9話
「……すまない。大人しくしていてくれ。命は取らない」
上から急襲されて、地面に押し倒されて、首筋にナイフをあてられている。
状況だけ考えれば、とんでもない危機的状況だ。死にかけ一歩手前、と言っても過言では無い。
……が、俺の上から降ってくる声はどこか震えていて、同じように、ナイフも細かく震えていた。
ナイフを持たない方の手はいかにも不慣れな手つきで俺の懐を漁っている。……大方、金目当てなんだろうが、その割には不慣れなかんじがアンバランス。
……この犯行に不慣れな犯人の様子が、俺に落ち着きを取り戻させてくれた。
「人を襲うのは初めてか」
「何を」
よいしょ、と、体の下から腕を引き抜いて、ぺたり、と、何気ない風に犯人の顔に触れる。
魔力を吸ってやったら、犯人は地面に這いつくばる事になった。ついでに俺は魔力を補充できてちょっと元気になった。
「何、を……」
「ちょっと弱ってもらっただけだ。生憎、大事な路銀をわざわざくれてやる義理は無いもんでね」
起き上がって、服の土を払う。
……さて、このままこいつは放置して行ってもいい。いいんだが……納屋の屋根の下よりは、部屋の中、お布団の中、って方がいいじゃない?
俺、毟れる相手からはがっつり毟っていくタイプ。
「お前、ネビルム村の者か」
……それに、気になることもあるし。
「路銀はやらんが、事情を聞く位はしてやってもいいぞ?」
……最初に触れて、驚いた。こいつ、ドラゴンか?と、一瞬焦った。
そのぐらいとんでもなく膨大な魔力を持っているのだ。こいつ。
……正直、魔力を奪われる前の俺とどっこいか……それ以上、というレベルで。
しかし、この、殆ど化け物みたいな量の魔力にもかかわらず……魔力の質自体は、至極、あっさりしていた。
例え話になっちまうが……ドラゴンの魔力って、こう、どっしり重厚な味わいなんだな。
例えるなら、スパイスやハーブを使った重厚なブランデーケーキ。
或いは、香辛料をケチらずに使ってじっくり燻してじっくり熟成させて水分飛んだ、カッチカチな生ハム。
けど、こいつの魔力って……水。
冷たくて、透明で、すっきりしている。というか、すっきりしすぎ。それでいて、量は膨大。
こんな不思議魔力の持ち主が不慣れな強盗、ってのは……なんか、事情がありそうね。
とりあえず自力で座っていられる程度にまで魔力を補充してやって、俺を襲った犯人……鈍色の髪の青年を手ごろな切り株に座らせた。
青年は口を開きかけて咳き込んだりしていたので、鞄から水を出して分け与えてやった。俺ってすごく優しい。
……そうして、水を飲ませて、少し休ませて落ち着かせたところで、青年に話を聞くことにした。
「ヴェルクト。ヴェルクト・クランヴェルだ。ネビルム村に住んでる。さっきは本当に申し訳なかった」
「まだ許したわけじゃないぞ。事情によっては情状酌量してやるかもよ、っつうだけだ。……で、なんで俺を襲ったの」
頭を下げられようがなんだろうが、あくまで冷たい態度はそのままに続きを促すと、青年……ヴェルクトは少し、目を伏せた。
「……妹を救うのに、金が必要なんだ」
あらま、ベッタベタな理由だな、こりゃまた!
「病気か何かか?」
で、治療費が足りないとか?
