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双貌のローザリア  作者: あかまる
第3章 追憶

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第38話 封印の理

 胸の鼓動が高鳴り、息が乱れる。


 目の前にいるのは歴史そのものの目撃者――ギュスターヴ・バイアーンゴルト。


 この街の心臓に立つ男が、いま確かにこちらを見ている。それだけで、背筋が冷えた。青白い光は清廉で、そこへ落ちる視線だけが重い。空の透明さに似合わぬ圧が、広間の隅々へ沈み、静けさの底を震わせている。


 ギュスターヴは穏やかな笑みを崩さず、両手を腹の前で軽く組んだ。


「どこからお話ししましょうか」


 ネイは喉の渇きを飲み込もうとして、唾がうまく動かないことに気づく。言葉の順番が決まらず、視線だけが壁面を流れる光字の列を追った。


 それを悟ったのか、ギュスターヴは急かさぬ声で促す。


「殿下が確かめたいことから、順に辿りましょう」


「……この街が、なぜ空に……どうやって作られたのか。その経緯から教えていただけますか」


 一拍置いて、ようやく口が動いた。声は整えたつもりでも、内側の熱までは隠しきれない。


「何事も、順を追うことが肝心ですな」


 ギュスターヴは目尻をわずかに緩める。氷が薄く溶けるように、場の空気がほんの少しだけ和らいだ。


「今から二十五年前。獅子王率いるアンブラージュ軍が、ルクス教正典を都合よく曲解し、侵攻してきました」


 淡々とした語り口なのに、言葉の端は硬い。記憶が、なお傷のまま残っているような声だった。


「真の目的は……デラヴイユの技術の入手だったのでしょう」


 ネイは息を呑み、耳を澄ませた。空の街の静けさが、かえって言葉を痛くする。ここでは怒号も悲鳴も反響しない。そのぶんだけ、過去の惨禍が輪郭を持って浮かび上がる。


「我らはルクスから与えられた祝福……すなわち“叡智”を、彼らに渡すわけにはいきませんでした」


 ギュスターヴは一度だけ伏し目になり、壁面に流れる光字へ視線を滑らせた。数字が流れ、年月が流れ、失ったものの代わりに“手順”だけが積み上がっていく。


「……“光は流出せぬよう覆い、時機まで温存せよ”……ですか」


 ネイが呟くと、ギュスターヴは静かに頷いた。


「私は当時、技術の中枢――研究塔におりました。戦況は壊滅的で、このままでは技術が流出する。王は戦死し、王子の行方も不明。……国としての手順が、そこで途切れたのです」


 そこで、ギュスターヴはわずかに肩を落とした。嘆きではない。ただ、事実を置く仕草だった。


「だから私は独断で動いた」


 ネイの指が、無意識に握り込まれる。過去の判断が、いまの世界を作った――その重みが胸を押した。


「有事の防衛のために研究していた、物体を浮かせるための技術――重量制御装置と、物体を隠すミラージュ迷彩装置を、反射的に起動させたのです」


 丁寧な言い換えなのに、内容は異様だった。重さを制し、街を隠す。そんなことが、この世界にある――その事実が、遅れて胸に刺さる。


「今思えば、一か八かの賭けでしたな。結果として研究塔は無事に浮上し……ミラージュも正常に機能した」


 ギュスターヴは、遠い昔の衝撃を胸の内で反芻するように言う。語尾は静かだが、そこにあるのは安堵ではなく、選び直せぬ決断の硬さだった。


「それが――ここです」


 ネイは思わず足元を見て、目を見開いた。床に集まる光の筋。中心へ吸い寄せられ、また幾筋にも分かれていく脈。ここが、研究塔だというのか。


「ですが、ひとつ、予想外のことが起きました」


 ギュスターヴは少しだけ苦笑し、天井のない空――雲海の明るさを指先で示す。


「満月期、月から降る微細な電気の粒が増える。その時、外周のミラージュと干渉して、派手に発光してしまうのです」


 ネイの喉が鳴った。


「ルクスの帳……」


「下界ではそう呼ばれているようですな。結果的には欠陥でしたが、あの発光だけでこの国の存在が掴める者は恐らく皆無。手を入れる必要はないと判断し、そのままにしました」


 理路整然としている。迷いのない結論。守るための判断は、時に残酷なほど切れる。


「答えを言ってしまえば、“ルクスの帳”とは、欠陥品が放つ単なる発光に過ぎません」


 ギュスターヴは小さく笑った。


「以後、機巧人形を使いながら、研究塔を中心に拡張し続け、生活圏を整えた。食糧、医療、住居、教育……“国”を再興したのです」


 ギュスターヴは広間の奥を振り返る。壁面の光字が年代と修復記録を淡く流し、彼の言葉に裏付けを与えていた。記録があるからこそ、同じ誤りを繰り返さない――そう言っているように見えた。


「そして我々はここを――“封印”した。祖国を失ったあの日、あの夜を二度と繰り返さぬために」


 封印。柔らかな単語のはずなのに、ネイの胸へ重く落ちた。守るための閉鎖。救うための断絶。


「でも、あの日、教皇はデラヴイユを知っている様子でした。聖都では、教皇のみがこの事実を把握している……ということですか?」


 ネイが問うと、ギュスターヴは迷いなく頷いた。


「そうなりますな。この国を“秘匿”した以上、闇雲に存在を知らせるわけにはいかない。だから教皇だけに限定しました」


 声は静かだが、断言は鋭い。


「……そのまま聖都との関係を切ることは、考えなかったのですか」


 ネイはさらに聞く。


「デラヴイユは“技術”、聖都は“秩序”を管理する。古からの構図は、今さら変えられません」


 ギュスターヴは首を横に振る。


「ルクス教正典には、“光より作りし物は、地の民に分かち与えよ”という教えがあります。有事や飢饉の際に用いる食材、資材、薬品……我々は聖都へ供給し続けてきました」


 彼は言葉を少し強める。


「この国がルクスの祝福を受けた以上、逃れられぬ責務です」


 ギュスターヴの言葉に、ネイは無言で頷いた。納得せざるを得ない説明だった。


「ですが、ひとつ。我々には大きな問題が残されていました」


 ネイは少し目を開かせ、ギュスターヴへ視線を移した。


 ギュスターヴはそこで、初めて笑みを消した。


「この国は浮上できた。覆うことも、隠すことも、再建することもできた。国として機能もしている」


 静かな声だった。だが、その静けさは、刃を研ぎ終えたあとのそれに似ていた。


「……ただ、ひとつだけ」


 ネイは、息を呑む。


 ギュスターヴはネイの胸元――王紋のある位置へ、目を向けた。


「ルクスの祝福を受け取る象徴。すなわち“器”たる存在……」


 ギュスターヴは目を細めた。


「この国には、王がいなかった」


 その一言が落ちた瞬間、広間の光が、わずかに脈打った。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


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