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双貌のローザリア  作者: あかまる
最終章 双貌

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第47話 ハーデンベルグ城、突入

 夜明け前の霧が、山肌を這い、黒い稜線を噛んでいた。


 ハーデンベルグ公国――かつて“家”と呼んだ場所は、息そのものの温度が違っているように思えた。ここは人が生きる街ではなく、人が“生かされている”檻――そう見えてしまう。


 正門が近づくと、獅帝戦団の門番が二名、霧の中に立っていた。黒の鎧が白に溶け、そこだけ夜が取り残されている。


 ローザは馬を止め、鞍上から一礼する。門番が、遅れて目を見開いた。ローザの顔を知っている――そんな戸惑いだった。


「アンブラージュ特使、ローザ・ステラグレイ。女王陛下よりの書簡を携えております。入国を願います」


 差し出した書簡の白百合の封蝋が、霧の白の中でひときわ冴える。門番の視線が、その白百合の紋へ吸い寄せられた。


「……女王印、確認。失礼いたしました、開門!」


 重い鉄格子が軋み、鎖が霧の奥で鳴った。久しぶりの帰還――その言葉は、もう当てはまらない。ただ戻ったのではない。ネイを救い、故郷を包む闇を払うための帰還だ。


 城へ向かう大路へ出ると、坂の先で黒い巨城が霧を裂いて現れた。その手前で、黒い鎧の列が道を塞ぐ。その中央に――鎖で繋がれたひとり。


「ネイ!」


 ローザの声が空気を斬り、ネイが反射的に振り向く。


「ローザ!?」


 ローザは馬から降り、胸元から書簡を抜き、封蝋の白百合を示した。


「アンブラージュ特使、ローザ・ステラグレイ。女王陛下の名のもと、ネイ・カイザーハインの身柄引渡しを要求する」


 言葉は凛として、揺れない。護送役の瞳に一瞬だけ迷いが滲み、すぐに消える。命令と現実のあいだで、呼吸が詰まった顔だった。


 隊士は封蝋を凝視した。それを否定すれば、命令では済まない。国に刃を立てることになる。


「……確認する」


 隊士はひとつ深く息を吸い、吐いた。


「命令を改める。拘束を解け」


 冷たい輪が、ネイの手首から離れる。


「……助かった」


 ネイは手首を摩りながら、ローザを見つめた。


「隊長を助けるのは当然」


 交わす言葉は短い。


「……特使とは」


 ネイが、確かめるように問う。


「マリー女王陛下に拝謁し、書簡を賜った」


 ローザは目を細め、声を落とす。


「しかしマリー様は――」


「グラーフ公の傀儡と化している」


 ネイはローザの言葉を継いだのではない。結論を、先に置いた。


 ネイの目が細くなる。


「……やっぱり、そう見えるか」


「ネイも、同じことを……」


 二人の見立ては、そこで重なった。


「女王の裁可より、公爵の許可が先に来る。そんな国、まともじゃない」


 ネイは吐き捨てるように言い、周囲の隊士たちへ視線を走らせた。黒い鎧の奥に、同じ鎖が見える。


「それと……グラーフ公の狙いは俺だった」


「ネイが目的……?」


 意外な言葉に、ローザはわずかに息を呑む。


 ネイは城を見上げた。霧の奥で、巨城が呼吸している。


「俺は、グラーフ公に会わねばならない」


「――私も行く」


 ローザは迷いを削るように言った。


「危険だぞ」


「分かっている」


 ローザの声は硬い。それは恐れではなく、決意の証だった。


 後方にいたマーガレット、ロッシュ、メグが歩み寄る。ネイの目線が三人へ移り、少し目を開かせた。


「お前たち……! どうしてここに」


「こいつが、どうしてもお前の所へ行くと言って煩くてな。こんな状態だ。護衛だよ」


 マーガレットはロッシュへ親指を向け、わずかに笑った。笑いは薄いが、刃より頼もしい。


「“盾”がいねえと、締まらねえだろ?」


 ロッシュが鼻息を荒くし、胸を張る。


「傷は大丈夫なのか」


 ネイはロッシュの大腿部に巻かれた包帯へ視線を落とす。血が滲んでいる。


「私が責任をもって対応いたします。大丈夫です」


 メグが柔らかく笑い、ロッシュの肩を叩いた。言葉の代わりに、手で安心を渡す。


「……小隊復活だな。それに頼もしい軍神が一人」


 ネイは目を伏せ、笑みを浮かべる。四人の表情が、同じ温度で返ってきた。


「行こう」


 護送列が道を開ける。視線が背に刺さる中、ネイたちは城へ向かって歩き出した。


 *


 城門をくぐると、空気がさらに冷えた。


