18話
「ええい、なら、その炎の石を奪った女はどこにいる!」
「先ほどまでは城に居ましたが……」
宿のロビーには、アンブレイル一行が居た。
多分、フィロマリリアの城の兵士がアンブレイルに伝言に来たんだろう。
……この様子じゃ、アンブレイルは朝になってから炎竜の巣に向かおうとしてたみたいね。
うん。なんか面白い話も聞けるかもしれないし、盗み聞き続行で行こう。
ディアーネと目くばせすると、ディアーネはフードを目深に被って宿の入り口付近の壁を背後に、ヴェルクトの胸倉を掴んで引き寄せた。
「な」
急な事に反応し切れなかったヴェルクトはディアーネの頭がある横の壁に手を突いて、まるでディアーネといちゃいちゃらぶらぶしてるような構図になった。
「少し静かにしていてね、ヴェルクト」
そのまま更にヴェルクトを引き寄せつつディアーネが耳元で囁けば、こういうことに耐性が無いらしいヴェルクトはそのまま固まってしまった。おー、初い初い。
しかし、これで大柄なヴェルクトの体に隠れて、ディアーネの姿はアンブレイル達から見えないだろう。
俺はそれに乗じて、ディアーネの長いマントの陰に隠れた。これで盗み聞き体勢は完璧である。
ということで、盗み聞き続行。
「しかし、クレスタルデ、というと……クレスタルデ伯の娘ですよね?」
「ああ。ディアーネ、というと、あそこの四女だ。……くそ、忌々しい!あの女はシエルアークとも親しかったからな……今回も裏で何かあったのかもしれない!くそ!」
何もないよ!少なくとも、俺はアンブレイルを邪魔してやれみたいな意図で動き始めたわけじゃねーよ!
「……まあいい。ディアーネならどうせ、クレスタルデの家に戻るだろう。待ち構えていればきっと会えるさ」
「王子……分かりました。なら、このままクレスタルデへ急ごう。馬車を表へ回せ」
あー……これ、アレだな。ディアーネが家に戻ると面倒が待ってるって訳だな。
けど、ディアーネも準備とかあるだろうし……どうしたもんかな。
「……シエルアークの行方はまだ知れていないのか」
おっと。ディアーネの問題だけじゃないのか。
俺が消えた事をアンブレイルはもう知ってるらしい。早いなあ。鳥文でも届いたんだろうけど。
「はい。今朝の鳥文では、未だ……という事でして」
「脱出経路も分かっていないのか」
「東塔から魔草の蔓で編んだロープが見つかっていますが、それ以外は……。城門を張っていた兵士はシエルアーク様を見ていないと言いますし、かといって、城の周りには結界がありましたから……」
……あー、もしかしたら門番にちょっとかわいそうな事をしたかもしれない。
俺が結界をすり抜けられるって事がばれてない以上、疑いは門番に行くに決まってるんだよな……。いや、でも、あの日はアンブレイルの出発があったもんだから門に兵士なんて数えきれないほど居ただろうし……ううん、誰かが酷い目に遭って無きゃいいが。
「となると、あいつは穴を掘ったんだろうな。それで結界を抜けたに違いない」
んなわけねーじゃん。バカじゃないの?
「……まあいい。どうせシエルアークは今、碌に魔法も使えない状態だろう。僕に勝てるわけが無いさ」
そうかなあ。そうかなあ。ちょっと『おっ、兄上久しぶりじゃん元気?』とかやりながら握手でもしてやりゃ、一発でお前KOできると思うんだけどなあ。
……いや、やらないけどね。やるメリットが殆ど無いし。
「しかし、シエルアーク様の狙いは何なのでしょうか……」
「炎の石を狙ったのがシエルアークなら、間違いなくシエルアークも魔王討伐を目指している。……となると、この国に居る可能性もある。十分警戒せよ」
「御意。発見し次第、王子に危害を加える前に、即刻排除致します。どうか、ご安心を」
えっ、俺、見つかったら排除されちゃうの?いいの?殺しちゃっていいの?禁呪の影響でアンブレイルにどう影響するか分からないから俺は殺せないんじゃなかったの?
