99話
なんとか少女の警戒を解いて、俺は少女の傍ら、柔らかい草の上に座り込んだ。少女もそれに倣って隣に座る。
「君、名前は?」
「私?私の名前はエナ。あなたは?」
ふむ、流石に偽名を名乗る時にどもったりはしないか。
「俺?俺はねえ……」
そして、俺は『どもる』。
……目の前のこいつが、逢魔四天王の風のなんちゃらだとして、だ。
正直、俺自身を狙ってるのか、それとも、未だに俺をアンブレイルだと勘違いして追ってきてるのかが分からねえ。
どこでボロが出るか分からない以上、こっちだって網は広く広げておくに限る。
「……アイト。俺の名前はアイト。よろしくね、エナ」
つまり、『シエルアークでもアンブレイルでも思いつくであろう偽名』を『いかにも偽名っぽく』使うに限る!
当然、『アイト』は『アイトリウス』の上3文字である。
「……アイト、アイト……素敵な名前ね!」
にこり、と笑う少女に、俺もにっこり。
さて、化かし合いスタートである。
……さて、殺すのはタッチ一発だけど、そのタイミングを逃すわけにはいかない。
相手は間違いなく俺を警戒している。
『水のハイドラと火のパイルを殺したのはアンブレイルだけど目の前にいるのはシエルアーク』っていう3回転半捻りみたいな勘違いをされてない限りは、間違いなく警戒されてる。というか、俺のことを『シエルアーク』だってちゃんと認識してるなら絶対警戒してるべきだ。だって俺、アイトリウス一の魔導士として名高かったもん。
そして、相手の警戒よりも大事なのは、『相手を殺すタイミング』。
できればただ殺すんじゃなくて、情報を引き出してから殺したい。
せめて、『俺をどっちだと思ってるか』ぐらいは分かってから殺したい。どうせあと1体は襲ってくるんだろうし、その時の情報があるに越した事は無いし。
という事で、薄氷の上を歩くような楽しい雑談が始まった。
「エナはバイリラに住んでるの?」
「え?どうして?」
早速回答に詰まる高位の魔神。まあ、気にしないでおいてやろう。
「踊りが上手だったから。バイリラって踊りの街だろ?」
「うん……私はバイリラに住んでる訳じゃないの」
気にせず笑顔で踊りを褒めてやったら、いかにも訳ありなんです、ってかんじに俯いてみせてくれた。
まあ、魔神だからね。人間の街の事聞かれたらボロでまくるもんね。
「え、でもフィロマリリアからじゃあここはちょっと遠いんじゃない?」
「ええと……フィロマリリアに住んでる訳でもなくて……」
なんとかボロの出なさそうな回答を探してるらしい。
まあ……うん、多分模範解答は『ラミスからバイリラまで行商に行く父に付いてきたけれど父が酒場に行ってしまったので自分は森で暇を潰している』とかなんだろうけど、この魔神、そういう回答を思いつく程度にも人間の事を知らないらしい。
「……エナってもしかして、人間じゃ、ない?」
なのでここはあえて、ちょっとつついてやる。
「……え?」
あからさま魔神は動揺!武力行使もやむなしか、みたいなかんじに、魔神の背後で魔力が動く!
しかし!……俺は敵意なんぞ欠片も見せずに、『好奇心』だけで顔を覗き込んでやる。
「妖精、なんでしょ」
そして、自信満々にそう言ってやるのである。
「……えっ?」
明らかに虚を突かれた、というような顔をして、高位の魔神は魔力をひっこめた。
そして、混乱から抜け出そうと頑張っている。頑張れ頑張れ。
「だってあんなに綺麗な踊り、人間に踊れるわけが無い。妖精だっていうなら納得がいくさ」
そしてその混乱に更に混乱を上乗せするための口説き文句を投入!ついでに上目遣いとスマイルも追加だ!