 かつての記憶にある城は、もっと雑多だった。訓練の汗、厨房の煙、笑い声――生活の擦れ。今あるのは磨き上げられた静寂と、見えない目だった。


 長い回廊を進む。靴音が整いすぎて反響し、まるで自分たちが“数えられている”ように感じた。


 その先で、黒革の影が横一文字に並んでいた。


「止まれ」


 低い声が落ちる。


 そこに立っていたのはソレイユだった。


 髪は灯に濡れたように光り、整いすぎた美貌が刃物じみている。微笑めば微笑むほど、温度が削れていく顔。


 背後には獅帝戦団の精鋭――特務隊。彫像のように並び、視線だけが鋭い。


 そして、ソレイユの半歩後ろに――ベロニカがいた。


 黒い衣。白い肌。瞳は何も語らない。口は閉じられたまま、呼吸だけが静かに揺れている。無言が、最も凶悪な圧になってそこにあった。


 ネイの足が止まる。ローザも止まる。恐れで止まるのではない。距離を測るために。


「……殿下」


 ネイが、昔と同じ呼び方で言葉を落とす。


 ソレイユは、逃がされたあの日と同じように微笑んだ。だが、その微笑みは今、温度を持っていなかった。


「本当にお前たちは……予測以上の行動を見せる」


 言葉は柔らかい。だが、刃もまた柔らかく切れる。


「ハーデンベルグはネイ、お前を異端嫌疑者として捕縛することに変わりはない」


 ソレイユの目が鋭く光った。


 ローザが一歩前へ出る。書簡を掲げ、封蝋の白百合を見せる。


「ネイの解放はマリー女王陛下の命でございます」


 白百合はここでも光る――はずだった。


「ここでは無意味だ」


 ソレイユの声が、光ごと切り捨てる。


「ここはハーデンベルグ。グラーフ公の意思のもとで物事は動く」


 背筋を冷たいものが走る。ロッシュが歯を食いしばる。メグは一歩下がり、祈りを握り直した。マーガレットは肩を落とす。戦の前の重心。静かな準備だった。


 ネイはソレイユから目を外さず、半歩前へ出た。


「グラーフ公に会いに来ました」


「なんだと?」


 ソレイユは首を傾げる。氷が割れる前の静けさ。


「お前たちを通す訳にはいかない。――殺すな。全員、捕縛だ」


 命令が落ちた瞬間、特務隊が動いた。


 黒い鎧が一斉に滑る。刃が抜かれ、音が遅れて追いつく。空気が裂け、回廊が戦場へ変わる。


 マーガレットが前へ出た。盾のような体で道を塞ぎ、剣を抜く。抜いた刃が灯を切り、影が跳ねた。


「ロッシュ、メグ! 背を預けろ!」


「任せろ!」


 ロッシュが吠え、重心を低くする。傷んだ脚を庇いながらも、動きは鋭い。メグはロッシュを補佐するように傷の位置へ体を滑り込ませる。


 マーガレットが迫る刃を一振りで受け、弾き、押し返す。金属音が火花を散らし、石壁に跳ね返って耳を刺す。


 その時――ソレイユとベロニカが上階へ移動していく姿が垣間見えた。


 マーガレットの低い声が背後で響く。


「行け! ここは私が押さえる!」


 ロッシュの笑いが混じった。


「……やっと、らしくなってきたじゃねえか! 俺もここで押さえる!」


 メグも真剣な眼差しで叫ぶ。


「はやく! 行ってください!」


 ネイが三人の顔を見渡し、信頼を預けるようにひとつ頷く。


「ローザ、行くぞ!」


 ネイが叫ぶ。ローザは頷く。頷きが合図になった。


 二人は戦場の縁を裂くように駆ける。特務隊が塞ごうとする。ネイが剣を閃かせ、相手の刃を外す。殺さない。だが止める。肘、肩、手首――急所を外し、武器を落とさせる動き。ローザはその隙間をすり抜け、階段へ身体を滑り込ませた。


 石段を駆け上がる。上へ、上へ。城の心臓へ近づくほど、空気が硬くなる。冷たさが刃の形を取る。


 上階の回廊はさらに暗かった。最後の段を踏み抜いた瞬間、ローザの呼吸が止まった。


 中層の回廊。縦に切り取られた空から光が落ち、白壁に十字の反射が揺れている。


 風が低く流れる先に、ベロニカが影のように立っていた。


 言葉はない。笑みもない。


 ただ、抜き身の刃先が蝋燭の火を一度だけ掠める。赤でも黒でもない“無色の光”を返した。


 そしてベロニカの背後には、上階へ続く階段が口を開けている。


 ローザは剣の柄を握り直し、ベロニカは息を殺して剣を構える。


 ――静寂が空気を包み、ローザとベロニカの鼓動だけが響き渡っていた。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


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