……と、なると、あれだな。
多分、アイトリアを出る前に空の祠に寄って、空の精霊にそこらへんをなんとかしてくれるように頼んだんだろう。
それで、アンブレイルが出発したら俺を密かに殺す、とか、そういう事になってたのかもしれない。
……その為にとんでもない量の貢物をしたんだろうね。そんなどうでもいいことに国税を使わないでいただきたいもんである。ただでさえ去年のアイトリウスは不作の年だったらしいのに……。
……しかし、これは重要な事を聞けた。
これでもう俺は、『俺を殺すとアンブレイルも死ぬかもよ』っつう脅しを使えない訳だ。
うん、盗み聞きの価値はあったな。
そして、アンブレイル達は宿を出て行った。
入り口付近でいちゃつくカップルの方は見ないふりで通り過ぎた為、俺にもディアーネにも気づくことなく通り過ぎて行った。
『十分警戒せよ』じゃなかったのかよ。まじありえん。
さて。
いい加減疲れたし腹も減ったので、寝る前に朝食食ってから寝たい、という事で、宿の食堂で簡単に食事を摂ることにした。
尚、アンブレイルがクレスタルデでディアーネ待ちして時間を無駄にしてくれるように、ディアーネがわざわざ宿から鳥文を出してくれた。
つまり、『お父様、お母様、お姉様。私は無事、ドラゴンの首を帝王様へ献上し、炎の石を賜りました。少しフィロマリリアで休んでから帰ります。もう少しお待ちになってね』と。
こんな手紙が届いてたら、当然、アンブレイルはディアーネを待つだろう。
なのでその間、俺達はゆっくり休める、って訳である。ははは、ざまあみろ。
「……さっきのがお前の兄か」
干した果物が生地に練りこまれたパンを齧りながら、ヴェルクトは俺の方を見ずに聞いてきた。
「ん。そ。あれがアンブレイル・レクサ・アイトリウス」
「あまり、似ていないんだな」
別に気にすることじゃないと思うんだけどね。やっぱり、気になったらしい。ヴェルクトには俺が城を出た経緯をあんまり詳しく説明しなかったからね。アンブレイルの事も、『兄』としか説明しなかったと思う。
「父親しか同じじゃないからね。あんなのと繋がってる血が少なくて済んでるってのは、俺としては嬉しいけども。あ、ベーコン食う?俺、そろそろおなかいっぱい」
そう言うと、ヴェルクトは、そうか、とだけ返して、俺の皿からベーコンを取っていった。
……俺もアンブレイルもお互い、父親にあまり似なかった。よって、別人だと言われれば別人にしか見えないのだ。
唯一、『碧空の瞳』だけは、お互いに似ているけれどね。これはアイトリウスの血を引く者だけに出る、血の証明みたいなものだから。
「お前と妹のルウィナちゃんは割と似てるよな」
ヴェルクトの鈍色の髪とルウィナちゃんの銀糸のような髪は髪質こそ違えど、色は似ているし、ブルーグレイの瞳も、目つきの鋭さと柔らかさの違いはあれど、形などはそっくりだ。
それに、顔立ちが。……うん、見れば、兄妹だな、って分かる顔立ちをしている。両方美形だしね。
「あら、ヴェルクトには妹さんが居るのね?」
「ああ。……俺に似ないで、優しくて器用な子に育ってくれた。良くできた妹だ」
ヴェルクトは珍しく、柔らかい笑みを浮かべている。
その笑みを見て、ディアーネは、そう、と、優しい笑みを浮かべながら、陽光花のシロップ入りのアイスティーをストローでかき混ぜた。
からから、と、氷とグラスがぶつかる涼やかな音を立てるグラスを見つめて、ふと、ディアーネは表情を変えた。
「……私もシエルも、あまり家族には恵まれなかったから。少し羨ましいわね」
