111話
そうして空が杏色になってくるころ、俺達は妖怪の里へお邪魔することになった。
……いや、最初は『俺は』だったんだよ。
なんてったって、俺は西洋の妖怪だと思われてるけど、ディアーネとヴェルクトはそうじゃない。
妖怪たちも人間が嫌いじゃないとはいえ、あんまりずかずか人間連れて行くのもどうかな、と思って、俺だけで妖怪の里へ行くつもりでいたのだ。
いたの、だが。
「あれっ!?しえる!?しえるだろ!久しぶりだなーっ!」
フウライ山の麓で2人と別れようとしたその時。
「……あれっ、も、もしかして俺、邪魔した……?」
「あ、いや、大丈夫だよ、イナサ」
空から飛んできて嬉しそうに声を掛けてきてくれたのだ。烏天狗のイナサ君が!
「そ、そっか。ならいいんだけど、しえる、ほら、人間と一緒みたいだし……」
ひそひそ、とイナサ君、俺に耳打ちしてくれるけれど……まあ、うん、それが分かってるのにいきなり『ぼく烏天狗です!』って恰好したイナサ君が声かけてきた、ってのはやっぱり軽率なんじゃないのかなあ。
「初めまして、妖怪さん。私はディアーネ・クレスタルデ。西大陸の港町の領主の娘よ」
「ヴェルクト・クランヴェルだ。シエルとは一応同郷にあたる」
が、ディアーネもヴェルクトも妖怪事情は気にせず挨拶しはじめる。
「あ、俺、イナサ。烏天狗だ。……ええと、しえる。友達か?」
「うん。仲間。一緒に旅してんの」
なのでもう、俺も開き直った。
うん。仲間なの。西洋の妖怪は人間とふつーに仲良くするのー。
「そっかー、いいなあ、楽しそう……あ、そういやそっちの女の子……であーね?だっけ?カゼノミヤの『8人破り』で俺と当たったよな」
あ、そういや、ナライちゃんがそんなこと言ってた気がする。『アナジもイナサも前の2人に負けた』みたいな。
アナジってのも多分妖怪なんだろうし、イナサ君はこちらの烏天狗である。
成程、イナサ君と当たったのがディアーネだったのね。
「あら……そうだったかしら、ごめんなさい、覚えていないわ」
「あー、俺、翼は隠してたもんな」
そっかそっか、とイナサ君は納得しているが、ディアーネは曖昧に笑みを浮かべている。
……多分、一瞬で決着がついたせいで対戦相手の顔、覚えてないんだと思うぜ……。
そんな烏天狗のイナサ君は、はた、と気づいたように顔を上げた。
「なあ、お前ら一緒に里に遊びに来いよ!皆もう元気になったんだ。ナライもきっと喜ぶ!」
そしてこのお誘いである。
いいの?人間いるけどいいの?
「え、いいの?いや、元々お邪魔する予定だったけどさ」
「大歓迎だよ!しえるは里の救世主だからな!な、いいだろ?」
「じゃあお邪魔する」
いいよね、とディアーネとヴェルクトにも確認を取るが、2人とも楽し気に頷いて肯定。知ってた。
「了解!しっかり捕まってろよー!」
……そして、俺がそう答えて2人が了承するや否や、目の前で黒色が膨れ上がった。
広がった漆黒は、烏の翼。
夕陽の杏色を艶やかに反射しながら大きく大きく広がったそれに驚く間もなく、俺達はがしり、と捕まえられていた。
「きゃっ」
「なっ」
「うわーお」
俺達の驚きも他所に、巨大な烏は飛びあがる。
しっかり俺達を脚で掴んで、その巨大な翼をはためかせて。
……成程、イナサ君は巨大烏に化けられるのね。納得。
空の旅を楽しんだ後、緩やかに着陸。
のどかな農村のような風景の中に、やたら首が長いお姉さんだとか、ひたすら小豆を研いでいる奴とか、井戸から顔を出してる女の子とかが混じっている。
