んでいるのは果実などではなく、鉱石。
内に蜜色のオーロラを閉じ込めたこの『蜜光石』は、酒に漬けると花の蜜のような豊かな香りと甘みを滲ませる、と聞いている。
「……シエル、ディアーネ。お前達はまだ未成年じゃなかったか?」
「あら、ヴェルクト。たかが1年なんて誤差よ?」
あ、ちなみに、この世界では17歳で成人である。
「ま、今回ばかりは見逃してよ、ヴェルクト」
ね?と覗き込めば、ヴェルクトもとやかくは言わなかった。言われても聞く気無いから、ヴェルクトにもそれが分かってんだろうけど。へへへ。
「美味しそうね。頂くわ。喉が渇いてしまったの」
「あれだけ喋ればそうもなるだろう。さあ、飲んでくれ」
ウルカに魔石のカットグラスに注いだ酒を渡してもらって、まずは一舐め。
……うん。あ、美味い。
軽くて甘くて飲みやすいな。
そして話には聞いていたが、やはり、香りが素晴らしい!
蜜のような甘やかな香りの中に、わずかに、森のような……木のような、爽やかな香りが混じっている。
「千年樹の樹脂を入れておいたんだ。香りが出すぎないように途中で取り出した」
「ああ、成程」
千年樹の樹脂は薬に使った事があるだけだが、香りは確かに良かった記憶がある。
こういう使い方もアリだな。ふんふん。
そんなに強い酒じゃなかったから、まあ、酔いはしたけど潰れはしない。
一瓶飲み切る頃には適度に楽しくなっていい具合になっていた。
ヴェルクト以外は。
……こいつ、下戸の中の下戸のようだ。一杯飲んで、寝ちゃった。
机に突っ伏してすやすや始まっちゃったんで、顔に落書きでもしてやろうかとも思ったけどやめといてやることにした。
……まあ、うん、山道続きだったし、少し昼寝させといてやろう。
「さて、この後シエルアーク達はどうするんだ?宿をとったらアンブレイル殿下と鉢合わせしかねない。予定が無いなら今日はうちに泊まっていくといい」
お、そりゃありがたい。
けどそれ以上に忘れちゃいけない。
俺達がエルスロアに来た理由は、これだ。
「あ、そだそだ。ウルカにお願いがあってさ。……『光の剣』の短剣サイズ、って、作れないかな」
ヴェルクトのナイフの件だ。
下手な鈍ら使わせとく訳にもいかないからな。ここは是非とも、ウルカの作、できれば『光の剣』みたいなトンデモ業物を使わせたい、という所なんだけど……。
「短剣、というと……ヴェルクトのものか」
「うん。そ。流石話が早い」
流石武器のプロ、というべきか、誰のための装備か、言わなくても分かってくれた。
「成程、確かに、彼なら『光の剣』でも使えるだろうな」
ウルカは寝ているヴェルクトの手を取って見てみたり、ヴェルクトの腰からナイフを抜いて検分したりし始め……結論を出したらしい。
「ふむ。よし。分かった。少し待っていてくれ」
ウルカは壁の模様を少し触ると……そこに、道が現れた。魔法で作ってある隠し部屋だな。
うん、これは知ってる。だってこの魔法教えたの俺だもん。
……そして、ウルカは現れた道の中に入っていき……少しして、何かを抱えて戻ってきた。
「持って行け」
渡された包みを開けると……うわ、流石の俺もこれはちょっと驚き。
「試作段階の産物だが、刃渡りが短剣程度にしか伸びない以外の性能はむしろ『光の剣』より勝る。……『光の剣』はあの刃渡り分魔力を制御するためにまた魔力を使う有様だからな、かなり燃費が悪いが、これならそこまでの負荷も無く使えるだろう」
包みの中にあったのは、『光の剣』をそのまま短剣の拵えにしたようなものだった。
「……貰っちまっていいの?」
「ああ。是非持って行ってやってくれ。この剣は幸運だな。正しく主の元へ導かれた」
ウルカは晴れ晴れといい笑顔を浮かべている。
「ありがとう。魔王退治の役に立てさせてもらうよ」
持主になる奴が寝てるから今一つ締まらないけどね……。
それから、ウルカに俺の最大の要件について相談しておいた。
つまり、『魔王の魔力を丸ごと俺のものにする』道具について、だ。
が、ま、案の定、ウルカからの反応は芳しくなかった。
「すまない。加工の段階になれば役に立ってみせるが、理論自体は苦手なんだ」
うん。ウルカは加工の腕はピカイチだけど、設計の魔法的な部分はあんまり得意じゃないらしい。
『光の剣』についても設計自体は土台になるものを俺が組み立てた。
「ま、そんな気はしてた。多分、禁呪をベースにする事になるから、もうちょっと設計が詳しくできたらまた来るよ」
「ああ。なら、シエルアークのために鉱石を採って待っていよう。いつ来てもすぐに作業に取り掛かれるようにしておくよ」
ウルカは笑って、俺の肩を叩いた。
「頑張ってくれよ、『勇者』シエルアーク」
「分かってるよ」
俺は、『勇者』だ。
俺が魔王を倒す。
そして、俺が『勇者』になるのだ。
このボーナスステージをアンブレイルに譲ってやる気はさらさら無いんだから。