「え、あ……その、私、別に妖精ってわけじゃなくて、その」
案の定、慌てに慌てた魔神はもう、頭が回っている様子じゃあなかった。
なんつーか、魔力さえ無ければただの女の子に見える。魔力さえ無ければ。
「冗談だよ」
そんな可愛い女の子にそう言って笑ってやれば、高位の魔神は揶揄った俺と揶揄われた自分に腹を立てたのか、少々拗ねてしまった。
……うん、たのしい。
それから、『ラミスから行商に来たんだろ、よく居るよな』みたいな事を言ってやれば、案の定、魔神はそれに乗ってきた。まあ、安心していいよ。あんまり俺もそこらへんの設定には突っ込まないであげるから。
「アイトはどこから来たの?この辺りの人じゃないよね?」
そして、攻守逆転とばかりに、今度は俺が質問される。
まあ、いいとも。俺が知りたい情報を知るためには、俺の情報を明かすのが一番手っ取り早い。
「うん。東の方から来た」
「東……アイトリウス?」
『東』とだけ言ってアイトリウスに直結するのはおかしいんだけど、まあ、当たりだからしょうがない。
「うん。まあ、アイトリウスの出身だよ」
「やっぱり?じゃあ、『アイト』っていう名前はアイトリウスからとったのね?」
「え?う、うん」
如何にも『偽名だってバレちゃったわーバレちゃったわー』って顔をしておく。さあ、突っ込め。もう一息突っ込め。
「すごいなあ、国の名前から名前を付けるなんて、まるで王子様みたい!」
「え……うん、そうかもね?」
まあ、普通に考えたら国の名前を付けるなんて、不遜にも程があるしな。
「アイトリウス、って、確か始原の勇者様の名前からとった名前なのよね?……なら、アイトの名前は勇者様の名前でもあるんじゃない?」
「うん、そうかもね……」
「……アイト、どうしたの?」
「え?何が?」
何がも何も、もうこの時点で多分狙ってるのはアンブレイルなんだろうなー、って思うんだけど、まあ、相手のペースに任せてあげよう。
なんとなくそれからいくつかの質問を上の空かつ挙動不審に答えてあげて、お膳立ては整った。
「ねえ、アイト。私、聞いたことがあるよ。……アイトリウスの王子様が、勇者として旅に出た、って」
「……うん?」
俺の曖昧な返答に魔神は表情を変え……さっき俺が『妖精でしょ』ってやった時みたいに、魔神は俺の顔を覗き込みつつ、その中々に可愛く整った顔を輝かせて、俺に問うてきた。
「ねえアイト。もしかしてアイトって……王子様?勇者様?」
「……うん。……どっちもだよ」
如何にも『しくじった』みたいな顔で肯定してやれば、魔神が嬉しそうに笑った。よかったね。
「すごいすごいすごい!じゃあ、アイトはお城で暮らしてたの?」
「まあ、そういう事になるかな」
「いいなあ、お城……ねえ、お城の話、聞かせて?」
魔神は『お城に憧れる可憐な少女』を演じ始めた。多分、アイトリアの内部の構造とかが知りたいんだろうな。
という事は、こんなところにいるにもかかわらず、次の狙いはアイトリウスか?火のパイルの雪辱を晴らす!みたいな?
だとしたら猶更、ここで殺しとかなきゃいけないね。
それから俺は、ひたすらアイトリウス城の暮らしについてお話してやった。
「それでそれからは宝物庫の中に粋カエルの卵の聖水付けが並ぶようになったんだよ」
「ふーん」
尚、言ってることは悉くでたらめである。当然だ。誰が自分で自分の城のセキュリティ緩めると思ってるんだ。
それからまた城についての雑談。それから血族に関しての雑談。更に、得意な魔法や苦手な魔物についての雑談!
あからさまにこっちの弱点を探りに来ている雑談を楽しく繰り広げ、すっかり俺達は打ち解けた『ふりをする』。
……こんなサツバツ雑談で打ち解けられる奴が居たらそいつは脳みそとけてるに違いない。
「ねえ、アイト。アイトはダンスは苦手?」
「ダンスは苦手だな。……練習する機会があんまり無かったんだ」
さて。
いい加減雑談も尽きてきた……つまり、相手が俺から収集したい情報が出尽くした、ってところで、魔神はそんなことを言ってきた。
そろそろフィナーレってことだな。まあ、勝者は決まってるんだけどね。
「王子様がダンスできないんじゃ駄目なんじゃない?もしよければ私が教えてあげる!」
魔神はほら、と、俺に手を差し出して、じっと見つめてきた。
……その時、魔神の目から魔法が発せられたのが分かった。
多分、誘惑系の奴だな。それもかなり高度なタイプの奴。
掛かったら最後、術者に恋して他の事はろくに考えられなくなり、思考力も鈍り、術者に完璧に操られてしまうようになる、という……とっても嫌な魔法である。
今回はそれで俺を一時的にでも操って、それから……差し出した右手にある魔法……触れた相手に紋章を刻み、完全にその思考の自由を奪う、っつうおっかない魔法を俺に使うつもりだったんだろう。
二段構造にしたことは褒めてやろう。最初から右手の魔法を使おうとしたら、流石のアンブレイルだって警戒するだろうからな。
しかし、目から発される誘惑の魔法は、とっても高度で気づかれにくい魔法だ。
今までの雰囲気が親し気であった分、この魔法に掛かる可能性はとっても高かっただろうし。
が。
いかにおっかない魔法だったとしても、俺には効かない。魔力が無い以上、俺に魔法が効く事は無い!
