12話
少しそのまま墓地の下で休憩してから、俺達は外に出た。
さて、あと1仕事したら、さっさと次の目的地へ出発しなきゃな。
「あ、見っけ」
村の周囲をぐるり、と囲うように7つ設置されている結界装置。
結界が壊れた、って事ならこのうちのどれかがぶっ壊れてるんだろう、と思って点検して回ったら、案の定見つかった。
「ここの、魔石板。魔法の術式が彫り込んである所。傷がついて術が一部途切れちゃってるだろ?」
「結界というものはこんなに小さな傷でも壊れてしまうものなのですねぇ……」
ほうほう、と感心したように頷く領主から道具を借りて、魔石板の表面の文字を慎重に彫り直していく。
結界魔法も魔石加工も勉強しておいて良かった。
「さて、直ったぞ」
結局、5分もしないうちに修理自体は終わってしまった。流石俺。
「……結界が張られないが……」
「当たり前だ。一回オチてるんだから。再起動するためにはもう一回魔力を流さないと」
きょろきょろ、とあたりを不審げに見回していたヴェルクトの手をひっつかんで、俺のもう片方の手を結界装置の上部に乗せて……ヴェルクトの魔力を吸って、そのまま結界装置へ流した。
すると、たちまち結界が元に戻る。
「ああ、これで我々が魔物に怯えることももう無くなるのですね!」
淡い光でできた薄い壁は、こんな見た目だが強力だ。
これでこの村はもう、魔物の襲撃を恐れなくてもいいだろう。
大きく村をドーム状に囲う結界を見ていると、一仕事した達成感が湧いてくる。うん。よしよし。
結界の修復も終わって、いよいよこの村を発つ。
……とはいっても、ここで長年過ごしてきた上に妹を残して旅立つ事になっちゃったヴェルクトには色々と準備の時間が必要だろう、という事で、出発は昼過ぎの予定だ。ちなみに、それに伴って今晩は野宿の予定。しょうがないね。もう1晩ここで休んでいくっていう選択肢は無い。
だって、城の東塔には魔草の蔓で編んだロープを置き去りにして来てるし、そうでなくても、昼食の時間になったら食事を運んだメイドが俺の居ない部屋を発見するだろうし。
……いくらロドリー山脈の抜け道が公に知られていない、とは言っても、知っている奴が他に居ないとも限らないし、ロドリー山脈を迂回するにしても馬を飛ばせばもう今にも追手が来たっておかしくは無いんだよな……。
まあ、無駄に焦る必要も無いので、無駄には焦らないぞ、俺は。
ヴェルクトが準備する間、俺は領主の家で寛がせてもらいつつ、ついでに昼食もご馳走になった。
パンとバターとチーズと若葉鳥の肉のトマト煮込み、というメニューは村のおもてなしメニューなんだろうね。
特に、トマトの酸味と甘み、肉の旨味と脂の旨味、そしてそれらを整えるまろやかな塩味が溶け合った若葉鳥の煮込みは絶品で、非常にパンがすすんだ。パン。ご飯じゃない。だがそこがいい。
しかしヴェルクトの家で食べたときもそうだったけど、この村、パン美味いんだよな。
柔らかな城のパンとは違って、そこそこ噛み応えがあって、噛む度に小麦の甘さと香ばしさがじわり、と滲むような……。
……魔王を倒して城に戻った後も、ネビルム村のパン、食べにこようかな。
「すまない、待たせた」
食後のお茶を飲んでいると、ヴェルクトがやってきた。
「もういいのか?」
「ああ。元々そんなに荷物も多くない。ルウィナは村の皆が面倒を見てくれるだろうし、心配ない」
ああそう。あっさりしてるのね。……まあ、いいけど。
「ん。じゃ、行くか。領主殿、ご馳走になった」
「いえいえ、こちらこそ本当に、何から何まで助けていただいて……なんとお礼を申し上げればよいか。……あの、少ないのですが、これをお礼に」
お茶を飲み干して席を立つと、領主が革袋を差し出してきた。
受け取って断りを入れてから中身を確認すると、そこには銀貨が50枚程。
……ちなみに、この世界、紙幣はあんまり使われていない。
大体が金貨、銀貨、銅貨の3種類。
白金貨とか宝玉貨も存在はするが、そんな高額な貨幣なんて一般市民はまず使わない。
前世の記憶に照らし合わせれば……金貨が諭吉、銀貨が野口、銅貨が桜の硬貨、って所だろうか。
価値については物価の違いとかもあるから一概には何とも言えないけどね。
ちなみに、アイトリアの子供のおこづかいの相場は1か月に銅貨3枚、って所である。
……ってのは置いておくとして、目の前の銀貨50枚、だ。
前世で言う所の5諭吉ぐらいなんだけど、それってこの村にしてみればかなりの出費だと思うんだよね。
ちなみに、普通のお宿なら銅貨15枚で1食付きの宿泊ができちゃう。つまり、俺とヴェルクトとで1泊銀貨3枚。
……なら、こんなもんでいいかな、という事で、銀貨を5枚取って残りは返した。
「領主殿の折角の心遣いを無下にするようで申し訳ないが、とっても俺は非力なので重いお金なんか持てそうにない。……ので、残りは預かっといてほしい」
無理やり領主殿に袋を押し付けて、5枚の銀貨を鞄にしまう。
「いや、しかしそれでは……」
「ああ、じゃあ、こうしよう。これで領主殿の気が済まないっていうんだったら、今後俺がこの村に来た時にパンをご馳走してほしい。この村のパンは美味しいから」
領主は申し訳なさそうな顔で食い下がったが、急ぐから、という事で振り切った。
……精々忘れないでおくことだ。俺は今後何年経とうともパンを食べに来る。この村はその度にパンを振る舞わなくてはならないのだ。いつまでもいつまでも。終わりの見えない恐怖に怯えながら精々楽しく過ごすがいい!