ディアーネは、少々冷たい顔をしている。……これは、こいつの『寂しい』って顔だ。
「ま、お前の所は親父さんの見る目が無いし、姉ちゃんたちは揃って性格悪いしな」
ディアーネは小さいころから『優秀な』姉たちに蔑まれてきたし、親父さんには『できそこない』と言われてきた。
ただオールラウンダーじゃなくて火魔法極振りだったってだけで、『できそこない』な訳じゃあ無いのにな。
……ディアーネは流石に、『禁呪』を使える事なんて家族には内緒にしているから。
だから、余計に家族にはディアーネの真価が分からないんだろうけれど。……内情を知る者としては、少々歯がゆくもある。
「シエルは……お母様がご存命なら、こんな事にはならなかったかもしれないわね」
「どーだろうな。生きてても……母さんが辛い思いしただけだったかも」
だから死んでよかった、とも思わないけど。けれど……生きてても、多分、前世の記憶がぼんやり残っていた俺は、この世界での母さんを母だと思えなかったかもしれない。この世界での父さんを父だと思えないのと同じように。
それとも、母さんが生きていたら何か変わったんだろうか。……いや、無いな。俺の前世の影響、濃すぎるもん。
「……別に、貴方が貴方の意思以外で死ぬなんて思った事は無いけれど。……でも、生きていてくれて、良かったわ。7年も待った甲斐があったというものね」
「そりゃどうも」
ディアーネがしおらしいと調子が狂う。こいつはゴーイングマイウェイでガンガンやってくれてる方がいいんだけどね。
火花の実のジュースをずずず、と吸って甘酸っぱさと炭酸飲料の刺激を堪能していると、一番よく食うヴェルクトの食事も終わったらしい。食後のお茶に入ってた。
「お前が生きていなかったら……ネビルムの村はどうなっていたんだろうな」
「滅んでただろ。俺が居なかったら」
「だろうな」
ありゃ。あっさり。
「何度も言うようだが、シエル。お前は俺の、俺の妹の、俺の村の恩人だ。俺はお前に感謝している。……お前が魔王を倒すまで、付き合わせてもらうぞ」
「私も付き合ってあげてもよくってよ?楽しそうだもの」
ヴェルクトの強い意志の篭った視線と、ディアーネの軽く楽し気な視線を受けて、俺も気づけば笑みを浮かべていた。
「おう。付き合わせてやるよ。……ってことで、とりあえず、いーっぱい寝て、アンブレイルに待ちぼうけ食らわせてやろうぜ」
ゆっくり休んだら……一旦、クレスタルデに戻るか、否か。
ま、どっちにしろ、次の目的地はエルスロア。
エルフとドワーフの国である。
「……3部屋、取ったのか」
「え?何?ディアーネと一緒が良かった?このスケベさんめ」
「違う!」
まあ、こいつだけ金銭感覚が庶民生まれ庶民育ちだからな。戸惑うのも無理はないかも。
「いいんじゃないかしら?お金に困っている訳では無いのだし、ゆっくり休める時にゆっくり休むのは大切なことよ?」
「ま、そういうことだ。何かあっても隣の部屋だからなんとでもなるだろ。あ、とりあえず昼飯が食える時間に起きろよ?クレスタルデに行くにしろ北の宿場町に向かうにしろ、出発は明日にするつもりだけど、買い物とかあるし」
回復薬の類が致命的に無いんだよな、今。
炎竜の巣で殆ど使っちゃったし、ヴェルクトは回復魔法、低級回復魔法しか使えないし。こんなんじゃあうっかり重傷負った時に間に合わねえからな。
……ディアーネも一応、『火属性の回復魔法(禁呪)』っつう、劇薬めいた魔法を持ってはいるんだが……うーん、薬、買い込んでおこう。そうしよう。どうせ俺には回復だろうが攻撃だろうが、魔法は一切効かなさそうだし!