「いや、違う。そうじゃないんだ。……そうじゃ、なくて……」
そこで不自然に、ヴェルクトの言葉が途切れる。
続きを促そうと思ったその瞬間、ヴェルクトの喉が、ひゅ、と、鳴った。
それと同時にヴェルクトは喉と胸を押さえて、苦し気に喘ぐ様に数度口を開き……不意に脱力して、ぜいぜい、と荒い呼吸を繰り返す。
……ああ、なるほどね。
「呪いで縛ってあるのか」
これは古くからある呪いだ。
忠誠の呪い、縛りの呪い、というように呼ばれるもので、効果は非常に簡単。
対象がある一定の行動をとった時に、その対象の呼吸を止め、ついでに激痛をもたらす。
『ある一定の行動』がどの程度のものかにもよって呪いの難易度は変わるが、今ヴェルクトに掛かっているような、『一定の情報を喋る』事を縛る程度なら、そんなに難しい術じゃない。
……が、一応、そんなもんがポイポイ掛けられる世の中だったら今、大混乱なわけで……そうならないのは、単純にこの呪いが『呪いの対象が呪いを掛けられることを了承した上でないと掛からない』ものだからだ。
……となれば、こいつがどういう状況なのかが大体分かってくる。
呪いを受け入れざるを得ない状況にされたことについては、話の断片から、こいつの妹を人質に取られているんだろうな、と想像がつく。
成程。で、金があれば解決するかも、っていう事案なわけね。
……さて。具体的にどのぐらいの金額が必要かにもよるが、もしかしたら助けてあげられるかもしれない。
ま、人間の縁は大事にしておいた方がいいだろう。売れる恩は売っておいた方がいいとも言う。
だってこいつ……相当稀有な人材だし、ね。ここでほっとくのはちょっと惜しい。
「答えられる範囲で構わないから答えてくれ。具体的にはどのぐらい金が必要なんだ」
「……分からない。どのぐらいで納得してもらえるのか……」
……あらら、明確な金額は提示されてない、ってことかね。
『お前の妹の命が惜しかったらこっちが納得できる金額もって来いよ』みたいなかんじの要求をされたのか。
「……いや、もしかしたら、いくら金を積んでも納得してもらえないかもしれない。結局目的は、余興で……俺か、妹を、殺……っ!」
そこでまたヴェルクトは胸を押さえて激しく咳き込んだ。今のも呪いに引っかかる内容だったらしい。
……ふーん、ま、いいや。推理の材料にはなった。
『目的は、余興で俺か妹を、殺……』でしょ?
で、『どのぐらいで納得してもらえるのか』分からないけど、金で何とかしようとしている、と。
……なんつーか、ヴェルクトと話してて感じたのは、こいつ、堅物そうだなー、っつうことである。
強盗なんてやったのは初めてみたいだし、それもやむにやまれず、ってかんじみたいだし。
そして何より、『すまない、大人しくしていてくれ、命は取らない』だ。強盗しておいて、俺にナイフを突きつけておいて、でも、命は取らない、と。そして、すまない、と。
そういう奴が強盗しちゃうって、どういう場面よ?
……考え込む俺の視線の先で、ヴェルクトの表情が思いつめたようなものになっていく。
なんとなく、ヴェルクトの視線の先を見てみて……全てのピースが揃った。
なーるほどね。俺ってば天才。
「なあ、ヴェルクト」
今にも視線の先へ歩いて行ってしまいそうなヴェルクトを止めつつ、満面の笑みで俺は持ちかけるのだ。
「取引をしないか?……お前が飲む条件によっては、俺が代わりにそこの『死神草』、抜いてやってもいいぜ?」
俺の言葉に、ヴェルクトは唖然として、それから慌て始めた。
「な、何を!死神草を抜くということの意味を知って」
「知ってるよ。舐めんな。……死神草の根は、最高級の魔法薬の材料だ。デリケートな魔草で、魔法にとても弱い。土魔法で掘り起こすと使い物にならなくなるから、必ず人間の手で引き抜くことが必要だ。……そして、死神草を引き抜く時、抜いた人間は死ぬ」
死神草を抜く現場を、一度、見た事がある。
どこでって?……んなもん、決まってんだろ。刑場だ。処刑場だよ。
死刑になった罪人を殺すとき、罪人の希望によってはそういう処刑方法を選ぶこともある。
『自分の命が他の誰かの重い病を治す薬になるのなら』、っつって、結構多くの死刑囚が死神草を抜いて死ぬことを選ぶ。だから、死神草はまたの名を贖い草ともいう。
……俺が見学した時の死刑囚の死に顔は、安らかなものだった。
死神草を抜くとき、人は苦しまずに安らかに死ねるのだという。死神ってのは案外慈悲深いもんなのかもしれない、と思った記憶がある。
……が、残念ながら、今の俺はそんなしんみり具合とは縁が切れてる。魔力の切れ目がしんみりの切れ目だ、チクショウめ!