「いいの?……じゃあ」
魔神のお望み通り、魔神の右手に俺の手を重ねる。
魔神の手に触れた。
その瞬間……魔法は俺の手をすり抜けてしまい、それに魔神が愕然とする前に……一気に、繋いだ手から魔力を吸い取った。
うん。相手が二重に化かしてくれてたとしても、魔力吸っちゃえば俺の勝ちなのよね。
「こ……これは、一体……なん、で……」
最後の最後、少し喋れる程度には魔力を残しておいてやった。
尤も、何か不審な事をしようとしたらすぐに残りの魔力も吸っちゃうけどね。
「……ごめんな。俺だってこんなこと、したくないけど……でも、勇者と魔神は、一緒に居られないから」
魔神、と言ってやれば、あからさまに驚愕の表情を浮かべた。『気づいていたのか!』ってかんじである。気づくわ、こんなん。
「エナが本当に妖精だったらよかったのに」
そして、俺は最後の一芝居である。
左手はしっかり魔神に触れたまま、右手で抜いた魔法銀の剣を魔神の喉に突きつけ、『最後の一突きを躊躇っている』かのように振る舞った。
「俺、エナに嘘吐いたけど、でも踊りが綺麗だって思ったのは、本当だったよ」
ついでに、涙を数粒零してやるぐらいはしてやった。
魔神からは俺の綺麗な碧空の瞳から涙が落ちる様子がよく見えただろう。
自分で見た事は無いが、間違いなく美しい光景のはずである。間違いない。
……そして、俺は決してそんなヘマはしなかったが、魔神は……散々雑談をした俺に、愛着が沸いちゃったらしい。
「……1つ忠告しておいてやろう、勇者よ」
息も絶え絶え、という状況で、魔神は言葉をなんとか紡ぎ出した。
「魔王様は、お前を……見ておられる、ぞ……魔物を用いて、宿敵である、お前を」
思わず涙が引っ込みそう。
え、なにそれ。
ええ……ええと、ええと……ちょっと、俺の頭が、混乱してる。
咄嗟に出てきた解答を、頭がはじいてる感覚。
「魔王様はお強い。そして、強きものが、お好きだ……精々、魔王様を退屈させぬよう、力を、蓄えて……おくの、だな」
「待って!名前を!本当の名前を教えて!」
色々聞きたかったんだけど、咄嗟に出てきたのがこれ。
俺の天才的頭脳が泣いてるぜ。
「……モネア。風の、逢魔四天王……」
ああ、うん。逢魔四天王なのは合ってた。うん。よし。
「先に地獄で、待っている、ぞ……アンブレイル・レクサ・アイトリウス……」
……。
そうして、エナ改め、逢魔四天王、風のモネアは息絶えたのであった。
念のため、死体からもちゃんと魔力吸っておいた。
……しかし、とんでもないことが最後の最後で分かっちまったな。
多分、魔王陣営は今まで、俺をアンブレイルと間違えた訳じゃなかったんだ。
いや、俺の名前を『アンブレイル・レクサ・アイトリウス』だと勘違いしていたことは間違いないし、素性を『アイトリウスの正当なる王子』だと勘違いしてたことも間違いない。
けど……ああ、なんて言ったらいいんだろ、それって、つまり……人間が『勇者』としてアンブレイルを送り出したからであって……アンブレイルが『勇者』だからじゃない。
魔王たちは最初から、アンブレイルなんか眼中に無かったんだ。
ただ、『勇者』を追った結果、その『勇者』が『アンブレイル・レクサ・アイトリウス』っていう名前だっていう情報を手に入れちまった、ってだけで……。
魔王は、正しい『勇者』を知っている。
そして、その『勇者』の素性を人間から知ろうとした時、『アンブレイル・レクサ・アイトリウス』の情報が手に入っちまったんだ。
だから、魔王陣営は『俺のことをアンブレイル・レクサ・アイトリウスだと思い込んでいた』。
情報じゃない。実際に『勇者』を魔物を使って見つけたのが先だったんだろう。
つまり、魔王からしてみれば、『正しい勇者』は……俺、なのだ。