「時間になっても起きてこなかったら起こしに行くわ。じゃあ、シエル、ヴェルクト。おやすみなさい」
ディアーネが優雅に一礼して部屋に入っていったのを皮切りに、俺とヴェルクトもそれぞれ挨拶して部屋に入った。
さーて、2日ぶりのふかふか布団だー。
たっぷり質の高い睡眠を取ったら、全員すっかり元気になった。長旅になるだろうから、体調管理はきっちりしていきたいところだ。今回みたいな強行軍は二度とやりたくねーなあ。
ちなみに、ヴェルクトは自力で起きたらしいんだけど俺が少々お寝坊しまして。ディアーネに起こされた。ごめん。
「……で、どうするよ、ディアーネ。お前、一旦家に帰る?」
「どうしようかしら。クレスタルデの屋敷に戻れば、確かにこれからの路銀に苦労はしなくなるけれど。でも、アンブレイルに会うのも面倒ね」
ディアーネはあんな手紙を出しておいて、早速アンブレイルを永遠に待ちぼうけさせる気満々である。
「装備は見たところ、良い物を今、既に持っていそうだが」
ヴェルクトの見立ては正しい。
街中という事もあり旅装のマントを外している今、ディアーネは大胆に肩を出すデザインのドレスしか身に纏っていない状態である。
しかし、このドレスは最高級の魔力布製。俺のマントと同じようなもんで、魔法にも剣にも強いのだ。
長手袋は同じく魔力布だし、ブーツはドラゴン皮。装飾品の類も守りの魔法が入っていたりする一級品。
そして、持っている杖は『炎の石』には劣るものの、そこそこ優秀な魔石を使った代物だ。
つまり、ディアーネに関しては、このフィロマリリアどころかヴェルメルサ全土を探しても、これ以上ディアーネを強化できる装備は手に入らないだろう、という事になる。
「ええ。装備や最低限必要な道具は持っているから、買わなければいけない物はあと、長旅に必要な……着替えとか、食料とか、そういうものになるかしら」
「そうか。……なら、このまま北に向かうのか」
「そーね。俺の魔力の魔石なら色々算段ついてから取りに戻ったっていいんだし。それにアンブレイル待ちぼうけ作戦は面白そうだし、いいんじゃない?どう?」
「私はそれで構わないわ。支度をするのに、貴方達にお金を借りなくてはならないけれど」
ま、お金の心配はない。
だってドラゴン1体分の皮だの骨だの牙だのがこの鞄には入ってるし、そうでなくても死神草がぎっしり詰まってるし。
うーん、前世の記憶があるからお金をたっぷり使えるってのはワクワクするし、今世の俺は自由なお買い物なんて碌にできなかったから、やっぱりワクワクするな。
「じゃ、薬の類、食料と……あ、あと、水だな。まともな魔法具、欲しい。ヴェルクトもディアーネも居るんだから、もう魔力内蔵型じゃない奴に取り替えてもいいんだよね。それから……ヴェルクトの装備、だな」
「ええ、そうね」
俺とディアーネの真剣な視線を受けて、ヴェルクトは戸惑ったような表情を浮かべた。
「お前、防具らしい防具、無いんだもん」
「そうね。物理的な攻撃は全てヴェルクト任せになってしまいそうだもの。折角だからここで装備をある程度整えていきましょう」
……ヴェルクトはネビルムの村で使っていた、大ぶりなナイフ2本(の内1本は折れちまった訳だが)と、ただの布の服、それに体の要所を覆うだけの簡素な皮鎧、といった出で立ちな訳だ。
ナイフ2本と身のこなしで戦うアサシンスタイルみたいだから鎧を重量化しないのはいいんだが、それだって、もっと丈夫で軽いものなんていくらでもある。
このファンタジー世界、下手すると、皮鎧よりも軽い金属の鎧だってあるぐらいなのだから。
「じゃ、午後はのんびり買い物して、今日はもう1泊して、明日の朝発つか。オーケイ?」
「了解した」
「分かったわ。じゃあ、早速だけれどお昼ご飯を食べに出掛けない?私、いいお店を知っているの」
さて、楽しい楽しいファンタジーなお買い物の時間の始まりである!