第50話 闇が築いた玉座
決着の時が、目前に迫っていた。
扉の先には、ずっと目指してきた人物がいる。そう思うだけで鼓動が速くなる。重い扉の前で、ネイは一度目を閉じ、深く息を吐いた。取手に指をかけ、そのまま静かに押し開ける。
わずかな軋み。
――それだけで、空気の密度が変わるのが分かった。
冷えているのに、乾いている。室内には、何かを燃やしたあとの匂いが淡く残っていた。
そして、その先にいた男と目が合う。
ハーデンベルグ公爵。そして獅帝戦団総帥。
“闇”の元凶、グラーフ・フォン・ハーデンベルグ。
「全てを知ったような顔をしているな」
グラーフの声は低く、緩やかだった。ゆっくりとネイへ視線を移し、その存在を測るように見据える。
ネイは一歩だけ踏み込んだ。
喉が乾く。胸元の下、布越しの“印”が冷たい。王紋は沈黙したまま、脈の下でかすかに鳴っている気がした。
「……お前がここに来たということは……ソレイユは逝ったということか」
グラーフはわずかに息を吐き、ほんの少しだけ天を仰いだ。その仕草は、祈りにも似ていた。
ネイの脳裏に、ソレイユの最期の言葉がよぎる。
「なぜ、あの人を“闇”に導いた」
声は低く、床へ落ちた。瑠璃の反射が、それを薄く縁取る。
「“闇”を選んだのはソレイユだ」
グラーフは視線を逸らさない。瞬きは遅いままだったが、その言葉に揺らぎはなかった。
「――お前は、彼の選択を否定するのか」
ネイは拳を開き、掌に残る血の匂いを呼吸の奥へ押し戻した。
「彼に与えられた“名”は、祈りだった。太陽の光で人を導くための、祈りの名だった」
ネイは言葉を一つずつ立てるように告げる。剣を抜かない代わりに、言葉を抜く。
「……その祈りを奪ったのは――グラーフ公、あなただ」
グラーフの眉が、ほんのわずかに動いた。
それだけで、室内の空気がひときわ重くなる。
「……なぜ、彼の名の由来を知っている」
ネイは躊躇わなかった。ここで躊躇えば、ここまで積み上げてきたものが崩れる気がした。
「――レオン陛下が、仰っておられた」
その瞬間、グラーフの瞳が大きく見開かれた。
「殿下に会ったのか……!?殿下は、ご存命なのか?」
狼狽は明らかだった。微動だにしなかったグラーフの足が、一歩、前へ出る。
「…………生きておられる」
正確に言えば、レオンはもう死んでいる。だがネイは、あえて“生きている”と告げた。ここで真実を叩きつければ、対話そのものが終わる気がしたからだ。
グラーフはその言葉を聞いた瞬間、瞳の奥に安堵の色を一瞬だけ浮かべた。
だが次の瞬間には、それを自ら押し潰すように、口元がわずかに引き締まる。
「そうか……やはり、お前は知っているということだな」
微笑みが浮かぶ。だがそれは喜びではなかった。
――諦めの輪郭だった。
「なぜ、あなたはレオン陛下について行かなかった」
それは核心を突く問いだった。
グラーフは、避けられぬ問いだと理解しているのか、表情をわずかに歪める。
「……」
しばし、沈黙が落ちた。
「権力を維持するためか」
ネイは目を細め、拳を握る。もし、くだらない答えが返ってくるのなら――この男を赦せるのか、自分でも分からない。爪が掌に食い込む痛みで、自らの熱を押し殺す。
「そう取ってもらって結構だ」
即答だった。
だが、その答えはどこか含みを残すようでもあった。
ネイが息を詰めると、グラーフはゆっくりと窓辺へ歩み、外へ視線を投げた。
「全ては、あの夜から始まった。デラヴイユが燃え落ちた夜だ」
グラーフの眼差しが、遠い昔を見つめるものへと変わる。
*
デラヴイユ復興は、殿下と私の誓いだった。
復興のための“資金”を稼ぐために、私は“心”を捨てた。
仇であった獅子王に近づいた。戦場で“力”を売り、功績を積めば、金は雪のように積もった。
やがて獅子王は、単なる傭兵団の長に過ぎなかった私に、貴族の娘との縁談を持ちかけてきた。
だが私は断った。獅子王の支配の内に収まるわけにはいかなかったからだ。
ところが獅子王は、私が拒んだことをむしろ面白がったのだろう。
私に権力――すなわち領土を与えた。そして王国の“力”となれと命じた。
だが、その時に私は思いついた。領地を得て、それを広げ、強大な力を手にしたなら――。
――デラヴイユに匹敵する国を、築けるのではないかと。
そして私は、獅子王の願いを受け入れた。
獅子王に匹敵する力を手に入れ、新たな国を作る。
そして殿下にその玉座へ就いていただく……それが、私の使命となった。
当時の有力貴族たちは、単なる傭兵団長に過ぎなかった私の台頭に、激しく反発した。
影響力を拡大するには、反発する有力貴族も、障壁となる存在も、全て邪魔だった。
そして、私は“闇”に堕ちた。
邪魔な貴族たちを排除するため、闇の部隊を発足させた。今の特務隊の前身にあたる部隊だ。
グロワールは実直で、決して裏切らず、命令に従い続けることを信条とする男だった。余計な感情を差し挟まぬ人間。まさに“闇”に適した者だった。
私は彼に頭領の座を与えた。
そしてソレイユは、自ら闇の部隊に入ることを望んだ。そうして、闇としての訓練が始まった。
私が伯爵となり、機が熟した頃、計画を実行に移した。反発する貴族たちに工作を仕掛け、失脚へ導き、空いた“席”を伯爵として制度的に回収していった。
当然、そんな卑劣なことは殿下には言えなかった。あのお方は正義感の強い方だ。そんなことを告げれば、間違いなく激昂なさっただろう。
そして、疑いの目が我々に向かぬように、傭兵団の名を“獅子王を帝と仰ぐ”という誓願のもと、“獅帝戦団”へと変えた。
やがて私は公爵となり、強大な力を得た。
戦災孤児を保護し、孤児院も作った。それは戦団を強化する目的でもあったが、何より、国の基盤を支える人材が必要だった。
私は、汚れ役に徹し続けた。
そして、殿下に座へ就いていただくための準備が、ようやく整いつつあった時――。
殿下から、デラヴイユが存続していることを聞かされた。
デラヴイユへ戻ろうと。
……自分の耳を疑った。
そうだ……私が手を汚し、積み上げ、掴み取ったものは――。
――権力しか、残っていなかったのだ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
続きが気になりましたら、ブックマークしていただけると更新を追いやすくなります。