村の出口に、ルウィナちゃんが居た。
「もう、行っちゃうの?」
「ああ」
やはり、その表情はどこか寂しげである。それでも、ルウィナちゃんは、そっか、と呟いた。
「私、いつか、お兄ちゃんはこの村を出て行っちゃうんだな、っていう気がしてたの」
「……そうか」
「気を付けてね。……絶対に帰ってきてね。空の精霊様にお祈りして待ってるから」
「ああ。……ルウィナも、領主様や皆と助け合って、元気に暮らせ」
短いながらも2人は言葉を交わし、別れることにしたらしい。
少し先に進んだ場所で離れて見ていたが、話が終わったようなので歩き始める。
「あ、待って!」
も、引き留められた。しょうがない、もうちょっと待つか……と思いながら振り返ったら、ルウィナちゃんがこちらへ駆けてくる所だった。
「あの、お名前、聞いてなかったから……」
……うーん、と……。ま、いいか。
「シエル、でいい。……悪いね。君のお兄ちゃん、ちょっと借りるぞ」
本名を名乗っても大丈夫な気はしたけれど、万一アンブレイル派の連中と何かあったらこの村に迷惑が掛かりそうだしな。
「はい。……その、シエルさん。……また、ネビルム村に、遊びに来てくれますか?」
「ああ。これからも時々お邪魔するつもりでいるよ」
パンをたかりにな。
「は、はい!あの、楽しみにしてます!絶対にまた来てくださいね!」
答えると、ルウィナちゃんは顔を綻ばせてくれた。
うん、素直に嬉しい。
こうして俺は新たに仲間になったヴェルクトとともに、ネビルム村を後にした。
村の入り口で手を振るルウィナちゃんの姿が見えなくなるまで、振り返り振り返り、手を振りつつ。
そうして、俺達は北に向かって歩き続けた。
ここら辺はあまり凹凸の無い平原なので、非常に歩きやすい。天気もいいし、旅にはいい環境だ。
「……そろそろ聞かせてもらってもいいだろうか」
歩き始めて30分経つ頃、不意にヴェルクトがそんなことを言ってきた。
「おう、なんだ」
「お前の正体について、だ」
あれ、まだそれ気になってたの?