前回来た時はほとんどみんな寝込んでたから、こうして外で生き生きと活動している妖怪を見ることは無かった。
こうして妖怪がわやわややってるのを見ると、改めてここが『妖怪の里』なんだなあ、っていう実感が湧くね。
イナサ君に連れられて、ナライちゃんのお宅へ挨拶に行く。
ナライちゃんのお家は茅葺のどこか懐かしいお住まいである。
「ナライー!」
イナサ君が声を掛けると、縁側に座っていたナライちゃんが顔を上げ……その顔をぱっと輝かせた。
「しえる!しえるではないか!」
「久しぶりー」
ナライちゃんは縁側にあった下駄をつっかけながらこちらへ駆け寄ってくると、にこにこしながら俺の手を取ってぶんぶん振った。
「息災そうで何よりよ。……ぬ、そちらの人間はもしや、『8人破り』の?」
「ディアーネ・クレスタルデよ」
「ヴェルクト・クランヴェルだ」
「で……じ、ぢ……ぢあーね?べるくと?ぬう、やはり西洋の者は面妖な名だな……」
そしてナライちゃん、案の定というかディアーネとヴェルクトの名前の発音で詰まる。
俺は『シエル』が『しえる』になる程度だけど、2人は濁点に小文字混じりだから、余計に発音しにくいんだろうね。
「こいつら、俺の仲間ね。よろしく」
「うむ。妾はナライ。この妖怪の里のまとめ役をしておる」
やや誇らしげに胸を張るナライちゃんはとっても可愛らしいが、これでも齢300を超える鬼である。
後でヴェルクトに教えて驚かせてやろう。
ナライちゃんの家に上げてもらって、お茶とおせんべと饅頭なんぞご馳走になる。
おせんべは醤油。饅頭は黒糖の生地にこしあん。お茶は渋めのあつあつ。最高だね!
「……って事で、アマツカゼ王からこれを貰ったんだよ」
そしてお茶とお菓子をご馳走になりつつ要件を話して、鞄から例の小瓶を取り出した。
「ほう。『大神実命の蜜』を、な。中々あの王、奮発しよったな」
あ、やっぱりかなり貴重な物なんだ。まあ、そうだろうなあとは思ったけれど……。
「ふむ、もち米は今無いが……黍があったな。よし。『犬猿雉の丸薬』なら一刻もあればできよう。待っておれ」
ナライちゃんは『大神実命の蜜』の小瓶を持っててくてくと、家の奥へ消えていった。
しかし折角なので、ナライちゃんの『犬猿雉の丸薬』づくりを見学させてもらう事にした。
「まずは黍を水に漬けるのだ」
ナライちゃんは納戸から持ってきた布袋を開けて、中から黄色い小さな粒の穀物……きび、をざらざら、と器の中に入れていく。
そこに水を入れて数度かきまわして、あとはしばらくほっとくのだという。吸水させるってことね。
「その間に他の道具の準備をしておかねばな」
その間にナライちゃんは色々と道具を出してきた。
すり鉢にすりこぎ、蒸し器に布巾……そんなものを準備して蒸し器を火にかけ、蒸し器から蒸気が上がり始めた頃、黍の吸水も終わったらしかった。
「では蒸すぞ」
水を吸った黍を布巾にとって軽く絞り、そのまま蒸し器の中へIN。
そのまましばらくほっとけば、やがて黍がもっちりと蒸しあがる。
蒸しあがった黍をすり鉢に入れて、ナライちゃんは俺にすりこぎを渡してきた。
「さ、しえる。これで黍を潰すのだ」
あ、俺がやるのね?
すりこぎを受け取って黍を潰していくと、やがて粘り気が出て、もっちりとしてくる。
「そこでこれの出番という訳だな!」
そして俺がすりすりこぎこぎしてるところに、『大神実命の蜜』を垂らしていく。
俺はそれをまんべんなく黍に混ぜ込んで練り上げていく。
他に米の粉と塩一つまみも混ぜてよく練ったら、適当な大きさに丸めて、また蒸し器に入れていく。
そして蒸しあがったら完成、という訳だ!
