第53話 裁可の光、沈む真実
アンブラージュ王城の中は、妙に明るかった。
白い石。高い窓。差し込む陽光が床へ広がり、影の居場所を少しずつ奪っていく。
その光の只中に、マリーが立っていた。ネイが一礼するより先に、マリーが一歩、前へ出る。
「ネイ……!」
声が、わずかに高い。抑えきれなかった感情が、王の声の端から零れていた。
「無事でしたか……よかった。本当に」
ネイの胸が、鈍く痛んだ。
無事だと言えるのか。
つい先ほどまで、自分は、無事とは言えぬ最期を迎えた者を腕に抱いていたばかりだ。
だが、今のマリーにそれを突きつけるのは違う。
ネイはひとつ息を置き、言葉を整えた。
「……陛下。ご報告があります。ハーデンベルグでの顛末を」
ネイは語った。
獅帝戦団の闇の部隊。
権力へ至るまでの暗躍。
そして、ソレイユとベロニカの最期を。
語るほどに、部屋を満たす光が冷たくなっていく気がした。
だが、語らねばならない。語られぬ闇は、闇のまま根を張り、また増えていく。
それでも、なお語れぬ部分があった。
秘匿しなければならない、デラヴイユとの関わり。
そして――獅子王暗殺が、グラーフの手によるものだったという事実。
ネイはそれを、喉の奥へ沈めた。
マリーは途中、何度も瞳を伏せた。
「……そして」
ネイは胸元の内側から書簡を取り出した。
「この書簡を。グラーフ公より、陛下へ届けよと預かったものです」
マリーは一瞬だけ目を見開いた。
静かに受け取り、封蝋を見つめる。指先が、ほんのわずかに震えたように見えた。
マリーは書簡を開き、読み始める。
最初、表情は動かなかった。
次に、眉がわずかに寄る。
さらに、唇が薄く結ばれ、顎の線が硬くなる。
――どの一文で変わったのか、ネイには分からなかった。
マリーは文字を目で追うだけで、声にはしない。
沈黙が、部屋全体を静かに支配した。
やがて、マリーの顔色がわずかに落ちた。視線が紙の上で止まり、息がひとつだけ詰まる。
そして読み終えると、深く、ひとつ息をついた。
「……グラーフ公の願いを……受け入れます」
その声は揺れていなかった。
マリーは書簡の一節を、ゆっくりと読み上げた。裁可の文言を確かめるように。
「――我、グラーフ・フォン・ハーデンベルグは、獅子王暗殺の罪を償う」
ネイの背筋が凍った。
予想外だった。伏せていた“事実”が、王の口から放たれてしまった。音になった瞬間、もう戻せない。
マリーの目は開かれたままだった。瞬きひとつしない。
「一、ハーデンベルグ公国をアンブラージュ王国へ返還とする。その後の公爵領の扱いは、マリー女王陛下の裁可に委ねる」
「二、獅帝戦団はアンブラージュ本軍へ吸収し、再編成とする」
「三、孤児院はアンブラージュ王国直轄とし、その保護および運営を委譲する」
言葉がひとつずつ、石のように置かれていく。置かれた石は、戻らない。
「以上をもって、摂政としての任を辞し、ハーデンベルグ公爵の座を退く」
マリーは書簡を、ゆっくりと下ろした。
「……グラーフ公は」
声が、ほんの一段だけ弱くなる。
王の声がほどけかけた、その隙間に、少女の声が覗いた。
「どうされたのですか」
ネイは答える。
「……“禊を果たす”……と」
その言葉が落ちた瞬間、マリーの顔がかすかに歪み、静かに頷いた。それは怒りにも、嫌悪にも見えなかった。
「……残念です。グラーフ公は――私の盾であり、剣でした」
――その言葉を聞いた瞬間だった。
ネイの脳裏で、これまでの出来事が異様な速さで反転しながら駆け巡る。
断片だったはずの事実が、ひとつの線で繋がりかける。
そして、その奔流は、ある一点で不意に止まった。
ネイの呼吸が止まる。
目だけが、大きく見開かれている。
理解が追いつくより先に、冷えの感覚が骨の内へ染みていった。
そして虚無感が、遅れて心の奥へ満ちてくる。
マリーは話題を切り替えるように続けた。
「ベルノアと和平を結びます」
ネイは顔を上げ、マリーを見る。
「聖都で、正式に。――ネイには、その功労者として出席してほしい」
功労者。勝利者。名誉。
その言葉たちは、本来なら光を伴うはずだった。
だが、腕の中にあった重みが、まだ指先の記憶に残っている。
「そして」
マリーはネイを見た。
真っ直ぐに。逃げ道のない目で。王の目で。そして、少女の目で。
「ネイ。私の側近になってください」
返事をすれば、それは約束になる。
だが今は、レオンとの約束のほうが、脳裏を大きく占めていた。
ネイは返事ができなかった。ただ深く一礼し、踵を返す。
扉の向こうへ出る寸前、背中に視線が刺さる。
王の視線。少女の視線。
その両方が、ひとつに溶け合った視線だった。
それでも、ネイは振り返らなかった。
真実は、罪だったのか。救いだったのか。
ネイはなお答えを得られぬまま、それでも前へ進むしかなかった。
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