……嘘嘘、冗談。流石に気になるよな、うん。
これから先、魔王討伐までご一緒してもらうつもりの仲間だ。明かさない訳にはいかないだろうし、明かさなくたって、俺と一緒に居たら危険な事に変わりはないしな。
「さっきルウィナちゃんにはシエル、って名乗っただろ、俺」
「ああ。……あれは偽名か」
「愛称だよ。俺の名前はシエルアーク・レイ・アイトリウス。不当なるアイトリウス王の子で、その内勇者になって、更にその内アイトリウスの王になる予定。シエルって呼んでくれて構わないぞ」
答えると、ヴェルクトは目を見開いた。
「王族か」
「まあ、妾の子だから王族だって名乗るといい顔しない奴もいるけどね」
それでも俺の名前は『シエルアーク・レイ・アイトリウス』なんだから仕方ない。全ては節操無しのアホ親父が悪い。
「……今まで知らなかったとはいえ、無礼を働いた」
「ん、許す。はい。じゃあ、この話終わり」
うっかりその場で跪きかけたヴェルクトの動きを遮って、歩き続ける。
「……いいのか」
「いいも何も、王族扱いして欲しかったら名乗ってるっつの。名乗りもしないのに王族だと察してジェントルメンな対応しろとかいう理不尽な事、俺は言わない主義。あ、一応念のため言っとくけどな、俺、お忍びだからな。お前の村に居るガキか何かだと思って接してくれ」
……暫く、ヴェルクトは微妙な表情をしていたが、少し考え込んで……納得したらしい。どこにどう納得したのかは分からんが。
「分かった。……これからよろしく頼む。シエル」
「ん。こっちこそよろしくな、ヴェルクト」
さて、これから少しの間は2人旅だ。
もうすぐ3人旅になる予定だけど、ね。
そうして延々と2人で平原を歩き続けている内に、潮騒が聞こえてくるようになる。
そして、更に進んでいくと……太陽が西に沈むころ、地平線は水平線へ変わった。
「海か」
「海だね。……魚、居るかなぁ。ヴェルクト、お前魚釣り、できる?」
「いや、鳥や獣はよく獲っていたが、魚は獲った事が無い」
「そっか。俺も無いや」
「そうか」
……ちなみに、俺とヴェルクトの会話は大体こんな調子であった。
これはこれで心地いいので構わない。なんというか、前世を思い出す感覚だな。つまり、割と好ましい。
ヴェルクトもこういう会話を苦痛に思う性質では無いらしいので丁度良かった。まあ、折角一緒に旅するんだから、仲良くできた方が何かといいよな。
「どうする。そろそろ夜になる。野営するならそろそろだと思うが」
「んー……いや、もうちょい進んでからだな。ええとね」
地図を広げて、岬を指さす。ここからなら多分、もう1時間も歩けば着く距離だろう。
「ここに、祠があるはずなんだ。その中が安全そうなら、そこで野営。そうでなかったら祠の外で野営、って事にしたいんだけど、どう?」
俺が尋ねると、ヴェルクトは頷いた。
「構わない。……俺に一々聞かなくても、シエルが決めた事には従うつもりだが」
あらっ、そりゃ素直だけど……それじゃあちょっと、困るんだよな。
「あのな、これ、別にお前を気遣ってるわけじゃないからな。ずっと狩猟と農業で過ごしてきた奴とずっと王城に居た奴じゃ、考え方も視点も違う。違う視点で見たら問題点が見えるかもしれない。俺はリスク軽減のために聞いてるの。で、どうよ」
なんといっても、俺は異世界歴15年のぺーぺー、しかも視察だの遠足だの実験だので飛び回っては居たけれど、それでも城生まれ城育ちだ。
ヴェルクトは……少なくとも、15年よりは上だろう。多分、20年いってるんじゃないかな。分かんないけど。それに加えて、俺よりもずっとこの世界の自然に触れて生きてきたんだから、俺よりもこの世界の事を詳しく知っていてもおかしくない。
なら、意見を聞いておいてもいいと思うんだよね。俺、完璧にさらに完璧を重ねたいタイプ。
……今度は、ヴェルクトもすぐには答えない。
少し、考えて……それから彼は答えを出した。
「……進むべきだと思う。ここは平原だ。魔物を見つけやすいが、魔物にも見つかりやすい。それから、海が近いから風が強い。この先に祠があるというなら、そこで休んだ方がいい。例え祠の外での野営になったとしても、壁が一面あるだけでも違うだろう」
「よし、分かった。じゃ、進むか」
「ああ」
至極あっさりやり取りをして、夕焼け空に滲む水平線を見ながら、俺達はまた歩き始めるのだった。
また雑談なんぞ、始めつつ。
1時間もしないうちに、俺達は岬へたどり着いた。
「……で、祠はどこにあるんだ」
が、見渡す限り、崖と水平線である。祠のほの字も無い。
「どっか。……んー、ちょっと待ってろ」
が、ここで諦める俺じゃない。
意識を切り替えて、魔力を見つめる。
……うーん……と。
あ、あれか。俺の知らない魔術に則って魔力が渦巻いてる。古代魔法の瞬間移動装置だろうな。
ええと、じゃあ、場所は……はいはい。分かった。よし、オッケー。
「……シエル?」
「見つかったぞ」
不審げに俺の様子を窺うヴェルクトは置いておいて、俺は真っ直ぐ進む。
「……おい、シエル!」
ヴェルクトが焦ったような声を出すが、大丈夫、別に、岬のギリギリまで進んだからって、別にここから投身自殺するわけじゃない。
崖際ギリギリの所で屈んで、崖の下を覗き込む。
……それはすぐに見つかった。
「……あった。崖の下が洞窟になってる。祠は多分、その先だろう」
ヴェルクトも俺の隣まで来て、同じように崖の下を覗き込んだ。
「……本当だ」
へへへ、これ、祠の中で寝られなかったとしても、洞窟の中では寝られるんじゃない?