110話
夜にはアマツカゼのテンバラ村に着いたので、今日はここで一泊。
「味噌汁だ!味噌だ!よっしゃあ!」
そして宿の食事には当然の様に味噌汁がついてくる。
今日のメニューは魚の切り身の粕漬を焼いたもの、小ぶりなジャガイモを煮付けたもの、茄子を一度揚げてから大根おろしと出汁醤油でさっと煮たもの……そして青菜と油揚げの味噌汁!
俺、もうこの世界も長いけど、やっぱり前世の記憶が刺激されるのか味噌汁大好き。布団大好き。なんかもう好き。すごく好き。
前世で、最も美味い魚の食い方は粕漬だ、という意見を聞いたことがあるが、一理ある。だってこれすごく美味いもん。ジャガイモ煮っ転がした奴も甘辛くて香ばしくてどこか懐かしいお味。茄子の揚げ浸しもとろける茄子にあっさりした出汁が絡んで最高の調和。
そして安定の味噌汁。この安定感がたまらない。発酵によってたんぱく質をアミノ酸に変えられた大豆の旨味、麹の落ち着いた風味、そしてこの塩気……青菜のさっぱりとした口当たりに彩を添える油揚げの香ばしさとコク。ああやっぱり味噌汁はいい。毎日飲んでるとそうでもないんだろうけど、俺はこの15年間、碌に味噌汁なんて摂取してこなかったのだ。もう止められない止まらない。
「……ディアーネ、何故シエルはアマツカゼに来るとこうなるのだろうか」
「さあ……余程気に入ったんじゃないかしら……」
2人に不思議そうに見つめられても気にならない程度には幸せな食事であった。
テンバラで一泊したら、翌朝は王都カゼノミヤへ。
午前中にさっさとカゼノミヤに着いたら、王城へ向かって王様とのアポをとる。
突然の来訪だったわけだけど、午後一番には謁見のために時間を空けてもらえる事になったので昼食を摂って待機。尚、昼食は天ぷら蕎麦であった。さくさくずるずる。
お昼過ぎに城へ向かうと、スムーズに玉座の間まで通してもらえた。
「久しいな、シエルアーク・レイ・アイトリウス」
アマツカゼ王は疲れ気味ながら俺を見てなんだか嬉しそうな顔をしてくれた。
疲れ気味なのは多分公務が忙しいんだろう。嬉しそうなのは当然だ。だって俺がわざわざ会いに来たのだ。
容姿端麗、頭脳明晰。大胆不敵な聖人君子の古今無双!
ありとあらゆる褒め言葉が人の形して歩いてるのが俺だからね。そりゃ嬉しくもなるよね!
「先日、アイトリウス王より協約の取り消しの旨が通達された。これでお主を捕らえる理由も無くなった。どうか存分にゆっくりしていってくれ」
……ああ、もしかしたら嬉しそうなのってそういうことか。
もうアマツカゼ王は俺を捕らえる必要が無い。それは、アイトリウスから出された『シエルアーク・レイ・アイトリウスを見つけたら捕らえてアイトリウスに引き渡してね』っていう協約が取り消されたから。
大臣を牢屋にぶち込んで、親父を優雅な言葉の暴力でひっぱたいて、俺を無実の罪でひっとらえるのやめさせたもんね。成程、流石にアホ親父もさっさと動いてくれたらしい。
「ありがとうございます。……しかし、真に残念ながら、あまり長くはいられないのです」
「なら、お主の使命が果たされた暁には、またアマツカゼに来るが良い。その時、またゆっくりしていってくれ。……時に、お主の働き、海を隔て山を隔てたこの国にも伝わっておるぞ」
アマツカゼ王はそう言ってにやり、と笑ってみせる。
……この様子だと、俺が高位の魔神をぶちのめしてアイトリアを救って大臣を牢屋にぶち込んでアイトリアで演説までやってきた、って事も知ってそうね。
「して、今日は何か用があって訪ねてきたのではないか?」
そして、このセリフである。多分、俺がこれから何をしようとしているのかも分かった上で、それに協力しようとしている!
下手すりゃよその国から袋叩きにされかねないってのによくやるよね。
「はい。此度は『魔獣を一時的に下僕にできる妙薬』についてお尋ねしたく、参じました」
「ふむ……時に、シエルアーク・レイ・アイトリウスよ。先に質問させてほしい」
さっさと要件を言っちゃった所、国王はそんなことを言った。
……これ、解答間違えたら教えてもらえないパターンかな。
「なんなりと」
「難しいことでは無い。……お主が『8人破り』に参加した時、最後に当たった女傑のことだ」
ああ、ナライちゃんのことか。
……となると、うん。あんまり緊張しなくても良さそうね。
「彼女とは知り合いだったか?」
「はい。『彼女の里』にも招かれました」
答えると、アマツカゼ国王は笑みを浮かべて、よしよし、というように頷いた。
……つまり、王様が知りたかったのは、俺が『妖怪』と知り合いかどうか、って事だね。
「ならよい。……ナライは我が父の代からああして人里に来ては大人しくひと暴れして帰って行くのだ。それでいて本人は人間に巧く化けている気でいるのだから、全く……」
国王はそう言ってくつくつ笑うと、玉座から立ちあがった。
「ついてくるがいい、シエルアーク・レイ・アイトリウス。お主に『犬猿雉の丸薬』の材料を譲ろう」
国王についていくと、玉座の間の後ろにある掛け軸の裏にどんでん返しの隠し扉があった。
その奥の隠し部屋に並ぶ棚には、貴重な魔石や魔力布などが並べられている。
「くれぐれもこの部屋の事は内密にな」
が、隠し部屋はこれだけで終わらなかった。
棚の1つ、大きな引き出しを引き出すと、中には巻物が立てて保管されており……そのまま引き出しを完全に抜いてしまうと、その奥に棚の背板ではなく、隠し通路が現れたのである!