……『死神草』によって人が死ぬメカニズムはもう分かっている。
『死神草』は抜かれた時……一番近くにいる人間の魔力を、破壊するのだ。だから、人は死ぬ。
つまり、まあ、最初から魔力を持っていない俺は多分、死なねーだろうなぁ、っていう。
慄くヴェルクトを無理やり急かして、死神草の群生地へ案内してもらった。
「……ここだ。だが、本当に……」
すげえ。
なんかヴェルクトが言ってるけど、気にならない程度にはすげえ。
超高級魔草である死神草が、こんなにわっさわっさ生えてる!すげえ!
こんなに群生しているのは初めて見た。今まで見た死神草って、処刑用に1本だけ鉢植えにされた奴か、もう薬草状態になっちゃってる奴かのどっちかだったからな。すごく新鮮だ。
深夜の森の中でひっそりと光を宿しながら揺れる死神草は、どこか不気味で、とても美しい。
死神草特有の青白い光に包まれつつ、俺は一頻り感動していた。
死神草畑に踏み込むと、死神草が命の気配にざわめくのが分かった。
……ああ、うん。ええとね、俺じゃなくて、ヴェルクトの方じゃないの?うん……。だって俺、魔力が無い以上、命の気配が無いと思うし……現に、死神草の葉っぱつついたら死神草が不審がるみたいにゆらゆらするし……。
「あ、念のため離れててくれ。俺じゃー駄目、って事になってお前の方に支払いが行ったら面倒だし」
不安げに俺の後を付いてきたヴェルクトを追い払うと、納得いかなげな表情を浮かべた。
「何故、見ず知らずの、しかもお前を襲った奴のためにここまでするんだ」
「さーね。あ、忘れんなよ。俺が死神草抜いたらお前にはちゃんと約束を果たしてもらうからな。逃げんなよ」
ま、今までのが全部演技でも無い限り、こいつの性格からして逃げるなんて絶対にしないだろうけどな。
「ほら、良いからさっさと離れろ」
俺がもう一度言って、ようやく、ヴェルクトは死神草畑から離れた。
……へっへっへ、よーし、じゃ、早速。
「ていっ」
青白い光を灯す花の茎を掴んで、躊躇いもなく引っこ抜く。真っ直ぐ勢いよく抜くのが綺麗に抜くコツだ。
……すると、見覚えのある形の根っこが出てきた。
死神の鎌のような形をしたこの根っこは、俺も何回か使った事がある。あの時はエリクシルでも作ったんだっけかな。
死神草の根っこは少し動いていたかと思うと……細い、鎌の柄のような根を、こちらに向かって伸ばしてきた。
「おっ」
そして、その細い根が俺の首筋に触れたかと思うと……ぱちん、と、強い静電気が爆ぜたような感覚が走り……それで、終わりだった。
それきり死神草は動かなかったし、俺は死ななかった。当然である。
「終わったぞー」
掴んだままの死神草をヴェルクトに掲げて見せると、いよいよ『何が何だか分からない』みたいな顔をされた。
「……待て、何をするんだ」
「大丈夫大丈夫、ちょっと間引きしてこいつらが増えやすいように環境整えてやるだけだから」
さて、死神草で死なないって事も分かっちゃったし、俺は早速ここの死神草をもうちょっと収穫させてもらおうかな。
へっへっへ……いい薬の材料になるし、これ単体でも相当高く売れるんだよなぁ……。
「1度ならず2度も死神草を抜くつもりか」
呆れも驚きも通り越して、最早茫然自失に近いヴェルクトには、笑顔を向けておいてやろう。
こいつが教えてくれなかったら、こんなにたくさん死神草が生えてるところなんて、一生見られなかっただろうから。
「冗談言うなよ。2度で済む訳ないだろ?」




