第4話 軍神の影
朝日が、アンブラージュ王国の大軍を照らした。
ローンズベリー要塞前に隊列が重なる。
最前列に獅帝戦団の各小隊。中ほどに本軍歩兵隊と遠距離部隊、そしてグロワール率いる大隊。
最後方に獅子王と獅帝戦団総帥グラーフ公、そしてソレイユ率いる特務隊。
厚みそのものが圧になる配置だった。押し出す力にも、退路を塞ぐ壁にもなる圧。
角笛が長く吹かれると、隊士たちは一斉に兜の面を下げた。擦れる金属音が、朝の冷気を裂いて鳴り響く。
決戦の幕が切って落とされる。
続けて角笛が一度、短く鳴った。投石開始の合図。
本軍投石隊の機構が低く唸り、石弾が空を裂いて稜堡の上へ落ちる。遠い衝撃が腹の底へ届き、遅れて砕ける音が来た。
弩座が伏せ、矢筋が乱れる。要塞上の影が、一回り縮んだ。
――角笛一。
門前へ出る。
白い霧が、湾の浅瀬から這い上がってくる。潮に押され、浜へ流れ込み、足元の石に夜露を残す。靴底がわずかに滑る。
それでも各小隊は迷わず走った。
言葉はない。確かめる必要のない約束だけが列を束ね、小隊は怒涛のように城塞へ雪崩れ込む。
ロッシュが最前で大盾を構える。盾表に水珠が生まれ、光を持たない滴が幾筋も滑った。ローザが半歩右で角度を作り、メグは弓を胸に抱えたまま機を窺う。
ネイは三人の背の位置を一人ずつ確かめ、呼吸の拍をそこへ合わせた。拍が揃えば足が揃う。足が揃えば、生き残る確率が上がる。
要塞の鐘が一度、低く鳴る。霧の向こうの警戒が動いた合図だ。
稜堡の弩座が矢束を吐く。抑えられてはいるが、沈黙したわけではない。初撃は高く、矢は霧を裂いて頭上を抜けた。二撃目が低く走る。
ロッシュの盾縁に一本が弾かれ、火花が小さく散った。メグの肩が跳ねる。だが弓は落とさない。指が弦を離さない。ローザの足が半歩だけ内へ寄り、隊列の隙間を塞ぐ。
門が開く音がした。
霧の中から敵の小隊が飛び込んでくる。ロッシュの盾が正面で受け、ネイが二重に止める。盾と盾がぶつかる鈍い音。鉄が擦れる高い音。
押し合う圧が胸板の内側へ響いた。
相手の顔は見えない。見えるのは刃筋と、吐息の白さだけ。
右で別隊が前へ出て――すぐ引く。
敵兵の誘い出し。
引き際の速さが敵を苛立たせる。苛立ちは敵の一歩を連れてくる。
門前から小隊が剥がれる。剥がれたぶんだけ、門の影が薄くなる。
――角笛二。
照準切替。
戦場の騒乱の中でも、その音だけは耳の奥に鮮明に届く。
「退け!」
ネイの声に、三人は同じ拍で引いた。
ロッシュが盾を前に残し、皆の防壁になる。後退の一歩目でメグの靴が濡れた石に取られ、膝がわずかに沈む。ローザが肘で支える。メグは歯を食いしばり、体勢を戻した。
言葉は交わさない。崩れないことだけを優先して、四人は門前から距離を取る。
引くことが、攻めになる局面だ。
その瞬間、本軍の第二投石が稜堡から門前へ照準を移した。石弾が低い軌道で落ちる。
空気が鳴り、石畳が跳ね、白に土煙が混じって灰色になる。門前の敵が伏せ、城内へ戻る足が乱れた。
続いてもう一撃。今度は門そのものを叩く。
重い響きが霧の奥で折れ、金具が悲鳴のように鳴り響く。
攻めと退きが投石と噛み合い、繰り返すほど門の輪郭が削れていく。木の板がめくれ、鉄の箍が歪み、蝶番の悲鳴が質を変える。要塞上の矢は細くなり、代わりに門前の土煙が濃くなる。
白い霧は、いつしか灰色に染まっていた。
内側の防柵が軋みながら露出し、続く石弾がそこを叩いた。鉄が鳴く。木が折れる。
要塞の呼吸が一度、詰まる。
そして――門が割れた。
「門が開いたぞ!」
誰かの声が、霧の底で震えたと同時に、中軍の旗が上がる。王国歩兵隊の隊列が攻めの形へ変わる。
槍先が揃い、鎧の面が同じ角度で前を向く。グロワールの隊も突入の間合いへ寄ってくる。陣の重心が、ゆっくり前へ滑った。
誰もが勝利を確信した、そのとき――風の向きが変わった。
潮の音がひとつ低くなる。
霧が揺れ、門口が急に鮮明に浮かび上がる。
灰を含んだ霧が、左右へ引き裂かれていく。
霧の奥から、一人の女が歩み出てきた。
護衛も旗も連れていない。だがそれが、かえって異様な圧となって迫ってくる。
鎧は過不足なく身体に沿い、飾りは最小限。
肩の継ぎ目、刃の収まり、腰の落とし方――すべてが整いすぎている。
瓦礫の段差を正確に拾い、門口へ来て止まった。
止まった瞬間、周囲の音が一段落ちた。
稜堡の上で弓指が呼吸ひとつ止まり、矢の引きが遅れる。
霧の流れが、その周囲だけ薄い。矢筋さえ迷っているように見えた。
女は静かに兜の面を下ろす。
そこでグロワールの声が、霧の裂け目へ落ちた。
「“軍神”――マーガレット・シュロップシャイア!」
難攻不落の要塞。
その破れた門前に、軍神が影のように立ちはだかった。