に、忍者屋敷かよここっ!
「驚いたか」
「はい。……アイトリウスでは部屋を隠すために魔術を用いますので」
何が一番びっくりって、この隠し通路、魔術による隠ぺいが成されていないのである。
つまり、物理で見つけられちゃう、ってことね。
「魔術を用いれば、お主のような手練れの術師には却って分かりやすくなる。城の玉座の間にまで侵入してくるような者があれば、それは当然手練れの忍びだ。魔術にも長ける者であろう。……ならば、初めから魔術など使わぬ方が良い、というのが数代前からのアマツカゼの王の見解でな」
ふむ、成程。一理ある。
アマツカゼの城に魔術による隠し扉なんてあったら、魔力を手繰れる者からすれば却って分かりやすくなるだろう。
一応、一定以上の才能と努力を持つ術師なら、『怪しそうな』魔力の動きに感づくぐらいはできてしまうから。
なら、魔術を使わない方が『気づかれない』。
目印が無ければ、確かにさっきの隠し通路になんて気づかないだろう。うん、面白いけどちゃんと理に適ってる。
ちなみに、アイトリウスは城の中に魔術を使っていないものがほとんどないような有様だから、『木を隠すなら森の中』理論で魔術の隠し扉が分かりにくくなってるのでセキュリティは大丈夫。
しかし……国それぞれのセキュリティはあるにしろ、このアマツカゼの方針は潔くてかっこいいね。
隠し通路の奥には、魔力を封じる布に覆われた箱がいくつかあった。
成程、隠し通路を隠すのに魔術は使わなかったけれど、流石にその奥に強い呪物を置いておいたら感づかれる恐れがあるもんね。魔封じの魔力布を掛けておくことで呪物の気配を隠しているんだろう。うん、このセキュリティ、いつかアイトリウスでもやってみてえなあ……。
「これを持って行け」
そして、アマツカゼ王はその箱の1つを開けて、中から小瓶を1つ取り出した。
渡された小瓶の中には、蜜のようなものが入っている。が、これが只の蜜じゃあないってこと位は分かる。詳しくは分かんないけど。
「妖怪の里へ持って行って『犬猿雉の丸薬』を作るようにナライに言うといい。残りの材料はナライがなんとかするであろう」
ということは、この小瓶の中身がきっと『犬猿雉の丸薬』……つまり、『魔獣を一時的に下僕にできる妙薬』の決定的な材料なんだろうな。
「残りの材料、と言いますと……」
「ああ、何、なんてことはない。この『大神実命の蜜』の他は只の食材で事足りる。米や麦の粉があればよいのだ。……それから、ナライにはこれを渡してほしい」
それからアマツカゼ王は隠し+隠し部屋を出て、隠し部屋一段階目へ戻ると、その棚から1つ、魔石の簪を取った。
魔法銀の繊細な細工と大粒の翡翠が美しい、珠玉の一品だ。
そして、アマツカゼ王はその場で懐から取り出した紙に筆でさらさらと何かを書付けて折りたたむと、その簪に結び付けた。さながら、おみくじを神社の木の枝に結ぶかの如く。
「このような事をお主に頼むのも心苦しいのだが、一つ頼まれて欲しい。……妖怪に会いに行ける者は限られるのだ」
成程、この簪はナライちゃんへのお手紙、ってことね。オッケーオッケー。
「お任せください。必ずやナライさんにお届け致します!」
ということで、俺は笑顔で快諾。そんな俺にアマツカゼ王も安心。
しかし、どうもこの王様……というか、アマツカゼの国王は代々、妖怪と交流があるみたいだね。
多分、この国はそういう国なんだろう。
『妖怪』という『存在しないもの』と交流する。存在を大っぴらにしないものの、その存在は知っている。
そして、お互い、大きく深く表立って関わり合う事は無いけれど……お互い姿は見せず、言葉すら碌に交わさず、それでいて互いの存在を大切にしている、みたいな。
うん、中々いいなあ。前世の記憶が騒ぐんだか、こういう感覚は割と嫌いじゃない。
アマツカゼ王は城に泊まっていくように勧めてくれたけれど、それは辞退。今は出来るだけ急ぎたいからね。
……ということで、昼過ぎにはまたルシフ君たちを走らせて、テンバラの方向へ戻る形になった。
テンバラとカゼノミヤの途中にそびえるフウライ山目指して……妖怪の里へ、俺達は向かったのであった。