……訳なんだけども。
「これ丸薬じゃないの?」
「む、丸薬、とは言うが……ま、団子かのー」
もう既にこの時点で……というか、アマツカゼ王に『残りの材料は食材だから大丈夫』とか言われてた時点で察された通り、これは『丸薬』というより、『団子』であった。
「なんで団子」
「昔々、アマツカゼで鬼殺しをした戦士が団子で獣を僕にしたという伝説があってな。それにちなんでおるのだろう」
うーん、俺もなんかそれ聞いたことある気がするけどあんまり深く考えるのはやめとこう。
そうして蒸しあがった団子はどう見ても団子であった。
「団子だこれ」
「だから団子だと言っておろうに」
ナライちゃんはそれを風魔法でさっと表面だけ乾かして、ぽいぽいと袋に入れてくれた。
「これを食わせればどんな獣もコロッと懐くぞ」
「人間に食わせるとどうなるの?」
「コロッと落ちる!……が、ま、そんなに長い時間は持たんぞ」
短時間とはいえ、そりゃあぶねえなあ。
「俺が食うと?」
「しえる自身の手で食ったなら何もおこらんよ。これは誰の手から食ったかが大事でな」
ほー、つまり、俺が食わせる、ってのが大事な訳ね。
ふむ。
「おーいヴェルクトー」
「なんだ」
居間ですっかりくつろぎつつイナサ君と戦闘談義をしていたヴェルクトの口に、『犬猿雉の丸薬』改め『桃太郎印の黍団子』を押し込んだ。
「……なんだこれは」
あれっ、ヴェルクト、しっかり飲み込んだのに全く何も変わってない。
「ナライー?なんも起きないぞー?」
「べるくとは既にしえるの忠君なのだろうなあ。そういう者に与えても何も起こらんぞ?」
あ、そういう。
「そーかそーかー、ヴェルクト、お前、そんなに俺のことが好きかあ」
「待て、何の話だ。シエル、さっきのもちもちした食べ物は何だったんだ」
……ふむ、この黍団子、その人が俺に忠実かどうかを調べるのにも使えそうね。いや、使う機会なさそうだけど……。
その日はナライちゃん家に泊めてもらった。
イナサ君をはじめとした妖怪諸君も遊びに来て、みんなで枕投げやって遊んだ。楽しかった。
「もう行くのか。もう一日二日、ゆっくりしていけばいいものを」
「それ、アマツカゼ王にも言われたなあ」
……あ、そういや、すっかり王様から預かった手紙忘れてた。
あぶねえあぶねえ、と内心思いつつ、鞄から例の簪を取り出してナライちゃんに渡した。
「はい、アマツカゼ王から」
魔法銀細工と翡翠の簪、そしてその簪に結ばれたお手紙を見て、ナライちゃんは笑みを浮かべつつ簪を受け取った。
くすくす笑いながら手紙を開いて、ますます笑みを深くするナライちゃん。
「ふふふ……祭があるから遊びに来い、だそうだ。しえるもどうだ?一月後だそうだが」
へー、アマツカゼのお祭りかあ。
……それはかき氷とか、綿あめとか、射的とか、金魚すくいとか……そういうのあるかんじのお祭りかな!?
是非参加したいところである。ちなみに俺が好きなのはトウモロコシ焼いた奴。
トウモロコシの甘さに醤油のしょっぱさと香ばしさがたまらん一品だよね、あれ。
「その頃には魔王もぶっ殺し終わってると思うから、是非!」
「ふむ、そうか!なら、しえるにゆっくりしていってもらうのはその時まで待つとするかな。……さてさて、こんな手紙1つにわざわざこんな良い簪をつけてくれたのだ。妾も一つ、返礼せねばなるまいなあ」
ま、粋だよね。割と気障な気もする。この国ふうに言えば、『雅』ってところかね。
「さて、しえるよ。ならば祭に間に合うよう、魔王を倒してくるが良い。くれぐれも気を付けてな」
「ん。また遊びに来るね」
つくづく嬉しそうなナライちゃんに見送られつつ、俺達は妖怪の里を発ったのだった。
……ちなみに、帰りもイナサ君が化けた巨大烏に掴まれて空の旅である。
これ、結構爽快っちゃ爽快なんだけど……多分絵面的には、巨大烏に誘拐されてるように見えると思う……。




